まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

核実験の最後の被害者になります

2018年04月30日 | Weblog

だったか。

カザフスタン。

被爆した両親から、両腕がなく生まれてきた、今や、初老の域に入っている御仁。

465発の核爆発があった実験場の村で生まれた。

絵筆を口にくわえ、故国での惨劇、あるいは、核なき未来へ向かう絵を書いていた。

表題は、表現がその通りだったか、おぼつかないけど。

つまり、核実験は終わらせる、ということを断言しているところを伝えたかったんだよね。

夜中の、でもないか、遅いメールに起こされ、テレビのスイッチをひねったら。

いや、今では、リモコンのボタンを押したら、が正しい表現だな。

NHKのドキュメンタリー、「激動の世界をゆく」という番組をやっていて。

旧ソ連時代のカザフスタンでの実験映像も流れていたけど、凄まじいものだね、無知というのは。

CIAのエージェントだという噂もあった落合信彦が、アメリカは、アリゾナだったか。

ネイティブの居住地で、やっぱり、同じような実験に、観光地のような感じで、見学に。

なんて光景を描いていたけど、結果、ハリウッドで西部劇を撮った俳優がガンでなくなる。

とかね。

なんだけど、そんな世界で、くだんの、カザフスタンでは名前の知れた、という。

両腕のない画家さんが、表題の物言いを自然にしていることが。

たぶん、人々の琴線に働きかけ、集合意識、あるいは、集合無意識が形成され。

という仕組みでもあるんだろうと思う。

もっとも、原子力ムラと呼ばれる人士方は、こんな番組を、ナイーブな、センチメンタルな。

リアルでない、叙情的な、左翼的な、あと、なんだろう、とにかく、そんな具合に捉え直すのかも知れないけれど。

なにせ、国営テレビ局NHKというのは、右からも左からも攻撃されているからね。

という意味では、ポーランドの話も興味深かった。

ワレサ議長だっけ、東欧の春、共産政権からの独立を目指した、あの「連帯」に参加した、やっぱり初老のインテリが。

強権的な現政権を支持し、片や、彼より少し若いジャーナリストは、時の権力にアンチを唱え。

もっと民主化を、という構図。

そんなことを言えば、昨夜の「せごどん」もそうだ。

誰だったか、せっかく、「直虎」で、井伊家の好感度アップしたのに、佐野史郎の井伊直弼がぶち壊しちゃった。

なんて表現される、かの大老、井伊直弼にしたって、安政の大獄に象徴される。

独裁的な、強権的な、冷酷な、ひどいことを、しかも、せごどんを殺そうともした。

なんてことになるけど、大きな歴史の流れの中では、一人の、あるいは、一つの勢力の役割をになったに過ぎず。

善悪の二元論ではかたずけられないものではあるんだよね。

もっとも、実際に鉄砲の弾が飛んできたら、そんなことも、言ってられないけど。

たしかなことは、弾は飛んできてない、ということで。

 

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「未知との遭遇」と言いながらも

2018年04月29日 | Weblog

実は、未知のことに戸惑っている自分がいる。

ということに気が付いて、おかしくてね。

合同入社式なんかで、新来の若者に、社会へ出ることは辛いことじゃなく。

未知との遭遇なんだ、それを単に楽しむ、味わう、だけ、なんてのたまったのに。

いざ、自分が、未知と出会うと、心もとなさがやってきて。

というのは、自治会の体育部長、という役回りなんだけど、回覧板への回し方やら。

人集めやら、のルーティンにいたらぬ作業が、未知、ってわけで。

戸惑いながら、なんだけどね。

そんなこと、誰かに電話すれば、それで事足りるんだけど、その一歩を踏み出すまでが。

なんやかんやと自分の中で理由をつけて、結果、何もやらず、時間だけが経っている、というわけだ。

仕事の場でも、なんの場でも、ありがちなことで。

一人、笑っていたんだよね。

ルーティンのどっしりした、地に足のついた感のある仕草と、未知との遭遇でやってくる。

たぶん、転生があると仮定すると、何回も経験してきた、とてつもない未知、災害であったり。

あるいは、巨大な獣たちとの遭遇のような、そんなことが、カラダの、DNAのどこかに残されている。

のかも、なんて解釈も成り立ちそうだし。

しかし、今朝もいい青空だ。

それぞれのゴールデンな日々があるんだろうね。

そう、このブログのコメンテーターの御仁は、長野の小布施へ行かれるということだった。

わが社の女史社員は、今頃、北海道は函館でのコンサートか。

不思議と、どこそこへ行こう、とか今年は、沸き起こらないんだな。

もっとも、前半戦は、何人かの社員さんも現場へ行っているので、そんな気分なのかも。

それにしても、演出効果抜群だった、とか、その裏側に潜むものは何か、みたいな。

言われ方もしている、南北の朝鮮の会談、統一旗がふられている姿は、清々しく感じた。

そりゃ、同じ民族が、他国の都合に翻弄された何十年なんだからね。

仮に、幻想だとしても、いい場面だったと思うな。

そもそも、すべてが幻想、なんて言い方もあるんだからね。

それを、どのように捉え、解釈し、自分自身が感じるか、ってことだからさ。

「サピエンス全史」の著者によれば、そんなことの連続でもあったのが、わが人類の歴史でもあり。

あの学者さん、ハラリ、だったか、面白いわ。

なかなか、文章の意味が入ってこない時があって、そこ、発想がまったく新しい部分なんだよね。

読んでいて、自分の洗脳されていた部分が、明らかになる、そんな瞬間が、これまた。

楽しいわけで。

イスラエル人なのに、ナチスの所業を冷静に書いているところもあったりで、知というものの。

なんというのか、自由さ、とでも、ナワバリのない闊達さ、とでも。

ところで、最近、ツイッターの広告をブロックするすべを覚えて、快適なんだ。

ツイッターのタイムラインに、エロっぽいものやら何やら、広告がやってきていて。

鬱陶しかったんだけど、Facebookでもブロックできるんだね。

気分爽快。

梱包用のプチプチ潰し、みたいな快感だ。

知らぬ間に、そちらの快感に引きずられている自分に気が付いたりね。

なんでもそうだけど、不具合、不都合、不快ってのは、大げさに言えば、創意工夫で。

なんとかなるものでもあるね。

さて、ゴールデンな日々、二日目を始めるとするか。

 

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今の人類が生き延びた理由の一つは好奇心

2018年04月28日 | Weblog

なんて、NHKの「人類誕生」の録画を見ていたら、言っていた。

10年かけて、骨を掘り集め、とか、学者さんというのは。

驚きの行動をするものだ。

もっとも、学者さんならずとも、あれやこれやの分野で、何年もかけて。

人知れずのことごとを追求している、というのも、この人間の仕業でもあり。

たまたま、有用、褒めそやされ、なんてのもあるけれど、無用と言われているものも。

数多あるわけで。

だけど、当事者にとっては、かけがえのない、これしかない、というものでもあって。

いずれにしても、未知との遭遇、を楽しんでいるわけだ、その感想はともかくとして。

昨夜は、客先の方々との呑み。

いささか、呑みすぎかな、って、いつものことだよね。

たまたまセッティングされたお店が、ちょっと前まで、よく行っていたところで。

案の定、常連さんの、同級生もいたり、で。

そちらの方でも、久闊を寿いだ、ってわけだ。

ところで、久闊、というのは、寿ぐのでなく、無沙汰を詫びる、ということで。

久闊を叙する、というのが、真っ当な使い方みたいだね。

無沙汰を寿いじゃいけないよ、ってことだ。

お詫びして訂正させていただきます、なんて具合だ。

ところで、漏れ伝わってくるところによると、昨日は、終戦宣言への道筋がつけられた。

なんてツイッターにはあったな、半島の北と南がね。

果たしてどうなりますやら、外からあれやこれやとちょっかい出す人士方が現れるんだろうからね。

なにせ、それじゃ、商売、上がったり、なんて人士方も星の数ほど、いそうだしね。

まかり間違えば、わが列島の、明石海峡あたりかどうかわからないけど、そこが38度線。

なんてことになった可能性だってあったわけだから、ね。

それはともかく、ゴールデンな日々の幕開けにはもってこいの青空だ。

さぞかし、行楽地への足並みは、怒涛の如し、かも。

この季節は、どこを走っても、新緑鮮やかだから、気持ちいいだろうね。

メイグリーン、ってわけだ。

 

 

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死ぬ気で働け!って言い忘れた

2018年04月27日 | Weblog

昨日の全体ミーティングで。

新入社員へのメッセージでね、魂込めて働け、って。

それ、忘れたよ。

今や、働き方改革、なんて言葉やら、ライフワークバランス、work as lifeだっけ、とかね。

いかにも耳障りのいい言葉が、速射砲のように、後から後から湧いてくるけど。

それ、みんな騙しだから、ということね、フェイク。

とても語弊のある、やばい言葉遣い、しちゃってるけど。

死ぬ気で働け、という意味は、働いているときはただ働け、ということでもあるんだけどね。

働いているときに、プライベートのこと、考えたり、なんとかバランスとかね、そんなことに意識が薄まると。

そりゃ、最大の不幸だよ、ってことだ。

「働き方改革」とかのコンセプトで、助成金ももらっている立場からすると、あんまり、過激なこと。

このブログに書くことすら、憚られる、ま、言ってみれば、スケルトン状態ではあるけれど。

わが社のホームページをググり、Facebookにとび、そこから、この匿名を装っているブログまで。

直滑降、みたいなものだし。

ではあるけれど、働く、ということについての、本質的な議論をする必要もあるわけだ。

でないと、ていのいい、奴隷濫造という仕儀になっちゃうし、有史以来、メンタリティも含めての。

奴隷制度、なんて言い方もできるくらいに洗脳されまくっています、なんて解釈もなりたつ社会でもあるし。

ということで、今朝は、過激な方向へ走ってます。

別に、だからと言って、苛立っているわけでもなく、何かに齟齬を感じているのでもなく、なんだけどね。

何年も、朝一のこの時間に、PCの前に座り、という時間を過ごしていると、その時々に沸き起こる。

言葉やら感情やらを、吐き出す、という実に、健康にいい時間にもなっているわけだ。

スケルトンを自覚すれば、ほぼほぼ、自由な発言ができるわけで、と言っても。

権力の根っこに通底するような論考を吐き出せば、どこぞから、例えば、国税庁とかね、金融庁とか。

あと何かね、とにかく、そんなところからの「狙い撃ち」なんて、山本リンダみたいになっちゃうけれど。

それほどの深い情報のシーンの中にいるわけではないので、だけど。

ま、そういうわけで、自由な国、ニッポン、ってわけだ。

そうそう、冒頭の、死ぬ気で働け、の確認をとる作業としては、言い訳やぐち、あるいは。

他人のせいにする、かどうか、というような評価基準があるんだろうと思うね。

魂込めて働いてるやつに、そんなことに意識が向かう時間の余裕はない、もったいなくてね、ってことで。

そこらあたりが、眼目、テストに出ますよ、ってなもんだ。

ドラえもんのなんでもドア、だっけ、そんなもの、あるよね、たしか。

って、ドラえもん、見たことないんでなんだけど。

そんな具合に、魂込めて、というメンタル状態では、すべてのものがなんでもポケットだか、ドアにすり変わる。

ということだろうと思うし、それが、宇宙への信頼、とか、愛、とか、メッセージ、とか。

いろんな言葉で言われている部分だな、きっと。

ところで、来月の歴史の旅の前に、自治会の仕事、やっとかなきゃ、だな。

ソフトボール大会とバレーボールがあって、その選手集めとか、試合後の打ち上げ、とか。

あれやこれやと集まってくるわけだ、見えない世界にだけかまけているわけにもいかず。

かと言って、見える世界にだけかまけているわけにもいかず、そんな心境ですね。

突然の物言いなんだけどね。

ここらあたりも、ゆっくりと描いてみたいもんだ、たぶん、面白いと思うよ。

さて、GW前の一日を、死ぬ気で、魂込めて、過ごすとしますか。

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かいせい、亡くなったってね。

2018年04月26日 | Weblog

個人ミーティングの合間を縫い、往復1000歩くらいのところにある。

中華屋さん。

いつもの、レバニラ炒めを頼むと、ちょっと離れたカウンターで、そんな声が聞こえてきた。

かいせい、が、だんだん、海の蜻、と書いての、「海蜻」だということに気がつき。

思わず、いつ?と声をかけてしまった。

10日ほど前だったようで、亡くなった当日から、おかみさんは店を開けていた。

なんて言ってたな。

僕が包丁を二本、いただいたお店だ。

うちの会社の社員さんの父上とも、若い頃の遊び仲間だったそうで。

月並みだけど、一時代が過ぎた。

早々に店を開けたおかみさん、というのも、なんだか、哀しく切なく、浮かんでくる。

生前は、カウンターの向こうで、口喧嘩の絶えない夫婦、だったけれど、いたたまれない。

身の置き所がない、そんな具合だったんだろうな、お店を開かないと。

まだ、49日も過ぎてないので、さぞかし、どこぞを浮遊しつつ、嘆いているか。

悔やんでいるか、どうだろう。

大井川の河畔の、ま、言ってみれば、水運で財を成した家の跡取り息子、だったかな。

それが、流れ流れて、清水湊の地で、果てたわけだ。

80歳だそうで、今では、若いね、という感想だ。

だからね、人生、楽しんだモン勝ち、ってことだよね。

しかも、楽しみのネタは、日常の、ほんのサモナイ出来事の中にある、という真理ね。

ここんとこ、テストに出るところだな。

有名な、だれ? 幸せの青い鳥、書いたの。

あれだね。

例えば、上記、おかみさんの、店を開ける、って話ね。

落語の、クマさんの世界なら、ありがてぇじゃねぇか、あのおっかあ、店を開けてるぜ、ってなモンだ。

ちなみに、このシチュエーションは、「薮入り」の、丁稚に出た一人息子が。

つまり、今で言えば、新入社員だ。

今日は、おひまをもらって帰ってくる、というので、朝早くから、起き出したクマさんが。

家のまえを掃除しているのを見て、近所の悪党仲間がいう台詞なんだよね。

そのクマさんの姿を見て、有難い、と。

この掛け合い、わかるかな〜、わかんねえだろな、西欧かぶれにゃ、ってとこだ。

話は、大将がみまかった、ってことだ。

あの包丁は、ひそかな形見だ。

大事に使わせていただこう。

かの御仁との一つ一つの出来事が、思い出に変わり、わが肥やしになり、こちらはこちらで。

どこぞの呑み屋さんで、オダを上げるのか、それとも、わが事業の中に反映されていくのか。

まったくわかりませんが、そんな具合に、人との交情、交流、出会い、付き合い、は醸成され。

一見、別物のような姿形で、まったく、別の場所と時間に現れ変わる、と。

今朝は、なんとなく、しめやかなブログになってる。

 

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旧家を尋ねると芭蕉の句が

2018年04月25日 | Weblog

夏草や つわものどもの 夢の跡、だっけ。

そんな句が思い浮かんでくる。

この間のおじおば会、下部の手前、旧市川家住宅に立ち寄ったわけだ。

富士川の水運が隆盛を極めた頃の、それこそ、暮らした家、なんだろうな。

茅葺が今でも残されていて、そこの集落は、数えるばかりではあったけれど、まったりとした。

落ち着いた雰囲気の村落、とでも言えるか。

何ヶ月前かには、横須賀城下町にある、これまた、水運の恵みで大きくなった、清水家だったか。

そこを訪ね、ご当地の葛布を再現するグループの展示会が開かれていた。

芭蕉は、つわもの、で兵とか武将とかをイメージしたのかも、だけど。

武に限らず、さまざまなつわものたちが、それぞれの時代を駆け抜けてきたわけだ。

そうした歴史に、畏怖、とも違う、リスペクト、というと軽いか、なんとも言えない、哀愁の混じった。

なんだろうな、そんな感懐を抱くのであります。

各地に残された寺社仏閣には、その土地や民を救った英雄豪傑が祀られたりしているけれど。

暮らしを建てさせてくれた人々は、それは崇拝の対象だよね。

そんな偉人があまたいらっしゃる、この地球で、われわれは今を生きているんだよね。

今朝の雨は、巴川の流れを作り出しているので、キーボードの向こうからやってくる言葉たちも。

ちょっと、湿った風情だ。

今週は、個人ミーティングウイークとでも呼べるか。

風邪が治りきらず、ちょっと、気張って喋りすぎると、喉が掠れてくる、という症状で。

今回は、なかなかに、長い期間を、風邪とともに過ごしている。

にしても、マンツーマンでの時間は、素敵な時間でもあり、得しちゃってるね、という感じだ。

あなたはなんのために仕事をしているのですか、なんて問いかけられたら、すかさず。

この時間です、くらいに答えたくなっちゃう。

来月、ゴールデンな日々の終わった後、剣山への旅が始まる。

旧約聖書・ユダヤ・天皇、とかのキーワードで表せるか。

そんな旅です。

いつもの、歴史の旅。

天皇即位の式、大嘗祭に御衣、あらたえ、というんだけど、それを代々、提供される。

という三木家にも立ち寄り、というね。

そんなわけで、雨の一日を楽しむとしますか。

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アジール。サンクチュアリとは違うな

2018年04月24日 | Weblog

なんて表現すればいいのか。

溜まり場、安らぎの場、とでもいうのか。

サンクチュアリというと、庇護処、とか、駆け込み寺、みたいなイメージだけど。

アジールというと、まったりと、生命としての、生き物としての、というような接頭語でも。

つけたくなるような、そんな場なのかな。

石川理夫さんの、「温泉の平和と戦争」という本には、戦国時代。

敵味方入れ乱れての、休戦時の入浴風景が、アジール、と名付けて、表現されている。

そうだ、思い出した。

面白いのは、石川県は、山代温泉だったか。

帝国陸軍と地元、温泉場の経営者が、やりあって、ジモッティ、源泉を大事に守る温泉場の住人が勝訴した。

という記事があってね。

それも、昭和の7年くらいの話だというので、一路、戦争へ突入、ということの物騒な世の中で。

陸軍がやり込められた、というんだから、裁判官も大したもんだ。

野戦病院、というのか、傷病兵をいやす病院を作るための土地をジモッティが提供し、源泉を分けて与え。

というところまではいいんだけど、陸軍、イケイケの、ナリキの時代だ。

その土地に、独自で温泉を掘り始め、と、他の源泉場からの湯量が急減。

そこで、裁判になった、という顛末らしく。

結果、お互い矛を収め、いい具合に落ち着いたらしいけど、あの時代の、陸軍だからね。

というわけだ。

現在の政権の方が、よほど、柔軟性にかけるのが、怖いところではあるんだけど。

ジモッティが、アジールとしての湯場を守った、という事件が紹介されていて。

山代、じゃなく、山中、かな。

惣湯、とか、総湯、とか呼ばれ、ジモッティたちが、大事に大事にしてきた源泉。

なんの旅行だったかな、山中の惣湯へ、朝方、入りに行ったんだった。

地元の方との会話が楽しくて、なんてこと、いつだったか、このブログにも書いたかも、ですが。

妻と行った、信州は湯田中温泉郷、丁子屋という、昔の湯治場で、プチ湯治を洒落込んだんだけど。

その隣に、大湯、つまり、小さな共同湯があって、そこで老夫婦が、病を得たご主人を丁寧に洗っている。

そんな姿に遭遇し、厳かな心持ちになったこと、思い出す。

角間の大湯では、お隣の雑貨屋さんでの立ち話、そのまた隣に。

自宅を改修したのか、林芙美子の記念館があり、元数学教師だった、というご主人としばし歓談。

なんてのもあったな。

そんな人々との会話を含めた、景色、風光、などなど、大湯、惣湯、温泉郷というのは、アジール。

と呼べる。

なんて書いてくると、このゴールデンな日々には、湯治でも行きたくなっちゃうね。

もっとも、大渋滞をくぐり抜けて、ということ自体、アジールへの旅、というには、ちょっと、かっこ悪いけどね。

大渋滞を、戦国の世の大乱戦、とでも置き換えてみれば、それはそれで、成立するかも、だけど。

 

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夜中に咳が出ていった

2018年04月23日 | Weblog

ような、夢うつつの中、小さな咳をした。

たぶん。

一週間以上続いた、風邪なのか、細菌との生命の交換、とでもカッコつけていっておこうか。

そんな症状が、今朝は、少しばかり、次元を変えたような、そんな感じだ。

長いね。

昨日の側溝掃除の時、ご近所さんに、かくかくしかじかで、細菌が入ったそうで。

なんて症状についての話をしたら、なんの細菌なのか、とお医者さんに聞かなきゃ、と。

あたしたちは素人なんだから、というわけだ。

なるほど。

つい先ごろ、ご主人を亡くされた方なので、そんな応酬もあったのかも、なんて思いながらお聞きした。

この地域一斉の清掃日のようで、そこかしこで、側溝の蓋をあげ、という光景が見られたんだけど。

夜は、自治会の新しい役員さんの歓迎会で、幹事さんに。

そういうわけで、欠席したいんですけど、なんてリクエストしたら、当日キャンセルはできないから、顔だけ出して。

とあいなり、顔だけプラスお酒を少々、いただいた。

日本酒は二人だけだったので、二人で冷酒二合瓶を三本、というと、風邪の中、結構の量だよね。

なんてあと、即座に帰宅し、せごどん、だ。

いいフレーズがあって、これはブログネタだ、なんて思ったのは、その時で。

なんのことか、忘れました。

よくよく昨日を振り返ってみると、寝ていたんだな。

ブログ⇨側溝掃除⇨寝る⇨妹たちと昼食⇨妹送り出す⇨寝る⇨歓迎会⇨せごどん⇨寝る。

こんな感じの日曜日か。

寝る子は育つ、だな。

前日、つまり、土曜日には、甲斐国を走ったのだけど、ハナミズキがとても印象に残ったんだよね。

この時期、何度か、あの辺りを走ったんだけど、今年ほど鮮やかなハナミズキはなかった。

高速を使わずに、52号⇨20号、という下道を走ったこともあるのか。

とにかく、そこここに、ハナミズキ、ピンク、白、というね、そんな感じだった。

と書いてきて、風邪はどこかへ飛んでいったのか、と思っていたけど、そうでもないな。

なかなか、今回は、一筋縄ではいかない。

それこそ、未知との遭遇、だ。

さて、そうは言っても、今日という日は始まるのです。

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昨日のブログの訪問者が多かったので

2018年04月22日 | Weblog

アクセス解析、というやつを眺めてみた。

どのページにいくらの訪問者があり、というのね。

一覧になっていて、その表題が、もちろん、自分の投稿したものなんだけど。

こんなタイトルでしてるんだ、なんてのがあって。

自分が書いてるけど、忘れてる、というわけだ。

昨日のおじおば会、ほぼ予定通りに、52号線を北上。

そこここと寄り道しながら、有名どころでは、山高神代桜へ。

と言っても、葉桜だけどね。

春を告げる桜色は、各自の脳裏のイメージで味わっていただき、リアルには。

初夏を告げる新緑を堪能。

そこへ着く前、やっと探し当てた食事処、今では県道に格下げされてしまった、とマスターがおっしゃっていた。

52号線沿いのステーキレストラン。

昭和一桁の御一行様に、ステーキは無謀かも、と一瞬よぎったけれど、案に相違して。

彼女たち、ほぼ完食。

天ぷらそばが、どーんと出てくると、それだけで、お腹いっぱい、という様相を呈し。

なんだけど、今回は、お箸も出てこないので、ナイフとフォークで、というシチュエーション。

しかも、ライスではなく、パン、という選択だったんで。

今後、この選択肢もありだな。

最近では、この会の昼食、迷うんだよね、ビュッフェとかだと、どうぞ、ご自由に、で楽なんだけど。

定食屋さんだと、これ食べて、というリクエストがやってきて、僕はお腹がいっぱいを超える。

なにせ、昭和の一桁、物のない時代に育った、というフレーズの中に生きている方々なので。

残さない、全て食べ尽くす、というのがデフォの、そんな美学の持ち主なので。

そのステーキレストランへたどり着くのに難儀したのも、実は、それよりずいぶん南の。

鰍沢の、あおやぎ宿追分館というところで、麦とろの昼食を、と目論んでいたんだけど。

そこは残念ながら、現在はクローズになっていた。

鰍沢といえば、志ん生の落語、三遊亭円朝の作で、同名の「鰍沢」なんだけどね。

雪深い山里に迷い込んだ旅人、たまたま、商いの大金を手にしていたので、その民宿の女将が。

薬で痺れさせ大金を奪おう、なんて魂胆で云々カンヌン、それを間違って。

吹雪の中を帰ってきた猟師の亭主が飲んじゃって、なんて噺なんだけど。

明治時代にはそんなところだった、鰍沢の追分、あおやぎの宿、そのお店が閉店していた。

という寂しさを味わったのでした。

さて、今日は、ドブ掃除だ、いや、側溝清掃と名前を変えていたな、そういうわけです。

なので、組長さんの僕は、土嚢袋を配りに行くのです。

 

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一ヶ月のごぶさたでした

2018年04月21日 | Weblog

と書いて、ちょっと、反応するのは、昭和生まれ。

しかも、昭和の30年代までかね。

なんて、いかにも年寄りぶった言い方だけど、日曜日の。

玉置浩さんの歌番組だったよね。

一週間のごぶさたでした、っていうの。

今朝の表題は、おじおば会のこと、そう、今日がその日で。

おばたち、母親も、待ちに待った、という日なのです。

たぶん、今日は、52号を北上することになるんだと思うけど。

待ちに待った、と言っても、母親の記憶は途切れがちであるので、ほとんど。

演出、でもあるんだけどね。

それでも、ハンドルの仕草をすれば、記憶は一挙に、そのところに飛んで行くわけで。

いつもの、お天気にしたいね、というセリフが続くわけだ。

その都度その都度、ある言葉に対しての新しい反応を欲しがる、というのか、期待する、という。

そんなメンタルの動きもあるけれど、人には、ね。

逆に、ルーティン化されちゃってる、反応、というのも、ありだと思うね。

つまり、その反応というのは、ある感情の動きでもあり、いずれにしても。

感情が、動く、ということ、そのことが、生きてる証左でもあるので。

喜怒哀楽、なんていうのね、だから、いいことなんだ。

哀しみすら、いいことなんだ、というね。

あんた、なかなか、その病気治らないね、それじゃ、いい所、紹介しようか。

なんていうネタ、それ、北矢部にあるんだけどね、っていうやつ。

あそこへ行けば、痛みの消えない人は一人としていない、だって。

痛みを感じる人が、消えちゃう場所なんだから、つまり。

火葬場だ。

なんてブラックジョークまがいのネタ、使い方、なかなか、難しいけどね。

なんてことはともかく、山笑う、の後の、新緑の季節に向かう、この時季。

気持ちの良いドライブになるんだろう。

さて、今朝のブレンド、マイルドビターブレンド、だったか、お気に入りの。

イフニさんのブレンド、それをいただきながら、今日を始めるとするか。

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