まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

また寝汗の季節が来たのか

2018年11月30日 | Weblog

昨夜は、三枚替え、ってわけで。

寒さが訪れると、寝汗、という流れで。

ずっと前、怒涛の日々、と称している時には、毎晩、寝汗だったな。

潜在意識なのか、眠っていても昼間の仕事の延長戦をしているのか。

夢をみる世界も、不思議なものだ。

もっとも、夢を見ていた記憶は残っていないのだけど。

今朝は、この後が続かないな。

書くこと、山ほどありそうなんだけど、それがまとまらない。

ということか。

今朝は、時間がたくさんあるので短い手紙にします、って、芥川龍之介だよね。

このくらいにしておきます。

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アンジェリカ

2018年11月28日 | Weblog

勝手な解釈だけど、エンジェルの子供バージョンかな。

今朝の珈琲。

いつぞやも、この珈琲のネタで書いたな。

豊潤な味わい、とでも言えるか。

月が空高くに残っており、明けの明星は、今朝も輝きを放っていた。

北極星は、北の空に一際明るい星がそうなのか。

なんて朝を歩いてきた。

ところで、今、静岡市で「中小企業・小規模企業振興基本条例」という法律ができつつあり。

来年の春には、議会を通るという見通しで。

パブリックコメントの真っ最中。

と書いても、ご興味のない方は、なにそれ、ってなもんですが。

略してパブコメ、というんだけど、みなさんからのご意見をお願いしますね。

というウタイで、静岡市のHPに掲載されている。

市内に25000社の企業があり、その99.7%、従業員数の80.6%が中小企業だそうで。

ほぼほぼ、市のインフラなんだよね、中小企業って。

だから、オール静岡で、政策も、まちづくりも、考えていきましょうね、というわけだ。

会社でもサッカークラブでもそうだけど、集団を機動力を持って、忖度なし、慮りなし、で進めていく。

ためには、その集団の持っている存在意義、そこで働く一人一人の思い、がある方向、ざっくりとした。

そんな方向を目指す、という作り込みが必要なわけで。

理念、なんて言いかたしたり、大事にしたいこと、と言ったり、ミッション、と言ったりね。

各自、それぞれの集団で、意識無意識問わず、そんなことの中にいるんだけど。

それを、より大きな集団についても、やってみたらどうでしょうか、ってわけだ。

大きい、と言えば、ナスの大きさ比べ、ってのが、志ん生のネタにあった。

どんだけ大きいんだ、そうだな、熊よりも大きいか、なんて相方がいうから。

そんなのは、小さい小さい、こっちのは、ナスのヘタが、この暗闇全部についたくらい。

大きいだぜ、というとてもシュールな話でもあるんだけど。

くらい大きい話をするのも、たまにはいいかな、ということでね。

さて、こちらはシュールでないリアルなベタな、骨と話をしてきます。

もっとも、よくよく、じっくりと考えてみると、とてもシュールな物語を紡げそうだけどね、骨ストレッチ。

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今朝の表題は下記をご参照ください

2018年11月27日 | Weblog

ひと頃、凝った、エックハルト・トールなんだけど。

ストレスというやつは、ここにいるのにそこにいたい、という、トンチンカンなことにより起こってくる。

とでも訳すのか。

いずれにしても、ないものねだり、ってわけだ。

ふと、今朝の瞑想時、こんな表題、というのか、写真をアップしようか、なんて思い浮かんだ。

すべてここですよ、ちゃんちゃん、ってことなんだけど。

この、ないものねだりが、新幹線を作ったり、エアコンを作ったり、なので、これまた。

ややこしくもあるんだけど。

いつの頃から、このhereとthereが、分化するようになったのか。

そもそも、それが一つになっていたことって、あるのか。

なんてことではあるけど。

エックハルト・トールは、ヨーロッパ人か、今はアメリカ人かな。

大学の教師やっていて、ある時、通勤の電車の中で、目の前の女性が、大声でなにやら喋り続けている。

降りる駅は、彼と同じ駅。

何気なくその女性を追いかけていくと、同じ学校の門に入った。

知らない同僚だったようで、そこで、彼、気がついたらしい。

言葉に出す出さないの違いだけで、俺も心の中では、あのようにしゃべっているな、ってわけだ。

そこから、自らの心の中の探求が始まり、今では、彼の著作は。

何百万部のベストセラー。

くらいのストーリーの持ち主なんだけどね。

ご興味のある方、YouTubeのぞいてみたら、しこたま、彼の講演、というのか、託宣というのか、そんなもの。

出てきますよ、たぶん。

英語だけど。

訳書も、何冊か読んだな、書名、忘れたけど。

それはともかく、今朝もまた、月。

プラス、明星。

この時期は、空気が澄み出すのか、より鮮明な感じがするんだな。

ところで、iPad Pro、使ってますよ。

方眼紙の、紳士なノート、という、とても滑らかで、気に入っていた紙のノートの代わりにね。

なかなか、快適でさ。

なにせ、写真とか貼り付けられるので、美しいし、そこへ、書き込めるから。

thereが、わかりやすいわけだ。

振り返った時に。

まったく、書いてることとやってること、違ってるよね。

んなこと、どうでもいいけど。

hereからthereへ出かけるとするよ、骨ストレッチ。

 

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商女、知らず、亡国の恨みを

2018年11月26日 | Weblog

今朝は、いきなり、「精講 漢文」からの表題です。

たった二行の詩なんだけど、作者、たしか、杜牧だったか。

秦淮(しんわい)という川沿いの街に泊まった、近くには酒家もあり。

しかし、そこに華やいでいる商女は、この地が、もともと。

今は滅びた陳という国だったこと、知らないだろうな。

というような意味で。

こうした亡国を感慨深げに振り返る詩、割と多いんだよね、中国では。

商女というのは、春をひさぐ女性たちのことだそうで。

春をひさぐから、悲惨で、ということに、すぐさま直結するわけでもないだろうけど。

今の時代からすると、そんな感想にもなりがちで。

というのも、このところ、ある御仁からお借りした、考古学の云々、という文章を読んでいて。

土を掘って、出てきたものを陳列して、はい、この通り、炭素同定するとこれこれこの時代。

には、こんな具合でした、という考古学ではなく。

そこから、当時の人たちの心のありようを、なんとか、照らし出したら面白い。

というような、次なる考古学への提案、みたいな部分もあって。

秦淮の辺り、亡国への複雑な思いを持ちながらの夜、というような時に。

その時の思い、というのは、現代から見るのではなく、その当時になりきって、というね。

そんな観点からの、商女=売春婦=非人道的な、という連想を働かせずに、という試みでもあるのですが。

にしても、杜牧が803〜853年というから、まさに人生50年、という時代。

夕べのせごどんも、ほぼ50年で人生を終えている。

現在の自分の年齢からしたら、なんとまあ、という感じだ。

そんなこんなで、今日は、心を引き締めて参ります。



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またしても月と明星の朝。

2018年11月25日 | Weblog

それだけで、心は沸き立つ。

昨日は、満月の後の十六夜月、ということらしいけど、それはそれとして。

目の前の月だ。

煌々と、というんだろうか。

振り返ると金星、明けの明星だ。

なんとも贅沢な一瞬である。

そこから朝が始まる。

始まった朝は、サンタマリアと名付けられた珈琲とともに、だ。

新嘗祭には、サンタ裕仁が、働けている感謝を捧げ、こちらの。

マリアさんは、収穫時期が12月〜2月だ、ということだから、きっと一年かけて。

わが元へたどり着いた、というわけだ。

エルサルバドル。

遠い国からやってきた。

スペインが世界を凌駕していた頃、信長さんのころか。

奴隷貿易についての研究が、かなり詳しくなってきているらしく、その頃の。

残された文書を読み込む、すると、いかに、その頃の帝国、スペインの。

通信の速さ、確実さが飛び抜けていたか、ということがわかるらしく。

もちろん、奴隷、という悲しい物語の一端ということになるんだけど。

わが列島から、さらわれ、お金で売られ、という無名の民の記録もあるそうで。

帝国と呼ばれるには、それなりの統治システム、というのがね、あったわけだ。

その名残としての、珈琲の流通、なんて言えば、言い過ぎかも、だけど。

そう言えば、夕べ、IS国に奴隷として拉致されたヤズディー教徒の話、テレビでやっていたな。

他にも、インドの離島、なんとかという島に住む先住民に白人宣教師が殺された。

なんてのも、あった。

彼らは、島に侵入するものはすべて、亡き者にする、という神話の中にいるんだそうで。

時代の流れが、その地その地で固有の流れなわけで、そこへ。

いろんな条件が加わって、悲劇も起こるわけだ。

以て瞑すべし。

こちらは、本日は、防災訓練本番。

では、AED係、出陣します。

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今朝も月が西の空に輝いていた

2018年11月24日 | Weblog

なんともいえない輝き、というのか、存在感だ。

なん億年になるのか、何百万年でもないね。

この輝きは、たぶん、変わらず、わが大地、ガイアを照らしていたんだろう。

ちょうど、昨夜、録画で、人類の未来、っての、観たんだけど。

画面に登場した彼ら、わがご先祖さま方、なんとカピテクスなんとか、と覚えられない。

学術名で呼ばれていた彼ら。

も、眺めていたんだろうな、腹減ったな、くらいの思いを持ちながら。

今日は、このあと、防災訓練の準備で、テント張りに出かける。

そうそう、今朝の珈琲は、タイはメチャンタイ村から届いたアラビカ種。

アカ族の人々の手になるものらしく、あくまでもアジアンテイスト。

2000m近い高地らしい。

アジアだよな、という感想。

ヨーロッパの王族、貴族の好みとは明らかに違う。

そんな珈琲を味わっている、勤労感謝の日、翌日です。

勤労感謝、といえば、天皇陛下が、新嘗祭(にいなめ)の祈りを執り行われる日なんだってね。

働けていることへの感謝を、ね。

この国の恵みで生かしてもらっていることへの感謝、それを捧げる日、ということのようで。

今上天皇の、最後の儀式だ、と。

さとうみつろうという方のブログが、Facebook経由でやってきて。

そんな記事に接し、ちょっと、わが佇まいを正したのでした。

なにもかも、当たり前だと思ってしまうところからは、有難し、ありがとう、という思いは浮かばないしね。

俺が俺が、私が私が、って、そんなところからは、なかなか、ね。

ほんとに、気の持ちよう、というのか、解釈の仕方一つで、さまざまな出来事が、それぞれの様相に変わり。

パラレルワールドなんて言葉、あるけれど、まさに、そんな気にもなるな。

同じ現実だと思っていることが、ほんの少しの気持ちの切り替わりで、一挙に。

別の現実になる、なんてこと、しこたま経験、体験するからね。

今朝は、屋上へ上がり、くだんの月の光を浴びたよ。

これだけで、今日と名付けられる時間空間は、瞬時に、あの月の色合いを持ったものになり。

というわけだ。

そういえば、昨日、修善寺在住の御仁、バードウォッチャーから電話が入った。

退院しました、また、遊びに来てください、というね。

自宅で転んで二日間、動くことができず、という事件のあと、入院していたんだった。

リハビリもなり、ようやく帰宅、ってわけだ。

いろんなことが起きては消える日々で、さて、これからは新聞読みに入るか。

今朝は、骨ストレッチはなしにしてみるか。

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満月と明星

2018年11月23日 | Weblog

今朝は、そのどちらも見事だったので、両方、iPhoneに入れようと。

でも、無理だな。

月は西に、明星は東に、の泣き別れだ。

わっと、心が浮き立つ瞬間、その情動?

感情の動き、躍動、鼓動、というものの体感から朝が始まったわけだ。

だから、政治状況が、とか、経済状況が、とか、なんとかの環境が、とかのネタを。

そこここで拾い集める労力はね、もったいないよ、ってなもんだ。

もっとも、それぞれがそれぞれの神話を生きているのも真実なので。

そこをああだこうだと言いつのるのも、これまた、不粋といえば不粋なわけで。

消えるものは消える、起こるものは起こる、坦々とね、というのが。

二千年以上前、ちょうど、神武さんが、わが日の本を、日の本である、と認識した。

ことになっている、そんな我が国の初めの頃に、かの地では。

ゴータマ・シッダールタという御仁が、喝破したわけだ。

なんだっけ、執着を離れると苦を逃れられるよ、だっけ。

執着が苦の源だよ、だったか。

いずれにしても、流れるわけだ、すべてのものが。

昨日は、昨日と言わなければ、すでに存在しない。

明日だって、明日、と書かなければ、どこにも存在しない。

ということね。

んなこといえば、我だって、我である、と認識するものがいなければ、どこにも存在しない、に至り。

こうなると、ワイヤな世界に入り込んじゃいそうだ。

にしても、今朝の月と金星は、見事で。

思わず、屋上へ駆け上り、眺めいってしまった。

その瞬間の連続を、時間と言ったり、歴史と言ったり、さまざまだけど。

ところで、さっそく、iPad Proを使い始めたよ。

書き味も悪くなく、しかも、その脇に、例えば、今朝の満月の写真を貼り付けておけるから。

ノートが美しくなるんだな。

あとは、これらを、どのように、おさらいに使うか、なんども見返すように習慣化するか。

というのが、テーマになるかな。

さっき書いたことと、まったく、矛盾すること、しようとしているんだからね。

さっき、は、すでに存在してません、と言いつつ、そのさっきを定着させようと奮闘しているんだから。

この週末は、自治会での防災訓練。

当方は、AED係だそうで、前日から準備に余念なく、というスケジュールになっている。

去年は、炊き出し係で、僕の鮮やかな青色のフリースが、飛び火で穴が空いてしまったっけ。

なんてこと書きつつ、いい時間になった。

骨ストレッチです。

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小さな胸の痛みはワクワク感に変わり

2018年11月22日 | Weblog

という表題で、お分かりの方は、このブログをご愛顧いただいている皆様で。

そうです。

iPad Proってやつが、昨夜届いたのです。

早速、今朝は、そのpenuitimateという無料のノートアプリで、珈琲のテイスティングをメモし。

そう、その珈琲は、わがヘアーカットの大将2代目、会社的には三代目の御仁からいただいたもので。

マイルドにして、酸味、苦味の味わいが面白い、そんな珈琲豆なんだけどね。

コロンビアのアンジェリカ。

今朝は、ネット繋がらず、この時間になってやっと繋がり、なので。

わが通信会社の、2代目社長さんにお願いしてある工事を進めるとするか。

今日は、この後、諸用で浜松へ。

来期の、ちょっと大きめの物件の話に行ってくる。

そうだ、今朝の書き初め、みたいな、iPad Proのノートには。

働き方改革、我が社仕様、ってのを、ちょっとメモし始めたんだ。

ネット繋がらず、ブログ書けず、だったので。

ノー残業、有給休暇全取得、完全週休二日制、と。

今の時点では、ほとんど不可能にも見えるんだけど、そこを突破していくのが。

チャレンジで。

たぶん、そこを目指す神話を創造するのが、舵取りたるわが方の役目なんだろうと思う。

別に、安倍政権云々とかの話ではなく、よりよく仕事をするためによりよく休み、よりよく生きる。

ということなんでね。

労働は苦行ではなく、シジフォスの神話のようにね、あれ、西欧流なんだな、たぶん、きっと。

生きるということを煎じ詰めると、自分へのコミット、他人様へのコミット、その前に、自然へのコミット。

もあるか。

いずれにしても、「自ら」からどこかへの働きかけ、ということなんで。

それの一部分が、仕事、と括られているだけなんだよね。

生きるために、食べるために働く、というのは、勘違い。

生きてあること、そのものが、仕事です、ってわけだ。

今朝は、ネット繋がらず、の鬱憤ばらしに書きとばしてるね。

たまにはいいでしょ。

さて、カラダとの対話をしてくるか。

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タンザニアからのキリマンジャロ

2018年11月21日 | Weblog

今朝の表題は、一見すると、変でしょ。

どちらも地名だ。

アフリカの地から届けられた、キリマンジャロ、モンデュールさんの農園なのかな。

それはともかく、リッチな気分になる味わいで。

あくまでもまろやかな甘みの中に、スーッと苦味が忍び込む。

こいつは朝から縁起がいいわい、ってんもんだ。

縁起ね、縁ありて起こる、と書くわけだ。

ブッダだね。

そもそも、縁起がいい、って、いかにも自分の外側に、何者かがいらっしゃって、あるいは。

宇宙とか天地とか言ってもいいけど、そんなものが、わが方のために、何かいいことをしてくれる。

みたいな具合だよね。

でも、実は、ってことを言いたいんだけど。

と書いてきて、これ以上、進みません。

会社の中でも、その外側でも、さまざまなことが起こり、それらはすべて、縁ありての仕儀なわけで。

なんだけど、そんな出来事に翻弄され、あるいは、楽しみ、慈しみ、愛で、というね。

この人間であることってのは、なんともかんとも、と。

ところで、予約したiPad proが、なかなか、やってこない。

のだけど、わが「紳士のようなノート」方眼紙仕様、はそろそろ、終わりを告げそうだ。

毎朝、それに、珈琲のテイスティングを書きつけて始まるのだけど。

年内とすると、微妙な残数で。

そんな、とても小さなことに、胸を痛めている僕って、かわいいね。

今日は、キャリア体験学習があって、わが若手の社員さんの晴れ舞台だ。

2回目となる今回は、さまざまな工夫を加え、ということで、彼の中でのワクワク感の広がりが実感でき。

この後が楽しみでもあるんだ。

どうだ、仕事って、そういうものだよ、という投げかけが実感を伴ってね、味わえる。

というわけだ。

リアルな仕事って、どうかすると、時間に追われ、お客さんからのクレームに後手を踏み。

なんだ、仕事って、という気分になりがちだけど、そこを、ほら。

神話の組み立てを変更する、とでもいうか。

あなたの晴れ舞台、ってことで、いかに、単なる、緊張感満載の、あるいは、トゲトゲ感で満ち溢れているようにも見える。

そんな場を、晴れ舞台、という晴れやかな、華やかな、ワクワクする場に豹変させるか。

その瞬間を、味わっていただく、それが、先に生きてきた人の役目、とも言えて。

って書いてきて、独り晴れ舞台創造、とも言えるかな。

おたがいさまの世界だ。

さて、骨ストレッチだ。

 

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炭を売るじいさん

2018年11月20日 | Weblog

またしても、1分間読書の賜物だけど。

売炭翁、という白居易の詩。

ちょっと長めの詩なんだけど、これの和訳。

そのじいさん、という響が、吉田拓郎の、「落陽」の、あのじいさん、というのと似ていて。

しかも、流れが、ボブディランなんかに繋がるような、そんな詩なんだ。

じいさん、と言っても、白居易の頃、西暦で言えば、何年になるのか。

今の僕の年よりも随分と若いのかもしれず。

なんて思ったら、笑いが込み上げてきた。

着るものもみすぼらしく、食べるものも、もちろん、あり合わせ。

一番の関心事は、炭が高く売れること。

牛の車に大量の炭を乗せて、街まで売りに来る。

すると、颯爽と騎士のような御仁が現れ、勅許を取り出し、控えおろう!というわけだ。

二束三文で取り上げていった、というような詩なんだけどね。

今朝の、乗り降りの二分間で、ボブディランまで連れていってもらえた。

中国の古詩、おそるべし。

実は、昨日、とてもいいことがあって、詳しいことは内緒、だけど。

一言だけにすると、事業性評価シート、に関するものなんだけどね。

これでまた、ちょっと大きな絵を描くことを後押ししてくれる、という感じかな。

どうも、自分の中に、不言実行の流れをくむ、なんていうのか、言挙げせず、みたいなもの。

あってね。

なんてことはともかく、ちょっと、これから楽しみです、ってわけだ。

ハラリ教授じゃないけど、サピエンスは、認知革命により、神話を創造する能力を身につけ。

それによって、見知らぬもの同士が共同性を持つことができ、えらく力の強かったネアンデルタール人を。

駆逐した、という論みたいに、どんな神話を紡ぐのか、ってやつね。

自由自在、気ままに、思いのままに紡ぐ、というわけだ。

それが、現実を創り出し、人生を彩る。

そんな仕組みの一端を掴んだ、とでも言っておこうか。

さて、骨のストレッチへ向かうとするか。

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