まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

妖精みたいだね

2019年11月30日 | Weblog

昨日は、午後から、会合があったので、その前に。

髪の毛をカットに行ってきた。

カットしていただきながら、鏡を眺めていたら、そこに映るお店の女子が。

なんだか、妖精のように見えてきて。

思わず、表題のような言葉をかけた。

すると、彼女曰く、なんかのテレビドラマで、恋人に、なのか、ご主人に、なのか。

あたし、なんに見える?ようなんとか、と聞くシーンがあって。

もちろん、ドラマの中では、ようせい、と彼氏は答える、ってことだけど。

それと同じことをご主人に言ったら、ようかい、と答えた、なんてエピソードを披露もしてくれ。

その場は、一挙に華やいだわけだ。

なぜ、そこで、妖精、なんて言葉が、イメージが浮かんだのか。

彼女、白っぽい、少しクリームがかっていたか、ベレー帽にメガネをし、なんて出で立ちで。

不思議といえば不思議な出来事だ。

まるで、彼女の中の思い出のドラマのシーンを予見していたような。

そんな出来事だった。

なんてことがあって、午後から夕方にかけての会合で、中締めの挨拶を。

と促されたので、この話を援用し、なので、つまり、たった一言で場面転換する、ので。

お互い立ち位置は違っているように見えるけれど、より深く知り合う、学びあうには。

一つの言葉の持つ重さ、ってのは、ありますね、くらいの話をさせていただき、一本締め、って次第で。

どうやら、あるシーンに近づいているような、そんな予感のする出来事ではあった。

この場合は、一つの言葉ではあったんだけど、実は、そこにいるだけで周囲は幸せに包まれる。

というような、同心円的に、なんらかのものが伝わり、その場は明るくなる、みたいな、ね。

そんなことを密かに画策もしているので、って、ここへ書いたら密かに、でもなくなっちゃうけどね。

そういえば、昨夜の会合でも、働けば働くほど健やかになる場、ってのを創り出したいと思っているんです。

なんて話をしたな。

そして、夜も更けてのカラオケでは、「夕陽を追いかけて」という財津和夫の。

人は僕を夢見るバカという、追いかけて、追いかけて、死ぬまで僕は追いかけてゆく、なんて歌、気持ちよく。

歌っちゃったんだった。

なんて朝、わがプリウスは、4度だった。

いよいよ冬が到来、って感じですね、みなさん。

今年ももうあと少しで、なんて言い方が周囲に溢れ出し、なんだけど、どうもそれへの違和感ってのが。

正直には、あって、早いね、早いね、ってのね。

なんだろう、これも何かへの予感なのか。

って、考えているうちに、そうだ、今日は、瞑想会だ。

 

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netflixは楽チンだな

2019年11月29日 | Weblog

夕べは、久々の映画鑑賞。

表題のように、今流行りのnetflixです。

わがiPhoneにテレビモニターをつなぎ、ちゃっちゃ、って具合だ。

この間、ネットからのダウンロードができなかった映画、「麦の穂を揺らす風」というね。

アイルランドとイングランドとの葛藤を描いたもので。

ついこの間まで、いや、何十年も経つのか、熾烈なテロ、諍いがニュースになっていたからね、

ケン・ローチの、こちらは、久々のツタヤでお借りして、という仕儀だったんだけど。

いろいろと無料の、というのか、サブスク、ってのか、そんなサービスがあります。

なんたって、毎月10枚だか、タダで見れるんですよ、ってウタイだったんだけど。

それに比べると、家に引きこもってのnetflix、ってわけだ。

「インターステラ」というのだけどね。

内容?

難しくて一筆書きでは表現できません、ってくらいかな。

地球が地磁気なのか、砂嵐巻き起こり、作物は実らず、というので、地球圏外への脱出を目論見。

という科学者たちが、探検者のごとくに、宇宙船を操り、居住できそうな星を経めぐる、とでもいうか。

ま、そんな映画鑑賞だった、2時間以上かな。

「あなたが誰かを本当に心から承認したとします。それだけで相手の葛藤が解放されていくのです。」

なんてことをさらっと語る、ゲリー・ボーゲルという、これまた摩訶不思議な御仁、アメリカ人か。

その彼が、推奨していた、というのが、映画鑑賞のネタばらし、なんだけどね、実のところ。

ノンジャッジメントが、ジャッジされた時の葛藤を手放すのを助ける、とかさ。

言葉としては、耳にしがちなことではあるし、そうはいっても日々、評価の世界でしょ。

くらいの日常を生きている身としては、ちょっとアンテナが立ったのでした。

それにしても、ノンジャッジメント、っての、まんま、生きてるまんまをベタに、というのか。

野に咲く草花、空を翔ぶ鳥たち、彼らをまんまに眺め、というのかな。

風の流れでもいいし、なんて具合に、対人関係にも応用し、つまり。

幾多の試練を経巡っての、DNAなのか、細胞たちの意識なのか、そこらに書き込まれた、幻想に満ちた過去。

みたいなものからの自由、って具合に到るんだろうと思うんだな。

すると、そこにある場が現出し、と。

フリーな、誰にも阻害されない、時、瞬間を味わうことができる、くらいの話になるか。

たぶん、その奥に、ぐわーっと開けた世界があるのかも、という予感でもあるか。

なんて書きつつ、本日は、東海財務局さんとの意見交換会。

って、ベタに「評価」の世界に飛び込む、って具合だな。

嫌でも、否定するんでもないんだけどね。

その後は、軽い呑み会があるのかどうなのか。

なんて一日となる予測、予想、計画、算段、あとなんだろう、そんな日だな。

リアルとノンリアルとの間で、というわけだ。

それにしてもこんなブログがあるおかげで、随分と楽になっているとは思うな。

吐き出す、ともで言うのか、澱をクリアリングする、とでも言えるか。

内部に溜まった、あるいは、どこからかやってきた思考の種を撒き散らす、みたいなね。

なんて書き散らかしていたら、いい時間だ。

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チェイサーはお湯で

2019年11月28日 | Weblog

と言うのが、デフォになりつつある昨今。

つまり、温飲食、ってわけだ。

昨夜は、酵母とのお話会、とでも言おうか、三重は名張のお酒、爾今。

それを愛でる会、と言う触れ込みで、たくさん、聞こしめした。

ちょうど、前の席が、名張の杜氏兼社長さん、そのお隣が、「日本酒入門」と言う本を書かれた女史。

いろんな話をしたんだけど、忘れました、覚えているのが表題で。

その僕の発言に、くだんの女史、いたくうなづき、そうだよね、ミトコンドリアだよね。

とご主人もうなづき、なんだか、持論を披瀝してもいて、なんだけど、覚えてません。

何れにしても、冷たいお酒をワイングラスでいただく、その後で、暖かいお湯でクリアリング。

と言う仕儀は、なかなか、いいな。

杜氏、と言う仕事は、人間すら正直にする、と言うのか、酵母との、あるいは、酒米との、日々の会話。

それを通じて人間となる、そのなり方ってのは、嘘・隠し、お追従、忖度などの入り込む余地はない。

くらいの絵柄だな。

爾今、と言う文字に込められた、さらに、その上をいく、と言うのか、高砂、と言うお酒ね。

とても、心打たれるもので、彼が参会者の前で、なにやら話すのを聞きながら、不覚にも。

滂沱の涙、とはいかないけれど、目頭が熱くなった、くらいの情熱なんだな。

と言うわけで、たくさん聞こしめした夜を経ての朝、こうしてブログを書いている。

それでも、表題のような、冷酒+お湯と言う仕儀は、なかなか、いいかも。

なにせ、日本酒入門なんて本を書かれている御仁が、そうなんです、と相槌を打ってくれたんだから。

そんなこんなで、たぶん、全国的にも垂涎のマトたる、「爾今の会」は開催、終了と相成り。

なんたって、隣の御仁は、東京からやってきたわけで、僕?歩いてきました、と答えたら。

まさに、垂涎、羨ましきことの限りなり、って具合だったからね。

そりゃそうだよね、ってわけだ。

そうそう、くだんの、つまり、杜氏にして社長さん、名張だと言うから、僕もお二人、存じ上げているのです。

なんて名張について少々話したんだった。

お一人は、摩訶不思議な整体師、来月にはもう一度、お願いする御仁、もうひと方は。

シフティングを考案された方、この方も、存在そのものが、摩訶不思議、ってなもんだけどね。

なんてこともありつつの、プチ「爾今」愛を語る会は終了したのでした。

 

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あの頃の自分に言ってあげたいでしょ

2019年11月27日 | Weblog

というのは、娘が僕に言うんだけれど。

こんなに食べれるようになるから、大丈夫、安心して、と。

あの頃、と言うのは、そうだ、何歳なのか。

小学校へ上がる前か、食が細くて、と言うと上品な言い方だけど。

まったく、食べることに興味がなく、むしろ、苦痛だった頃。

毎食、ね。

それで母親が苦労して、なんとか好きなものを探り当て、と言う算段だ。

芋兄(いもにい)とか言われたか、かぼちゃとか、カレーもそうだったか、覚えてませんが。

どんな使命を負ってこの世にやってきたんだったのか、それが。

今では、大食漢とは言わないけれど、ケレン味のない食べ方、ありがちな、太ることを気にしない。

なんでもいただく、という仕儀で。

そんなわが姿を眺めて、表題のようなフレーズを僕に投げかけるわけだ。

その言い方が、なかなか、ついてるな、とね。

というのも、過去さえ、解釈、視点の違いで見れば、癒すことすらできる、みたいなね。

自分は、こんな人間だけど、とか、どうせあたしは、みたいな振り返りになりがちだけど。

そんなこと、すべて取っ払って、まんまの、あるいは、今から見た再解釈を施す。

ってわけだ。

そう、あの頃、ね。

セピア色の写真をたまに眺めると、つまり、あの頃の。

5歳かな、その前までの僕は、笑顔にあふれ、だいたい、笑ってるんだよね。

もちろん、その頃には珍しかったか、母親が、上から覗き込むスタイルの写真機で。

ベストショットを選択してくれもしたんだろうけど。

ところが、長じるに従い、笑顔が、むすっとした、緊張感に溢れる顔になっていて。

未だに、ポートレイト写真は、あんまり好きじゃない、なんてことにも繋がっている。

その大元はなんだろうね。

なんてことを、つらつらと考えもし、って次第。

ところで、NHKのスペシャルで、人間の、ホモ・サピエンスの食についての特集が始まったらしく。

お米、なぜ食べなくなったのか、あるいは、その有効性とでもいうのか、そんなことについても。

語られるらしい。

第一回目は見逃したけど、この時代、アーカイブは手軽に享受できるので、なんだけどね。

その回では、ミトコンドリアを自分の細胞に取り込むことで、膨大なエネルギーを享受でき。

それによって、人体が、出来上がった、そのほかの微生物?、微細菌?からの隔絶した飛躍、か。

そんなことが可能になったそうで、まさに、わがミトコンドリア氏の話だ。

昨日もご紹介したKan.さんは、天使とか精霊、スピリットなどの話があるけど、本当の意味の。

スピリットは、酵母たちのことだと思う、とおっしゃっている。

ので、粘菌を研究した、アスペルガーだったかも、という南方熊楠もそうだし、彼、驚異的な天才だったみたいだし。

どうも、微細菌とともに暮らす、もっと言えば、微細菌によって生かされている、というのは。

とても大事な観点なのかもしれないな。

というわけで、今晩は、そんな酵母たちにお会いしに行くのです。

そう、爾今の会 IN げんき、って次第で。

蔵元から、社長兼杜氏さんがいらっしゃり、というウタイからして、超絶、ってわけだ。

なにせ、くどいけど、ミトコンドリア氏ね、50兆〜70兆個の細胞に平均で300〜400個でしょ。

掛け算すると、いくつ?ってなもんだし、皮膚の常在菌も、1センチ角に200万個、匹。

体全体の面積ってどのくらいか知らないけど、こちらも途方もないし。

さらに、腸内細菌、あれいくつだったっけ、70兆とか言ってたか。

加えて、酵素、胃の消化なんかも彼らがメインだそうだし、脳の働きさえ酵素のおかげ、って言うんでしょ。

まさに、たくさんたくさん、途方もない数の微細菌、微生物たちの意識に囲まれて、今日もこうして。

あたしは生きている、と言うんだから、一体全体、あたし、と言うのは、誰のことか特定できるのかね。

なんて結論じみちゃうと、またこれが、長い話になっちゃうけどね。

 

《追伸と訂正》

酵素は、どうも、タンパク質、と言うから、いわゆる生命ではないですね。

ところで、ちょっと、FacebookとTwitterから距離を置こうか、と画策中。

スマホも眺める時間、圧倒的に減らそう!という心がけ。

空いた時間は、自然とともに、くらいの話にしようかな。

かな、って言うわけで、どこまで可能か、試行錯誤中、です。

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お風呂上がりが一番無防備

2019年11月26日 | Weblog

たしかに、湯冷め、とか言って、風呂上がりは気をつけなさいよ。

みたいな言い方で、母親やら祖母やらに、諭されたと言う記憶はあるな。

なぜ無防備か、と言うのは、湯冷め、とかではなく、皮膚の常在菌のバランスが崩れる。

と言うのが、風呂上がり、ってわけだ。

なので、その崩れた常在菌群の中へ、外から侵入するのが、さまざまな、例えば、0157とかね。

なんだそうで。

と言うのも、なんだか、わかるような気もする。

ウォシュレットが、現代の人間的には、きれいな、みたいな感想だけど、その実、常在菌のバランスを崩し、とかね。

なんたって、抗菌剤、と言うのか、無菌剤と言うのか、そんなの、喧伝されているよね。

やばい話だ、とも言えるし、綺麗好きにはたまらん、って快感かも、だけど。

どちらに分があるか、なんてのは、どうでもいいけど、そんな見解もある。

と言うご紹介です、って、このところくどく続く、Kan.さんの言説です。

昔の人は、風呂なんかも、身体をきれいにする、と言うより、なんだろう、めちゃくちゃ熱い風呂に。

2〜3秒、って具合だったらしく。

江戸っ子だね、って。

それはともかく、さまざまな、当たり前化していることごとが、その実、そう大した歴史的な背景があるわけでもなく。

と言うことは、感じるところでもあり。

くだんのカラスの行水は、当方も、そんな具合なんで、共感するところ大、ではあって。

このカラス、なんたって、わがトーテムで、そのメディスン、メッセージは。

感じる力、使ってる?ってことなんで、大いに気分の良くなる話ではある。

ちょっと前の、いつかはクラウン、みたいなCMね。

いつかは、だから、少なくとも今のお前は満ち足りていないんだろ、と言う強要でもあって。

なんてこと、化粧品であったり、なんやかや、しこたまあるんだろうね。

劣情を刺激する、なんてのは、言い過ぎかも、だけど、似たようなものだ。

なんてことを日々経験体験していると、そりゃもう、ないものねだりの世界観をそこかしこで創出し。

それは、たかが消費の世界だから、お金がなきゃどうにもならない、けれど。

そんなメンタリティが、そこここの細々したことごとに適用され、ってのが、かったるい話だよね。

生きてるだけで丸儲け、イマルの世界なんだけど。

だから、たまには瞑目し、ってのが、わが瞑想のルーティンでもあるわけだ。

って、自画自賛してどうするんだ、ってなもんですが。

実は、密かに、またぞろの欲求が首をもたげてきている、と言うわが秘密をあえて披瀝しちゃうと。

糠漬け、再開しようかな、と。

そもそも、このブログの発祥と言うのも、糠漬けにはまり、その面白さを、浮かれ街で喋り倒そうとして。

しかし、誰も聞いてくれない、そりゃそうだ、俺が面白くても目の前の女子や男子は、他人事だからね。

当たり前だけど。

なんてことに気がつき、んじゃ、ブログでもやってみるか、と言うわけだ。

それが、15年くらい前の話か。

その、糠漬け、復活するかも、あくまでも、かも、ですが。

そのネタ元だけど、くだんのKan.さんが、今を生きるとは。

時間の外へ抜けること、なんておっしゃっていて。

そのためには、味噌汁を飲んで、漬物を漬けて、オリゼと共に生きよう!

なんてアジテートするんで、お調子者の僕は、すっかりほだされ、って次第。

なので、今朝のブログは、そんな先祖返りをプチ宣言して、と言うわけだ。

そうだ、オリゼ、ね、詳しく書くと、アスペルギルス・オリゼ(ニホンコウジカビ)と言うらしい。

味噌とか漬物の麹菌の一種かな、これを纏ったものが、肌の色とか国籍とかは問わず、日本人である、と。

日本にしか生息できず、外国へ持ち出すと消えて無くなるのがオリゼらしい。

それは消えると言うより、別次元へ旅立ってしまう、みたいな言い方になると、また、別の話になっちゃうので。

このくらいで。

 

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今朝はモカを味わいつつ

2019年11月25日 | Weblog

ずっと気になっていて、やっと行けた、というお店。

というのは、ちょっと前、アップしましたが。

そこでの、モカ。

ちょっと、時間が経ってしまったけれど、いい味で落とせた。

なんて朝は、気分がいい。

何日か前に初めて入った喫茶店のマスターに、かくかくしかじか、とわがルーティンをご説明し。

なかなか、上手にならないんです、というこちらの繰り言に、いろいろとご教示願い。

なんて時間を過ごしたんだけど。

温度は、85度、ほらこんな感じで、と電子的な温度計を指し示してくれて、ここ、大事なんです。

なんてことをお聞きし、じゃ、俺も温度計を、と思いつつ、そのままになっている。

のだけれど。

かたや、わが社の多趣味の社員さんとの話で、そうですね、しかし、85度はぬるすぎかも。

なんてことやらね、アンテナが一つ立つと、今までは通り過ぎていた話題が入り込んできて。

このへんが、それこそ、テストに出るところで。

仕事にしても、人生全般にしても、とりあえず、アンテナが立つと、さまざまな情報が重層的にやってくる。

って算段で、それを、カーテンの向こうから差し込む光は、天からのメッセージ、と。

ユーミンみたいに歌っちゃう、ってのも一手ではあるんだろうし。

ネット環境が整い、さまざまな情報が机の前で取れちゃう、というような時代。

一見、わかってる、と思いがちの世界で、実は、と。

その奥の方にある、なんだろう、超意識という部分、そこにアクセスできたら、というのが。

昨日もご紹介したKan.さんという方、って、これだけじゃ、何もわからないよね。

なにせ、当方が、わかってないから、でもあるけれど。

超意識というのは、自分の中にある宇宙そのものの部分に意識が届く、ということらしい。

フレーズ的には、挑戦しがいのあるような、そんな感じでしょ。

ところで、昨日の日曜日は、都合、三回、瞑想をした。

その前日は、3時間くらいの睡眠時間だったのだけど、おかげで、眠くもならずに、という日だった。

スタンフォード大学だったかの実験で、30分の瞑想で、4時間の睡眠と同じくらいの代謝が落ちる。

ということらしく、なので、12時間、眠ったことになるのか、どうなのか。

それはわかりませんが、体感的には、その実験結果、満更でもないな、という感想です。

この週末には、久々に、瞑想会に行くことにもなっていて。

どんな具合になりますやら。

世に言う、マインドフルネス三昧、ってわけだ。

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祈りというものは

2019年11月24日 | Weblog

まさしく自分は何者であるかということに。

ハッと気づかせてくれるもので、実は人間が作ったものではないんですね。

というのは、摩訶不思議な、Kan.さんという方。

祈りは、頭で想いを込めること、と勘違いされている、とも言うんだね。

今は亡き船井幸雄さんが始められたのか、「にんげんクラブ」と言う冊子が届いて。

昨日の勤労感謝の日は、プチ読書。

表題の祈りについては、習となっていない、つまり、身についていないので、これ以上は。

語れません。

が、古代人の祈りに自分の祈りも肉薄していくと、人類の起源のようなものに触れることができる。

なんてフレーズは、とても唆られるのでもあります。

そのうち、気持ちよく書けるかも、あくまでも、かも、ですが。

いきなり場面転換だけど、誰かが、人生の目的は、愛と創造性だ、と言い切っていたな。

これも、面白い話なんだろうけど、だから何?みたいに書くことができない感じ。

ことほどさように、言葉にならないことって、あるんだよね。

言葉の向こう側に、真実とでも言えるものがある、わけだ。

すべてを説明責任で、なんて時代だと、とてもめんどくさいけど、話さなきゃわからん、ってことでもあり。

ところで、我慢、って言葉、よく使われがちだけど、あんまりいい言葉じゃないみたいだね。

自己に執着して、その我執から自分を高く見て他人を低く見る、と言うような意味だそうで。

これ、by ウイキですが。

幼い頃から、我慢しなさい、と言うフレーズを聞かされて育つ、と言うことは、我執を強くする。

と言うわけだ。

困ったものだね、こんな具合の常套句、ってのは。

知らぬ間にある境地にたどり着いちゃう、ってなもんだ。

たぶん、そんな言葉使い、ってのは、たくさんあるんだろうな、と思う。

それによって、社会は平穏を保ち、なんだろうけど、その当の本人は、そのことによっていたく傷つき。

その後の人生を決められちゃう、とね。

いや、決められちゃう、と言うより、自分で決め打ちしちゃう、ってことか。

いつだったか、他人に迷惑をかけちゃダメです、だったか、そんな言葉を投げかけられて育った御仁。

競輪の選手だったんだけど、いまいち、大成できなかっのは、その言葉かも、なんて話、していたな。

なにせ、ああした競技ってのは、ある意味、他人に迷惑をかけてしている勝負でしょ。

と言うわけだ。

だからと言って、そんな言葉を投げかけるのが悪い、ってことじゃないんだよね、たぶん。

それらも含めて、その方の人生そのもの、って具合だな。

背が小さかったり高かったり、太っていたり痩せていたり、くらいの話だな。

要は、どんな言葉に絡め取られようと、どんなカラダに束縛されようと、人生は人生。

楽しむか苦しむかは、あなたの自由、って具合なんだろうね。

そこんとこ、テストに出ますよ、ってわけだ。

そういえば、僕への呪禁、と言うのか、魔女の呪い、ってのは、早くしろ!ってことだったかな。

なんてこと、思い出したよ。

それがどこかで鳴っていて、今を味わうことから遠く、ってことで。

なので、というわけじゃないけど、来週半ばには、爾今の会に参加。

って、唐突だけど、これ、三重のお酒で。

名前が好きなんだよ、爾今、たった今この瞬間、ってのね。

その蔵元から社長兼杜氏さんが清水までやってきてくださり、というウタイだ。

たぶん、この仕込みの忙しい時に、ね。

夜の6時から始まり、かの御仁は、10時の新幹線でお帰りになる、ってんだから。

凄まじい清水愛、ってわけだ。

というか、うどんのげんきさんのイベントなんだけど。

どうも今日は長いと思ったら、2000文字近くなっちゃったな。

 

 

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諦めたら試合終了だよ

2019年11月23日 | Weblog

これ、知ってるかな?

わかるかな、わかんねぇだろうな、ってギャグ、知ってる人は知らないだろうな。

な〜んでか、っての知ってる人も、同じく。

「スラムダンク」です。

超中学級のバスケマン、三井がコートに倒れこんだ時に、ちょうどそこに居合わせた安西先生の言葉。

説明はこのくらいにしておきますが、昨日の。

小牧への出張、その朝の車中で、運転手の御仁、もともと、ダイビングネタでよく話していたんだけど。

昨日は、僕は、実は、バスケ、やってたんです、から、「スラムダンク」の話に到り。

表題の言葉も飛び出し、小牧への道中は一挙に、盛り上がった次第で。

実は、このフレーズ、僕がPTA会長の、入学式での挨拶に使おうと思い、息子たちに確認したら。

即座に却下、なんてこと、あったんですよ、なんて話やらね。

ゴリと呼ばれるキャップテンが、弱小チームにも関わらず、全国大会を目指す為に、練習しろ。

みたいなシーンで、言われた当人は、強要するなよ、って呟く。

なんてことね、ベタに、まんま、御社みたいじゃない、なんて話やら。

とにかく、楽しくなっちゃいました、という顛末記ですが、「スラムダンク」知らない方には。

なんだそれ、ってなもんですね。

早い話が、知る人と知らない人、それほどの情報格差があり、ってわけだ。

そんな具合に、それぞれの方々が、生きて暮らして仕事をして、しかも、共同作業です、ってことだから。

そりゃ、ある方にとっては過剰なストレスにもなり、ある方にとっては、スカッと、みたいなね。

この間、本を作りましょう、ということで、インタビューを受け、ああだこうだの話になったのですが。

その中で、そう、僕仕事、っての、嫌いだったんですよ、と。

しかし、人と人とを結んだり開いたり、ってのは、とても好きなんで、そのポジションを取れるようになったら。

つまり、そんな仕事もあるんだ、と気がついたら、めちゃくちゃ楽しくなり、なんて話、口をついて出てきた。

過剰なストレス、に見えるものが、実は、違う角度から見たら、あら不思議、天にものぼるいい気持ち、ってなもんで。

というわけだ。

すると、ものごとに過剰に憑依?依存?せずに、そのありのままの姿が見えると、楽に楽になっちまう。

って算段だ。

今朝のブログは、未来へ向かって花ひらく、みたいな終わり方だな。

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今朝はルーティン大幅がえ

2019年11月22日 | Weblog

というのも、この後、小牧まで出張とあいなり。

合同の安全パトロール、なのです。

今朝は、珈琲さえ淹れず、骨ストレッチもお休み。

そう言えば、昨日、toshさんからコメントが入っていて、早い話が。

文章ほどには怒ってない、怒髪天には届かず、ってエクスキューズ。

それはともかく、お読みいただいてありがとうございます。

なので、今朝は、ちゃっちゃとアリバイ的なブログアップです。

面白いネタはあるんだけどね、行かなきゃ。

傘がない、けど、行かなきゃ、って井上陽水の世界ですが。

 

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お寿司屋さんはお休みだった

2019年11月21日 | Weblog

昨日アップしたお寿司屋さん、お昼に歩いて行ってみた。

山ガール、と言っても、僕らと同世代なんだろうけど、女寿司職人さんに会ってみたくてね。

それに、おばあちゃんに、かくかくしかじか、こちらに引っ越ししてきた云々。

なんてご挨拶をしてみたくて。

だったんだけど、表題のごとき有様で。

またぞろ、踵を返し、他のお蕎麦屋さんへ向かった昨日の昼だったのです。

ご縁、ね。

なんて言いだせば、人類皆兄弟、ってわけで。

20万年前だっけ、アフリカを離れて、各地各方面に向かい、って。

それが、戦争したり、経済封鎖したり、なんだりかんだり、って事の次第なわけだ。

存在証明としての正しい競争、みたいな空気漂い、身近では。

SNSと言われる、中でも、ツイッターのような匿名板、あれは、そんな感じだな。

じゃ、来ないでよ、ってなもんですが、それがまた、それなりに面白くて行っちゃうんだな。

カッコつけて言えば、世相を写す、みたいな。

そうだ、そのツイッターに、このブログのコメンテーターのtoshさんが、激怒の様をツイートしてたな。

いきなり、目の前にやってきた瞬間、思わず、ご苦労様です、って。

僕の場合、ツイッターのアカウントもあるけれど、Facebookとこのブログがリンクしてもいて。

実名板と虚名板、みたいな、なにせ、こちらはほぼ、匿名だからね。

って、おかしな感じのネット環境だけど、そりゃ、いろいろあるわけだ。

いずれにしても、スケルトン状態でもあるね、個人情報云々、ってことで言えば。

それはそれでいいんじゃない、って感じだな。

中国なんかでは、顔認証、ってことで、町中、監視カメラだらけ、という話だし。

それを言えば、エシュロン、だっけ、ネット環境は、ほぼほぼ、電話を含め、監視状態であることは。

間違いないんで。

つまり、通話記録なんかも全て捕捉されている。

なので、相当に清廉潔白でない限り、政権へのアンチ行動は、表の勇ましさの裏側にぬるさを持ったものでないと。

返す刀で切り倒される、って仕儀なんだろうと思う。

野党がメディアが、なっとらん、みたいな、昔懐かしい、全共闘世代、というのか、戦後民主主義の幻影の中に。

いまだに佇むメンタリティ、なんてのが、SNS上に、散見しているわけだ。

おや、今日は、なんとなく政治ネタ?

というか、スピ業界だけでなく、社会学者とかもいうのか、集合無意識、とかの世界ね。

そこを大きくコントロールしちゃえば、治めるのは容易い、って具合だ。

昔から治山治水、なんていうけど、治人、ってのも入るんだろうな、当たり前だけど。

なんてことを書きながらも、いい時間になった。

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