「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウンの慰安婦像

2017-11-24 06:11:27 | 2012・1・1
♯ 桑港(サンフランシスコ)のチャイナ.タウン(作詞佐伯孝夫 作曲佐々木俊一)
  桑港のチャイナ.タウン 夜霧にぬれて 泣いている泣いている 夢紅く誰を待つ柳の小窓
  おぼろな瞳花やさし 霧の町 チャイナタウンは恋の町 

昭和26年(1951年)NHKの第一回紅白歌合戦で紅組の渡辺はま子が歌った大ヒット曲である。改めて詩を読んでみて僕は33年売春禁止法以前、日本の各地にあった赤線(売春街)の賑わいを想い出した。26年のサンフランシスコ条約以前であり、作詞家の佐伯孝夫が渡米して作詞したとは思えない。多分、”柳の小窓”の言葉などの連想から桑港のチャイナ.タウンの売春街を想像したものであろう。

その桑港の中華街に、現地の中国系市民が戦時中日本軍によって「性奴隷」にされたという三人の少女像と碑文を建て、市に寄贈した。桑港と大阪市は姉妹都市関係にあり、この動きに強く抗議していたが、中国系の市長は市議会の決議文書に署名した。少女像はソウルの日本大使館前にある慰安婦像と異なり、「性奴隷」にされたという韓国、中国、フィリピンの少女像だが、歴史書のどこを紐説いても日本軍が現地の女性を拉致して「性奴隷」にした事実はない。あったのは、当時、日本国内では合法であった「遊郭」の戦地版である。

桑港の人口の20パーセントは中国系市民だという。中国系の市長はおそらく選挙対策から、慰安婦像の寄贈を承認したのであろうが、大阪市とは友好親善の姉妹都市関係にある。大阪市長が抗議して関係を撤回するのは当たり前である。政府も”最終的、不可逆的”としながらも、韓国の慰安婦問題が依然、くすぶり続けている現状を黙視してはいけない。桑港の少女像の拡散に手を打つべきである。