都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

早稲田大学51号館

2009-07-27 | 新宿区  
早稲田大学51号館
所在地:新宿区大久保3-4-1
建設年:1967.3(昭和42.3)
構造 :RC+SRC
階数 :18F・地下2F・塔屋2F
高さ :65.24m
設計 :安東勝男
Photo 1987.5.9

 51号館は、完成時だったか上棟式の際だったか忘れたが、一時的に日本最高の高さを持つビルだったと言われる。もっとも、ビル以外では東京タワーなどの鉄塔が既にあったし、約1年後の1968年4月には霞ヶ関ビル(36F、最高高さ156m、軒高147m)が完成して、あっという間に一位の座からは滑り落ちた。この話、私自身も大学時代に先輩などからそう聞いていたし、現在もいくつかのサイトでそう書かれているのだが、改めて高層ビルのサイトなどを見てみると、なんだかそのへんが微妙。

 まず、これより3年前の1964年、建築基準法が改正されて100尺以上の建物が認められたその年に、ホテルニューオータニ本館(17F、現 ザ・メイン)ができていて、その高さは72m。また、横浜に建てられたホテルエンパイア(1965年3月開業、現 横浜薬科大学 図書館棟)も地上21F、建物部の高さが68m、尖塔と避雷針を含めると93m。あれれ?
 まあ日本最高でなくても別に良いんだけど、なんだか釈然としない結果。

 東西端には階段室があり、小さな窓が各フロアに3段ずつ並ぶ。研究室の側面にあたる部分は無窓で、下見板状のパネルが2F~18Fを覆う。細長いパネルをたくさん並べたのはスケール感を敢えて無くして、高さを強調するためだとも聞いた。南北面のブレースが入ったやや荒っぽい表情とは異なる、繊細な表情である。

 現在の超高層ビルの大半が柔構造で、柳の木のようにしなることで風圧力や地震動を逃しているのに対して、この建物は剛構造で造られている。風が吹いても地震があっても、ガッチリ形を保ち、変形をせずに耐えるタイプの建物なんだそうだ。剛構造としては日本一の高さということだったのかな?。

Photo 1987.5.9

 建設当時、太い鉄骨はまだ高価だったとかで、コストを削減しながら建てるために、細い鉄骨でジャングルジムのような構造を造り、更にそこにブレース(斜材)を入れて補強するというスタイルをとっている。ただ、開口部の真ん中に×型のブレースが入ると、窓の中央でブレースが交差して視界が遮られるため、これを避けるべく四隅に斜材を入れている。一つの枠に補強を入れれば、隣接する4ヶ所の枠の変形は抑えられるので、ブレースが入る窓と無い窓が、結果的に市松模様のように並ぶことになった。ブレースのある窓はKの字に、入っていない窓はOに見えて、壁面にKとOがたくさん繰り返されているかのように見える。早稲田なのにKO(慶応)とはこりゃいかに、という話を学生時代にはよくしたものだ。ほとんどネタなんだけど・・・。

Photo 2008.3.4

 コンクリート保護のため、88年頃に少し銀色がかった塗装が施されたので、以前とは外観の色が若干異なる。

 また、51号館は傾いているという話もまことしやかに伝えられていた。55号館ができる前、建築学科は51号館の10F、17F、18Fに入居していたが、建設時に傾いてしまったので、責任をとらされて最上階をあてがわれたなんていう話もあった。学生の頃、測量実習の授業があって、51号館の高さを測定せよという課題をやったような記憶がある。その際に屋上から下げ振りを下ろしたが、傾いてはいなかった(経年変化もあるだろうから現在は知らないが。)。実際、少なくとも当初の51号館は傾いておらず、建築学科が責任をとって最上階に入居したわけでもないようだ。むしろ、高い建物を設計したので、自ら高層居住を体験すべく最上階に陣取ったというあたりだったのかもしれない(詳細は知らず)。

 KOの話と傾いているという話は、理工学部が3学部に改組された今でも、大久保キャンパス(現 西早稲田キャンパス)に伝わる都市伝説として語り継がれているのではないだろうか。

#古い建物 新宿区  #高層ビル  #早稲田大学  #大学 
#安東勝男 
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5 コメント

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本人です (さぎょしょちょう)
2009-09-12 13:05:11
 大隈講堂に関するシンポジウム記録のコピーをとるのを忘れていたことに今頃気がついて、検索していたらこのblogに至りました。
 まず、理工学部の写真はものすごく懐かしいです。卒業後に名古屋に赴任となり、かなり経てからそばを通ったときに理工学部もそうですが、周辺も変わってしまって驚いたことを思い出します。建築学科の研究室も51号館にあったのですが、新しい?建物に移ってしまったようですね。
 狭いながらも広場(校庭?)があったりテニスコートがあった時代は心理的にゆとりがあってよかったとは思うのですが、いろいろと事情があるのでしょうね。
 私は大隈講堂の改修工事と副都心線の西早稲田駅の作業所長をつとめており、このblogにかなり影響を与えてしまった人間の一人です。
 まず、大隈講堂の改修工事については、私自身が作業所長を命じられて、晴天の霹靂の状況で、私自身も大隈講堂にはいろいろな思いがあって、まさか自分の手で改修工事を行うなどとは思ってもいなかったというのが本音のところです。
 つまりは大隈講堂に大幅な改修という手段を使ってもよいのか?という思いもあるのとともに、大学の意向は十分に理解はできた(冷房設備がないなんて記憶がありません)のですが、やはり自分が目にしてきた大隈講堂の姿もありますし、改修工事を行ってどんなようになってしまうかもイメージできなかったので、どうするのかがベストなのかと常に考えていました。
 もし大失敗をして大隈講堂の姿を大幅に変えてしまうとオール早稲田ならびに日本建築にかかわる方から非難・バッシングを浴びて、私の作業所長人生も終わってしまうだろうな~などと勝手に覚悟を決めて立ち向かったというところです。
 しかしながら改修工事のスタート前に建築学科の教授から「この改修工事は改修前の姿に戻すことが意図するものではなく、最新の機能は付加させるもののあくまで創建当時の80年前の姿に戻すことが目的である」との話を伺うことができて、自分が持っていた迷いが消えて、大隈講堂と向き合うことができたと思っています。
 改修工事がスタートしてからもいろいろあったのですが、記載するととんでもないくらいの出来事があったので、割愛させていただきます。
 お褒め?をいただいた白の外部足場についてだけでも・・・
 ①外部撤去工事の防音対策で最初は防音パネルを張っていましたが、撤去工事終了後は照度確保のため白いメッシュシートに張り替えたりしています。
 ②時計塔の外壁は垂直ではなくて微妙に斜めになっていて、外部足場を垂直に組むことに苦労したこと。
(垂直にしないと防音パネルが収まらない。)
 ③ここでは記載できない理由で、外部足場を組む順番を変更せざるを得なかったこと。
 などいろいろとありました。このblogの写真を拝見し、うまく組めているな~と自我自賛もしています。
 では改修後についての私の思いを記載させていただきます。(大学OBとの立場も含めて)
 ①私の持っていた改修前の大隈講堂のイメージは本当に心のふるさとであり、仕事に行き詰ったときや人生の岐路において、心の支えとなっていた建物であるとともに、その外観は「荒ぶる魂の象徴である大隈講堂」=男性的なものだと思っていました。
 しかし改修工事終了後は正直に言って外観については「綺麗になりすぎた」=女性的(この表現を使ってよいかよくわかりませんが)と思っています。
 外壁のタイルも創建時にもっとも近いと思われる1階歩廊の大隈重信候の銅像の上のアーチ部分のタイルを再現しましたし、鐘楼の外装もコンクリートではなく「人造石洗い出し仕上げ」という左官工事なのですが、現物を調べ上げて同じ石種を使って仕上げています。私としては80年前の姿はやはりこのような姿であったのだろうと思っています。
 大学関係者、近隣の方々にとって大隈講堂は「心のふるさと」であり「我らが母校」だと思います。「母校」ということに捉えれば母親のイメージになったことも、私の思いではありうることだと思っています。
 さらに80年経たあとに改修工事の前の姿に近いものになっていればよいのですが、今後は戦争もないでしょうし環境問題もクローズアップされてきていますので、存外に綺麗なままの姿で残るのかも知れません。
 一番の心配は阪神神戸大震災以上の直下型地震だけが来ないことを祈っています。
 1階の歩廊部分(大隈庭園側)の屋根のある部分は外壁は80年前のものを残しています。あるところで新旧タイルを張り分けてありますので、今度もし行く機会がありましたらその辺りを探って見てください。
タイルの高さを合わせることにも本当に苦労しました。私から言わせてもらえばある意味、タイル工事の職長さんと弊社生産設計部の神業とも言えるものです。
 ②大講堂に関しては冷房を付加した椅子空調システムを採用していますが、講堂の形状・空間・残響時間などは全く変えていません。変わったのは前述した椅子(これもオリジナルデザインを復原)と床仕上げ、舞台機構、機械音響システム、同時通訳ならびにインターネットなどのITシステム、床の仕上げ材、そして一番苦労したのは80年前の塗装色の復原でした。
塗装してある部分を削りだして調査して一番最初に塗装されたと思われる色を探り出して、さらには現存している創建時の白黒写真なども参考にしながら決定に至っています。私としてはメリハリの利いた塗装色になったと思っています。

 ほかにもいろいろ記載したいことがあるのですが、西早稲田駅のこともあるので、大隈講堂に関してはこここまでとします。ほかにもいろいろと大隈講堂の謎とか改修工事の秘話などいろいろありますが、もしご質問があれば回答できる限りで回答しますので、逆コメントください。

 地下鉄西早稲田駅の仕上工事についてはご覧になっていただいたとおりであり、通常は地上に建物を建てるのに逆方向に仕上げを進める=資材の投入に大変苦労しております。
 西早稲田駅という駅名については、私が赴任した時点でほぼ決定していました。若干の議論の余地はあったようですが・・・。
 しかし付近の地名は「西早稲田」「高田馬場」「戸山町」「諏訪町」「大久保」であり、JRや地下鉄の駅名だとか「戸山キャンパス」=「文学部キャンパス」などの条件に囲まれてしまうと「西早稲田駅」にならざるを得なかったのかと思っています。
 私としては理工学部=「大久保キャンパス」、「西早稲田キャンパス」=「本部キャンパス」との思いがあるので、違和感も感じているのですが、大学と東京地下鉄のいろいろなやり取りがあって、「西早稲田駅」が正式決定して、大学がキャンパス名を変更したということだと思います。東西線の「早稲田駅」が「西早稲田駅」だったらどうなっていたかわかりませんが・・・。」

 


 いろいろと長くなって申し訳ありませんが、とりあえず、blogを拝見した中での私の思いを記載しました。

 もし、こんなことを聞いて見たいとか、もっと何かを知りたいとかありましたら、このコメントに対して更なるコメントをお願いします。


 自分でblogを起こせばよいのですがね~。
 
 私の実名は調べればすぐにわかってしまうと思いますが、できれば伏せておいていただければありがたいです。

 以上です。
返信する
ありがとうございます。 (asabata)
2009-09-12 23:44:08
作業所長さま
大変詳細な記述をして頂き、ありがとうございます。

コメント欄だけに表示しておくのがもったいないので、
一つお願いなのですが、
作業所長さんから頂いたコメントである旨を表記して、
コメント部分は無編集で、改めて一つの記事として掲載させて頂きたいのですが、
いかがでしょうか?
コメントはそのままここにも残しておきます。
(機種依存文字のみ、別の文字に変更させて頂きたいと思います。)

また、頂いたコメントが複数の記事に対する内容にもなっておりますので、
関連記事を参照できるよう、それぞれの記事へのリンクも付加しておきたいと考えております。

別記事にするのはちょっと、ということであれば、このままにしますが、
他の読み手の方の便宜を図る上では、独立させた方が良いかとは思います。
御了解頂ければ幸いです。
返信する
さぎょうしょちょう (作業所長)
2009-09-13 08:40:15
 こんなに早くに対応していただけるとは思ってもみなかったので、感激している次第です。

 コメントをいただいたとおりに一つの記事として載せてもよいのかな~と思っておりますが、どうやったらよいのか、そのあたりの事に関しては非常に疎いので(こんなことで今の時代の社会人、作業所長でよいのか?とも思っています。)、もしよろしければご教授ください。

 大学さんやほかの方のご迷惑にならない限りで記事にできるネタや記録写真は有り余るほどあるので、皆様にお知らせするのも、私の仕事でもあるのかとも思っています。

 前回のコメントでは1階歩廊部の新旧タイルの張り分け部分の謎を一つ出しましたが、今回はステンドグラスについて記載します。

 このblogでも2階ロビーの丸窓のことが載っていましたけど、大隈講堂に使用されているステンドグラスについては、この改修工事中もその謎が解けなくて、そのまま(もしかすると、過去に改修されているのか、オリジナルのままなのか)にしてあるところがあります。外観から見えるステンドグラスや1階、2階のロビーのステンドグラスをじっくり見ていただけると、「あれ~」という箇所があるはずです。私が教えてしまうと面白くないので、皆さんで探してみてください。
 ほかにも多数の大隈講堂の謎がありますよ~。

 本日はこのあたりで終わります。

 まことに申し訳ないのですが、記事にするのはあるいは自分のHPを立ち上げればよいのでしょうが、そのあたりを簡単にできる方向でご教授ください。

 以上です。

 
返信する
記事化作業 (asabata)
2009-09-13 10:22:16
作業所長さま

ブログの性質上、開設者以外が記事本文を投稿することはできませんので、
今回頂戴した一連のコメントの記事化は、
私(asabata)が、コメントを全文コピーさせて貰って行います。
以下のようなコメントを頂きました、などという形で、こちらで一つの記事を作るわけで、
ご了解頂ければ、そちらでは何もする必要はありません。

頂戴したコメントはまとめて掲載し、基本的に加筆・削除はしませんが、
前後に私の文章を多少付加します。
今回、追加で頂いた分も、続けて載せようと思っています。

頂いたコメントを拝見しましたところ、ほぼご了解頂けたように思いますので、
一両日中に新記事として掲載させて頂きたいと思います。


さて、より多角的に多くの記事内容を、主体的に整理して公開なさりたいとお考えならば、
やはり、ご自分でブログなりHPを開設されることをお薦めします。
私が代わりに書いて差し上げることもできませんし・・・。

その際、業務上知り得たこと、取得した資料の公開には、
権利関係や守秘義務関連で問題が生ずることがあるかもしれません。
本来の目的外であるとみなされると、厄介なことにもなりかねません。

また、建設工事に於いては、しばしば、利害関係や事業当時の経緯などを、
公開されたくないと考えている関係者がいる可能性もあります。
私から申し上げるのもなんですが、そのへんは事前に確認・配慮されることをお薦めします。
もちろんご本人の判断により、諸々を踏まえた上で責任を持って記載することは自由ですが。

私は、早稲田関係者ですし、建築関係者でもありますが、
職務として係わったものについては、現在のところは書いていません。
早稲田の建物については、一個人として気楽に書かせて貰ってます。
返信する
さぎょうしょちょう (作業所長)
2009-09-13 10:57:37
 記事として取り扱って頂いて、私としては了解をいたします。私も自分の仕事に関しては、経験不足ゆえの至らなさもあるとは思いますが、責任とプライド,意地で仕事をしている面もありますので、逆に言うと皆さんからのいろいろな意見を頂いて、自分を成長させることができれば、これ以上のことはないと思っています。
 自分自身でHPなどを立ち上げることができれば良いとは思いながらも、今の建設業界が落ち目の中でもいろいろと忙しく、立ち上げたところでフォローできる自信もないので、このblogの中でできるだけコメントを記載したいと思っています。
 私はB型人間なので、非常にムラがあるとは思いますがよろしくお付き合いください。
 早稲田関係者・・・どなたなのか謎ですね~。

 私のことはすでにばれていると思うのですが、私の楽しみが増えました。

 以上です。
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