むぎのあきいたる、と読むらしい。
麦の穂が熟して畑一面が黄金色に輝く頃、とある。
麦秋とは夏の季語だそうで、とすると、昨日の朝の雲、はけで掃いたような。
あれは、初夏に現れるのかな、秋めいた、なんて感想を持っちゃったけれど。
今朝も、巴川の川面を白鷺の美しい白が滑空していった、下流に向かってだった。
そうそう、出掛けに庭で、かわいい蝶々に見惚れていた。
なんていう名前か知らないけれど、たぶん、彼女か、彼か、こちらの視線に気がついたな、たぶんだけど。
プリウスに移動して、さて、ピアノソナタをイヤホンで聴き始めようかな、のタイミングで。
フロントガラスのところまでやってきた。
なんて場面があったのでした。
ところで、日本人は勤勉な民族で、とか言われているよね、しかし、あれ。
戦後からのことらしい、なんて言説に出会った。
これ、ちょっと、ショックだったんだ。
「ニッポン、すごい」運動に肩入れしたいわけじゃなく、おいおい、またかよ。
ってなもんで、戦後にパン食が根付いた根幹みたいな。
「勤勉」ってのは、いいことのように思いがちだからね。
作業効率は、世界でもワーストワンだった、とかね。
なにせ、落語の世界でも、職人は半日働いて、その後は、酒飲んで、博打して、なんて話、あるからね。
いやいや、ほんとに、これが事実だとすると、大きな転換、まさにパラダイムシフト、ってやつだ。
もちろん、「勤勉でなかった」と言われる、大正年代にしても、幸せでなかった、というのではなく。
大正といえば、自由闊達な、独特な文化がわきおこった、なんてことも言われているしね。
なので、このところ、買い集めた短編集の、大正から昭和初期くらいの小説、探しているんだけど。
ほんとのところ、どうだったの、とね。
そもそも、文筆業なんてのは、世の中から外れた人士方の領域でしょ、呑気なんだ、基本。
食うの食われるの、の世界ではないので、探すのに難儀してます。
ちょうど、川場康成の掌編小説集、ってのが、ビンゴな年代なんだけど、ね、ってことなんだな。
そこへいくと、異端の民俗学者、赤松啓介さんの「夜這いの民俗学」なんてのが、より現実的かも。
民俗学の泰斗、白足袋の柳田國男が、見事にスルーしちゃった領域なんだけどね。
これ、書き始めると、一日が終わっちゃいそうなので、スルーしときます。
そんなわけで、出かけます。