「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

歌で結ばれる日本.インドネシアの古い歴史

2013-06-22 05:41:59 | Weblog
「インドネシアの文化に触れてみよう2013」の催しの一つとして「東京ラグラグ会」が、コーラスを披露する。”ラグラグ”とはインドネシア語(lagu-lagu)で歌を意味する。「ラグラグ会」は30数年前、ジャカルタに駐在してた日本人の歌の好きな人たちが集まって始めたコーラス.グループだが、今では本家のジャカルタのほか東京、大阪にもそれぞれ愛好家が集まり、歌を通じて日イ両国の友好親善に活躍している。

インドネシアの歌は何か日本人の心に訴えるものがある。今はほとんど解散してしまったが、戦争中インドネシアに駐屯していた軍人の戦友会では、酒が入ると決まって歌が出る。その代表的なのが、先年物故されたゲサンの「ブンガワン.ソロ」であり、童謡の「ノナ.マニス」であり「ラサ.サヤ」であった。マレーシアの国歌の元歌といわれる「トゥラン.ブ―ラン」も国歌に制定されるまではよく歌われた。

僕がジャカルタにいた1966年―67年だが、まだその頃は在留邦人も少なく「ラグラグ会」もなかったが、よくジャカルタの外港,タンジュン.プリオクの飲み屋に出入りする、流しのバンドから「ブンガワン.ソロ」など、昔、兵隊さんたちが好きだった歌を所望して共に歌ったものだった。その中に「ノナ.マニス」「ラサ.サヤ」もあった。僕は歌詞は知らなかったが、メロディは知ってた。戦争中、この二つのメロデいは,NHKラジオの小国民ニュースのテーマ曲として使われていた。

南方の音楽に触発されてか、戦争初期の昭和17年から18年にかけての日本の流行歌にはインドネシアを歌ったものが多い。「ジャワのマンゴ売り」(灰田勝彦)「バタビアの夜は更けて」(灰田勝彦)「ジャワの夕月」(灰田勝彦)「常夏の島」(ジャワ民謡)「ジャワのあけくれ」(二葉あきこ)etc.一方、この時代、ゲサンの代表作「サプ.タンガン」も宝塚スターの淡路道子によって歌われこレコード発売されている。戦争には、こんな一面もあったのだ。