なんともいえない輝き、というのか、存在感だ。
なん億年になるのか、何百万年でもないね。
この輝きは、たぶん、変わらず、わが大地、ガイアを照らしていたんだろう。
ちょうど、昨夜、録画で、人類の未来、っての、観たんだけど。
画面に登場した彼ら、わがご先祖さま方、なんとカピテクスなんとか、と覚えられない。
学術名で呼ばれていた彼ら。
も、眺めていたんだろうな、腹減ったな、くらいの思いを持ちながら。
今日は、このあと、防災訓練の準備で、テント張りに出かける。
そうそう、今朝の珈琲は、タイはメチャンタイ村から届いたアラビカ種。
アカ族の人々の手になるものらしく、あくまでもアジアンテイスト。
2000m近い高地らしい。
アジアだよな、という感想。
ヨーロッパの王族、貴族の好みとは明らかに違う。
そんな珈琲を味わっている、勤労感謝の日、翌日です。
勤労感謝、といえば、天皇陛下が、新嘗祭(にいなめ)の祈りを執り行われる日なんだってね。
働けていることへの感謝を、ね。
この国の恵みで生かしてもらっていることへの感謝、それを捧げる日、ということのようで。
今上天皇の、最後の儀式だ、と。
さとうみつろうという方のブログが、Facebook経由でやってきて。
そんな記事に接し、ちょっと、わが佇まいを正したのでした。
なにもかも、当たり前だと思ってしまうところからは、有難し、ありがとう、という思いは浮かばないしね。
俺が俺が、私が私が、って、そんなところからは、なかなか、ね。
ほんとに、気の持ちよう、というのか、解釈の仕方一つで、さまざまな出来事が、それぞれの様相に変わり。
パラレルワールドなんて言葉、あるけれど、まさに、そんな気にもなるな。
同じ現実だと思っていることが、ほんの少しの気持ちの切り替わりで、一挙に。
別の現実になる、なんてこと、しこたま経験、体験するからね。
今朝は、屋上へ上がり、くだんの月の光を浴びたよ。
これだけで、今日と名付けられる時間空間は、瞬時に、あの月の色合いを持ったものになり。
というわけだ。
そういえば、昨日、修善寺在住の御仁、バードウォッチャーから電話が入った。
退院しました、また、遊びに来てください、というね。
自宅で転んで二日間、動くことができず、という事件のあと、入院していたんだった。
リハビリもなり、ようやく帰宅、ってわけだ。
いろんなことが起きては消える日々で、さて、これからは新聞読みに入るか。
今朝は、骨ストレッチはなしにしてみるか。