祖母も母親も手ぬぐいを手縫いして雑巾を作っていた。昔は余った布は何でも雑巾にして使い終えていたようだった。だから水を吸いにくい雑巾も中にはあった。今のようにタオル地の雑巾が当たり前の時代ではなかったし、雑巾を買うなんて事はとんでもなく「もったいない」「ずつなし(横着・怠け者)」なことだった。
うちのオヤジでさえ、肌着をハサミでカットして手近にストックしては、釣りの道具から日常の窓拭きなど掃除にウエスとして使っていた。
それから「ビニール袋」も、私の母親にとってはビックリ物であって、水も空気も漏らさない。だから使った袋は洗い上げて乾かして穴があくまで何度も使っていた後に。サランラップだのクレラップだのというものが世に現れれば、これまた大喜び大感激で、欧米には憧憬の念しかなかったようだ。
そういえば「シャンプー」というものも、私が小さいときには女物であったし、今でいえば納豆のタレが入っている四角い袋とか、弁当の醤油入れみたいなのに色のついた液体が入っていて、それを湯を入れた洗面器に溶かして使っていた。
男は石鹸をそのまま頭でゴリゴリ泡立てて洗髪するのが普通だったが、小さいときは母親に連れられ、銭湯の女風呂でシャンプーして貰ったことがある。
なんとなく思い出して、シャンプーを溶かして髪の毛を洗ってみた。水や湯は優れた溶剤だから、それもあるいは理に適っているのかもしれない。
全体にそんな空気の中で育ったのだから、今の世の中は、自分としても「勿体無い」ことが多い。それを、捨てられないことの言い訳にしている節があるかもしれないと、自分でも思う。
CMで、「カミさんのシャンプーを使ってる」というのがある。今は私も「サクセス」とかいうのを使ってみたりしている。男物シャンプーも進化した。でもなぜかしらん、風呂場はそういったボトルで溢れかえっている。しょうがないけど、なんか勿体無い気もしている。
【防災/老前整理/回顧】
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