まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

麦秋至る、第24候

2021年05月31日 | Weblog

むぎのあきいたる、と読むらしい。

麦の穂が熟して畑一面が黄金色に輝く頃、とある。

麦秋とは夏の季語だそうで、とすると、昨日の朝の雲、はけで掃いたような。

あれは、初夏に現れるのかな、秋めいた、なんて感想を持っちゃったけれど。

今朝も、巴川の川面を白鷺の美しい白が滑空していった、下流に向かってだった。

そうそう、出掛けに庭で、かわいい蝶々に見惚れていた。

なんていう名前か知らないけれど、たぶん、彼女か、彼か、こちらの視線に気がついたな、たぶんだけど。

プリウスに移動して、さて、ピアノソナタをイヤホンで聴き始めようかな、のタイミングで。

フロントガラスのところまでやってきた。

なんて場面があったのでした。

ところで、日本人は勤勉な民族で、とか言われているよね、しかし、あれ。

戦後からのことらしい、なんて言説に出会った。

これ、ちょっと、ショックだったんだ。

「ニッポン、すごい」運動に肩入れしたいわけじゃなく、おいおい、またかよ。

ってなもんで、戦後にパン食が根付いた根幹みたいな。

「勤勉」ってのは、いいことのように思いがちだからね。

作業効率は、世界でもワーストワンだった、とかね。

なにせ、落語の世界でも、職人は半日働いて、その後は、酒飲んで、博打して、なんて話、あるからね。

いやいや、ほんとに、これが事実だとすると、大きな転換、まさにパラダイムシフト、ってやつだ。

もちろん、「勤勉でなかった」と言われる、大正年代にしても、幸せでなかった、というのではなく。

大正といえば、自由闊達な、独特な文化がわきおこった、なんてことも言われているしね。

なので、このところ、買い集めた短編集の、大正から昭和初期くらいの小説、探しているんだけど。

ほんとのところ、どうだったの、とね。

そもそも、文筆業なんてのは、世の中から外れた人士方の領域でしょ、呑気なんだ、基本。

食うの食われるの、の世界ではないので、探すのに難儀してます。

ちょうど、川場康成の掌編小説集、ってのが、ビンゴな年代なんだけど、ね、ってことなんだな。

そこへいくと、異端の民俗学者、赤松啓介さんの「夜這いの民俗学」なんてのが、より現実的かも。

民俗学の泰斗、白足袋の柳田國男が、見事にスルーしちゃった領域なんだけどね。

これ、書き始めると、一日が終わっちゃいそうなので、スルーしときます。

そんなわけで、出かけます。

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久能の海を見てきた。

2021年05月30日 | Weblog

言わずと知れた今朝の走り、なんだけど。

初めて、なんだよね、自分の足で見に行ったのは。

今日は、軽めにするか、なんて走り始めたのだけれど、いつの間にか、くだんの場所まで辿り着き。

ってわけだ。

その後に、フィットネスというアプリを見ながら、ノートに書きこむ。

この作業が、また、楽しいんだ。

Apple Watchなんていう、デジタルの、たまに、何かの振動を感知すると、どうかしましたか?

なんて心配してくれるやつなんだけど。

そんな住人なしの気遣い、なんてデジタルの世界を使いつつの、アナログのノート。

何キロ走り、何カロリー消費し、ピッチ数はいくつで、なんてのをね。

ところで、昨日のおしまいに少し触れたドーパミンの話。

誰かがラットの実験をしたらしく、そのラット、片付け上手で子育ても甲斐甲斐しく、ということだった。

そんな彼女の日常に、人間と名付けられた学者さんが、ボタンを押すとドーパミンが出る。

なんて装置を彼女の脳内に仕掛けた。

3回目から、ボタンとドーパミンの因果関係がわかった彼女は、一日に、3000回以上、押すようになったそうだ。

当然、子育ても片付けも放棄、ってことになる。

ドーパミン。

人に認められたり、褒められたり、何かを達成したりすると出てくるのかな、これ。

幸せホルモン?みたいなものか。

つまり、報酬系の社会についての記述に繋がるんだけどね。

見てみて、とか、すごいでしょ、僕、とか、わが社がいかに素晴らしいかというと、とかね。

あるあるでしょ、そこらへんに。

ラットで確かめられた、ってことだそうで。

アトランティスの文明の名残り、なんて書いてあったな、サアラさんの本にね。

『「宇宙感覚」を生きる』というやつなんだけど。

その文明から、「所有」って概念が広がり、というわけだ。

この「所有」について書き始めると、また、めんどくさいんだけど、かといって共産主義、ってことでもなく。

いずれにしても、ラットはドーパミンで育児放棄しちゃった、のであります。

こんなの仕掛けられたら、わが方もたまったもんじゃないね。

誰が、とか、裏の支配者が、とか、そんなことはともかく、なんかの拍子に、体内にそんなのが発現するチップかなんか。

埋め込まれ、これであなたはずっと幸せ、なんてことにでもなったら、どうします?奥さん。

ってなもんだな。

もっとも、世間に出回っている、数多の商品群は、幸せドーパミン(ドーパミン前段階)くらいの話でもあるな。

この辺りは厄介なんだよね、考え始めると。

と書きつつ、久能の海は、青く光っていて、その向こうから、なんだか音が聞こえてきていた。

海なりか、それとも、はともかく、いろんな妄想の中、海を見てきたタイムラインは、ひとまず、僕のもので。

って、おいおい、所有かよ、だけど、とにかく、疲れました。

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今朝は走りから始まった。

2021年05月29日 | Weblog

この表題がまた、おもしろくて。

始まったのか、始めたのか、that is the question、なんて、ね。

朝からめんどくさい思考回路を発動させてるな、まったく!ってなもんだけど。

現代だと、お前、何言ってんだ、お前が始めたんだろう、お前の責任で、と。

お前お前、の連呼だよね。

なんだけど、ヨーロッパ語だったか、にも、ある時代までは、中動態というのがあったらしく。

表題のような使い方、してたみたいで。

誰とか彼とかはともかく、走りというものが、始まったんだ、という言い方。

これだと、社会の中で責任の所在が危うくなり、というわけで、いつの間にか、そんなのは消えていった。

という話は、前にも、誰だっけ、哲学者の、国分さんか、功一郎さんをご紹介したときに書きましたかね。

日本人の言い方には、主語がない、なんて、よく言われたりするから、中動態の名残が色濃く残っているのかも。

だな。

と言いつつ、今や、すっかりカタカナ語の世界になりつつあるからな。

いつだったか、韓国の学者たちは、欧米の言葉を翻訳するのに、自国語でそれを表さず、外国語をそのまま使い。

論文なんかを書いちゃってるから、それに比べて、我が日本は、かくかくしかじかで。

だから、すごいでしょ、ニッポン、チャチャチャ、みたいな愛国評論家、いたけれど。

それも束の間、って風情でもあるね。

だって、英語、便利でしょ、ってなもんだ。

でもね、もうしばらくの辛抱です、頭なのか、腕なのかにチップを埋め込みさえすれば、勝手に、翻訳してくれますから。

なんて暗未来を朝から描いてもしょうもないか。

いや、僕の中は、チップなんか埋め込まずとも、GAFAだっけ、IT企業のお世話にならずとも、意識のポイントを。

ちょっとずらせれば、言葉の向こうにあるものをお互い見つけられる、そこでの対話が可能になる。

という近未来なんだけどね。

ジルボルト・テイラーというアメリカの脳科学者さんが、女性だよね、彼女。

いきなり左脳が溢血し、機能を失い、右脳だけになった。

それを、完治してから振り返り、本を書いてる。

右脳でいるとき、そりゃもう、至福の世界で、裁くもの、評価するものはおらず。

他との、ものであれ人であれ、その境界線もなく、なんて境地、ね。

たぶん、それ、可能なんだな。

楽しみですね、その世界が現出したら。

大きな価値の転換だよね。

ドーパミンなんていらなくなるよね、きっと。

そう、今朝は、ドーパミンについて書こうと思っていたんだけど、こないなりました。

と最後も、中動態で締めておきますか。

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「ドッペルゲンガー現象」という言葉に久々に出会った。

2021年05月28日 | Weblog

ひと頃、と言っても、中学生だったか高校生だったかの頃、芥川龍之介をよく読んでいて。

その中で、表題の言葉に出会ったんだった。

そんなこと、あるのか、いや、単なる芥川の妄想か、とかね。

そこで、集中して、それについての研究でもすれば、今頃、なんとかの大家になっていたのかも、だけど。

知らぬ間に通り抜けて行ったんだろうな、きっと。

で、何十年かした今、再び、出会ったわけだ。

こちらも、なんじゃそれ!ってくらいの本、と言う呼称もできるサアラさんの、だけど。

彼女、普通の日本人だけど、1億3000年前に、この地球にやってきていた、と言う記憶の持ち主で。

池川明さん、産婦人科の医師で、胎内記憶の本なんか、書かれている方なんだけど、その彼と。

対談本を何冊か出版している女史。

彼女が、並行現実、と言うのか、パラレルワールドについて書いている部分に、出てきたのが。

これで。

もう一人の自分に会っちゃう、とか言うのね。

現実というものには、実はいくつもの可能性という芽からの成果があって、というの。

今朝は、これについて書こうと思ったけれど、ことのほか、大層な話で、やめとこうかな。

いずれにしても、今という現実の他にも、たくさんの現実があったのかもしれない、あるいは、ある、ということだな。

ところで、このブログ、匿名模様なんだけど、と言っても、知ってる人は知ってる。

でもあり。

これだって、仮想現実、を毎朝、作り出している作業とも解釈できるか。

そうだ、昨日は、我が母校、清水の第六中学校でパネルディスカッションのコーディネーター役。

いや、しかし、カタカナ語が多いよな。

なんだよ、パネル、ってのは、ディスカッション、ってのは。

誰だったか言ってたな、コーディネートはコーデナイト、なんて親父ギャグみたいなの。

は、ともかく、現役の中学生、160名の前で、久々に校歌を独唱しちゃったな、音程外れてたかも、だけど。

事前情報で、中学生はリアクションが薄いから、とかあったのだけれど、実際には、そうでもなかったな。

もちろん、こちらが期待した通りではないのかも、だけど、そもそも、期待、ってのは、妄想の一変形でしょ。

ってなもんだからね。

というわけで、流れない巴川を眺めながらの一日を開始します。

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地獄の釜の蓋が開いたらしい。

2021年05月27日 | Weblog

そんなことじゃ、鍋の蓋が開かないよ、ってのは落語のおかみさんのセリフだけど。

つまり、食っちゃいけないよ、あんたがもっと働かなけりゃ、ってことで。

しかし、表題は、魑魅魍魎が跋扈する、と言う話なんで、剣呑な、物騒な方だね。

見たことないからわからないけど、そんな一説もあり、なので。

今朝も早よからFacebookにアップされていたコメントが。

遠隔のヒーリングや治療は厳に慎むように、と言うわけだ。

そこら辺を浮遊している邪霊が、その通信に入り込んじゃうよ、ってね。

当方は至って呑気なので、そうしたことが感じられないんだけど、なかには。

とても鋭敏に感得しちゃう方、割といらっしゃり、とはいえ、この時代だと、タブーまで行かないくらいの。

そんな世界の話でもあるよね。

ずっと前、何年前か、まだ、神社オタクと気取っていた頃か。

駿河の西、春野町の、大光寺と言うところへ行ったことがあって、あの地は、山犬が祀られているんだよね。

よそから嫁に来た女性が、きつねに憑かれた時、山犬のお札をもらいに行く、と言う寺院で。

そのお札を壁に貼っておくと霊剣あらたか、とね。

舗装されていない山道を軽の四駆で登っていったものだ。

そこには、修行場があり、たしか、行基さんの因縁の場で、こんな僕が撮った写真にも。

オーブってやつ、写っていたからね。

精霊なのか聖霊なのか邪霊なのか、よくわかりませんが、たくさん浮遊していたんだろうな。

僕は勝手に精霊だと解釈していたんだけどね。

くだんの地方に、山犬信仰が残されていたのも、どうだろう、何百年の単位なんだろうな。

その頃は、今よりもずっと身近に、霊の世界も語られていたのかも。

電気やら自動車やら宇宙飛行やらの時代になって、そんな迷信はだめだよ、本気にしちゃ、なんてね。

僕の解釈では、そういった文明ブツもあるにしても、明治の一神教への大転換、ってのが。

この列島から、そう言ったものを排除してしまった、んだろうな、と。

イギリスなのか、そんな仕組みを取り入れ、ってわけだ。

だから、あの時代、お寺さんは大変だっただろうな、すべて神社、天照大神宮の下に、ってことだろうからね。

数多の失業者も出ただろうし、さらに、加持祈祷、占い師、などなどの方々は。

今でいえば、ノーマスクの人への視線以上、戦中では非国民以上の扱いだったんじゃないか、な。

ま、とにかく、そんな歴史があり、密かに語るのが標準、みたいな具合になった。

だから、感受性豊かな方々の、ご苦労のほど、偲ばれるのであります。

なんか、中途半端だけど、この辺りで次へ行きます。

 

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マンゴー、パパイヤは気鬱状態を作り出すらしい。

2021年05月26日 | Weblog

試したことはないけれど。

いつだったか、書きましたか、波動医学、ってやつ。

そもそも、くだんの果物は南方の、働かなくても、木に生えてるやつ、もいで食べる。

ので、生活そのものには、例えば、ヨーロッパの気鬱な天候の中での、食うや食わずから生まれた文学作品の。

対極にあるようなもので、明るいんだそうだ、理屈なく。

しかし、明るすぎ、陽気すぎなので、せめてパパイヤでも食べて、気鬱を交えてちょうどいい。

なんて話、おもしろいものだな、と聞いた次第。

身土不二とは言ったもので、土地土地の作物によって構成されてきた、わがホモ・サピエンス。

長い長い時間の中で、カラダもその土地の気候風土にあってきたんだろうね。

なので、スーパーに並べられた、溢れかえんばかりの食物に慣れるのには、万年単位の時間がかかる。

のかもしれないな。

医者の数だけ病気ができる、ある、ってのも宜なるかな、ってところだ。

病気は、慣れない食への対応、ってくらいの話か。

火を使うようになって何万年になるのか知らないけれど、氷水が日常、なんてのは、この何十年だもんね。

「今だけ金だけ自分だけ」なんて標語が、現状を揶揄するように識者の口からたまにこぼれるけれど。

そういう本人だって、似たようなものだ、なんて論評ができそうだな。

だから、あんまり、正義を振りかざさない方が、御身のため、というか。

宇宙全体の流れからしたら、無益な争い、ってなもんだ。

それよりも、例えば、今朝の青空、その美しさに酔いしれる方がいいかも、あるいは。

今朝摘んだ、ペパーミントの味わいを堪能する、とか。

と言いながら、当方も、ご当地の食でない、カタカナ語の葉っぱを口にしているという。

なんともかんとも、の世界だね。

なんて書いてきたら、いい時間になった、ので、次なるお仕事に向かうとするか。

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昨日はブログも会社も休んだ。

2021年05月25日 | Weblog

なんて書くと、気鬱状態ですか、なんて言われそうだけど。

なんとなく、です。

もっとも、お休みさせていただきます、なんて台詞は、商売始めて初めての、だったな。

おもしろいものだ。

年がら年中休みのようで仕事のようで、なんて日々の中。

遊びのように仕事をし、仕事のように遊び、なんて豪語もしているのに、ってわけだ。

それにしても、今朝は気持ちのいい青空で、と書き始めたら、雲が多くなりそうな気配もあり。

そうだ、梅雨だったね。

それを忘れて、昨日は、金目鯛を開き、ベランダに干したんだった。

この時間から、燦々と注ぐ陽光の下で、一夜干しにしたら、と言う間に。

雨が降り出し、娘から、でしょ、梅雨だし、って言葉が飛んできた。

なのだけれど、今朝見たら、いい具合に、網の中に、キンメ君が横たわっていた。

今晩のアテ、だな。

今日は、ランチは取引先の御仁がやってきて、と言うのも、わが社の仕事についてのご託宣。

と言ったらオーバーか、越し方行末についてお聞きしながらの、締めはわが珈琲で、と言う算段。

なにせ、いろんな方のお話を伺う、と言うのは、これからの時代、当たり前になるだろうからな。

と言う予測のもとなのです。

小さなコミュニティーをそこかしこに立ち上げ、って。

そもそも、アイデア、あるいは、自分のアイデア、この、自分の、という時の自分、ってのはどこにいるか。

なんて朝から壮大なテーマについて、になっちゃうけれど。

すべての人は天才である、を目指しているので、もったいないでしょ、天才を差し置いて鈍才の僕が。

ああでもないこうでもない、とアイデアを捻り出すのは、ね。

いや、僕も天才なんだな、この論点からは。

いずれにしても、松下幸之助さんが、周知を集め、と言ったのは、こんなところかな。

そう言えば、夕べも、青山二郎さんを想う、宇野千代、白洲正子の文庫をパラパラとめくっていた。

このところ、そればっかりだけど。

流れのままに、ってことだな。

さて、そんなこんなで、5月末の決算を控えた本日に突入することにします。

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あなたの趣味は?と聞かれてたじろいだ

2021年05月23日 | Weblog

すかさず、捌くことですよ、魚を、と答えたんだけれど。

総会の後の簡単な打ち上げ時の会話。

たじろぐ、というのも変な話ではあるんだけど、今朝は走ってきた。

の後では、やっぱり、走ることです、なんて言っちゃっても悪くはなかった。

その相方は、僕とはレベルの違う走りで、藤枝から久能の東照宮を上り、とか。

なので、そこにたじろいだのかもしれないな。

いつも、比較の世界から自由にならなきゃ始まらない、なんて宣っているのにね。

あと、エネルギーワーク、なんてのもあるけれど、そこへいくと話は長くなるし。

なんてことはともかく、総会でのパネルディスカッションは楽しかった。

パネラーの力量はわかっていたので、コーディネートとは名ばかりで、ほっときゃ、むしろ。

それは成り立つ以上のものだというのは、予測できてもいたんだけど。

しかし、リモート総会という状況なので、それらの会話がモニターの向こうへどのように届くか。

届けられるか、というのが、この2月ばかりの当方の煩悶ネタでもあり。

楽しかったので、あと1時間くらいやりたかったな。

少なくともこちら側の楽しさは、伝わったんじゃないか、という自画自賛。

その後の質疑応答みたいな時間、あれも、もっと長い時間できそうだった。

これ、一つのモデルになるかも、リモートワークの。

公開バズセッションですね、と同じ席で他の御仁も話していて。

予定調和でない、そこに思いもしない空間、時間が生まれる、というね。

こんな時代には殊更に、そんな、日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり、という。

例の、周の湯王を真似るのも一興だ。

もともとそうで、どんな環境、状況であっても、なんだろうけど、殊更に、ってわけだ。

今朝は、すでに走り終わり、そうだ、趣味の話だった。

何年前か、あなたの趣味はなんですか?と同じように聞かれたことがあって。

その相方は、いわゆる霊能者と自認している御仁で、僕は、はたと言葉に詰まった。

今回と同じような具合だけど、その時には、まったく思い浮かばなかった。

そう、好きな女優は誰ですか?という問いもあった。

意表をつかれた問いによって、何か奥のほうにコツンと突き当たることがあるんだな、きっと。

自画像がぶち破られる、とでも言っておくか。

さて、そんなわけで、新たな日曜日に出かけるとします。

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雨の朝、まだ五月晴れの5月だ。

2021年05月22日 | Weblog

誰だったかに、天候の異変、まるで地球の終わりが近づいているようだよね。

なんて言葉を投げかけたら、いたく同意、って感じだったな。

そうか、昨日の総会前のヘアーカットの場面だ。

シャンプーはしますか、云々の話の中で、大きな声では言えないけど、僕、カラダ、石鹸で洗ってないんだ。

なんてね。

なにせ、この皮膚の1㎝角に200万個の微細菌というのか、彼らと共生しているわけで。

守ってもらってるんだ、彼らに。

だいたい、風呂上がりが一番やばいんだよね、無防備だから、とかさ。

そんな会話をしたんだった。

抗菌グッズなんてやばいよね、とか。

と、相方の彼女。

でも、子どもにきれいに片付けなさい、と言っちゃうんです、と応えが返ってきたな。

ついでに、母親が片付けられない人で、と来た。

わが家、母親と妹の関係、まんまだな、と思い返した。

なので、妹の部屋が今でもとても小綺麗に、なんだよね。

育った環境に、一矢報いる、みたいな感じだな。

それはそれで、大きな営為とも言えるね。

大きいとか小さいとかってのは、あんまり、意味ないかもな。

そうだ、昨日もご紹介した波動医学、ってやつ。

例えば、これ、語弊というのか支障あるかな、乳がんとか子宮癌とか、あれ、嫉妬から発する。

なんてこと、よしりん、というお医者さんがYouTubeで話していたな。

嫉妬と言っても、異性への、じゃなく、同性への、だそうで。

早い話が、比較の世界に生きている、とも言えるか。

なんて話しだせば、そこここに転がっている話でもあるな。

内臓の波動が落ちる、のか、バランスをかく、のか、そんな話らしい。

人との比較、ってのは、だいたい、学校教育で、あなたは何番ですよ、テストの結果、みたいな。

それ、だめだよね、の挙句が、世に評判の悪い、ゆとり教育、ってのになったのか。

気持ちはわかるけど、そこじゃないんだけどね、走るのが早いやつや足し算早いやつ、いてもいいじゃん。

そこでの、嫉妬とか悔しさとかを、どう始末つけるか、なんだけどね、難しいか。

人生の一大事、でもあるかな。

というわけで、土曜日に入り込むことにするか。

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5/14(金) モカ ディンギネッシュ

2021年05月21日 | Weblog

今朝のわがノート、トモエリバーの一行目にシャープペンで書かれた文字が表題で。

とても丁寧に書いた。

まるで、今日が地球、最後の日であるかのような。

そんな気分だったな。

久しぶりのモカだ。

巴川に白鷺、白の翼が美しいな、相変わらず。

濁った川面に映えちゃうんだな。

夕べも、宇野千代の文庫本、読んだ。

文庫にして、100ページとか200ページかな、それにしても、一人の男の。

その時には、すでにこの世にいなかったのかどうなのか、友人などを尋ねたり。

書かれた端書のようなものを丹念に解読したり、の作業。

宇野千代さんも70歳を過ぎていたのか、だけど、まるで、恋する乙女みたいな、は言い過ぎかな。

続いて、「小林秀雄の話」になるんだから、楽しみではあるな。

僕の小さな楽しみ、ってわけです。

そういえば、もう一つの小さな楽しみ、昨日は、会社近くのスーパーに寄って、豆あじを買い求め。

娘にLINEして、そういうわけだからマリネ、よろしく、ということで、英君のぬる燗、そのアテとなった。

週末の「河岸の市」通いも、楽しみの一つだな。

あそこに集う商い人との会話ね。

それぞれの立ち位置もある中、つまり、オーナーであったり、バイトであったり、だな。

どれにする?

いいよ、任せるよ、の後の勘定。

小銭を出そうとすると、目配せで、いいよ!みたいな瞬間、たまらない幸せ、喜びを感じるんだよ。

楽しみを数えたら一晩でも足りない、なんて、誰かの歌、なかったっけ。

河島英五じゃなくばんばひろふみでもなく郷ひろみではさらになく。

ところで、このところ、波動医学、ってのに出会いつつあり。

と言っても、どこかが悪くて、そんな先生に診療を受け、じゃないんだけど。

エネルギーワークをやっていることもあり、振動、波動、揺れ、目に見えない世界の臨場感。

とでもいうか、そんなことに関心のある中での話。

えぐい話だけど、旧ソビエト時代のデータ量が半端じゃないらしい。

内臓の、それ自体で持っている波動の測定データ、ね。

なにせ、スターリン、人類史上でも5本の指に入るくらい、人を殺してるでしょ。

億の単位?かな。

唯物主義のベタな共産主義でしょ、モノさえあれば幸せになれます、みたいな。

ある種の人間たちは、モノ、だったわけだ。

現代の家畜飼育法みたいな世界だろうな、きっと。

継続中のこちらも、とてもえぐい話だけどね。

えぐい話で締めるのもなんだから、今朝のモカ、ふくよかな、発酵した甘みのあるディンギネッシュ。

それを味わいながら、今日という日に出かけるとします。

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