まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

0512 梵天雲龍

2017-05-12 18:23:24 | スペシャルな日

もう半世紀も前のことになる。私がまだ中学生だったころ、技術科で刃物を研ぐことを教わった。これが結構面白かった。刃物は使う内に当然切れなくなってくる。刃研は鈍った刃物を蘇らせる。だが、その面白さは刃研そのものにある。

丸刃にしてはいけない。研いでいる内はそれこそ無心。
刃研と言えば、同じく中学の国語の教科書に、詩人であり彫刻家の高村光太郎の詩「鯰(なまず)」の一節に「更に鋭い明日への小刀をりゅうりゅうと研ぐ」というくだりがある。研いでいるとなんとなく、簡単にそんな境地になれたような気がするのが刃研だ。
【その詩をネットで見つけた/研ぐ - 低空飛行記 - Yahoo!ブログ/「鰓(あぎと)のことを、そこでは「あざと」と読んでいるが、授業では「あぎと」だった」】

砥石は荒砥・中砥・仕上と3つ以上持っている。このごろはカミさんが買ったAmwayのステンレス包丁(当初から切れ味が私は好きではなかった)を、別のステンレス製品(キッチンバサミの峰など)で軽く当たってあとは新聞紙でバリを取るみたいなことでだましだましやってきた。だが、所詮切れないものは切れない。いちじは鉄製の古い菜切り包丁のほうが切れ味の点で勝っていたほどだ。その鉄製包丁も木製の柄の部分が割れてきて御釈迦になってしまった。
カミさんが包丁が切れなくなったので新しいのが欲しいとだいぶ前から言っていた。
私が5~6千円のをホームセンターで物色して尋ねたところ「1万円くらいのがいいな~」なんて言われて久しい。
で、なかなか買えないでいた。

もうじき「母の日」。包丁をプレゼントしようと思い立った。

そこで今日は包丁専門みたいな刃物店に行って何かないか探してみた。42年もやっている爺ちゃん店主と女将さん、お二人ともなかなか味がある。
最初、1万数千円のをだしてきたが、ま~ま~きれいな代物でちょっと魅かれる。だが以前TVでダマスカス模様の包丁をみたことがあるのでそっちに話を向けると、RYUSEN(竜泉)の「梵天雲龍」の18㎝のを出してきた。

刃に触れたとき先ほどのとは明らかな違いがある。如何にもきれそうだ。そして刃文(はもん)が美しい。店主は「日本橋の木屋では3万円くらいする」とか言っていた。大手通販が大量に買うので、なかなか入手できないとも言っていた。インターネットで調べてみてと言われたので調べたら、アマゾンでも竜泉刃物オンラインでも2万円強の値段だった。今日は18,000円で買えたが、トマトは力要らずでスッと切れた。

問題はカミさんだ。野菜を切っても包丁で横に寄せたりする。店主の爺ちゃん、そりゃダメだ!と注意してくれる。
「おじさんが、そんなことしちゃダメだと叱られたって言ってよ。魚の骨とか(生の?)カボチャも切ろうとしちゃダメとも言われた。

南瓜は最初、軟らかい「へた」の部分に切っ先を入れていくという方法もあるのを知ってや知らずや。でもま~、家庭の主婦が力任せに包丁を扱えば、切れる包丁は凶器にもなるし、刃こぼれだって起こすかもしれない。刃物を愛する店主だからこその忠言か。

今日はカミさん孝行、できたのかな?
それはそうと、家に帰ってから包みを開け、包丁を眺めた。私、刃物が好きなのかもしれない。
それを見ながら、今日は止めとこうと思っていた金麦、2本も飲ってしまった。

飲むのはこれくらいにしておこう。
「気違い水」と「気違いに刃物」、どちらもアブナイしね。もう少しだけ一人で刃文を愛で、梵天雲龍は母の日プレゼントにしよう。

 

 

 

 

+++++++++++++++++梵天雲龍+
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誕生日

2017-01-15 08:33:17 | スペシャルな日

0126 私(1950 S25)
0115 孫娘(2014 H H26)
0703 娘の旦那の誕生日(1989 H1)
1013 娘(1989 H1)
1016 カミさん(1961 S36)
1119 息子(1986 S61)

 

 

 

+++++++++++++++ 誕生日+

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0109 チーズケーキ

2017-01-09 19:11:17 | スペシャルな日

スターバックス。ここではカミさんと二人で足掛け4か月の間、何度も病院デートした。今日は一人で外の景色だけを見ながらコーヒーを飲む。
きっと今、カミさんは夢うつつ。いい先生の執刀する手術台の上にいる。
一人珈琲は静かでちょっとさみしい。

いつかまたカミさんと二人でコーヒーを飲みたいな。

小さいけれど、これ、本当の願いかな・・・。

私はニューヨーク・チーズケーキ。勿論カミさんはデカフェ(ディカフェ)でケーキ、それも、イチゴかな?
(2017.1.9 11時ころ)

 【命短し恋せよ〇〇入院リハビリ記録/】
そういえば、結婚前にデートした時もわたしゃ大抵ブレンドとチーズケーキ、カミさんはその時々で色々楽しんでいた。若い人は甘いものOKだろうしとりわけ女性の体には必須アイテムなのかもしれない。でもいい気になってそれに付き合っていると、男の血液検査数値はどんどん悪化するように思う。
中年、特に30代後半からは要注意。(0514 2017.5.14)

 

 

+++++++++++++++++++++++++++チーズケーキ+

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0102 母の米寿祝

2016-01-02 09:26:28 | スペシャルな日

2003 (木)
母の八十八歳の祝(11:30~13:30 新横浜「花かご」 駐車場無し)。孫まで17人ほど集まってお祝いした。

花束を貰って楽しい笑顔の母。お礼の気持ちに感謝を込めて、しっかりと挨拶してたっけ・・。

母は胃がんを患っていたが、薬飲み飲みではあっても「寛解」のような状態。豆腐懐石料理とは、まさにピッタリな料理。
脳梗塞の後遺症が少なからずある姉mが主体に仕切ってくれた。

黒豚のしゃぶしゃぶなんかも出て、旨そうに食べる母。食べ過ぎてか、少し戻し気味な母。
それでも「お母さん」、嬉しそうだった。
満面に湛え溢れるあの笑顔、和顔施という言葉がまさにピッタリ。

今になっても、なぜか母の誕生日が来ると、いろいろな思い出や母の生きざまを思う。 <2016.1.2 土>

 

 

++++++++++++++++++母米寿祝+

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1220 おふくろの命日

2015-12-20 00:00:00 | スペシャルな日

2003年12月20日 88歳

 

 

 

【///高齢者に抗がん剤//】

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1203 父母の金婚式

2015-12-03 15:37:04 | スペシャルな日

結婚50年を祝う金婚式というもの。一口に五十年と言うけれど、これはなかなか紆余曲折。よくもまあ歩き続けたね。
っていうわけで、お祝いの食事会。おやじ、81歳。おふくろ74歳。

1989 (日)
「和可奈鮨」で。
事前の打診では「物は要らない」、と母。でも、台所ではなく食卓でモノを温めたりできる卓上電熱器がいいかな~と言っていたそうだ。
火を使わない、とか、炬燵に入りながらとか、そういうのに心が向くのかな?70歳代。その他もう1点2点、ささやかな贈り物。

東京大空襲を経験した父母、就中(なかんずく)母親の方は、現にこうして笑顔で集えることを何よりも大事と思っていたようだ。モノは二の次・三の次なのだ。どれが良い悪いと口角に唾をためて激論に及びたがる向きもあるが(男には有りがち)、母はそんなものよりも別のところを常に見ていた。
ま~、おやじは、大体どこの男とも変わらない程度であり、私もそこからは到底抜け出せないでいる。なんともできない「もどかしさ」みたいなものがある。

女性政治家なんかも、男社会の古い「政治屋」によって仕立てられているから、女目線でモノを考えも言えもしなくなっているから、ありゃま~男だね。
やっぱり「そこから抜け出せないでいる」くちだからね。そこへいくとうちの母は偉かったね~。エラぶらなかったしね~。

義兄hの容態もすでによくなかった。母は、それは仕方のないことだとは思いながらも、随分と心配して朝夕にはお祈りしていた。
ま~、昔の人は、病人だけでなく家族や友人知人のことを胸に思って気に掛けるのが当たり前だったし、そういやぁ、神棚みたいなのもあったな~。
毎日毎朝、拝んだり柏手打ったりなんて~のも少年だったころに見た。
今にして思えば、仏教と神道が同居しているような家々が普通の姿だったようにも思う。
こういうのを、多分「スピリチュアルな生活様式」みたいに言うのかね~(ラストサムライとか・・・)。

結婚して30年も経つのに私はカミさんに何にもしてあげていない。
日頃から感謝が足りてないんじゃないの~、と言われそう。
ま~、世の男どもは似たり寄ったりじゃないの?と嘯いたり(うそぶいたり)はしないものの、私も気づかぬ間に「しくじり先生」をやっているのに違いない。

ま~、しくじらない人間なんているんでしょうか?というオリラジの中田さんの言葉を借りるまでもなく、たいてい誰でも、そこに陥っていくみたいな心の流れに逆らえない。

心の理(法則とかなんとか)からすれば、安きにつきやすいし、ええかっこもしたくなる。もうこんな生活イヤ!!って耐えきれなくなる時もある。
昔の人のように「ただ辛抱あるのみ!」というのも苦しかろうが、明治生まれ・大正生まれの父と母は、その理不尽な部分も多かったであろう時代に、結婚生活を全うして「添い遂げた」のだ。

けっこう大変だぜ、50年・半世紀。 

 

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0910 親父の命日

2015-09-10 05:59:59 | スペシャルな日

私のおやじの命日。平成3年

1991 (火)
脳梗塞で(0512)入院してからおよそ4か月の闘病生活の後、病院で息を引き取った。

だいぶ症状固定されていて会話障害は後遺症として残ったが、退院のための検査として行った「血管造影」(0801)で容態が急変、ICUに突っ込まれた。そこから意識が戻らぬまま生死の淵を彷徨いながら、40日ものあいだ病気と闘った。
その呼吸のひとつひとつ、心臓の鼓動の一拍一拍に、生きようとする逞しさに心を打たれた。

終いには尿も出なくなり、いわゆる多臓器不全となってニトログリセリンの投与がなされ、ありとあらゆるチューブが親父の体に刺さり、生かされているとも見えた。
親父の生命力には感銘を受けたが、こうした闘病の光景を見た経験から、私自身は延命措置を望まないことになった。
(延命治療という言葉が父の場合にはあまりにも当てはまらないと思ったのである。

2014 (水)
しょうがない親父、と思っていた。
今ごろ気づく、・・・しょうもない自分に。
みんなそうなんだろうか。今思えば、恥ずかしいことばかりを繰り返してきたような自分・・・。

親父の気持ちに、もう少しだけでも沿ってみる気持ちがあってもよかったのではないか・・・。
みんなそうなんだろうか・・・。

2015 (木)
雨がひどく降る。親父が無くなった逝った日は晴れて暑く、病院の植え込みの樹で蝉が頻りと鳴いていた。
親父の闘病記録や写真を引っ張り出して見た。おやじとははと。今は亡き両親の頑張りみたいなものを思った。

親父が逝った日、医師からは更なる延命処置(足の切断など)を行うかどうかを訊ねられた私の母は、それをキッパリお断りした。
献体の件についても話しがなされたが、これについても母は毅然として断った。

看護婦だった私の母が下した決断を、私は今も支持する。

 

 

 

++++++++++++++++++親父命日+
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0115 平成26年、おめでた

2014-01-15 23:59:59 | スペシャルな日

娘が無事出産して、平成26年、めでたい幕開けだ。
カミさんはこれから益々忙しくなるだろうが、楽しそうでもある。女児の誕生と女親。私も少しは忙しくなる?

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1105 大腸内視鏡検査の思い出

2013-11-05 23:59:59 | スペシャルな日

大腸内視鏡検査が終わったら、昼間っから生ビールを飲もう!あの忌まわしい(病気にでもなりそうな)制限食の毎日を終えることができるのだから、祝杯だ!そう思って病院に向かった。2010年11月5日のことだ。

大雑把に言えば、空きっ腹で最初にやることは2リットルの経口腸管洗浄剤を飲むことだった。テーブルの上には各人専用の「リフレック」のボトルが置いてあり立ち飲み状態だ。みんな静かに飲んでいる。1リットルを20分のペースで飲み、それぞれのペースでトイレに行きだす。トイレに何度か駆け込み、残渣が無くなれば保健士さん(?)を呼び視認してOKが出れば、検査待ちだ。

ようやく部屋に入りベッドに横向きに寝るよう促される。パジャマみたいな検診着のズボンを下げ、まな板の上の魚(とても鯛とは言えない)。ベッドが何床かありカーテンで仕切られているが、太くて黒い大腸内視鏡を持った白衣の人が往来する。・・・あんなものを突っ込まれるのか!!

「それでは始めます。」の声。なんと、うら若き美人の先生のようだ。できれば年配の男性の方がいろいろな意味で良かったのだが・・・。

モニターが自分で見られるようになっているので、ひたすらそれに集中しようと努める。これが自分の大腸の中なのか~。

「一度小腸の手前まで行って、戻りながら観察を行います。」と若い女性の声。私、力なく「ハイ。」

こういう操作はゲームのようだろう。曲がりくねった管の中を操縦してゆく。「ミクロの決死圏」という昔の映画や最近のSFX映像を見るようでもあったが、それが時々遮断される。大腸壁にグイグイッと内視鏡の先端が当たってくるのだ。こういう感覚は初体験か?似た経験とすれば、歯医者に
頬の内側を器財で強く押された感じに近いか?でも、やはりこれは違うな~。普段押されることのない箇所だけに、「あ”~っ!」と声が出て、身がよじれてしまう。

「ごめんなさい。」と言いつつ、それでもグイグイを3~4度味わいながら、ようやく終点、つまり折り返し点だ。戻る方は楽だった。

途中、「あ、良性のポリープですね。どうします?取りましょうか?」と聞かれた。

・・・・・え? ・・・・「取らなくても大丈夫ですか?」、一応質問する。「大きくもないですし・・」に続けて
「良性ですけど、今後成長するかもしれないし、来年また同じ検査するのでも良かったらそれでもいいですけど。」と、その若い先生は言った。

同じ検査とは、4日ほど肉も魚もない食事、検査前日はさらに我慢の子。当日、2リットルを飲んだうえであの「あ”~!」をもう一度来年やりますか?を意味する。

当然ポリープがあるかどうか、その時見てみなければ分からない。今取ってしまえば、しばらくは大丈夫そうなことを言う。それではお願いせざるを得ない。この会話なんだかやくざの台詞にさえ思えてきた。(ちょっと言い過ぎか?)

高周波切除をしてクリップ止めするが、3日~7日で自然に取れると解説しながら、遠隔操作でポリープをワイヤーで捕まえて処置する。自分の組織が可愛そうに思える。そして、3~7日は硬いものは食べられないのだと気がつく。

たしかに大腸内視鏡検査は、その場で腫瘍切除までできてしまう優れものだ。そして、来年はまだ必要ないでしょうが、2年位したら(2年毎といったようにも聞こえた)また見ましょう、と言われた。

もう2度とやらない! 心の中でそう叫んだ。
(そうも言ってられない状況になるまでは・・・ちょっとトーンダウン。)
これからは毎日欠かさずバナナや海藻を食べ、バランスのよい食事を心がけよう。

便潜血はおそらく内痔核の傷だろうが、その辺は管轄外なのか、あるいは大腸がんなどに比べたら、それこそ屁でもないのだろうが、こちらとすればなんとはなしに「大山鳴動して小ポリープ一匹」のように思えたのだ。

術後、出血などが起きないか状況観察が設定され、一定時間は帰ることはできない。多くの人が「ポリープ1個取られたよ。」と話しているのが聞こえてくる。オペは、まだ研修途上、発展途上か?

帰る前の段階で、最終注意がある。術後の生活や予定が記載された指示書が渡される。
旅行やスポーツはおろか飲酒・入浴とも中7日間禁止。勿論4日間は普通食は取れないことに。

かくして、当日期待をこめて予定していた「一人生ビール」での祝杯は泡と消え、意気消沈のまま自宅に戻り、安静!

大事無くて、・・・・良かったんだろうけどね。たしかに・・・・・。

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0915 結婚式じゃ泣かね~よ

2013-09-16 23:56:06 | スペシャルな日

挙式は始まった。チャペルへ新郎と新婦の母親(うちのカミさん)入室。扉が閉じ、花嫁である娘、その半歩前に立つ新婦の父(私)。宇宙戦艦ヤマト式の敬礼とは違うんだろうが、娘の手掛かり用の腕型を保ちながらゆっくりとした自然歩行で入室。カミさんが扉のすぐ内側で娘のベールを下げ、私は脇にどいている。再びエスコートの形になり、花嫁と一緒に行う会釈を忘れてドギマギする。参列者が花嫁に視線を集める。その中を花婿の近くまで歩いていく。

介添えの人が声を掛けてくれるので止まる。彼が近づいて私は右手の手袋を左に持ち替えて彼と握手してから右手で娘の右手のひらを掬い取り、左手で娘の腰軽く手を添えて花婿のほうに押してやるのだが、彼が握手に近づいてこない。しょうがね~な~、リハーサルの時も「新郎の方から一歩近づいて」って言われてたじゃね~か・・・。待っても来ないもんだから、私が半歩歩み出て握手。彼もカチンコチンだ。まあ、そんなもんだろう。あとはベンチのカミさんの隣へと促されてエスコートは終わる。

娘は「しおらしい伏し目がちで清楚な花嫁」を演じ、見る者の溜息をかう。と思いきや、ニコニコ笑顔で神父の進行中も楽しそうだった。花婿がベールを上げての誓いのキスでは入室前の打合せどおり「ほっぺ」にしていた。娘が言うと彼は「え?頬っぺた?」と確認していたようだが、壇上でも何やら暫く二人で会話を交わしているのが長くなり微かな笑い声がさざめいた。神父さんも微笑んでいたようだ。

青空まで出たので、外のテラスへ出て二人で鐘を鳴らした。外は湿気が高くて蒸し暑かったが、雨は降らないで良かった。再び建物内に戻る2人を2列で囲みフラワーシャワーで迎え入れる。いよいよ披露宴へと進む。

披露宴は階下の会場へ移る。エレベーターで向かう。緊張からか熱くてしかたがない上にトイレが近い。会場前の部屋ではジンライムの提供があり、息子とカミさんたちはちゃっかり頂いて飲んでいる。息子に一口貰ったら、おいし~。披露宴受付から30分、このちょっとした時間に主賓に挨拶をしたり彼我の親戚の方々と会話を交わしながら、娘夫婦の友人たちを眺める。披露宴が開宴されると、あとは2人が何度も通って打合せをした料理と司会進行で宴は進んでいく。

あとは、実はあまりよく覚えていない。扉近くのテーブルから、一番離れた正面テーブルの新婚の二人、とりわけ娘の表情や仕草をひたすら眺めて悦に入っていた。当日の両親の心得は何処?
カミさんなんかは、またスパークリングワインをスタッフにお願いしていた。

このごろは親族へのお酌やお礼も「しないほうがよい」とされているらしいし、終わりのほうの父親の挨拶もなく新郎の決意表明みたいな挨拶でいくそうだ。それはそれで結構だ。そのように決めてきたのならそれでよい。

と思ったら、宴の途中で司会の方がテーブルにやってきて「お父様からも手短な謝辞を」と突っ込んできた。まあ、これはこれで「あり」かなと思う。それでも、「新しい息子」本人が「お礼や決意」を述べるにあたっては、二人のために嵐の中を今日駆けつけて祝福してくれたお礼と、明日からのご支援をお願いするという2点に絞って、親から皆様への感謝の気持ちを手短に話そうと思った。

ぼんやり見ていたが、中盤の写真映像によるプロフィール紹介も、サブリミナル的なカットもある「動き」を感じられる構成で、昔とは随分変わったものだと思った。
キャンドル点火はなくてフロスティーボトルの液体を注ぐとグラスの中のジェルボールの粒々が青く発光する。
挙式リハのビデオ映像などを織り交ぜながら、披露宴の最後に流す「動画エンドロール」は一寸した感動モノだった。編集も上手だし、勿論出席者全ての名前が流れて映画のエンドロールのようだ。そこそこ「いい値段」はするが短時間に作り上げてしまうのだから、これは○だろう。

ずっと前、この「つぶやき日記」にも書いたが、2人の結婚式までの流れに沿って二人を支援してきた。だからある部分は「順番が逆」ということもあったが、それとても結構!よくやってきた。式よりも2人の生活が先だったから、「明日から居なくなってしまう娘」ではなかった。それに、娘は楽しそうに「変顔」まで交えて結婚式を貫いてくれた。私が泣かないように気を遣ったか?

いずれにしても、私は泣かなかった。絶対泣かね~よ!とも思っていた
新郎新婦が手紙を読み上げた後、歩んできて花束をそれぞれの母親に差し出した。娘からカミさんへ渡し、私にはハグしてきた。私もハグで返したようだ。
その後、親父として手短な言葉をマイクに載せたが何を言ったかあまり覚えていない。
ただ、スピーチが大の苦手だと言っていた新郎が、落ち着いた明瞭な声で決意を述べていた横顔は目に焼きついている。頗る(すこぶる)良かった!

お見送りのときが、来た。結婚式をあげた2人は、これまでに良い人々の中で過ごして来れたと感じて安心した。余韻が長く続き、会場スタッフから少し「巻き」が入った。
招待客は至近の駅へと帰る人、同じ会場で2次会にも参加する人として三々五々・・・。とりあえずこの夜は私たち夫婦と息子は式場近くに一泊したが、息子は、海外に行っていて暫く会っていない友人と近くで久々に会うため出かけていった。

私たち2人はホテルの部屋から夜景を眺めおろしながら、しばらくボ~っとした。腹は一杯だが生ビールを飲もうということになってホテル2Fのバーに行った。「終わったね、お疲れ様」で乾杯した。
心付けも、よく紹介されている相場みたいなものとか、やり方や対象については何か違和感を感じるね、とも会話した。
金額の多寡よりも「ポチ袋」方式を徹底した方が素直な感じもした・・・。でもとにかく、結婚式は無事、締めくくれた。よかったよかった。
私にして見れば、挙式日の花嫁の父役も、終わった。

新郎新婦も素直に前向きに健気に頑張って結婚式につなげたね、と話す。2人も疲れているだろうが若いし、主役だし、気の会う仲間と2次会も盛り上がっているだろう。
店の人が空いたグラスを察して「お飲み物は?」と聴いてくれたが、もう十分だった。美しい氷の入った水を出してくれて、いま少し話す。
いい人たちが式にも披露宴にも集まってくれた。結婚式当日の「思いのほか恵まれた天気」は、新郎新婦2人への祝福だろうと思った。

店を出た後も、結局2次会が終わる21時まで2人で近くを歩いたりしたが、すべて終えてドッと疲れが出るかもしれない「新郎新婦の2人」に、ランドマークタワーの一室をプレゼントしたのは、私達からの、せめてものご褒美だ。



【娘のこと/娘の結婚/】

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0915 挙式日の花嫁の父

2013-09-16 20:50:05 | スペシャルな日
娘の結婚式は無事に終わった。折しも台風18号が日本の南海上に接近、9月15日の朝は強烈な雨が降っていた。国道は冠水部分もあって車は水を蹴立てながら走る有様だ。出席してくださる方々のことが危ぶまれたほどだったが10時くらいには雨はすっかり上がり、晴れ間も出るほどになった。

前日の夜までも含め、この何日間は準備に明け暮れた娘とカミさん。カミさんの顔が少し痩せて見えるほどだった。それでもまた当日は当日で息を抜く暇も無くあれこれ気を配り、娘はウェディングドレス、カミさんは留袖の着付けやメイクのため、美容ルームに行く。その間、息子と私は喫茶室で軽食を取り、美味しいコーヒーを飲んで休むんでいた。

時間は静かに流れていくが、特段退屈な思いはない。花嫁の父親としては、温泉に使っているような「まったりほっこり」した時間でもある。とはいえ多少の気持ちの揺れは否めない。

クローク利用開始の12時少し前に、息子と二人で更衣室に向かった。貸しモーニングは更衣室にハンガーがけしてある。慣れない手つきで一式身に着ける。ポケッチーフは既に胸ポケットに差してある。インターネットで調べて「スリーピークス」がフォーマルでの基本であることは分かった。

ポケッチーフ付の礼装用ネクタイを買っていた息子には、「クラッシュド」を(さも知ったふりで)教える。調べておいて良かった~。インターネット・・・、いい時代になったものだと思う。着替え終わってクロークにカミさんの荷物ともども預け、控え室に行って椅子の配置などもちらっと見た。新郎新婦の椅子が部屋の奥、中央に置かれ、左右の壁側に新郎新婦それぞれの親族用に椅子が配置されていた。私たちの結婚のときは「親族控室」はアコーディオンカーテンで仕切られていて、「親族紹介」の段になって開け放たれた。桜湯などが出されたが、ここではウーロン茶やコーヒー、オレンジジュースが用意されていた。

親族が集まりだしたので息子と喫茶室に足を向けた。皆でコーヒーとピザを注文、ピザは1~2ピースずつ分け合って、「多過ぎぬ腹の足し」にした。挙式のリハーサルがあるので、息子に支払いを頼んで私は先に席を立った。この間にも新郎新婦は身支度を整えて記念写真を撮影している。控室で待っていたら、新郎新婦の親族とも集まりだし、軽く挨拶を交わすうちに教会式の挙式リハでうちのカミさんとともにチャペル室へ。

そこでモーニングのボタンの掛け方を(内掛けに)直され、白手袋の持ち方(右手で上から束ねた中央を鷲掴み)を教わる。花嫁の右側立ち位置やエスコートをサラっとオンザジョブで練習。親指内側で軽く拳を作り、腕時計を見るように「みぞおち」前に持ってきて、みぞおちからは拳少し離す。そこに娘が手を掛けてくる。ちょっと引っ張られるような感覚あり肩に力が入る。ちょっとヤバイ!新郎とカミさんは先に入り、本番では一旦扉が閉じられた(気がする、間違いないと思うが、それどころではない)。カミさんはベールを一旦おろす係。私は右足前の左足揃え、左足前の右足揃えという変則歩きを「小股で」と注意されながら、前から1~2列目の白いベンチまで歩むうちに、「次は右だっけ?」と迷って失笑の空気に益々緊張。

10分刻みでリハ、親族紹介(自己紹介式)を終え20分間で「親族集合写真」。14時からの挙式本番へとサクサク進んでいった。(続く)



【娘のこと/うちのカミさん/自分のこと/息子のこと/親子家族】

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0818 よき出会いに乾杯!

2013-08-18 18:17:54 | スペシャルな日

今日8月18日はうちのカミさんの夏休み最終日、その締めくくりは「ご両家の顔合わせ食事会」として、ご一緒に昼食をとることになっていた。もう全くの普段着ということで、初対面ながら和やかに楽しいひとときを過ごせた。あちらの家族は笑顔の絶えない人好きな方達で、気働きも利けばさりげない話題提供で人を逸らさない。

娘も大分気に入られているみたいだ。こちらも彼氏の熱くて真っ直ぐな性格が大いに気に入っている。

よい青年は、よい家庭から生まれたと感じた。そんな家族にお会いできて良かった。

二人と、本日の好き出会いに、乾杯!


【娘のこと/しあわせ気分】

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0813 生還記念日 ~水色の静寂を抜けて~

2013-08-13 17:57:48 | スペシャルな日

15年前の今日、私たち一家は川で遊んでいた。子供たちもまだ小さかった。

うちのカミさんが娘を負んぶしながら向こう岸に戻ろうとしたとき、川底の石についた苔かなにかで足を滑らせ、ほんのちょっとした深みにはまり、泳ぐような格好になった。
へへ~っと笑ってメガネをかけたままのカミさんが照れ笑いした。水流も強くない。

少しだけ下流のほうに流されて、大きな石に平泳ぎで泳ぎ着いたようだ。
私と息子は「なにやってんだ」とばかり、また水中眼鏡で川底の魚を見ていた。
ちょっとして息子が叫ぶ声が水中でも聞こえた。

「大変だ!お母さんが死んじゃう!!」

急いでカミさんの方を見ると、もう3~5メートルも流されていたろうか。
大急ぎで泳いでいってカミさんたちを追った。カミさんからは、ちょっと前までの余裕の表情は消え失せ、必死な動きに変わっていた。
岩に掴まろうとしたが、これも苔で滑り掴めず、泡を食った拍子に水を少し飲んだらしい。
泳げない娘は、きっと負んぶされながら力いっぱい母親の首にしがみ付いたはずだ。

無駄に水しぶきを上げながら、水中マスクをつけたままのクロールで何とか追いついた。
カミさんが水中に沈み始めた。娘は母親の背中から外れて水面に居た。水中眼鏡でそれが見えた。
カミさんは顔を水面下に没しながら、両手を差し上げ形で娘を水面に押し上げているようだったが、静寂なストップモーションのようだ。

私は潜ってカミさんの脇腹を両手のひらでグ~ッと水面へ押し上げた。
カミさんの顔が水上に出た。パ~ッ!と息をしたように感じた。

私は娘を抱きかかえると、手近な岩に向かって片手で泳いだ。流れに逆らって泳ぐので数メートルに時間がかかる。早く娘を岸に上げてカミさんを見なければ。

ようやく娘を岩に上げて、後を振り返ると、カミさんは悠然と平泳ぎ!
安心した途端、出た私の一言。『なんだ、泳いでるじゃん。』

息子も泳いできて、カミさんたちを岩で休ませたまま、カミさんの眼鏡を探して何度も水中に潜った。
水流で流されたことも想定してあちらこちら見て回ったが、眼鏡は探し出せなかった。

淵になっているところの岩場に20センチばかりの幅で歩けるところが一部あり、先ほどまで居たところへ慎重に戻った。
ここに至って怖さが込み上げて来た。

あの時の水中でのカミさんは、動きも表情も無く、静かだった。けれど、娘を水面にキープしようとし続ける理屈抜きの母性だと思った。

河原で、自分たちの荷物から湯沸し道具をだして「お茶」を飲むことにした。そして何か食べたような気がする。

ちょっと上流はキャンプ場になっている。
軽い飲み食いを終えて気持ちを落ち着かせた私たちは、何事も無かった行楽の人のように荷物をまとめて、この場所を後にした。

川に慣れた人にあとから聴いた話だが、川の深みでは泳ごうとしても無理なこともあるので、ひたすら浮いていれば、やがて下流のどちらかの岸などに流れ着くのだそうだ。慌てなくていい、そう言われた。

あの眼鏡が、身代わりになってくれたのかどうかは分からない。

けれども私は毎年8月13日になると、あの日のことを思い出しては、生きていてくれることに感謝している。今では夏バテで、出かける気力も無い私だが・・・。



【母親/海と川の怖さの違い/浮かぶ瀬もあれ/うちのカミさん】

 

 

 

+++++++++++++++++水色の静寂+

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0712 似合わね~!

2013-07-12 22:19:08 | スペシャルな日

娘のウエディング・ドレスの試着や小物選びがあり、私も貸衣装のモーニング合わせに出かけて一日が終わった。

結構な長丁場で娘も疲れたことだろう。
欠伸(あくび)を殺しながら、時に花嫁衣裳の「変顔」で気を紛らせながら4時間近くを頑張っていた。

私について言えば、鏡の中の自分に「似合わね~!」というのが精一杯のところだった。
花嫁をエスコートして歩くリハーサルもあるとか聞かされていたがそれはなく、質問したら口頭でさらっと教えてくれた。

何でも、半歩先を歩くつもりをすればドレスを踏まないで済むし、摺り足なら大丈夫ということだった。

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0526 棒状化

2013-05-26 19:31:26 | スペシャルな日

曇のち晴の日曜。家にいるだけでボーっとするほど暑い。午前中、多少掃除をした。うちのカミさんも昨日同様、いつも以上に熱を入れている。

今日は娘の旦那が挨拶に来るのだ。彼はとても暑がりだというが、今日は慣れない?スーツ姿で娘と共に昼前に到着。ビール1箱抱えて入ってきた。
なかなか可愛い。

エアコンと扇風機を回しておいて良かった。カチンカチンに緊張していて、まるで棒のようだ。何から話したらいいか、頭のなかは渦を巻いていることだろう。礼儀正しくハキハキとして語尾も明確だ。

昔の人間は、語尾のはっきりしない男はダメと言ったものだが、ここは及第だ。

私が結婚前にカミさんのご両親宅へ挨拶に訪れた時のことを思い出した。やはり棒状化現象を起こしていただろう。それは間違いない。

「順番が逆になってしまって申し訳ありません」と切り出してきた。それでもう十分。
私は何か喋りだしていたが、それを一生懸命に聴いていた彼の真剣な顔。それに反して、娘とカミさんの「何言い出すんだろうか」と私の一挙一動に(けっこう明け透けに)冷や冷やする表情を露わにするのを感じながら、結構陶酔感があった。

だって、家族だけだと・・・、なんともならないが、金属音までしそうな彼氏に、金子みすずを被せたくなった。

私が口を開いても、家族のだあれも聴く気はないが
聴かない家族も私のように、上手に質問はできないよ

私が口を開いても、嫌な顔せず娘の彼氏
私に合わせてひたすら聞いて、一生懸命応えてくれる

何処のおとうさんも、似たような思いと役どころで、やっているんだろうなあ。
食事にはうちの息子も朗らかに加わって、ひとしきり話をした。
午後は仕事車を出しに行くような事も言っていたので、長過ぎず短すぎずの頃合いで帰宅を促した。

結局このあと、私は短い仮眠をとった。

夕方再び現れた娘に聞けば、旦那も家で少し眠ってから用事に出かけたとのこと。彼は、さきの月曜からずっと今日の挨拶のことで頭のなかが一杯だったと言っていたらしい。我が家の扉を閉めて「あ~、やっと終わった~」と娘に話したそうだ。お疲れさん。

昨日は仕事仲間から「一発殴られるつもりで行ってこいよ」と激励されたというから、拍子抜けして緊張も終わりを告げたのだろう。

うちのカミさんも、一段落して夕飯を作る気力もないのか、この日もピザの出前を取ることにした。向こうは緊張が解け、こっちは明日から緊縮財政だ。

一人増えた息子から贈られたビールを飲りながらのピッツァが、今日の余韻というところだ。
飲みたい娘も我慢をし、家族4人の団欒か。お疲れさん。おめでとう。

いずれ2人は結婚式の話をどんな形かで持ってくるのだろうが、それによっては否応なしに私も久々、棒状化

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