まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

ホッカイロの季節になりました。

2020年11月30日 | Weblog

師走を前にした今朝、そんな感慨とともにカラダに貼り付けた。

もう一年くらいになるのか、温飲食を始め、カラダを冷やさない、冷えたものを飲食しない。

なんてことね。

何せ、37兆個ともいう細胞の、さらにその中のミトコンドリアさま。

見えないところで村の鍛冶屋さんのように働き続ける彼らに貢献できるのは、鼻からの酸素と温熱。

というわけでの、とりあえずビールも極力やめ、チェイサーはお湯、の生活なわけだ。

昨日、オードリー・タンの本が届き、早速、ということで読み始めた。

彼女、毎日、無意識領域というのか、潜在意識というのか、そこに仕事をしてもらっている。

なんてこと書いてたな。

眠りに入る前に、しこたま資料を読む。

しかも、その後、なんの意図も持たずに、眠る。

すると、睡眠中に、それこそ、ミトコンドリアさまみたいに、村の鍛冶屋さん状態。

朝になると、なんらかの答えが訪れる、だそうだ。

この話、昨日アップした、くだんのもと代議士さんにご紹介しようか、と思っている。

彼、最近、よく夢を見る、なんて話をしていて、その分析に勤しみそうな気配だったので。

分析するより、活用した方がいいんじゃないかな、くらいのサジェスチョンだ。

分析は、過去になってしまったものへの、愛着であったり執着であったりヒント欲しい病であったり。

とも解釈できるからね。

それはともかく、そんな具合に、「すべてのものにはひび割れがある、しかし、そこから光がさす」という。

レナードコーエンの歌が好きだというオードリー・タンの。

自伝とも言えるか、そんな本を楽しんでいるのです。

今朝は、早くから、ある御仁のメッセ、某ヘアーカットの大将が久しぶりに会いたい、と連絡あり。

いつなら空いてますか、というもので。

少々お待ちを、と返信した次第。

ちょっと前なら、黒電話での連絡、では、こんな時間には申し訳ない、ってなもんだけど。

電子通信ならば、こんな具合に時間関係なく、ってわけだ。

受け取るも受け取らないも自由裁量です、とね。

さらにその前なら、一筆したため、かくかくしかじか、ということだけど。

時間が短縮された、というのか、さらに、例えば、リニアのように東京大阪間を何十分かな。

では、余った時間はどこへ行っちゃったのか、誰が奪っちゃったのか、まるで。

時間泥棒の「モモ」みたいな話だね、なんて会話を、伊勢への車中。

くだんの惑星由来の霊体を持つ、女史としたな。

なんてこと思い出しながら、本日へ入っていくことにします。

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南朝の話をした。

2020年11月29日 | Weblog

昨日の朝は、ホテルから外宮への道を走り。

さすがに、鳥居から先は早歩きにてお参りし、それが7時前か。

ひさびさに、清々しい外宮さんを味わった。

本殿での合掌時、手を合わせた自分の姿が映像として瞬間脳内を流れたような。

少し、俯瞰しての参拝でもあった。

その後にお会いした方が、表題の如くで、南朝推し、とでも言おうか。

現在師事している方と、北畠親房だったか、「神皇正統記」を輪読?読み合わせをされるそうで。

隠された外宮、なんてことの話になり、南朝といえば、後醍醐天皇。

どうも、僕も、前から、かの天皇については、関心があり、いつだったか。

歴史の旅で、吉野を巡った時には、後醍醐天皇の陵墓をお参りしたことがあったな。

そうだ、そんな話をしたお店が、昼食時で、そこは。

鳥羽でサミットが開かれ、安倍総理が欧米の誰だったかに、にこやかに話しかけたのだけど。

その御仁、あまりのスープの美味しさに、顔も上げられず、なんて逸話の残されている。

その料理を作ったシェフのお弟子さんのお店。

実に彩鮮やかにして素材を感じる味付け、なんて食事を堪能しながらの。

南朝談義、ってのも、一興ってわけだ。

フランス料理に後醍醐天皇、というなんともアンバランスなバランス、という感じだな。

マスク華やかな街を車中から眺めながら、その後の話題は。

アメリカの大統領選をはじめ、現在の立ち位置、とでも言えるか。

そう、南朝の御仁は、もと代議士さんで、国会周辺の心象風景をお聞きもし。

他の同乗者は、霊体が惑星という女史、もうひと方は、前世の一つに、バチカンの司祭だったか、そんな方。

異種混合のわがプリウスだったな。

当方も、そういえば、以前出会った霊能者さんの話では、行基菩薩さんを前世の一つにもつ、だったな。

もっとも、多い人では、何億回、とかの転生がある、んだそうで。

一つくらいの前世体験は、希釈され放題、ってことだね。

ご披露したい話はしこたまあるんだけど、そう、例えば、マトリックス・アクティベーション、ね。

伊勢は、玉城にあるゆば工場へ、が主眼目だったんだけど、そこで。

エネルギーワークをご披露申し上げ、その場は、エネルギーに満ち溢れたんだな。

なんてこともあんなことも、だけど、本日はこのくらいにしておきます。

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全部が悪いわけじゃないところが。

2020年11月27日 | Weblog

業況の話だけど。

表題に続いて、そこが切ないところでもあり。

ってわけだ。

コロナによるさまざまな影響の中でも、いや、むしろ業況のいいところもあるんだよね。

当たり前と言えば、当たり前か。

その昔、事業ってのは、環境適応業だ、なんて言葉に初めて出会って、そうなんだ。

と得心したものだったけれど、まさに、ってことだ。

と言うのも、興津の魚屋さんの、地場はんぺんは、相変わらず美味しい。

ご近所に限らずか、有名で。

休日には、列をなす、すぐに売り切れ、ってお店で。

昨日、たまたま、例の御葬儀の帰り、西富士道路が事故による通行止め、それ由来で。

メインの道は混雑を極めるだろう、と言う判断から、裏道をとたどったら、辿り着いたのが。

くだんの興津、そのお店の前、旧東海道を西進したので、思わず買い求め。

っていう奇貨に遭遇、って次第。

どこに幸いは転がっているかわかりません、ってことだな。

葬儀だった。

富士山が大きく見える地にある葬祭場にての、だったんだけど、黄泉の国へ旅立った御仁の。

人生の一断面を味合わせていただいた。

まさに、以て瞑すべし、と言う感想だ。

73歳。

昔なら、古来稀なる年齢を過ぎたのだから、なんて話にもなるのに、この時代では。

早いよね、と言う言葉になり、ってわけだ。

今日で七人のセッションが終わり、伊勢に向かう女史とともに、我輩も伊勢へ。

と言うのが、本日の午後からの仕事で。

久々に彼の地を踏むことになる。

なんて朝早くに、若手の社員さんが、現場成型だ、と言うことで出かけていった。

緊張感漂う仕事だ。

何年か前、いや、何十年になるか、その頃のことなど思い出し、今の自分の立ち位置に思いを馳せる。

一昨日の会食時、社長を引退したら何をやるんですか、みたいな問いに対して。

僕の求めているのは、喜ぶ顔つくりなので、それは一生もんでしょ、だから、引退という発想はなく。

もちろん、社長交代はあるだろうけど、ちがった形で、それを目指すんだろうね。

なんてケムに巻いたこと、思い出した。

よく使われる、ゴールデンサークル、真ん中にWHYがあり、その外側にHOW、そして1番目につく。

最外側が、WHAT、何をする、ってやつ。

大事なことの一つが、ど真ん中にある、存在理由、レーゾンデートル、なぜ?ってところなわけだ。

ありえない会社、120%の潜在能力の発露、頼むから御社に仕事を依頼させて欲しいと言われる会社。

などなどの集団を、どう創造していくか、ありたい未来を引っ張ってくるか、そんなところだな。

と、述志の朝でした。

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前夜9時に電話があったそうだ。

2020年11月26日 | Weblog

明日の現場は、これこれこうなっているから、大丈夫。

と言う内容だったらしい。

その社長は、翌日の午後、黄泉の国へ旅立った。

病院からの電話だったわけだ。

がんとの闘病中だったそうで、にもかかわらず、時に病院を抜け出し、現場の視察をし。

なんてことも。

と言う方の葬儀が、本日、お昼近くにあり、富士山麓まで行ってくる。

感染防止のため、参列が叶うのか、どうなのか、はわかりませんが。

以て瞑すべし。

閑話休題。

またぞろの感染数の増大で、そこかしこでの自粛ムード復活。

って中で、ことの本質を抉り出す、みたいなことが大事だな。

同調圧力、ムード、雰囲気、ってのは、わが列島は得意中の大得意だからさ。

がががーっと流れていく、みんなで棹さして、って具合だ。

ちょっと待て、たまには立ち止まって眺めてみよう、見たい風景を見るんじゃなくて、と。

一体全体、何が起こっているんだい?ってなもんだ。

あるポジションからは、何が起こされているんだい、とも書けるし、誰が、なんて問いも可能だし。

そうそう、昨夜の会食で、コロナで太りました、なんて話題にもなったんだけど。

当方、コロナでカラダ、締まりました、って様相で、これだって、ある意味、ムード過多の会話でもあるね。

ステイホームだから、ってことで。

なんかあらゆる言葉を、すべてひっくるめて洗い直してみたい衝動にかられるよ。

言葉を洗い直してみる前に、当方の着る物、サイズが違い出しちゃったんだよね。

コロナのビフォーアフター、ってわけだ。

実のところは、コロナではなく走りにあるんだけど、その大元は。

汗をかきたくなった、が発端だ。

運動し終わった後の汗、その魅力が突然やってきて、それを味わいたくての走り、が原点。

2月からだからやがて一年になるな。

なんて会話も昨夜、テーブルの上に並べられ、って次第で。

さて、日々新たなる今日にでかけるとするか。

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ヴェートーヴェンを聴いている。

2020年11月25日 | Weblog

わがプリウス・コンサートホールで、ってことだけど。

いつだったか、新聞に、小菅優と言う女性ピアニストの記事があり、彼女。

全部のピアノソナタを弾いていて、「出発」、「愛」、「自然」、「超越」、「極限」と五枚。

その言葉に引きづられるように、なぞるように、聴いているわけだ。

それにしても、ヴェートーヴェンって、何年くらい作曲していたのか、ピアノソナタだけで。

100曲近いんだよね。

いつも、音とともに生きていたんだろうな、と。

モーツアルトは、さらに短い人生の中での曲作り。

にしても、どちらも気に入っている。

曲名と旋律が一致しない、つまり、覚えられないけれど、例えば。

小林秀雄の、「モーツアルト」と言う小文だったか、心斎橋だかどこだったかを哲学者のように。

浮浪者のように歩いていたら、こんなメロディが突然脳内に流れてきた、と書いて。

楽譜を載せてある、なんて芸当、なかなかね、ってわけだ。

突然の小林秀雄の登場だけど、かの御仁の文章、ちょっと、疲れた、と言うのか、世情の喧騒に飽きた。

なんて時に、ほんの少し、読んでみるの、これ、僕の隠れたルーティンと言えるかも。

なのです。

と言うわけで、ブックオフなんかを眺めている時に、彼の著作があったりすると、救出してくるんだな。

そこに埋もれていちゃいけないぜ、くらいの感じで。

世の中には、そんな具合に、つまり、有名人であったとしても、次第に埋もれていく。

または、無名人の埋もれ方、なんてのは、十指に余るどころじゃなく、ってことだろうね。

当たり前といえば、当たり前のことだけど。

埋もれる、忘れ去られる、本人さえ気づかないうちに、なんてのね。

でも、大丈夫、アカシックレコードにはすべて記録されています、って話もあるにはあるね。

の反面、記憶は書き換えられる、と言うのもあって。

自我、なんてのも、単なる記憶の集積、ある種の価値観で整理整頓された存在。

でもあるし。

何日か前に書いた、十人くらいの人格を持っている、って話ね。

ま、厳密に数え出したら、当方だって、それ以上、持っていそうだし。

ただ、社会の掟、ってやつに従い、それらの連関をきっちりとしているので。

目の前の人の名前を引っ張り出してきているだけで、それだって、徐々に萎むと言うのか。

思い出せない、なんてことでもあり。

そうだ、ヴェートーヴェンだ、って、このヴェ、と言う書き方、めんどくさくもあるね。

ヴェ、と、べ、の音の違いなんてわからないしね。

ってことはともかく、明るくなるのを待っての走り、ってことだけど、明るくならないな。

さて、今日と言う日に出かけるとするか。

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暗い中から声が聞こえてくる巴川の朝。

2020年11月24日 | Weblog

朝が明けるのが遅くなっているんだよね。

なので、季節に関わらずの、ゼンマイ仕掛けかデジタルか、はともかく。

人工的な時が刻まれるままの生活習慣で、歩いている方もいらっしゃる。

かくいう当方も、そんな仲間なわけで、四季に関わらずの瞑想、出社、という次第。

昨日の会場脇にあったお茶屋さんで、抹茶と和菓子、それが初霜、と名付けられていて。

帰りがけに、若松園本店、というお店で買い求め、の時に。

「鬼からかい」という和菓子が陳列棚にあり、思わず、そちらも。

どうやら、豊橋では有名な鬼祭りがあるそうで、それ由来のネーミングではあるけれど。

地方地方で、鬼、と名付けられた人物、には、耳ぴくぴく状態になりがちで。

その鬼は誰だったんだろう、とね。

岡山の桃太郎伝説であったり、飛騨高山地方の両面宿儺(りょうめんすくな)であったり、和歌山では。

なんだっけ、小野田少尉が一子相伝で伝えてきた、神武天皇にほろばされたことになっている。

土地の女酋長、とかね。

異なる土地への移動に伴う、侵略、征服、の名残としての鬼、ってわけだ。

そういえば、前の安倍総理、首相官邸には住まなかったらしいけど、そこには、226事件の首謀者たちが。

現在の日本国を憂いて、夜な夜な、なんて話もあるそうで。

ところで、帰りの新幹線、僕の乗ったこだまは空き空きで、だったけれど、その前のひかりは。

満員電車みたいだったな。

GOTOトラベルのおかげか、しかし、感染数の増大、という報道の前に、多くの方々が眉を顰め。

みたいな話でもあるね。

と書いてくると、この続きは、パンデミックについての言葉が流れてきそうな気分なので、この辺にて。

ってことにして。

今日と言う日に出かけることにします。

 

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カラダのケアをしてきた。

2020年11月23日 | Weblog

なんて名付けるのがいいのか、不用意に、言葉でくくっちゃう。

というのは、楽は楽なんだけど、誤解、誤読、の恐れは十分にあるわけで。

たぶん、どこかに、素敵なネーミングが転がっているんだろうけどね。

よくミュージシャンなんかが、降りてきた、なんて言い方するけど。

整える、とか、もともとの状態を味わう、とか。

思いのほか、人のカラダというのは歪んでいる、ようで。

それが当たり前のこととして毎日毎晩を過ごし、なんと言ってもスーパースターのカラダ君は。

そこら辺の微調整を、村の鍛冶屋さんみたいに、文句も言わず、かつ、坦々としてくれる。

ありがたい存在なんだよね。

彼らへのサポートとして、たまに、もともとのありようを体感してみる。

ってことかな。

例えば、下垂、胃下垂とか、それがグーっと元の位置に戻るときの感覚。

そもそも、現代人は咀嚼が少ないらしく、結果、内臓への負荷が大きく、って仕組みみたいでね。

消化、なんていうと、牛の、なに運動って言ったか、胃がずっと動いているような。

あんなの連想しちゃうけど、咀嚼、とか、よく噛むとかってのは、それによって。

顎を使い、そこからの酵素の発現により食物は消化吸収される、なんてね。

それが不足すると、内臓は過剰に動くことになり、硬化する。

と、重くなって下がってくる、なんて話をどこかで聞いたことがあるんだけど。

それを上げる、元の位置に戻す、って作業を、昨日した。

とかね。

そもそも、現代栄養学なんてのが、いや、それだけですべてを説明できるのかどうなのか。

なんて言説も出ていたり。

何も食べないで生きている人もいたりするようだし。

はともかく、そんなこんなの仕儀をしてきたのが昨日の午後で。

今日も今日とて、そんな仕儀の続きをして参ります、のです。

 

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昔、三保線という電車があった。

2020年11月22日 | Weblog

なんて表題は、村松友視みたいだけど。

高校生の頃、たしか、清水駅からの電車で通学していた人もいたか。

走ってるの、見たことあるか、記憶が定かじゃないのはどうしてなのか。

結果、見たいものしか見ていなかった、ってことか。

いずれにしても、いつの頃か廃線になり、現在は、自転車と歩行者の通路になっている。

通路というのか、ウォーキングやサイクリングのコース、ということかな。

その終点が、三保駅で。

昨日、人生初の旧三保駅までの走り、清水駅から7.2キロ、とあったな。

ただし、行ったはいいけど帰ってこなければ、なんで。

ま、とにかく、行ってみた。

その周囲には、津波対策の避難塔が何基かあって、311のことも少し思い返され。

高齢者は登るのは大変だろうな、とか、そもそも、何メートルの津波、想定しているのかな、とかね。

終盤、足が動かなくなっていたのに、そんなことが浮かんできていたな。

は、ともかくとして、走り、辿り着いたのは事実で、その道中の。

やっぱり引き返そうか、とかね、そんな心内に浮上してきた「思いつき」なんてのも、懐かしく。

振り返っている次第、これが楽しくもあり、だな。

最近、誰だったかのブログかYouTubeで、アカシックレコード、という言葉に、久々に出会った。

ひと頃、流行った、インドに伝わる、あなたの全ての記録、未来のも含め、それが書いてある。

まさに、レコード、記録。

それを見てきた、ってわけだ。

記憶というものが、脳内にあるように思えるけれど、その実。

カラダの外側の、どこかにあって、そこを格納庫にしている、なんて話もあり。

そこから引っ張ってくる道具?が脳だ、なんてのね。

そうだ、つい先日、ある御仁からの話で、奥様が病が嵩じた時には、10個くらいの人格。

だった、と。

もちろん、彼のことは、どこかの知らないおじさん、という認識。

それは、どこかの人格を拾ってくるのか、あるいは、過去生のさまざまな人格なのか。

こちらは、部外者なので冷静に書けるけど、その時点での本人たちにとっては。

壮絶なる会話にならない会話、なんてことだったんだろうな。

そういった関係もあるわけだ。

その時、変わらないものとして、何を見るのか。

生命、生きてある、そのもの、そのこと、それを見る。

とすると、すべての関係の基点が、生命、生きてある、ということになるかな。

なので、人間に限らず、とも言えるね。

地球そのものも生きている、という言説もあるし、ガイアとかね、母なる大地とか。

そうそう、ホモ・サピエンスからホモ・ルミナス(光り輝く人種)なんて言い方に。

最近、出会ったな。

地球の波動に自分を合わせること、誰も否定せず、邪気を恐れず、自分の中で消去すること、なんてことも。

いずれ、激変の時代、というのは、認識の仕組み、その淵源からの変わり様でもあり。

そのくらいの準備をしておいても悪くはないな、ってわけだ。

 

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テニスとソフトのボールを買ってきた。

2020年11月21日 | Weblog

右足、太ももの外側にそれをあてがい。

ぎゅっと体重をかける。

すると、そこらあたりの筋膜が緩む、という触れ込みなんだけどね。

カラダとの一人芝居、続編、ってやつだな。

長いこと、付き合っているつもりになっているけれど、カラダのこと、新しい発見だらけ。

と言いつつ、痛みも取れたので、さらに気持ちよく走ることができるんだろうな、と思う。

とね、ひそかな笑みが、ってわけだ。

結局は、やりたいことをやって日々を過ごしている、ということになるね。

当たり前といえば当たり前だけど。

三連休の初日、ということになるか。

今回は、二日間のエネルギーワークだ。

明日が藤枝、明後日が豊橋。

来週は、北海道から来てくださる女史のセッション。

そのまに、師走となる、って算段だ。

今年はそこここで、風物詩、ってのが、名前だけになってしまったか。

なんて事のうちに、忘れ去られていくのか、復活するのか、人生の別れ道だね。

もっとも、世の中のあらかたのことごとが、なければないで、人生は続いていくのだし。

なんて、ちょっと、厭世的な、ニヒルな気分にもなっちゃうか。

食べて寝て、ということは相変わらずだけど、それ以外のことってのは。

せいぜい、この何十年か、行っても何百年かのできごとで。

平安時代にタイムスリップしたら、そりゃもう大騒ぎ、ってくらいの。

あれもこれもこうでした、なんて報告文書が書かれるのかもしれないし。

ところで、昨日のFacebookに、坂井さんというお医者さんが。

「冷飲食が喉の扁桃腺や腸扁桃にダメージを与えて、白血球のはたらきをダメにします」

なんて書いていて。

コロナ感染のリスクを報道している番組で冷えたビールのコマーシャル、なんて風景を。

困ったもんだ、と嘆いていたな。

そうは言っても、なんとかビール会社からしたら、売り上げ上げないと、株主からも。

いや、社員さんにも給料を払えないし、ってことだから。

あちらを立てればこちらが立たず、みたいな世界だ。

お医者さんでいただく薬も、そんな感じもあるね、廃棄されちゃう、って。

食料も、なんて書き出すとキリがないけど。

だから、やっぱり、ないもの探しよりあるもの探し、ってことになるね。

あれもだめこれもだめ、でもいいけど、あれもいいこれもいい、の方が。

楽しそうだしね。

なので、この後、走ることになります。

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過去最高の……。

2020年11月20日 | Weblog

決算報告が、とか言えれば、いいけれど。

このところの話は、コロナ感染数だよね、相変わらずの感染数。

ひたひたと忍び込むような、目に見えない敵が、みたいな。

それに応じて、それぞれの人士方が、それぞれのリスク感覚に反応し、それぞれのご意見を。

ってのが、世情だ。

高齢者、持病持ち、はリスクがある、若者は感染させるだけでリスクが少ない。

なんて言説が、まことしやかに流れ、実は、ウイルス学を収めている御仁たちも数多いらっしゃる中。

徐々に、その発信源は限られてきているような、そんな風情。

歴史家は、過去の疫病から学び、あの頃のあの場所では、なんてね。

マスク、マスク、マスクと言っていたテドロスのWHOでも、クラスターか?!なんて話題やら。

娘の友達の勤めている病院では、無症状陽性者の隔離患者で溢れ、なんだそうだし。

感染症の分類は、相変わらずの2類なのかどうなのか。

なんて日常の中で、昨日、ある御仁から、Youtubeにこんなんありますよ、と紹介されたのが。

MANAというニュージーランド在住の女史の、で。

外側でいろいろと起こっていますが、例えば、コロナ、米国大統領選、などなど。

こうなればいいああなればいい、と期待することより、自分の中に落ち着いて、そこを整えることが。

一義のことです、みたいなの、ね。

解釈ひとつで、同じ事象が幸せにも不幸せにもなる、というお約束のお話、ってことだけど。

感想は、でもさ、せっかくの混乱期、混沌期に生きているんだから、リアルも十分に堪能しようぜ。

ってことかな。

どうなるこうなるはともかくとして、ね。

なんて感想が湧いてきたな。

だからなんだ、ってなもんですが。

どうしても、高みに登る症候群、ってのがあって、もっと高くもっと清くもっと正しく、みたいなの。

それはそれで、どうぞご自由に、ってなもんだけどね。

昔でいえば、仙人、今でいえば、なんだろう、ま、とにかくそういうことで。

なんてことをつらつらと思い浮かべている朝、残り少なくなったシダモの陰干し、モカですね。

「ケガと痛みに効くストレッチ」という本を手に入れて、わが体を舞台にした独り芝居を演じている次第。

さて、今日も個人ミーティングだ。

 

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