ときた。
昨日の研修会でのグループ討論。
おもしろいものだね。
って、わからないか。
というのも、子どもの頃の僕は笑わないというのか、無口でおとなしくて、が大人たちからの声で。
なんての、瞬間に、いや、少し経ってからか、思い浮かんだよ。
今だって、意識して、笑顔大事ですぞ、みたいな風情ではないんだけど。
おもしろくなきゃ、そこから立ち去れる時には立ち去る、ってのが、ほぼほぼの立ち位置で。
立ち去れない時には、ま、我慢するのか、あるいは、そこから何らかの意味をかじり取るか。
って具合だな。
今朝も地の神様へお線香を手向け、ありがとうございます、と。
直感だけだけどね、その理由ってのも。
ところで、chatgptにお伺いを立てたら、わかりませんので地元の博学な方にお聞きください、ってさ。
いい感じだね、AI、まったく引っかからないことには素直にわかりませんとくるからね。
っておだてても仕方ないか。
高橋という地で梶原景時七士の墓石は何ヶ所かありますか、という質問なんだけどね。
すべての情報が、ネット上に集まるわけではなく、という至極当たり前のことの証明だけどね。
そこに突破口があるんだよな、きっと。
そう、このところのマイブームが、水素風呂だ。
おかげで、入浴時間が長くなり、この季節ゆえに、風呂上がりの汗が吹き出る、なんての、体験している。
これがまた、扇風機も使わずいると、時折訪れる風、それが実に気持ちが良くて、思わず。
ありがとう!ってなもんだ。
この風から、たぶん、だけど、通訳者がいたら、なんらかのメッセージが読み取れるんだろうな、なんてね。
お墓や神社なんかでお参りしている時の風は、そんな具合に感じているんだよね。
それこそ、地の神様の時にも、そうだったしね。
時代は、言葉の向こう側、ってことだな。
山口百恵は、さよならの向こう、とか歌ってなかったかな、あんな感じで。