まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

とうとうやって来た大晦日。

2021年12月31日 | Weblog

今朝の表題は、ベタというのか、もういくつ寝るとお正月、の気分だね。

家ではおせち料理が始まり、お飾りをつけ、もちろん、お餅もあり、という具合。

今日は、走り納め、ということになるな。

コロナ初動の20200201からの、だからね。

トータルで200回を超えた。

カラダとの対話の始まり始まり、だったのだけど、当初は、おまえ、とか呼んでいたのに、今では、あなた、だ。

イーブンに近づいた、というより、畏敬のまなざし、って感じだ。

なにせ、70兆個の細胞だっけ、その一つ一つに。

ざっくり200前後のミトコンドリアをかけた数字、幾つになるのか。

そんな命たちに導かれ、って次第。

さらには、体表面の1センチ四方に200万個だったか、共在菌、これの数は幾つになるのか。

さらにさらに、腸内細菌を含めた体中の微生物の数々。

もうね、当方もない世界だよね。

万物の霊長とかいう演し物、演劇の主人公を演じるのもいいけれど、それが千秋楽になったら、素に帰らなきゃ、ね。

なんて気分の大晦日の朝だ。

冬至・末候と書かれた第66候には、歳神さま、とある。

農耕を司る「田の神」とも「ご先祖の霊」とも考えられている、らしい。

この、ご先祖の霊につながる意識が薄れてくると、当世はやりの「金だけ今だけ自分だけ」みたいなところに行き着く。

のかもしれないな。

ご先祖があるとすれば、御子孫もあるというのね。

ところで、このところ、次男坊の教示で、水を飲み始めた。

ざっくり体重に3をかけた数字、僕の場合だと、1.8リットル、一升瓶くらいだ。

一日にそのくらいの、水を飲む。

効果効能を述べると、物忘れがなくなった、頭のフケが止まった、掌の滑らかさ、などなど。

これ、体感してるんだけど、ね。

なんでも体感に如くはなし、ってわけだ。

さて、まだまだ暗い今日、明るくなったら走り納めとします。

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晦日の朝、一年のうちで今日くらいか。

2021年12月30日 | Weblog

晦日なんて言葉、使うのは。

和暦に従えば、明日の大晦日の晩からは、元旦が始まる、ということになる。

昨日のブログは長かったな。

今日は、短くしておくか。

それにしても、静かな暮れ、晦日だ。

いつもそんな感じがするんだけど、今年は特にそう思うのかな。

なにせ、年末年始の、ニュースも交えたテレビ番組を遠くに置いておくと、そりゃ、静かだ。

自分の体感、大事ですぞ、ってなもんだな。

誰に教えられることでもなく、どこぞの賢人に習ったことでもなく、ってわけだ。

きたる壬寅は、人柄と大我、大欲、くらいにまとめられるかな。

ところで、昨日、こんな文章に出会って、我が意を得たり、と思った次第。

「私たちはそれぞれの特技があって、それをするために地上にきているのかもしれない」というのね。

すべての人は天才、ということだな。

ここ、またまた、テストに出るところだよ、きっと。

 

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昨日のブログは短かったな。

2021年12月29日 | Weblog

今朝アップを確認したら、おいおい、ってなもんだ。

昨日の午後は、社員さんを送り出した後、マドモアゼル・愛さんの動画を見た。

と言っても、かなりの数の社員さんが何やら仕事、していたけれど。

動画の内容は、まだ、まとめてないけれど、来年の星占い、とでも言えるか。

当方は、水瓶座なので、こういうことだった。

お金に恬淡なところがあるけれど、そこを、お金の本質をイメージとして理解すると。

とんでもない富がやってくる、と。

いろいろあったけれど、印象に残っているのが、近い欲じゃなくてもっと大きな欲をかけ。

なんてことか、日月神示では言ってるらしく。

たしかに、自分がああなりたいこうなりたい、じゃなく、ってわけだ。

その夜に、別の方に聞いた話が、精神世界に目を移すと、そこでは、自分のこと、自分の欲さえ良ければ、がすぎる。

なんてことだった。

神社のお札もらうことや何やら、ほとんどが、近い欲、自分の願望を叶える、みたいなもので。

ある人が、宇宙の平穏を祈るお札を求めたら、そんなものはありません、と言われた、なんてね。

なので、来年にかけての祈りは、大きなものにしようと決めたのでした。

たった半日くらいの間に、二つの同じような話を聞く、こちらに届くというのは。

そりゃ、宇宙からのメッセージでしょ、ってことになるな。

いずれにしても、これからの世界は、精神世界と物質世界の程のよい調和、とでも書けるか。

科学を鵜呑みにせず、オカルトを馬鹿にせず、か。

そこで力を発揮するのが、「無知の知」ってことかな。

知らないということを知ったことの喜びにふるえる、知っている競争でなく、ってわけだ。

ここ、テストに出るところだな、きっと。

もう一つが、誰も悪者にしない、二者択一でない、ということか。

何かへのアンチを唱え悦に入る、という手法、メンタルは、そろそろ、やめにしようぜ、って。

例えば、「暗黒の中世」、圧倒的な力を持つ教会の前で、勇気を奮ってアンチ、異を唱え、人間性の回復を遂げ。

と、褒めそやされるルネッサンス由来の、たぶん、近代の合理主義なんてのも。

ぼちぼち賞味期限切れだぜ、というね。

正反合、なんての、弁証法ね、あったけど、むしろ、いい加減に如くはなし、だ。

マドモアゼル・愛さんは、来年のキーワードは、お酒だ、なんておっしゃっていたな。

バッカスの神。

わが列島には、いい加減、いい塩梅、なんて、それこそ、いい言葉があるからね。

二者択一やめたら、人間関係、随分と楽になるだろうな。

いやいや、今朝は、長くなっちゃったな。

 

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このところ道をゆく車の量が多いような。

2021年12月28日 | Weblog

そんな師走、仕事納めです。

午前中、大掃除をして年越しそばをいただき、お疲れさん、ってわけだ。

今年もいろいろありました、さて、来年は、という流れだね。

今朝は、どうも言葉が出てこないな。

そんな日もある、ということで、このあたりで終了としますか。

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氷点下なのにガラスは凍ってなかった。

2021年12月27日 | Weblog

お湯を用意してよしいくぞ、ってなもんだったのだけど、そういうことで。

湿度の違いかね、風もそんなに吹いてなかったような、いや、吹いていたのか。

いずれにしても、肩透かしをくった朝。

この何年来で最高の寒波、みたいな言葉が飛び交ってなかったかな、テレビ画面から。

こんな表現、このところ、よく見かけるよね。

視聴者アンケートとか取ったり、視聴率調査とかで、彼ら、研究しているのかな。

針小棒大とか、オオカミ少年の気持ちとか、あるある、って感じでもあるね。

いつだったか、熊田曜子というグラビアモデルになりたくて、自宅だったかへ火をつけた。

なんて少女、いなかったっけ。

もっとも、日常の中の、小さな、わかる人にはわかって的なドヤ顔、そんなのもあるから。

もともと、人間の性、なのかね。

言葉を変えれば、自己承認欲求の極み、とも言えるかな。

だから、他人事ならず、と考えた方が、たぶん、健全なんだろうな。

昨日も書いたかな、イルミナティのこと、光り輝く、なんて意味かね。

陰謀論界隈では、おどろおどろしく語られるけど、たしかに、そんな画策もあるのかも。

だけども、当時は、もう神とか教会とかの権威に頼らず、俺たちだけでやっていくよ。

という意思表明でもあったんだろうな、と思うんだな。

エデンの園を追放されたアダムとイブの物語にしても、なんかね、気になるんだな。

失楽園、なんて渡辺淳一だっけ、日経かなんかに連載してたよね、はともかく。

人間には原罪があるんです、みたいなところに行くのもどうか、とは思うけれど。

他人も責めず自分も責めず、というのがいいな、というわけだ。

そんな昨日は、思わず、自分に、よくやった、がんばった、と声をかけたよ。

二日酔いの朝に、しかも、冷たい中、走ったからね。

よしよし、ってなもんだ。

さて、今年最後の月曜日に出かけるとするか。

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冷たい朝に星が輝いていた。

2021年12月26日 | Weblog

で、月は、と見ると、同じく輝いていた。

SNS上では、雲のこちら側に出ている月、なんて絵柄がやってきていたけど。

おいおい、ってなもんだ。

つまり、ダミーじゃないの、というわけだ。

今日から始まる第65候なんだけど、ひらがなで書くと。

さわしかつのおつる、というので、さわ、という字が出てこなくて、鹿の下に米、という文字。

しかも、解る、とかいて、おつる、と読ませている。

なんとも、この列島の文字、というのか、言葉、というのか、いいもんだな、と眺めていて。

大鹿の角が落ち、生え変わる頃、と。

たしかに、いかに大きな鹿といえどもこの時期、餌にありつくのは大変なことなのか、つのなんて邪魔になる。

くらいの話なのか。

大きいといえば、この駿河の地、とは言えないのか、伊豆の入り口、大仁なんて地名が残っていて。

あのあたりに、大人、つまり、巨人がいた、なんて伝承とも言えないのかも、だけど、話が残っている。

というのを、民間研究家の、加茂さん、たしか、名前は、喜三と言ったか、そんな方が本を書かれていたな。

ダイダラボッチ、だったか、そんな話も残されているよね。

ガリバー旅行記なんてのも、そんな類か。

311の震災だったか、それともいつだったかの土砂崩れか、東北地方での映像が残されていたらしく。

そこには、巨大な人骨、顔だったかな、映されていいて、テレビでも流されたのか、その後、消されたのか。

なんて話もあるんだよね。

京都なんかの、お寺の、巨大な門なんてのもその類で、という話にしている方もいるな。

わが列島の価値観からしたら、意味不明の大きさでもあるからね。

なんてことは、おとぎ話、とんでも話、ということにしちゃうんだろうね、大人の事情ってやつだ。

なんにせよ、習ったことに忠実がよし、なんてのがデフォな世の中だし。

あんたは頭がいいね、お利口だね、将来が楽しみだ、なんてほめそやし、ってのが。

当節の流行病(はやりやまい)、でもあるな。

そんなこんなの日曜日の朝です。

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雨の師走、ってのもいいもんだ。

2021年12月25日 | Weblog

なんだか、珍しい感じだね、雨の師走。

表題の通りです。

昨夜は、拠なき呑み、だったんだけどね。

ちょっと、遅くまで飲み過ぎだったな。

今朝は、雨につき、走りはもう少し遅くなるのか。

それにしても、わび・さびが次の文明の主役、という言葉が頭の中を巡っていて。

なかなか、面白い発想だな、とね。

物質から精神も含めた、違う言い方をすれば、見えるものと見えないものがイーブンに語られる時代。

とでもいうか。

このところ、陰謀論界隈で使われる、イルミナティという言葉ね、それも中世の魔女狩り由来、なんての。

これまた、面白くて。

つまり、その頃、教会など、見えない世界を操り、お前は魔女だ、ってわけだ。

だから、これこれこうしてくれる、ってなもんだ。

だから、イルミナティの連中は、つまり、光り輝く戦士とでも翻訳できるか、彼らは。

その後、一切、見えない世界は語らず、物質一本、ってことになり、というのね。

勝手な推測だけど、わが列島でも、明治の維新なんてのは、その考え方を応用したのかも、だな。

見える世界、エビデンスのある、物質中心、ものがとにかく主役、ってわけだ。

加持祈祷、占い、山岳での行者なんてのは、一斉に排除され、という話ね。

そりゃ、それらの関係者、大変だったんだろうな、と思うよ。

いまだにそんなことは尾をひき、って具合だ。

なんてことを引きずりながら歩いていると、世界の見え方が違っていて。

だから、ってことになるな。

その結論は、書くのはやめときますが。

それはともかく、雨だ。

雨を楽しむに如くはなし、ということで、今年最後の土曜日を始めるとするか。

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逃げ遅れるスズメくん

2021年12月24日 | Weblog

逃げ、というのが、いかにも人間的な発想だけどね。

わがベランダ。

ある瞬間に一斉に飛び立つ、というのが、いつも不思議で。

どんな合図があるんだろう、何か掛け声があるんだろうか、とかね。

そんな中、いつも1羽か2羽、のんびりと餌を啄んでいるスズメくんもいるんで。

そのうち、その理由も明らかになるかな、って、生物学者さんにはわかっているんだろうけど。

知らぬが仏、とは言ったもので、ああでもないこうでもない、とわけを探るのも。

一興というものだ。

このところ、年頭の所感、なんてのを書いてみよう、としているので、傍目には、何ぼーっとしてるんだい。

ってなもんだけどね。

書こうとすると、これまた、難しいもので。

来し方行く末の世界だな。

さまざまな論調が世情を飛び交い、それらを取捨選択、って算段だけど。

自分の立ち位置がどこにあるか、どこに置くか、でそりゃ、表現の仕方も変わるんだからね。

誰に伝えようとしているか、ということだな。

そうだ、来年にかける思い、というのか、目標ね。

一つは、伝えたいことを思いっきり端折って、簡潔に表現、っての。

かつ、具体性があり、明瞭にしてイメージあふれるものに、なんてのだけど。

早い話が、パワポをもう少し上手くなったらどうかな、というのが、一つ目。

もう一つが、年賀状はじめ、手書きの書状を習慣化しようか、だ。

デジタルを活かすにはアナログを極める、って次第で。

大したもんだね、ふたつも目標を書き表しているんだからさ。

ところで、最近、わび・さびについての話に出会って。

いつもお聞きしている藤原直哉さんという方なんだけど、織田信長の頃、戦乱とともに。

世の中の支配者層の交代があった、という、仮説の元に、豪華絢爛から移行した、わび・さびの世界。

という設定なんだけどね。

わびしい、侘しい、とか、さびしい、寂しい、につながる世界。

しかし、それがネガティブというだけではなく、というんだね。

さびしい、は、さび、に通じ、今で言えば、古民家とかね、古びた、それこそおじいさんの時計だっけ。

あんな世界。

わびしい、は、ものに溢れた、便利な、コンビニエントな、なんでもそばにある、みたいなのの真逆の。

物質優先であれば、あれも足りない、これも不足だ、的なのの、対極。

たぶん、次の時代を彷彿とさせる発想かもな、というのが、感想です。

というわけで、師走も押し迫りつつあり、「芝浜」のオチに向かっていきそうな今日、を始めます。

 

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一陽来復の朝、おじさんは通り過ぎて行った。

2021年12月23日 | Weblog

いつもの、ばかやろーおじさんなんだけど。

どうやら、このところ、コースを変えたようで、わが自販機には止まらず、だ。

僕からの、おはようございます、がめんどくさくなったのかもな。

なんて妄想を回らしつつ、夕べ、ソーシャルディスタンスは良かったとも思える。

と言う言説の医学博士の話を聞いたな。

絆とかみんな一緒とか、そうでなければいけないっぽいムードだったのが、あれで、一変した。

と言うわけだ。

老子だったか孔子だったか、一人を慎む、慎独っての、あったな。

一人を愉しむ、なんてのもありそうだ。

今までだと、根暗とか引きこもりとか、あとなんだろう、ネガティブな言葉が並んだんだろうけど。

社会的距離、みたいなムードが感染対策です、ってのが、功を奏し、とそのかたの見解だった。

ところで、メディアで濃厚接触者の数、なんてのがカウントされ出したら、そりゃもう、ちょっと無理があるだろう。

ってのが、大方の見方なのかも知れず、かも、と言うのは、いや、それは大変なことです。

なんて言説がまかり通る、って世情になる可能性もあるにはある、んだな。

戦前のメディアも、8月15日の終戦前日までは、煽りに煽り、大戦果の報道だったんじゃないのかな。

情報をお金に変えるという仕事も、大変と言えば大変だよね。

いくらかっこいいこと言っても、売れなきゃ、つまり、多くの人が買ってくれなきゃ、商売あがったりだし。

あのあとの学校の先生、つまり戦後すぐの、ね。

どんな心境だったんだろうな、と多少の同情とともに、思い返せるな。

いきなり、前日までの教科書に墨で、今で言えば、公文書の黒塗り、って具合で。

しかも、目の前には、いたいけな、純粋な少年少女たちだ。

胸、痛んだんだろうね。

よくみんなグレなかったよね。

誰も信じることはできない、とかさ。

しかし、そんな呑気なこと言ってられる状況でなかったことも推測できるしな。

腹減ってたし、住む家はないし、って具合だろうね。

腹減ってる時には、哲学的な?思考は止む、とか、ど現実がとてつもなく大きなものになり、ってわけだ。

さて、こちらも今日というベタな、リアルに入っていくとするか。

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乃東生ず(なつかれくさしょうず)、と読むらしい。

2021年12月22日 | Weblog

今日からは第64候、旧暦の11月20日。

夏枯草(かこそう)と言う草があるんだね、知らなかった。

なんでも、この時節に緑の芽が生じるんだとか。

他の草たちと真逆なんだよね。

今の時世では、まさに、象徴的な、ヒーロー的な草だな。

みんなと同じでなくていいんです、ってわけだ。

当たり前だよね。

冬至の朝だ。

一陽来復、と言う文字も書いてある。

陰が極まって再び陽の気にかえる、と言うことらしく、冬至を指す言葉でもある、と。

しかし、この七十二候はいいな、旧暦も眺められるし、その節節の植物や言葉もあるしね。

そんなリズムに馴染んでいくのは、体内時計とともに、って感じにもなるな。

昼の長さと夜の長さが同じ、と冬至のこと、話されるけれど、夜明けは、今回は。

来年の1月13日が一番、遅いんだとか。

星のこととか歳差運動とか、どうも苦手でね、よくわかんないんだよね、いろいろと説明受けても。

それがわかれば、饅頭食べられる、みたいな仕掛けなら覚えられるのか、どうなのか。

さて、冬至の一日を、一陽来復のごとくに過ごしましょうか。

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