「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

民のか竈(かまど)が消えないで済んだ大阪市

2015-05-18 05:48:58 | Weblog
”高津の宮の昔より栄を重ねて、民の竈に立つ煙賑わう大阪市”の大阪市歌(大正10年制定)が、昨日の住民投票で橋下徹市長掲げる「大阪都構想」が1万7千票という僅差ながら破れたことになり、廃歌にならずに済んだ。大阪市民でもないので無責任だが、僕には、今一つは橋下氏の構想には、理解でない点があった。それは、大阪市民の持つ独特の文化への無理解であった。文楽への助成金の廃止もその一つである。

”紫にほひしし武蔵の野辺に日本の文化の華咲みだれ”は、昭和18年、東京都が制定され、東京市が廃止されるまで、市民の間で愛唱されていた東京市歌である。 72年経った今でも僕はこの歌を憶えている。結果的には東京府と東京市が一本化されことによって、行政のムダが省かれ、よかったのだが、想い出として、この歌が廃止されたのは残念だ。

橋下氏の「大阪都構想」も、東京都にならって行政のムダをなくそうという点は、よく理解できるのだが、彼の持つ政治的なスタンドプレーが障害になっていたのではないだろうか。大阪市長なのに、国政にも口をだし、反面、文楽にみられるような地元文化への無理解で、それがマスコミを賑わいしすぎてきた。この数年間、彼の都構想で大阪市民は引っ張りまわされ、何回かもそのための選挙をさせられた。

橋下氏は、住民投票に敗れた事により、政治から手を引くという。個人的にはそれでよいかもしれないが「維新」とは何だったのか。「維新」を冠にした政党はどうなるのか。「日本維新の会」の江田憲司代表も辞任の方向だというが、「維新」の言葉が色褪せてしまった今、立て直しは大変だ。政治には個人のスタンドプレーは禁物だという教訓が残ったが、高津の宮以来の大阪の竈の賑わいが保たれてよかったのではないだろうかー。