近江商人ネタですが。
観光ボランティアの岩田さんが、ぽつりとつぶやくように。
ここに、水牢があったんです、と。
写真で見ると、石垣になっているところが、昔は滝だったようで。
年貢をおさめないお百姓さんを、滝にうたせたりした、というんだね。
水牢といっても、実際はどうだったのか、よくわかりませんが。
今は、滝つ宮、という神社になっていて、目の前に「かぎや」という和菓子屋さんがあった。
ランキング9位のパワースポットだという石山寺には。
こんな立て札があり。
西暦672年におきた、日本最大の内乱、ともいわれる壬申の乱の一方の立役者、大友皇子(弘文天皇)ですね。
興味のない方は、ごめんなさいね。
歴史にたらればはない、なんていわれるけど。
よく、第二次大戦で、ソ連が条約を無視して、日本に侵入してきて、まかり間違えば。
朝鮮半島のように、日本は分断され、われわれの母国語は、ロシア語になっていたかも。
なんていわれるよね。
そんな感じで、この壬申の乱で、大友皇子側が勝っていれば、そのころのアジアの覇権国、唐の言葉になっていた。
つまり、中国語ですね。
というくらいの内乱だったようで。
その大友皇子が密かに祀られていたわけです。
こんな感じですね。
それから、900年の後、これまた、大きな内乱、関ヶ原の戦いでは、家康さんが勝ったんだけど。
その戦いの最初の陣地が、下の写真、桃配山(ももくばりやま)なんだそうで。
大友皇子の相手側、つまり、勝者ですが、大海人皇子(天武天皇)の最初の出陣地と同じだそうでね。
テレビもインターネットもない時代だから、問わず語りに語られてきた故事にならい、縁起がいい、ということだったのかも。
というように、おっかけていくと、きりがないので、やめておきます。
ところで、パワースポットという石山寺の磐座は、こんなんです。
実は、今朝は、書くこと、たくさんあってね。
大喧嘩の後日談、とか、新瞑想のこととか、ですが。
次のエントリー、ということになっちゃいました。
ところで、二日目に馬見岡綿向神社と蒲生氏郷の菩提寺、信楽院をお参りしたんだけど。
どちらも、いいところなんだけど、肩が重くなった、というのか、気持ちが悪くなってね、久々に。
これについても、次のエントリーかな。
そんなわけで、まわりで起こっていることは、あまたあり。
なかなか、人生というやつは、奥深いものであります。