まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

お母さんが大好きだった地へ

2023年09月28日 | Weblog

というのは、今日、富士から弔問に来てくださる御仁。

母親の父親、僕の祖父の6人兄妹の末っ子がお母さん、という。

そのお母さんの唯一残っている子供、三男坊だ。

そのお母さんには、わが母親たちの幼い頃、まだ嫁入り前で遊んでもらったんだろうな。

大好きだった地が草ぼうぼうじゃ洒落にならない、ということで、昨日は草取りだ。

さらに昨日は、母のすぐ下の妹が弔問に。

昭和4年生まれの94歳だ。

おばが帰りがけ、今建っている隣家に向かって合掌をしていた。

自分の生まれ育った地、その係累に対する思いは現在からしたらお呼びもつかないものなのかもな。

なんてことをつらつらと思い浮かべる朝です。

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いつもと違う時間が流れている。

2023年09月27日 | Weblog

この30日に葬儀を執り行う、身罷った母親を中心に。

というのが表題だ。

通夜行の日程を27日と29日の二択のうち、遅い方にした。

おかげさまで、自宅に母親はいて、おばたち、友人たちのお別れの時間が持てる。

エバーミングだったかな、新技法らしく、ご遺体が長く保つ。

 

 

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葬送の隊列

2023年09月26日 | Weblog

母親を自宅に連れ戻すのを葬祭会社さんがやってくださり。

の朝。

施設の玄関には、20人以上の職員さんたちが並び、まさに葬送の隊列。

ジーンときた。

涙が出た。

彼、彼女たちは静かに惜しんでくださり、合掌をいただいた。

心からありがたさが湧いてきた。

その感動、感謝を携え、いつもの喫煙スペースへ行くと、80歳と88歳の面々。

入居者たる母親がところを変え、ということは薄々もわかっている中。

こちらはこちらで、別れを惜しむ儀式だ。

そんな後、自宅では、菩提寺の住職による枕経。

悦寿真慈大姉という戒名を授かる。

 

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母、身罷る

2023年09月25日 | Weblog

昭和2年生まれの96歳。

お陰様の長寿だ。

いろいろな思いが湧いてくるのは、これからだろうな。

おばたちも二人、まだこちらにいるし。

思いもよらぬ方々が弔問に来てくださるかも知れず。

いずれにしても、葬送の儀を執り行うことになる。

今週のさまざまな予定はキャンセルさせていただき、という次第だ。

そんな一週間の始まり。

雷乃ち声を収む(かみなりすなわちこえをおさむ)だ。

 

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蜘蛛の巣がなかった

2023年09月24日 | Weblog

どうしたものかと思案しどころ、だった「地の神様」への道。

今朝は、なかった。

性格がいいので、こちらの要望、願望を叶えてくれた蜘蛛くんたち、って解釈だな。

人工的な生活の中に、実は、自然との関わりがとても多くある。

なんてことをつらつらと考えつつの日々、というわけだ。

さっき、髭剃りの後、「天使の輝き」という水をスプレイしたのだけれど、それを送ってくれた彼。

今はなき伊勢の住人を思い出していた。

の時に、彼は、存在している。

けれど、この世には存在していないことになっている。

意識の中に現れる彼は存在している。

同じようなことを繰り返している感じでもあるけれど、だな。

「あすなろの家」の母親を眺めながらも、そんなことを感じてもいて。

目の前に存在しているのは、生きている母親。

目を開けた、指で握り返した、ということで、生きていることの確認作業みたいな。

のだけれど、それについて何らかの答え、応答を言葉で返すわけではない。

この世的な会話とこの世的でない会話、ってのが、たしかにあるのだろうな、と思う。

今朝の地の神様でもそのようなことが起こっているわけだ。

言ってみれば、この世的な会話でないもの。

そんなこんなで、日曜日の朝に出かけるとするか。

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いちいち書くのはめんどくさいけど

2023年09月23日 | Weblog

いろいろとデクラスが続いているようで。

ここに書くのも憚られるような。

富士宮の後藤組の組長さんの書名、「憚りながら」を借用するか。

生命保険料が20%上がるらしい、なんてベタなニュースが流れてきたな。

超過死亡率と保険料率との計算式が、たぶん、コンピュータを駆使してあるんだろうな。

実のところ、これがすべてを語っているんだけどね。

医学者や科学者の言説を聞かずとも、ってわけだ。

こうなると、独りを慎む、なんてことが必要になってくるんだろうな、と思う。

瞑想でもいいし、何かの細工物、お料理でもいいか。

自分である、自分であるとも言えずにそこにある、という実感が、まわりで起こっていることから解放される。

なんてことが必要なんだな、たぶん、きっと。

 

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蜘蛛の巣をなんとかしなきゃ、だな。

2023年09月22日 | Weblog

というのが、今朝の地の神様までの道のり。

蜘蛛の活動が活発になってきたのか、秋の気配の中。

今まではすんなり歩けたところに、朝イチの蜘蛛の巣。

それを払い払い、なんだけど、彼らにだってそれなりの理屈はあるようで、翌日も、って具合だ。

なので、なんとか算段しなきゃ、ってところだ。

なにせ、生きとし生けるものたちと共に、なんて大望を抱いてもいるわけで。

体内、体表の微細菌をバイ菌と呼べば、駆逐の対象にもなり、だから。

呼び名から変えることかもな。

なんてことを朝から考えているのが、9月22日なのです。

これは、一国の政治よりも大きな大事なことでもあるからね、僕にとって。

登山家の野口健さんが、血中酸素濃度が55%とかいったか、マナスルの高所で救助隊によって助けられ。

なんてニュースがあったな。

どこぞの炎症で、とね。

スパイクタンパク由来の、でなけりゃいいけどね。

というのも、わが母親への面会時、傍に置いてくれてある血中酸素濃度の測定器、ほぼ、毎日使っているから。

なんか、そんなニュースの文言も近しいものに思えもし。

90切ると苦しいから、とかの言葉もスタッフさんから聞いたな。

昨日も外の喫煙スペースで女性スタッフさんとしばしの歓談。

どうやら、デイサービスの頃は、我が家にも来てくれたことがある方で、話に花が咲いた。

あのスペース、いいものだ。

ココロもカラダも緩むんだろうな。

この時代、この社会、この世界、緩みを駆逐する方向へ向かっていて、しかも、それが正しい、みたいな。

例の、正という字の語源、成り立ちを白川静さんに習ってご教授申し上げたくもなる次第。

ある制度、ある組織が長く古くなると、どうも、そうなりがちなようだね。

官僚組織、なんてのがよく引き合いに出されたりするからね。

だんだん、創造性をどこかの棚にあげ、って。

創造性というのは、組織の効率化、安定性なんて観点からは、しちめんどくさいことだからな。

そこには、いわゆる「失敗」もあり不都合もあり不具合もあり、と解釈されるんだけど。

そもそも、失敗も成功も存在しない、という観点からは、というわけだ。

さて、つばめさる(玄鳥去)の最終日に向かうとするか。

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沼津の夜はどうだったか。

2023年09月21日 | Weblog

昨夜は、そういうことで沼津。

児童養護施設の方のお話をお聴きした。

パネルディスカッションだった。

家庭での虐待で家にいれず、逃れての施設へ入所。

そこで18歳まで過ごす。

今は20歳まで、ということだったか。

そこが彼らの「家庭」になる、「ふるさと」になるわけだ。

なんとも言えないヘヴィーな想いに囚われたな。

施設までの道のり、彼らにとって一つも自分で決めたことがない、と保育士さんがおっしゃっていた。

堪えきれずに嗚咽しつつ、だった。

しかも、この時代、虐待が増えているんだ、と。

宜なるかな。

社会そのものの許容範囲がどんどん狭くなっている様相、親の立場の人たちにも余裕なく、だ。

社会的な課題解決が企業の役割であるとしたら、ということになるな。

さらに、その、つまり、自由の範囲を狭めようと画策もし、忖度もし、例の、コンプライアンスだとか。

ポリコレ、アメリカ発祥の、ポリティカルコレクトネス、って実に人工的なリクツとも関わるな。

なんて書いてくると、毒吐きにでもなっちゃいそうだけど。

幾つになっても、やること、たくさんあるな。

今だけ金だけ自分だけ、って世界線から少し外れてみると、だよな。

そんなお彼岸前の21日の朝は、玄鳥去る(つばめさる)だ。

空高くの鰯雲というのだけれど、今朝の空は全面の曇りだ。

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三連ちゃんの夜

2023年09月20日 | Weblog

だな。

今週末にかけて。

外食。

または呑み。

いきなりだけど、こんなの、あってね。

杉本蓮堂という奇人?シャーマンのような整体師?

とにかく、摩訶不思議な方がいらっしゃって、そんな彼に降りてきた言葉だそうで。

法華経だ。

意味は。

 あなたの食べ方、食べる物、食べる時間によって

 からだも変わり

 本来の役割を果たす事ができる

ということだそうです。

なんてことからすると、外食、ってのは厄介なもので。

あそこの何が美味しい、かにが美味しい、ってなもんだけども、というわけだな。

たべること、ってのは、命の根源に触れることでもあり、お前そんなことやってると食ってけないぞ。

みたいに使われることもあり、なんだけど。

いずれにしても、スケジュール消化みたいにせずに、この週末の三連ちゃんをいかに楽しめるか。

ってなことになるな。

 

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今朝も糠床に手を入れて

2023年09月19日 | Weblog

なんとか、この夏を乗り切ったかな、わが糠床。

それも、妻が時間を見計らって漬けてくれたのが大きかっただろうけど。

加えて、早朝の手入れだな。

おはよう、と、ありがとね、と言いながらだ。

なにせ、70兆個の命たちだ。

どこでどうお世話になったかも知れず、この先もひょっとしたら、って具合だな。

今朝、いつもの八百屋の大将の前を通りかかったら、市場に出かける支度をしていたようで、何より。

何が売れるかな、とか考えながらの道中だろうな。

なんてね。

朝から人様のこと、心配しちゃってるわけだ。

昨日は午後からzoomのミーティング。

フォーラムの仲間づくり委員会だ。

浜松、沼津、焼津、清水の四人。

これらの移動距離、時間、お金、なんてのに換算したらどうなるだろうね。

さて、連休明けの日に出かけるとするか。

 

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