「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         ミャンマーの新しい"潮目”の変化

2011-12-06 07:05:45 | Weblog
東南アジアで軍事独裁を続けているミャンマーに"潮目”の変化が見られてきた。テイン・セイ政権が打ち出した改革政策に対応し、あれだけ軍事政権に反対していた米国がいちはやくクリントン国務長官を派遣し、民主化運動の指導者,アウンサン・スーチーさんと会い、連携を表明した。これに対しテイン・セイ政権は黙認の形だ、

僕ら戦時中大東亜共栄圏のスローガンの下で育った世代にとって、ミャンマーは「ビルマ」の名前で懐かしい国だ。昭和18年11月、東京で開かれた大東亜会議にビルマの代表として出席したバウ・モウ氏の名前は今でも記憶している。スーチーさんの父親オンサン将軍(当時はそうよばれていた)も、新生ビルマ国家の軍指導者として有名であった。オンサン将軍は昭和15年、日本に亡命、一時「面田紋次」の名前で浜松に滞在していたことがあり、その記念碑が大草山の頂上付近にある。

戦後も昭和29年に結ばれた戦時賠償協定で、日本はビルマに対して72億円もの賠償金を支払い、これをめぐって歴代の総理がラーングン詣でするほど両国の関係は親しかった。ビルマが"ミャンマー"と名前を変え軍事独裁国家になる前までは、ODA(政府開発援助)予算もかなりの額の配分もあった。

しかし、ここ10年近くの両国関係をみると、日本からは外務政務官クラスの高官の訪問ぐらいで、経済援助も形ばかりのものになっている。どうも欧米諸国に遠慮しての外交政策で、せっかくの過去の親しかった両国関係を生かしきっていない。ミャンマーには新しい"潮目”の変化が確実に出ている。米国だけでなく中国も進出し始めているという。過去の歴史の上にたってバスに乗り遅れないよう、しっかりとした外交政策を望む。