以前に書いた早稲田大学関連のいくつかの記事に対して、詳細なコメントを頂戴した。
コメントが複数の記事に対してのものであるのと、私自身が書いた記事に関する追加情報になる部分もあるため、コメント欄だけに記載しておくのはもったいないと考え、御本人にも了解をとって、記事化することにした。
ただ、これだけの情報量とか思いは、コメント欄に記すより、独自にブログなどを立ち上げて記す方が良いのではないかとつくづく思う。というのもコメント欄では、ブログ開設者の意向に左右されてしまうから。
本人以外のテキストを記事化するのは妙なことかもしれないが、今回だけは例外。
本ブログ内で関連のある記事は以下
本人です (さぎょしょちょう)
2009-09-12 13:05:11
大隈講堂に関するシンポジウム記録のコピーをとるのを忘れていたことに今頃気がついて、検索していたらこのblogに至りました。
まず、理工学部の写真はものすごく懐かしいです。卒業後に名古屋に赴任となり、かなり経てからそばを通ったときに理工学部もそうですが、周辺も変わってしまって驚いたことを思い出します。建築学科の研究室も51号館にあったのですが、新しい?建物に移ってしまったようですね。
狭いながらも広場(校庭?)があったりテニスコートがあった時代は心理的にゆとりがあってよかったとは思うのですが、いろいろと事情があるのでしょうね。
私は大隈講堂の改修工事と副都心線の西早稲田駅の作業所長をつとめており、このblogにかなり影響を与えてしまった人間の一人です。
まず、大隈講堂の改修工事については、私自身が作業所長を命じられて、晴天の霹靂の状況で、私自身も大隈講堂にはいろいろな思いがあって、まさか自分の手で改修工事を行うなどとは思ってもいなかったというのが本音のところです。
つまりは大隈講堂に大幅な改修という手段を使ってもよいのか?という思いもあるのとともに、大学の意向は十分に理解はできた(冷房設備がないなんて記憶がありません)のですが、やはり自分が目にしてきた大隈講堂の姿もありますし、改修工事を行ってどんなようになってしまうかもイメージできなかったので、どうするのかがベストなのかと常に考えていました。
もし大失敗をして大隈講堂の姿を大幅に変えてしまうとオール早稲田ならびに日本建築にかかわる方から非難・バッシングを浴びて、私の作業所長人生も終わってしまうだろうな~などと勝手に覚悟を決めて立ち向かったというところです。
しかしながら改修工事のスタート前に建築学科の教授から「この改修工事は改修前の姿に戻すことが意図するものではなく、最新の機能は付加させるもののあくまで創建当時の80年前の姿に戻すことが目的である」との話を伺うことができて、自分が持っていた迷いが消えて、大隈講堂と向き合うことができたと思っています。
改修工事がスタートしてからもいろいろあったのですが、記載するととんでもないくらいの出来事があったので、割愛させていただきます。
お褒め?をいただいた白の外部足場についてだけでも・・・
1)外部撤去工事の防音対策で最初は防音パネルを張っていましたが、撤去工事終了後は照度確保のため白いメッシュシートに張り替えたりしています。
2)時計塔の外壁は垂直ではなくて微妙に斜めになっていて、外部足場を垂直に組むことに苦労したこと。
(垂直にしないと防音パネルが収まらない。)
3)ここでは記載できない理由で、外部足場を組む順番を変更せざるを得なかったこと。
などいろいろとありました。このblogの写真を拝見し、うまく組めているな~と自我自賛もしています。
では改修後についての私の思いを記載させていただきます。(大学OBとの立場も含めて)
1)私の持っていた改修前の大隈講堂のイメージは本当に心のふるさとであり、仕事に行き詰ったときや人生の岐路において、心の支えとなっていた建物であるとともに、その外観は「荒ぶる魂の象徴である大隈講堂」=男性的なものだと思っていました。
しかし改修工事終了後は正直に言って外観については「綺麗になりすぎた」=女性的(この表現を使ってよいかよくわかりませんが)と思っています。
外壁のタイルも創建時にもっとも近いと思われる1階歩廊の大隈重信候の銅像の上のアーチ部分のタイルを再現しましたし、鐘楼の外装もコンクリートではなく「人造石洗い出し仕上げ」という左官工事なのですが、現物を調べ上げて同じ石種を使って仕上げています。私としては80年前の姿はやはりこのような姿であったのだろうと思っています。
大学関係者、近隣の方々にとって大隈講堂は「心のふるさと」であり「我らが母校」だと思います。「母校」ということに捉えれば母親のイメージになったことも、私の思いではありうることだと思っています。
さらに80年経たあとに改修工事の前の姿に近いものになっていればよいのですが、今後は戦争もないでしょうし環境問題もクローズアップされてきていますので、存外に綺麗なままの姿で残るのかも知れません。
一番の心配は阪神神戸大震災以上の直下型地震だけが来ないことを祈っています。
1階の歩廊部分(大隈庭園側)の屋根のある部分は外壁は80年前のものを残しています。あるところで新旧タイルを張り分けてありますので、今度もし行く機会がありましたらその辺りを探って見てください。
タイルの高さを合わせることにも本当に苦労しました。私から言わせてもらえばある意味、タイル工事の職長さんと弊社生産設計部の神業とも言えるものです。
2)大講堂に関しては冷房を付加した椅子空調システムを採用していますが、講堂の形状・空間・残響時間などは全く変えていません。変わったのは前述した椅子(これもオリジナルデザインを復原)と床仕上げ、舞台機構、機械音響システム、同時通訳ならびにインターネットなどのITシステム、床の仕上げ材、そして一番苦労したのは80年前の塗装色の復原でした。
塗装してある部分を削りだして調査して一番最初に塗装されたと思われる色を探り出して、さらには現存している創建時の白黒写真なども参考にしながら決定に至っています。私としてはメリハリの利いた塗装色になったと思っています。
ほかにもいろいろ記載したいことがあるのですが、西早稲田駅のこともあるので、大隈講堂に関してはこここまでとします。ほかにもいろいろと大隈講堂の謎とか改修工事の秘話などいろいろありますが、もしご質問があれば回答できる限りで回答しますので、逆コメントください。
地下鉄西早稲田駅の仕上工事についてはご覧になっていただいたとおりであり、通常は地上に建物を建てるのに逆方向に仕上げを進める=資材の投入に大変苦労しております。
西早稲田駅という駅名については、私が赴任した時点でほぼ決定していました。若干の議論の余地はあったようですが・・・。
しかし付近の地名は「西早稲田」「高田馬場」「戸山町」「諏訪町」「大久保」であり、JRや地下鉄の駅名だとか「戸山キャンパス」=「文学部キャンパス」などの条件に囲まれてしまうと「西早稲田駅」にならざるを得なかったのかと思っています。
私としては理工学部=「大久保キャンパス」、「西早稲田キャンパス」=「本部キャンパス」との思いがあるので、違和感も感じているのですが、大学と東京地下鉄のいろいろなやり取りがあって、「西早稲田駅」が正式決定して、大学がキャンパス名を変更したということだと思います。東西線の「早稲田駅」が「西早稲田駅」だったらどうなっていたかわかりませんが・・・。」
いろいろと長くなって申し訳ありませんが、とりあえず、blogを拝見した中での私の思いを記載しました。
もし、こんなことを聞いて見たいとか、もっと何かを知りたいとかありましたら、このコメントに対して更なるコメントをお願いします。
自分でblogを起こせばよいのですがね~。
私の実名は調べればすぐにわかってしまうと思いますが、できれば伏せておいていただければありがたいです。
以上です。
さぎょうしょちょう (作業所長)
2009-09-13 08:40:15
こんなに早くに対応していただけるとは思ってもみなかったので、感激している次第です。
コメントをいただいたとおりに一つの記事として載せてもよいのかな~と思っておりますが、どうやったらよいのか、そのあたりの事に関しては非常に疎いので(こんなことで今の時代の社会人、作業所長でよいのか?とも思っています。)、もしよろしければご教授ください。
大学さんやほかの方のご迷惑にならない限りで記事にできるネタや記録写真は有り余るほどあるので、皆様にお知らせするのも、私の仕事でもあるのかとも思っています。
前回のコメントでは1階歩廊部の新旧タイルの張り分け部分の謎を一つ出しましたが、今回はステンドグラスについて記載します。
このblogでも2階ロビーの丸窓のことが載っていましたけど、大隈講堂に使用されているステンドグラスについては、この改修工事中もその謎が解けなくて、そのまま(もしかすると、過去に改修されているのか、オリジナルのままなのか)にしてあるところがあります。外観から見えるステンドグラスや1階、2階のロビーのステンドグラスをじっくり見ていただけると、「あれ~」という箇所があるはずです。私が教えてしまうと面白くないので、皆さんで探してみてください。
ほかにも多数の大隈講堂の謎がありますよ~。
本日はこのあたりで終わります。
まことに申し訳ないのですが、記事にするのはあるいは自分のHPを立ち上げればよいのでしょうが、そのあたりを簡単にできる方向でご教授ください。
以上です。
コメントが複数の記事に対してのものであるのと、私自身が書いた記事に関する追加情報になる部分もあるため、コメント欄だけに記載しておくのはもったいないと考え、御本人にも了解をとって、記事化することにした。
ただ、これだけの情報量とか思いは、コメント欄に記すより、独自にブログなどを立ち上げて記す方が良いのではないかとつくづく思う。というのもコメント欄では、ブログ開設者の意向に左右されてしまうから。
本人以外のテキストを記事化するのは妙なことかもしれないが、今回だけは例外。
本ブログ内で関連のある記事は以下
西早稲田キャンパスと大久保キャンパス(副都心線開通とキャンパス名の変更)以下、コメント全文(原文のまま)
早稲田大学 西早稲田キャンパス(大久保キャンパス20年の移り変わり)
早稲田大学51号館(剛構造の高層ビル)コメント原文はここ。
早稲田大学大隈講堂 その1(改修前の外観)
早稲田大学大隈講堂 その2(大講堂など内部の様子)
早稲田大学大隈講堂 その3(時計塔内部など)
早稲田大学大隈講堂 その4(内部の様子など)
早稲田大学大隈講堂 その5(改修工事の様子)
早稲田大学大隈講堂 その6(工事がほぼ終わった頃の状況)
本人です (さぎょしょちょう)
2009-09-12 13:05:11
大隈講堂に関するシンポジウム記録のコピーをとるのを忘れていたことに今頃気がついて、検索していたらこのblogに至りました。
まず、理工学部の写真はものすごく懐かしいです。卒業後に名古屋に赴任となり、かなり経てからそばを通ったときに理工学部もそうですが、周辺も変わってしまって驚いたことを思い出します。建築学科の研究室も51号館にあったのですが、新しい?建物に移ってしまったようですね。
狭いながらも広場(校庭?)があったりテニスコートがあった時代は心理的にゆとりがあってよかったとは思うのですが、いろいろと事情があるのでしょうね。
私は大隈講堂の改修工事と副都心線の西早稲田駅の作業所長をつとめており、このblogにかなり影響を与えてしまった人間の一人です。
まず、大隈講堂の改修工事については、私自身が作業所長を命じられて、晴天の霹靂の状況で、私自身も大隈講堂にはいろいろな思いがあって、まさか自分の手で改修工事を行うなどとは思ってもいなかったというのが本音のところです。
つまりは大隈講堂に大幅な改修という手段を使ってもよいのか?という思いもあるのとともに、大学の意向は十分に理解はできた(冷房設備がないなんて記憶がありません)のですが、やはり自分が目にしてきた大隈講堂の姿もありますし、改修工事を行ってどんなようになってしまうかもイメージできなかったので、どうするのかがベストなのかと常に考えていました。
もし大失敗をして大隈講堂の姿を大幅に変えてしまうとオール早稲田ならびに日本建築にかかわる方から非難・バッシングを浴びて、私の作業所長人生も終わってしまうだろうな~などと勝手に覚悟を決めて立ち向かったというところです。
しかしながら改修工事のスタート前に建築学科の教授から「この改修工事は改修前の姿に戻すことが意図するものではなく、最新の機能は付加させるもののあくまで創建当時の80年前の姿に戻すことが目的である」との話を伺うことができて、自分が持っていた迷いが消えて、大隈講堂と向き合うことができたと思っています。
改修工事がスタートしてからもいろいろあったのですが、記載するととんでもないくらいの出来事があったので、割愛させていただきます。
お褒め?をいただいた白の外部足場についてだけでも・・・
1)外部撤去工事の防音対策で最初は防音パネルを張っていましたが、撤去工事終了後は照度確保のため白いメッシュシートに張り替えたりしています。
2)時計塔の外壁は垂直ではなくて微妙に斜めになっていて、外部足場を垂直に組むことに苦労したこと。
(垂直にしないと防音パネルが収まらない。)
3)ここでは記載できない理由で、外部足場を組む順番を変更せざるを得なかったこと。
などいろいろとありました。このblogの写真を拝見し、うまく組めているな~と自我自賛もしています。
では改修後についての私の思いを記載させていただきます。(大学OBとの立場も含めて)
1)私の持っていた改修前の大隈講堂のイメージは本当に心のふるさとであり、仕事に行き詰ったときや人生の岐路において、心の支えとなっていた建物であるとともに、その外観は「荒ぶる魂の象徴である大隈講堂」=男性的なものだと思っていました。
しかし改修工事終了後は正直に言って外観については「綺麗になりすぎた」=女性的(この表現を使ってよいかよくわかりませんが)と思っています。
外壁のタイルも創建時にもっとも近いと思われる1階歩廊の大隈重信候の銅像の上のアーチ部分のタイルを再現しましたし、鐘楼の外装もコンクリートではなく「人造石洗い出し仕上げ」という左官工事なのですが、現物を調べ上げて同じ石種を使って仕上げています。私としては80年前の姿はやはりこのような姿であったのだろうと思っています。
大学関係者、近隣の方々にとって大隈講堂は「心のふるさと」であり「我らが母校」だと思います。「母校」ということに捉えれば母親のイメージになったことも、私の思いではありうることだと思っています。
さらに80年経たあとに改修工事の前の姿に近いものになっていればよいのですが、今後は戦争もないでしょうし環境問題もクローズアップされてきていますので、存外に綺麗なままの姿で残るのかも知れません。
一番の心配は阪神神戸大震災以上の直下型地震だけが来ないことを祈っています。
1階の歩廊部分(大隈庭園側)の屋根のある部分は外壁は80年前のものを残しています。あるところで新旧タイルを張り分けてありますので、今度もし行く機会がありましたらその辺りを探って見てください。
タイルの高さを合わせることにも本当に苦労しました。私から言わせてもらえばある意味、タイル工事の職長さんと弊社生産設計部の神業とも言えるものです。
2)大講堂に関しては冷房を付加した椅子空調システムを採用していますが、講堂の形状・空間・残響時間などは全く変えていません。変わったのは前述した椅子(これもオリジナルデザインを復原)と床仕上げ、舞台機構、機械音響システム、同時通訳ならびにインターネットなどのITシステム、床の仕上げ材、そして一番苦労したのは80年前の塗装色の復原でした。
塗装してある部分を削りだして調査して一番最初に塗装されたと思われる色を探り出して、さらには現存している創建時の白黒写真なども参考にしながら決定に至っています。私としてはメリハリの利いた塗装色になったと思っています。
ほかにもいろいろ記載したいことがあるのですが、西早稲田駅のこともあるので、大隈講堂に関してはこここまでとします。ほかにもいろいろと大隈講堂の謎とか改修工事の秘話などいろいろありますが、もしご質問があれば回答できる限りで回答しますので、逆コメントください。
地下鉄西早稲田駅の仕上工事についてはご覧になっていただいたとおりであり、通常は地上に建物を建てるのに逆方向に仕上げを進める=資材の投入に大変苦労しております。
西早稲田駅という駅名については、私が赴任した時点でほぼ決定していました。若干の議論の余地はあったようですが・・・。
しかし付近の地名は「西早稲田」「高田馬場」「戸山町」「諏訪町」「大久保」であり、JRや地下鉄の駅名だとか「戸山キャンパス」=「文学部キャンパス」などの条件に囲まれてしまうと「西早稲田駅」にならざるを得なかったのかと思っています。
私としては理工学部=「大久保キャンパス」、「西早稲田キャンパス」=「本部キャンパス」との思いがあるので、違和感も感じているのですが、大学と東京地下鉄のいろいろなやり取りがあって、「西早稲田駅」が正式決定して、大学がキャンパス名を変更したということだと思います。東西線の「早稲田駅」が「西早稲田駅」だったらどうなっていたかわかりませんが・・・。」
いろいろと長くなって申し訳ありませんが、とりあえず、blogを拝見した中での私の思いを記載しました。
もし、こんなことを聞いて見たいとか、もっと何かを知りたいとかありましたら、このコメントに対して更なるコメントをお願いします。
自分でblogを起こせばよいのですがね~。
私の実名は調べればすぐにわかってしまうと思いますが、できれば伏せておいていただければありがたいです。
以上です。
さぎょうしょちょう (作業所長)
2009-09-13 08:40:15
こんなに早くに対応していただけるとは思ってもみなかったので、感激している次第です。
コメントをいただいたとおりに一つの記事として載せてもよいのかな~と思っておりますが、どうやったらよいのか、そのあたりの事に関しては非常に疎いので(こんなことで今の時代の社会人、作業所長でよいのか?とも思っています。)、もしよろしければご教授ください。
大学さんやほかの方のご迷惑にならない限りで記事にできるネタや記録写真は有り余るほどあるので、皆様にお知らせするのも、私の仕事でもあるのかとも思っています。
前回のコメントでは1階歩廊部の新旧タイルの張り分け部分の謎を一つ出しましたが、今回はステンドグラスについて記載します。
このblogでも2階ロビーの丸窓のことが載っていましたけど、大隈講堂に使用されているステンドグラスについては、この改修工事中もその謎が解けなくて、そのまま(もしかすると、過去に改修されているのか、オリジナルのままなのか)にしてあるところがあります。外観から見えるステンドグラスや1階、2階のロビーのステンドグラスをじっくり見ていただけると、「あれ~」という箇所があるはずです。私が教えてしまうと面白くないので、皆さんで探してみてください。
ほかにも多数の大隈講堂の謎がありますよ~。
本日はこのあたりで終わります。
まことに申し訳ないのですが、記事にするのはあるいは自分のHPを立ち上げればよいのでしょうが、そのあたりを簡単にできる方向でご教授ください。
以上です。
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