まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

0429 生命へのまなざし(母と金魚)

2013-04-29 18:52:40 | 昭和的な

今は亡き母の思い出。

私が小学生のころだろうか、縁日か何かで掬ってきた小さなやせ細った金魚を飼っていた。それがたまたま大きく育って体長15センチ以上にまでなった。勿論水の入れ換えや苔とりは私の担当だった。何匹か金魚がいたがその「赤」と名づけた金魚は私の自慢だった。

水を換えたあとは金魚の姿がよく見えて嬉しかった。何時間見ていても飽きない。ある時、塩素中和剤が少ししかないのに少し急いだのか、早めに金魚たちを水槽に戻してしまったところ、「赤」だけが苦しそうに体を傾げてバランスが取れなくなってしまった。

私は慌てた。慌てたがどうしていいか分からなかった。そこで母に金魚の急を知らせた。少年の私には重大事件だったのだ。母は忙しそうに仕事をしていたが、私の訴えを聞くと直ぐにベランダにやってきてくれた。

様子を見てとるや水槽に手を入れて「赤」を静かに、そおっと正常な態勢に起こした。造船所のドックに入った船のように「赤」はひっそりと静かだった。母は魚体に触れるか触れないかの形で両手のひらで金魚をキープし続けた。母は時折両手を僅かだけ広げて「赤」の様子を見ては30分以上それをやめなかった。

凄い!「赤」は見事に立ち直った。

自分も母の前に同じようなことをやってみていたのだが、手を離せばフワ~っと横倒しになってしまう。何度やっても同じことだった。手に負えないと思った。同じ事をやっても母の場合は「思い」が違ったのだろうか。

このあと何年も「赤」は生き、産卵して小さな稚魚の孵化を何度も見せてくれた。大事にしていた「赤」を甦生させようとする母の眼差しは、静かで無心で愛に満ちていたように見えた。

ちなみに、母は陸軍病院で看護婦として働いていたという。大正生まれの母は「ナイチンゲール」の伝記を読んで看護婦になったような人だ。だから人一倍「生命」に対する「無条件な姿勢」が身についていたのかも知れない。

命をいただいて生きてゆく。水族館の母の「おいしそう!」は、それはそれで理に適っている。だが家族のように一緒の生き物を大切にする母の姿は、忘れられない。

ただ、うちのカミさんも子供たちのペットの急場では同じようにやっているのを何度も体験した。
そうした習性が、女の人には生まれつき具わっているのだろう。その辺は、到底かなわない。



【戦争体験者/生きることは食うこと/生命の尊厳/女の人/親子家族/私の母】


0429 良い陽気

2013-04-29 16:01:51 | 今頃の我が家と周辺

連休はどっか出かけるの?
ご近所のお年寄りから毎年恒例の社交辞令だが、車の往来が減って折角静かになるというのに、態々(わざわざ)渋滞の中に紛れることもない。
以前から連休を外して短い有休を取っていたくらいだ。

今日はサンセベリアの株分けをしていても少し汗ばんだ。ブルーベリーの花が白く咲いている。
気がつけばこんな小さな庭の片隅に、義母が植えていたスズランも咲いている。

いずれにしても良い陽気だ。

我が家の庭は野趣に富んでいるのだから、それなりに薮蚊対策をするなら草刈かな~。
今日のところは少しだけむしったが、すでにかなりの勢いだ。

ちょっと動いたのだから早めの金麦をひとりで頂くことに。カミさんと娘は買物ついでの甘い物狙いで出かけている。

カミさんは少し元気になったが、今日も午前午後よく寝た。眠ったあとの外出だ。カミさん元気で留守がいい!か?
そんなこともないが、連休は、静かなのが良い。

 

 

 

+++++++++++++++++良い陽気+


0429 野趣に富む

2013-04-29 10:03:53 | 雑感

息子はこの連休明けから仕事につく。将来についていろいろ思うこともあるらしい。あいつらしい仕事を作るなり見つけるなりして頑張るだろう。いまは動画作りの技術を学びたいみたいだ。初めてアップしたものが初日に300、翌日1500、翌々日は1万超のアクセスになるなど私が知らぬ、色々な世界が広がって存在しているようだ。

ゆとり世代の息子だが、我々のときのような固定的人生観も仕事観もない。我々の時代の評価基準は学力(記憶力)、つまり筆記試験と面接が主だったろう。百科事典の無い家なら図書館に通い辞書や参考書を頼りにたっぷり努力すればある程度のところまでは行けた。だが、今は違う。インターネットで意味も考え方も具体的な技術まで知れる。歴史だって、あんな年号だけ覚えて点を取るのでは興味もわかないし、歴女だって昔の教育体制のなかだけでは出現しなかったろう。
あの東大までもが入学選抜方式にメスを入れようとしているらしい。それは危機感の表れかと思う。

ブラック企業が平然と暗躍横行する世の中で、今の若い人たちは大変な苦労をしていることになる。それでも若者たちは、文句少なく今を模索し未来に繋げようとしている。

昨夜、日ごろは壁のカレンダーなど見ることもない息子がじぃ~っと見ていた。
連休終了までにひとつ完成できるだろう、とか、完成させたいな、と言っていた。

天気予報やニュースにも関心を持つようになり、TV番組はあまり見なくなった。必要そうなことはインターネットで追いかけている。仕事探しも専らインターネットだ。ハローワークにも行っていたが、「やる気のなさそうな」担当者の対応と説明不足を感じて行くのを止めてしまった。(失礼、担当者にもよる)。これはあくまでも息子の個人的感想とは思うが、そこにだって「一粒の真実」はありうる。

若い人たちは、植物系だとか中性っぽいとか言われたりするが、そうした時代背景は大人が作ってきたはず、しかも知らず知らずの内に。昔は「雑草の如く逞しく」とか「踏まれても踏まれても立ち上がる」とか好んで使われてきた。そうした昭和の価値観とは別のところに息子の逞しさをハッキリと見た気がした。我々の時代、踏まれても立ち上がる奴は大きくなると踏みつける側に豹変するのを幾度となく見た。「踏み付けるのも愛」というのは、(もっともらしい)言葉遊びに過ぎない。麦踏みがいいのか自然農法がいいのかだって実は分からない。若い者達は伸びられるように伸び、伸びたいように伸びているのだと思った。

その息子が、うちの庭を見て「草、ボーボーだね」と言った。
そうじゃない、これは「野趣に富んでいるのだ」と心で思いつつ、息子の成長と重ねていた。私なりの解釈では、草々は「競争」していない。競合というよりもむしろ「共生」している。混植・密植という言葉もあり競い合って強くなる部分もあれば、互いに土壌の乾燥を防ぎあっている感じさえある。

自然農法の理屈はよく分からないが、自然のままが一番良いのではないかと思うことはよくある
そして我が家の庭は、あくまでも野趣に富んでいる。

+++++++++++++++++野趣富む+  【雑草抜くにもコツがある/】
*


0428 遊びをせんとや

2013-04-28 22:46:15 | 孫を持つ

席に着くと大きな窓の外にある植木の枝にシジュウカラが遊んで飛び去った。

ちょおっと待った~、「遊んで」だ?。

シジュウカラは生活行動してるだけで、別に暇に飽かして遊んでいるわけではない。
人間が(自分が)勝手にそう見做しているだけで、そんなつもりは毛頭ないんじゃないかい?。

それでも、あの軽やかな動きを見ると楽しげに遊んでいるように思えてしまう。小鳥の顔には表情こそないが首を傾げたり(かしげたり)覗き込んだりするさまが一生懸命に見えるだけに、余計そう思うのかもしれない。

子供が遊んでいるところを見ていると、やはり一生懸命だ。無心に動いている。夢中になっている。
だから可愛い。
そんなになれるのも、きっと楽しいからこそだろう。

そういうの、理想だなぁ~。


+++++++++++++++++++せんとや+

2021.4.28 私も71才、孫の年齢に返り咲けばいいのかな?  71才 7歳の孫に さも似たり、ってね。


0427 風化と代謝

2013-04-27 09:01:17 | 老後生活

昨日、早朝散歩を再開した。また、娘が付き合ってくれて私のウォーキング・シューズも新しく買えた。

もう少し落ち着いたら、旅に出よう。

ようやく何かが切り替わろうとしているような気がする。

風化しつつある自分の心身は、悲しむべきものではなくて、新たなチャレンジというか別の次元を楽しむ準備段階と、教えてくれているのかもしれない。

昔職場の先輩(アラフォー)が「若いときの蓄積が砂の城のように端からサラサラ崩れ始めている。以前の当たり前も、どんどん風化していく。
だから、新しいことに着手して自分を奮い起こすんだ」とか言っていた。

これなら代謝だね。

「若いつもり」そのものも生前整理して、「人生、今が一番(あちこちで聞くフレーズ)」と思えるように生きていけたらいい。
きっと面白いものがあちこちに転がっているに違いない。

初心者はいつだって汗かきベソかきだが、そこから一歩抜けたくらいの時が、概ね一番ワクワクできる時だった気がする。
何にしても!

 

【脳活:ボケ防止にも新しいことにチャレンジ/】


0426 思いの波に乗る

2013-04-26 09:40:46 | ふと思ったこと
経営は利益の追求さえしていればよいものではない。技術は独立した超絶技巧に止まっているべきではなく、事務は効率の良い機械的な処理だけを意味するものでもない。常に自他は共に在る。

下手をすると、発想としてはいつも逆(枝葉末節)のものに飛びつきがちだ。私も同じだ。

片付けもまた、自分とじっくり向き合って行う「終生のもの」でもいい。そう思ったら昨日は時間がゆっくりと過ぎた。それに伴って書類の整理も、片付けも進んだ。

ちょっと気づくのが遅かったか?いやいや、こういう事は仕事をしていた時にも思ったことがあった。
こなすべき仕事は次から次と山のようであり、止め処ない点では川のようでもあった。
バタバタとこなそうとして疲弊した。

あまりに疲れてぼ~っとしながら書類を眺めた。眺めながら意味を頭でではなく気持で?思ってみた。そうしたら、無味乾燥のような仕事に「瑞々しい」意味が伏流水のように流れているのが感じられた。その水々しさは自分の中にまで流れ込んできた。

人それぞれ、タイプに合ったやり方を見つけるのがその人の課題なのだとすれば、私はもっと自分らしさを感じていこう。このことが、3秒で合っているかどうか決めるの真髄なのかもしれない。あとは自分の「周波数」とか「波長」とかを尊重して、「おっとり」やっていこうか。

焦らなくても、妖精さんに任せておけば大丈夫!カミさんの口癖だ。

がむしゃらにやらなくても、パタパタパタパタッとひとりでにこなれていくことも確かにあるようだ。思っていると、すぐにではなくても、そこに向かって動き出す時がある。「思いの波」に乗る、これもまた意味深い。



【うちのカミさん/波動/】


0424 9時5時充電

2013-04-24 07:17:04 | 健康

おはよ~、楽しいね。昨夜は9時に寝て5時に起きたよ~。8時間も寝た~。コーヒーもう一杯飲もうかな。

今朝のカミさんの第一声。9時5時といえば就業時間のようだが、カミさん、どうやら(仕事並みに)集中して眠れたようだ。
今年に入り忙しいのがず~っとだったから、まだまだ充電は必要だろう。年度始めの忙しさも大体、連休までは終わらない。

私の山歩きの経験からすれば、辛抱して頑張って喘ぎながら(あえぎながら)登った山、下りでも相応の時間がかかる。鎖場を重い荷物を背負って緊張の連続で降りる場合など、むしろ時間がかかることだってある。

麓に降り立って温泉にでも浸かれた(つかれた)時の「のびのび感」は、これもまたプライスレス。励んだ後の休み。励むと休む。どちらが欠けても調子を崩す。

余裕のない励み方をすると息切れするものです、という(福井謙一さんの)言葉も浮かぶが、好むと好まざるにかかわらず否応なしの余裕無し。それですっかり過放電。そんなときには眠って充電。これっきゃない。

ゆっくりと体も心も解して(ほぐして)あげることだ。


+++++++++++++++21時5時+
**

2020.1.13 やはりぐっすりとたっぷり。十二分である必要は無いだろうが十分な眠りは気分もパフォーマンスも上げる。
2021.4.24 春風吹けばなのか、眼科が混んでいたとカミさん。また、春眠は初夏でも続く。熟睡は薬に勝る本真もん。
2021.4.26 眠るっきゃない!


0423 ぽっこんぽこぽこ

2013-04-23 22:38:47 | 日記

カミさん、早めに帰宅、ちょっと疲れているが、元気。ただいま~の後、「イタリアンが食べた~い」。

これなら大丈夫! 「生ビール飲もうよ~」も、くっ付いてきた。
あ~あ、今日は休肝日にしようと思ってたのに、これだものな~。
まあ、そうまで言われちゃあしょうがない、付き合ってやるか~。

二人でポコポコ歩いてジョリーパスタ。カミさんはジェノベーゼ、私は大体ペペロンチーノだ。
何かの番組で「イタリア人にとってペペロンチーノは絶望のパスタ」とか言っていた。
海鮮などが入らず、トマトソースさえなく、ニンニクしか入ってない「貧乏なときに食べるパスタ」ということらしい。

うるせ~よ。イタリアじゃそうかもしれないが、大体イタリアって言っても、ローマ風とかミラノ風とか好きなこと言っちゃって随分違うみたいじゃ~ん?日本じゃ色々入るし、好きだからいいじゃん!

よそ様からは「お行儀が悪い」などと顰蹙(ひんしゅく)かもしれないが、カミさんとはラーメン食べに行っても、途中で必ず器ごと一時的交換をして、ハーフ&ハーフ的に味を楽しむ。別に悪いことしてるわけでもないし、今日もまた。

これもテレビでその昔、フレンチで「ライスを食べるとき」の作法をゲスト3人くらいに実演解答させてフランソワーズ・モレシャンが正解を言う。龍虎関がフォークの背に乗せて食べていたとき「フランス人ワ、ソンナ面倒ナコトワシマセ~ン。ソレワイギリス式、デスネ」とか。まあそれとこれとは大違いだが、楽しく食ってりゃいいんじゃねぇの?的な。

職場の話も織り混ぜながら他愛の無い話もして、今日は生も1杯ずつ、未練もあったらしいがデザートも食べず、店を後にした。

何やらリズムを取った動きを付けて踊るように、ぽっこんぽこぽこ、ポッコンポコポコと歩きながらの帰り道、楽しそうだった。「今日はうちに帰ったらすぐに寝る」と言いながら、ま~だやっていて、脚が疲れると一人激白。

遊びで動画作りに夢中な息子には帰宅途中のコンビニ弁当。まあ許しておくれ。
息子が弁当を食べる間、一緒にテーブルでテレビを見ていたうちのカミさんも、息子が食べ終わると「おかあさんもう寝るね」と部屋に入った。
あれほど風呂好きのカミさんが、今日も風呂抜きか。まだまだ疲れが抜けきらない・・・・・。

楽しい後ならなおのこと、こんな時には寝るのが一番。



++++++++++++++++ぽっこん+
**

2013.8.10 毎年のことだが、お盆休みに入る今日、これから夫婦揃って生ビールへ。今日も出るか、ポッコンポコポコ。
2021.4.23 ポッコンポコポコは、楽しい気分の時にしか出ない。あと多少の若々しさ。いくつになってもMy precious.
2021.5.26 小走りの後、シューと言いながらフローリング床で滑るカミさん。そしてこっちの目を見、無言で部屋へ ... 。
2021.5.30 娘も息子も孫娘も可愛いが、おもろい太陽 であるカミさんが今も可愛く思えるのは、幸せなんだろうよ。


0422 まるで便秘

2013-04-22 23:12:45 | 日記
今日も暗雲たちこめるうちのカミさんに「疲れた?」と水を向ける。
休みを取って知人のお見舞いから帰って一杯やりはじめ、二人で一本飲むとカミさんは足りずにコンビニへ出かけて買い足してきた。
多分胸に何か痞えている(つかえている)。こんな時は傾聴、そして軽い質問に限る。

カミさんが喋りだす。どんどん出てくる。ところがいつものカミさんのような感じではなく、紋切り型で頭で捏ねた喋りだ。こりゃどうみても右脳人間の言葉ではない。

「いつもらしくないね~」と言う。するとやはり職場の状況を説明し出した。
何日か前に聞いた事の繰り返しで、これも硬い表現だ。そして相手の拙さを挙げだした。

だがカミさんはひとしきり話していくと、ある時点でひとりでに方向が変わっていった。
相手と自分の両方の関わり方に話が移っていった。立て板に水のようにさらに話を続けてくる。
相変わらずこちらは相槌と傾聴だ。

すると、相手のことよりも自分の昔からの課題に行き着き、相手が変わることを望むより自分の課題に集中することが「自分のもの」ということが再確認できたみたいだ。こちらが何か言えば、そこに注意が向けられてしまう。

自分の動きに注意を向け自分が目指したい人間像とか理想という、自分の外側に目を向けはしても、目の前の相手に気を取られていては相手にも自分にも良いことはないと気づいたらしい。

どれが正解かは私には分からないが、うちのカミさんのいいところ、それも「良いときのカミさん」を知っているから、その時の「感じ」と違えばそこだけを、それもやんわりと伝えるだけだ。

「なんだか見えてきた気がする。聴いてくれてありがとう、話してくれて有難う」と言われた。
こちらはあんまり話してないのに。

ずぅ~っと溜まっていて辛かったんだろうな。・・・まるで便秘。



0422 瞑想モードが多い

2013-04-22 11:37:20 | ふと思ったこと

あ~あ、またやっちゃった。この日記を直書きしていて、ちょっと用事を思い出して済ませてくる。
そして戻ってきて再開するも、休止モードか何かの拍子で消えてしまっている。そういうことをもう何度もやっている。
懲りないやつだ、自分は。

この「消失感」は結構大きい。ああつまらない人生を送っちゃった~(またまた大袈裟病)。

席を離れるときは下書き保存しよう!あるいは、必ずワードパッドなどで下書きするようにしよう!と反省だけはするのだが・・・。
それでもまた多分やっちゃうんだろうな~。

こういうので私のコンディションが分かる。
同じく、たとえば食器洗いでもいいが、洗う・洗い上げて置くという「物の移動」の場合、物を別の場所に移し終える「直前」に目が離れてしまう。目だけでなく注意もそこから離れてしまう。

これに気づくと、私は「瞑想モード」に入る(ちょっとカッコいい!)。まあ目を閉じてゆっくり軽く呼吸を繰り返すだけなのだが。

そして、今はそういう生理周期なのかもしれないと仮定する。
男にもサイクルはあるように思う。息子も荒れるときと心優しいときが交互に訪れる。糾える縄(あざなえるなわ)だ。

人皆、自分のそれに気づいて、それなりに自分と付き合っていくしかない。

さぁて!今日は天気が良い。まあとにかく、少しまた動き出すか~

マインドフルネス/禍福は糾える縄の如し/】




+++++++++++++++++瞑想モード+


0421 春の憂鬱に光射す?

2013-04-21 11:13:34 | ふと思ったこと

生きてると、いいことあるもんだな・・・

昨夜23時前に帰宅した息子がうちのカミさんに言ったそうだ。相談に乗ったことがある相手から感謝の言葉でも貰ったらしい。今朝になっても息子からは特に無いので詳しくは分からない。

不幸は突然のようにやってくる。まったく脈絡無く訪れ、そこからの抜け出し方を知らない。ただ途方に暮れる。

それでも禍福は糾える(あざなえる)縄の如く訪れる。雨の日ばかりでもなく日照だけではない。頭で分かってはいても長く続く真っ暗闇で意気消沈する。けれども温かい光はちゃんとまた身を包み照らしてくれる。

脈絡(昔は「みゃくり」と読んだ)がないと思えることも、実はちゃんと連なっているのかもしれない。

多分、プライスレスの有難さや価値に気がつくのは、大人になった証拠かもしれない。間接的に聴いたとはいえ、私はちょっと嬉しい息子の台詞を聞けた。

感謝の気持ちは、次の「しあわせ感」へ繋ぐ小さな橋架け作業そのものにさえ見える。それがあるから自分の進化変化があり、次の一歩も踏み出せる。


+++++++++++++++++
*

2014.4.21 どっこい、顕正会という悪名高き宗教団体で、待ち伏せされて相当期間しつこく勧誘され、息子は人間不信に。
2021.4.21 春の憂鬱に光が差すどころか、人口光。それも善意とは程遠い下心。イミテーション“Cold”。心が風邪をひく。


0419 性格の不一致 (give&given)

2013-04-19 17:19:15 | ふと思ったこと

仕事上、「ある限界」を感じることは誰にもある。職場の人間関係なども大きな要因であることに間違いはない。
昨夜も遅く帰宅したうちのカミさんが、もうそろそろ寝ようかという私の部屋の扉を開けた。
「ただいま~」と言いながら、なかなか着替えにも行かない。何か喋りたそうなのが分かった。

一言で言うなら上司との「反りが合わない」ということ。性格の不一致だ。
これは夫婦離婚劇では、ごくごく普通なキーワードだが、職場の関係にだって十二分にありうる話だ。

忙しい中、それでも自分でやると言っておきながら、翌朝は「まだやっていないの!」と言って来る。そんな目に合うなんてこと、時にある。話が違うじゃん!と雖も相手は上司、みたいな・・・。

自分だったらそうはしないだろうと思い込んでいたが、・・・相手はそうではなかった。
自分の尺度で予想して結果を読み違えた自分が甘かったと、カミさんはいう。

私たち夫婦は随分性格が違うが、仕事の愚痴を抱えきれなくなることが人並みにある。
そうした時には言いたいことを聴いてもらえる間柄だ。

結婚したての時には、仕事のことで泣きじゃくるうちのカミさんに私は別の感じ取り方を提案したり対応策を示したりした。
だがお互い年を重ねるにつれ、「聴く」ことこそが大切だと思うようになった。

何かどこかで、ストレスサポーター(愚痴をこぼす対象)が在ることの大切さを耳にしたことがある。
そしてまた、お互い別の空間を持っていることが2人の「良い向き合い」のためのポイントとも言っていた。
年をとってからは夫婦別々の趣味であることの方がうまくいくと、別の場所で聴いたこともある。

聴いてもらうだけで、話しているほうは気持ちが落ち着いてくる。
相手の相槌や頷き(うなずき)で自分が「受け容られている」ことを感じて安心し、
自分が話しながら自分の気持ちの整理や今後どうするのかが「自分のやり方」として頭に浮かんでくる。

私はリタイアしてしまったから仕事上の愚痴を聞くのは私だけになる。これは片手落ちで迷惑な話、とは思わない。
私に話を聴いてもらおうと思ってもらえる(選ばれる)ことは、実は嬉しいことだ。

只のものこそ素晴らしいという中のひとつだ。

経済番組だったと思うが「ギブ&ギブン(give&given)」と言った社長さんがいた。カンブリア宮殿だったか。

あくまでも無理のない範囲で付き合うことがギブとなるならば、それ自体活かされた事になる。

幸い私には時間がある。余生としての時間はともかく「今の時間」は家族の誰よりもたっぷりしている。
そして毎日私は、しごく当たり前に展開される「いってきま~す」「ただいま~」「ありがと~」の幸せを家族から当たり前に貰っている。   プライスレス/独りの孤独/二人の孤独/】

 

+++++++++++++++++& given+
******

2021.4.20 友達であれ夫婦であれ或は親子であれ、人間関係の中でマウントをとる事に執着すると何も一致しない。
2021.4.23 性格は元々が一人一人違っている。努める事もせずに性格が合うなんて無い。日々、そして一生の努力。
2021.4.25 承認される。受容される。この2つは別物。二人の孤独が起きるには、それなりの行為をしているに他ならぬ。
2021.4.26 人間の悩みの根源は、人間関係。そのような言い方がある。心術でも何とかなりそう?いやいや、寝は深い。


0418 木造都市

2013-04-18 21:59:19 | 雑感

今日のクローズアップ現代、「進む都市の“木造化”~林業再生への挑戦~」見たあと、嬉しい感じがした。

国内の木材自給率27%、植林の管理放棄のような現状の中、今まさに技術面の進歩や法制面の規制緩和が進み、公の建築物や高層建築に利用できるようになるなど、人や環境、地域経済の活性などにも幅広い影響をもたらすとてつもなく大きい動きが始まったようだ。

全体的に伐り頃に成長したものの放置されている杉を建築に活用し、そのあとに無花粉杉の苗を植林するなどの好循環を実現できると、花粉症男としてはとても嬉しいのだが。

有り余って困っている物を知恵で活用してゆくスタイルこそ日本らしい気がする。
いつかやっていた早朝のTV番組、「発見!人間力」というシリーズの中でよく見られたこと。
「閃き」と「情熱」と「結びつけ」による価値創造の成功物語を思い起こした。

++++++++++++++++木造都市+
**

2014.10.21 たしか「夢の扉」だったか ... 木材セルロースを使って鉄よりも強い素材が開発されたようだ。
2020 4 18 東京オリンピックは延期されたが木造の国立競技場。JAでも外側に木材をあしらった建物を作っている。
2021.4.18 樹木というのは実に不思議な存在。材木になっても呼吸しているような感じ。調湿なんだろうけど生きている。
2021.11.24 いとうあさこの爺ちゃん?、『木(木材)はとっとけ』。腐朽さえさせなければ汚れても鉋や紙やすりで蘇る。


0418 気のもん

2013-04-18 10:20:05 | ふと思ったこと

1000~1500mlの空いたペットボトルに水道水を入れて幾つか置いている。仮に断水とかがあっても多少は安心。そのうちの1本は最近冷蔵庫に入った。砂糖が多くて体に悪いと、いくら言っても、ジュースやコーラが好きな息子は好きなものは好きでやめようとしない。まあ自分の人生だ。ようやくそう思えるようになった今日この頃。

ところが毎年初夏からは「只の水」が冷えているのを自分で見つけ出すと、嬉しそうに飲んでいる。こちらが黙っていて、なおかつ本当に実感の持てるものを入れておけば、息子だって誰だって口にするのかもしれない。

私の経験でも山歩きの最中に水筒や湧き水に口をつけてゴクンゴクンと飲む「水のおいしさ」、汗を一杯かくことが前提だが、体が良く知っている。素の人間同士はどこかでつながれる。

親の立場では、ちょっとあれこれ「言い過ぎる」ようだ。こんな些末なことで「人生の前半を親に台無しにされた」と思われるのは心外だし、「唇寒し」にならぬようにちょっと我慢するのも親としての修行、と思った(大袈裟)。

水道の塩素を抜く方法として、このペットボトル利用は昔から言われていた。何分間以上やかんで煮沸して塩素を飛ばそう、とも言っていたが、それはあまりやらない。この冬はペット水を鍋にも使えば、毎朝のコーヒーにも使った。やかんよりコーヒーメーカーに注ぎやすい。そのまま室内の鉢植えへ、水やりもできる。 【氷結水/】

おとといだか「塩素抜けるって言うし、これ使ってるんだ」とポツリと言ったらぽつり返しが来た。「蓋してたら塩素ぬけないんじゃない?」。内心、「ん?」と思った。なるほどと思う一方で「うるへ~!」と思った。勿論口にはしない。だから今頃ここでつぶやいている。

認知症に使われる手法があって(NHKガッテン)、相手の言葉を、質問形でオウム返しするというものだ。「塩素が抜けるらしい」に対して「塩素が抜けるの?」と返す。これは世に言う"肯定後否定"とか"アイ・メッセージ"と似るが少し違う。
それらは最終的に、自分の意見を言うための技のようだが、バリデーションの方は「理念」。方法としても前者よりソフトで、相手をそのまま受容するやり方だ。相手は心を開きやすいし、繋がりやすいと思う。
私的には、認知症患者だけでなく、一般的に人間には大きな効果があると思っている。

「塩素が抜けるの?」と聴いてくれることで、私はきっと「前にTVでそういってたよ」とでも言うだろう。そこで「蓋が閉まってても抜けるのかね~」とやって貰えれば、うんと素直になれるだろう。これは親子双方だけでなく誰にでも当てはめて使えると思う。
とはいえ老いも若きも忙しい世の中だから、そんな悠長なやりとりは好かれないかもしれないが、息子でさえ、こちらがそうした応じ方をすると、普段喋らないようなことまでも言葉として話してくれようとすることがある。

まあ、とにかく自分の修行としてやっていこう。これまでに人知れず何度も試みてきたが、何か良い事を言いたがる自分がその都度しゃしゃり出て、台無しにしてきた。きっとこれからもそうは変わらないだろうが、その意味で自分には"一生修行"ということになってくる。
シャカシャカ振って気泡を立てて、蓋を取っては蓋をする。そんな私の姿が今日もあるわけで。まあちょっとした「気のもん」だけど、多分やり続ける。自分で見つけた気になれる自発的な動きだから。  


+++++++++++++++気のもん+
*******

2020.1.29 自分って何か人に認めてもらいたいんだろうね。誰しも同じか。それも実は暗に"認めさせたい一心?
2020.3.22 誰だって好きなようにやりたいし、親であれ誰であれ他人にとやかく言われたくはない。。確かに!自分も。
2020.4.29 肩の力は、頭の中では抜けそうに思えても、どっこい知らぬ間に型に力が入ってる。"気のもん"だから一瞬。
2020.9.6 気持は、受け取って貰えると満たされる。それ、“気のもん”?。その瞬間、2人の空間は共通の居場所となる。
2020.11.7 共通の居場所を求めるばかりに、共依存に陥ってしまったら"薄氷"。マイ・アカウントは堅持しつつの・・・。


0416 大・中・小

2013-04-16 12:08:28 | 私の心に響いた一言たち

うちの両親からも伝えられた記憶に残る言葉がある。
(きっとどこかで出会った言葉だったのだろう)

母は「大・中・小」と言って、小さな私に諭した。升の中に粒の違う身を入れるときは、順序をよく考えないと入りきらない、と。
等しく公平に与えられる時間の使い方・組み合わせ方と、その応用までをも言ったのだと思う。
小さいものばかり先に入れ込むと溢れてしまう。大きいものだけを全て先に入れても上手くいかないことがある。
層を重ねるごとに、大中小を組み合わせてゆくことで、隙間なく偏りなく、そして揺らぎなく詰め込める。

自分にとっての「大事・中事・小事」と置き換えても同じかと思う。そのほかにも通じる。

父は「実力・人気・勢い」と言って、どれが欠けてもうまくいかないと解説した。

ともに実生活において、心すべきポイントだと思った。
きっと誰の胸の中にも、どこかで出会った記憶に残る言葉・心に残る言葉、あるに違いない。
普段忘れているだけで・・・。

【一意専心/選択と集中/小事も大事/マインドフルネス/気を練って機を待つ/】


 

+++++++++++++++++++++心に残る言葉+

2019.4.16 常にこの3拍子3要素を同時進行で進めていかないと、コケやすいと思った。案外できていないよね、日々。