まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

0910 親父の命日

2015-09-10 05:59:59 | スペシャルな日

私のおやじの命日。平成3年9月10日(火)

1991 (火)脳梗塞で(0512)入院してからおよそ4か月の闘病生活の後、病院で息を引き取った。
だいぶ症状固定されていて会話障害は後遺症として残ったが、退院のための検査として行った「血管造影」(0801)で容態急変、ICUに突っ込まれた。そこから意識が戻らぬまま生死の淵を彷徨いながら、40日ものあいだ病気と闘った。
その呼吸のひとつひとつ、心臓の鼓動の一拍一拍に、生きようとする逞しさに心を打たれた。

終いには尿も出なくなり、いわゆる多臓器不全となってニトログリセリンの投与がなされ、ありとあらゆるチューブが親父の体に刺さり、生かされているとも見えた。
親父の生命力には感銘を受けたが、こうした闘病の光景を見た経験から、私自身は延命措置を望まないことになった。
延命治療 という言葉が父の場合にはあまりにも当てはまらないと思ったのである)

2014 (水)
しょうがない親父、と思っていた。今ごろ気づく、・・・しょうもない自分に。みんなそうなんだろうか。
今思えば、恥ずかしいことばかりを繰り返してきたような自分・・・。
親父の気持ちに、もう少しだけでも沿ってみる気持ちがあってよかったのではないか、みんなそうなんだろうか・・・。

2015 (木)
雨がひどく降る。親父が無くなった逝った日は晴れて暑く、病院の植え込みの樹で蝉が頻りと鳴いていた。
親父の闘病記録や写真を引っ張り出して見た。おやじとははと。今は亡き両親の頑張りみたいなものを思った。
親父が逝った日、医師からは更なる延命処置(足の切断など)を行うかどうか訊ねられた私の母、キッパリお断りした。
献体の話もなされたが、これについても母は毅然として断った。看護婦だった母が下した決断を、私は今も支持する。

 

++++++++++++++++++親父命日+
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2019.1.20 だんだん齢をとるにつれ父親の顔に似て来た私。父親のことも父親の気持も理解できるようになってきた。
2020.1.26 私がやること、両親は口煩くあれこれ言わなかった。多分耐えながら待っていてくれた。私が気づくのを。
2020.2.4 カーリング・ペアレンツなんて言葉もあるらしい。先回りして障害を除去して回る親ではなかったか、私。
2020.2.5 他人へは勿論、肉親にも批判や評価やダメ出しせぬこと。取り組むべきターゲットは、他者でなく己自身。
2021.5.13 親父の命日は新月の2日後、月齢1.7の大潮だった。新月・満月、何かありそうな気もするが、関係ないか。
2021.9.10 気づいた時には遅いなんてこともあるが、それぞれの人生と見守り続けていてくれたと思う。線香をあげた。
2022.2.24 父親って、なってみて分かる。息子からも娘からも、なんとなく疎まれる。あまつさえカミさんからも?


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