まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

0103 減賀状

2016-01-03 21:59:59 | 老後生活

年々減っていく年賀状。これは郵便局にとっての問題であると同時に、超高齢社会の一個人としても逆らえない現実だ。

ある人は介護状態にあるのか、ご家族から丁寧なる状況説明の賀状をいただき、最後にこう結ばれる。
「今までありがとうございました。

ご家族のご不幸による喪中はがきは毎年あるが、段々と、ご本人が亡くなって慌てることもある。遠距離の友人知人で年賀状だけの付き合いとなると、ご家族は私を殆ど知らないことも少なくない。前述のような報告めいたものが、ご家族から届くのだと、しみじみ考えこんでしまった記憶がある。

かつて私の若いころには年賀状は当たり前で「お年玉抽選つき年賀はがき」の売り出し日の11月1日(今はもう少し早め?)には大急ぎで買ってきては持ち慣れぬ、あるいは版画や芋版、イラストやコラージュ等、それはそれは誰でも皆が情熱を傾けて賀状制作に勤しんだ(いそしんだ)。
そのうち、プリントごっこというシルクスクリーン風に仕上がる版画印刷用具がバカ売れ・品切れが起きていた。リソグラフだっけ?その後少しの間ワープロになり、PCのインクジェットプリンタ印刷で家庭に居ながら結構凄いのが作れるようになった。テンプレート付き賀状作成ソフトも出回り、やがて「あけおめ」のメール・LINEだけの人も増殖中?。

この頃は近しい人同士、いつでも携帯でつながっている。フェースブックとかラインとか、メールやブログなんかも携帯電話で済んでしまうらしい。
そこへ年に一度の年賀状、これはもう、ある意味、惰性としか言いようがない。
近況報告としては1年おきなので、昨年のを見返しながら書いたとしても、最早「気の抜けたビール」のよう。

メールなら、近況を書いた賀詞を送れば、すぐさまリアクションも起こせるし、「今年こそは新年会しようよ!」と来れば、即座に行動につながりもする。年賀状の「もどかしい部分」は解消されたりする。

勿論、年賀はがきのアナログ的な良さはちゃんとある。温もりや相手のセンスの良さ、時には愛までも感じる事がある。

年を取るにつれて、手書きのコメントが添えられていない印刷文字だけの賀状のやりとりを続けることに一縷の(いちるの)迷いを生じることがある。それは生きることと逝くことの隣り合わせ感を次第次第に強く感じるからかもしれない。
自分なりの潔さや、気を使わせたくないといった、どちらかと言えば日本人的な「思い」によるのかもしれない。

【昭和の価値観/減るもんじゃあるめぇし2/人は心を寄せ合う/炬燵で賀状眺めて温まる/終活年賀状/】

新年会の件、携帯電話番号教えての添え書きにチョト困る。私は今や珍しく携帯電話を持っていない(月々の基本料、いささか荷が重い)。昨年ある人から「ガラ携でもいいから持てば?世界が展がるよ」と言われたが・・・。

 

+++++++++++++++++++++++++++++++減る賀状+ 
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2019.1.7 終活年賀状についていえば、返信が何も来なくなった経験を何人かの人で味わった。無音は淋し過ぎた。
2019.1.8 賀状の突然の音沙汰無しは、急な大病急逝と想う。ご遺族の心中は察して余りある。
2019.6.8 LINEは簡便で速い。いつでもご機嫌伺い可能。でもふと思った。世の人に気持の余裕さほど無し?
2022.1.10 今年も年賀状を出した方の息子さんから、母は令和2年(2020)に亡くなりましたと。終わりの告知は難しいか。


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