「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「私はシャルリ―」ではない 仏の新聞社襲撃事件

2015-01-09 07:25:54 | Weblog
”私はシャルリー”世界は叫ぶというキャプションで産経新聞(1月9日首都圏版9面)がニューヨーク、サンパウロ、、北京と並んで東京でも「Je suisCharlie」(私はシャルリー)というプラカードを持った人物の写真(ロイター通信)を掲載している。シャルリーとは先日イスラム過激派の暴徒に襲わ犠牲になったたフランスの新聞社の編集長の名前である。東京発のロイターの写真は不鮮明でよく判らないが、たしかにプラカードには”私はシャルリ―”と読み取れる。しかし、僕の実感として東京ではロイター通信が狙いとしている”世界が叫ぶ”ほどこの事件に対する”同調”への盛り上がりはあるだろうか。

イスラム教にからむ暴力事件が起きるたびに僕は1991年、筑波大学の五十嵐一助教授が学内で刺殺された事件を想い出す。この事件は当時世界的に話題になっていたイスラム教を冒涜、風刺したとされる、英国の作家、サルマン.ラシュディの小説「悪魔の詩」を五十嵐助教授が日本語に翻訳、出版したのが事件の背後にあるとされている。「悪魔の詩」については、当時イランの最高指導者、ホメイニ師が、ラシュディを死刑にすると発言、この発言に絡んで世界各地に事件が起きていた。

新聞報道によると、今回犠牲になったシャルリー氏が編集長をする週刊誌「シャルリー.エブド」は、反イスラム的な報道が多く、イスラム教に対して挑発的だったという。「悪魔の詩」もそうだっかが、イスラム教徒にとっては最大の預言者であるモハメッドに対する侮辱が、事件の引き金になっている。今の日本は世界のどの宗教に対しても寛容であり、特に歴史的に無関係なイスラム教に対してはそうであり”十字軍”以来のヨーロッパとは違う。

イスラム過激派を決して擁護するわけではないが、僕は”私はシャルリー”には同調しない。どんな宗教であっても信仰は個人の問題であり、それに立ち入って、その宗教を侮辱してはいけない。