まわりで起こっていること

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国東半島を歩く

2017年05月02日 | Weblog

と言っても、地図上で、ということだけど。

来月、歴史の旅、と銘打った旅行が、なん回目になるのか、続くね。

出雲から始まったんだけど、今回は、豊後・国東への旅とあいなり。

連休明けには、第一回目の学習会。

アテンドしてくださる方が、丁寧に、訪問地のパンフレットを集めてくださって。

それに基づいて、おべんきょうを開始したわけだ。

富山県製の、列島を大陸側から見た地図、ってのを、応接室に飾ってあるんだけど、あれ見ても。

いかにも、大陸・半島は近いからね。

恵まれた海流に乗って、北から南から多くの方々が、この列島にはやってきた。

ある人々からしたら、戦火を逃れ、難民のごとくにやってきて、サンクチュアリのごとき地だっただろうし。

入江にできた湊についたとき、あるいは、その目印を遠くに眺めやった時には、安堵の瞬間を味わい。

その目印が、霊峰富士が超有名だけど、それ以外にも、その土地土地で、なんとか山、ってのは。

難民の口から口へ伝わり、いいか、あそこへ流れ着いた時には云々、みたいなね。

でなくとも、船に居住する民というのは、あまたいらっしゃり。

海幸彦と山幸彦の神話にもあるような、諍いと言うのか、戦いというのか、そんなこともあり。

船に居住する人々、家船と書いてえぶねと読むようだけど、そんな方々が、港から港を行き交い。

なんて、この列島でのすみ方が、つい最近まで続いていて、さぞかし、国家そのものは。

徴税に苦労したんだろうね。

この方々も含め、日本国内の民が、すべて住民票を持ったのが、昭和の24年、とか。

たしか、五木寛之がどこかで書いていたな。

挙国一致の、あの大戦争のあと、だからね、そのたくましさにはおどろきあきれる。

彼らには、五銭の赤紙は届いていなかったわけだ。

えぶね、で切なく思い出すのは、宮本輝の「泥の河」だね。

春を販いで生計を立てる、その母親を隠れ見ながらの子供が哀しかったな。

サソリだったかを火で炙る、みたいな遊びとも言えない、そんなシーンがあった。

彼の心情を映し出しているような、ね。

そうだ、国東半島だった。

神功皇后かな、という勝手な予感で、たまたま、積ん読の一部だった、黒岩重吾の「女龍王 神功皇后」っての。

読み出したよ。

西暦で言えば、200年から300年くらいか、この列島にも、神々が普通にいらっしゃった、そんな時代だ。

黒岩重吾は、神功皇后を巫女的な、神の託宣を受け取る能力を授かった、と描いている。

列島の正史では、長らく、存在を疑われてもいて、いや、今でもそうか。

アカデミズムとでもいうのか、現代の価値観で過去を捉え尽くそう、という熱き思い、砂上の上に楼閣を作るがごとき。

ってわけだけど。

古文書も読めない当方が論評する部分ではないけれどね。

神功皇后といえば、この間、ひょんなことから、チャネリングしていただいて、つまり、神功皇后に繋いでいただいた。

んだけどね。

面白かったよ。

水だ、とおっしゃるんだよね。

水が、やばい、このままでは、と。

この話、書き出すと長くなるので、やめときますが、なかなかに、興味深い展開ではあったのです。

さて、爽やかな五月、田舎の方では、鯉のぼりも上がっているんだろうね、そんな一日。

こちらも爽やかな出で立ちで過ごすことにしますか。

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