まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

カラスが鳴いている。

2021年10月31日 | Weblog

噺の世界では、明烏、とでも言えるか。

女郎部屋で朝寝坊して、だったかな、忘れたけど。

誰のを聞いたんだったか。

志ん生もやっていたんだろうな。

「三枚起請」なんてのも、あったな。

いずれにしても、良い子の皆さんは、聞いちゃいけない噺ということになるな。

良いことだけがいい、というのかね、悪いことはいけない、というのも、なんとも。

複雑な風情でもあるな。

善悪で決め込み、悪を避け善を選択する、ということが賢人へ至る道、みたいな作り込みは。

どうもね、危ない。

明るさは滅びの道、とか言ったのは、太宰治だったのか。

アメリカの、ポリコレ、とかいうのも、つまり、ポリティカル・コレクトネス、ね。

とにかく、反論もできない正しさ風、ってやつ。

こんなこと書くと、信者さんから礫が飛んできそうだけど、バチカンが風前の灯火的なニュース、流れてくるよね。

以前から密かに語られ、映画なんかにもなったりしていた領域の事件ね。

そんなこと言い始めると、これ、内緒だけど、SDGsとかの話も、似つかわしいかな。

もっとも、この類の話を朝から展開するのは、どうもね、だけど。

という間に、ベランダにはスズメがやってきた。

同じ餌を、我が家の窓辺にも次男坊が置いているけど、あちらは食べに来ないのかな。

よくわからない風情だな。

今朝は三羽、残りの二羽はどうしているのかな。

そうだ、昨日は山道を走ったんだった。

それがね、奥さん、走り始めの頃の平地くらいの走り、ってのができたんです。

知らぬ間に体力、ついてるんだな、という実感。

それがうれしい。

なんて夜、kan.さんの「問題は解決するな」という本をパラパラめくっていたら。

ただ歩く、ただ立つ、というフレーズがあって。

それがいたく気になって。

なんとも面白そうな、そんな感じでもあるんだけど。

それとか、自分の鼓動に合わせる、というのか、鼓動を感じる、とりもなおさずそれは、宇宙の鼓動に通じる。

なんてのね。

そんな思いがけないフレーズに出会うのは、なんとも、楽しさの極みなり、ってわけだ。

さて、そろそろ、走り始めるとするか。

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耳は目よりも騙しにくい

2021年10月30日 | Weblog

なんてことを、マドモアゼル・愛さんがYoutubeで語っていて。

だな、とうなづいた次第。

わがプリウスライブも、そんな気分でもあるんだけど。

それにしても、頭を耳にかぶせちゃう、というのは、ありがちで。

耳だけになる、というのは、それはそれで、なかなか手強い所業でもあります。

頭が大事だというのは、十分に習ってきたけれど、というわけだ。

それこそ、目が騙される、というのは、例の、いつも持ち出すマヤだったか、インカだったか。

メソアメリカと言われる地に、スペインから乗り込んだ、当時としては大きな軍艦か。

それが現地の人には見えなかった、という逸話。

なぜなら、人間は頭で見るから、というんだけどね。

見たことのないものは、脳内貯蔵庫に入ってません、ってなもんだな。

耳にしても、カエルの鳴き声だっけ、アヒルだったか、欧米での受け取り方が違うんだよね。

カエルたちが、英語を喋るのではないんだろうけどね。

コオロギとかの鳴き声もそうだったか。

雑音に聞こえる、とかいうんだったかな。

ま、とにかく、同じ人間と括られても、それぞれがそれぞれの生き方をしているわけで。

宗教なんかにしても、受け入れやすい、とか、受け入れにくい、とかあるんだろうな、きっと。

ことに、ゴリゴリの一神教なんてのは、ね。

さて、今日は、山の方へ走りにいくとするか。

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「黙食」が続いたほうがいいかも。

2021年10月29日 | Weblog

そもそも、「黙食」なんて日本語、あったのかどうなのか。

ではあるけれど、このところ、何度も聞く言葉ではあるね。

いつ頃から、食事は笑顔で、とか言われる様になったのかな。

いかにも西欧風な。

と言っても、西欧風であるかどうかのエビデンスはありませんが。

なんとなく、です。

家族揃っての団欒、食事は楽しいものです、いろんなことを話しながら、というのね。

かたや、どうぞお召し上がりください、という実に神聖なフレーズとともに、でもあるな。

つまり、この目の前の命が天に召しますように、というわけだ。

朝から、なんともめんどくさい書き方をしているのも、どうもね、食については。

文明の進化というのか、進捗というのか、そんなこととともに、失われたものがあるんじゃないか。

なんて邪推、いや、仮説とでも言えるか。

明治23年発令の教育勅語とともに失われた習俗があるらしい、なんてこととともに。

謹厳実直な家では、食事の時には話をしてはいけません、いわんやテレビを見るなんてもってのほか。

みたいな、しつけ、とかなかったのかな、チラホラと耳にしたこともないわけじゃなく。

そんなことが気になる、秋深まりつつある朝なのです。

 

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泣かせて、泣かせてぇぇ。

2021年10月28日 | Weblog

なんて演歌、なかったかな。

昨日の研修、その委員長さんが、ついこの間、もと日銀マンという方のリモート講演で。

その方を泣かせてしまった、という逸話の持ち主で。

もちろん、感極まっての、なんだけどね。

そんな話題から始まった昨日の若手社員研修なのでした。

研修とか教育とか、実のところ、えらく時間のかかるものなんだろうね。

自分ならざるものに変身するんだから。

今まで自分と思っていたものへ何がしかの付加をする、あるいは、削ぎ落とす、とかね。

ところが、世情は、早く成果を、という気分もありありで。

だろうな。

ずっと前、わがベランダに種を蒔いた頃を思い出すな。

ハーブだったかな。

種を蒔き、水を遣り、と、翌朝は、芽が出たかな、ってなもんだ。

短兵急、って感じだね。

んなこと不可能でしょ、だけど、それをやっちゃうんだな。

種にだって、理(ことわり)があるんだよね。

待つ、だ。

こちら側からしたら、だけど、彼らに取ってはごく自然の当たり前の時間が流れているに過ぎず。

今、巴川を美しい白とともに白鷺が舞っていった。

もう一羽は、川の縁を歩いている。

その前には、スズメがやってきていた。

向こう岸をいつもの180spmの女史が走りすぎていく。

となると、もう彼女、自然の景色の一部分だな。

なんてことにうつつを抜かすことで、平衡が保てるのかもな。

あまりに人工的な、の世界に囲まれていると、こちらのカラダの中の自然が人工になっちゃうからね。

そりゃ、時折、齟齬、反乱が起きても仕方ない、って算段だ。

今朝は、グアテマラのラスヌベス。

というわけで、LINEへ業務連絡的な文章を送るとするか。

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民主主義はめんどくさい、と某地元の有名人がおっしゃっていた。

2021年10月27日 | Weblog

今朝の表題、長いね。

しかし、本文は短い予定、というか、予感。

昨日は、「世界創造の物語」を書いていた。

なんてのは、いかにも、だけど。

昔から、大言壮語、なんて言葉、あるよね、あれも、言った人がほんとにその気なら実現しちゃったりするんだよね。

きっと。

もっとも、実現、ってのも、なんだそれ?ってなもんでもあるけれど。

ところで、このところ痩せたので、締まったので、のほうがいいか、着る物が、微妙にダブつく感。

生成流転の世界だから、それも已むを得ないね。

今日は、若手社員研修ということで、わが社からも一名参加。

教育ね、研修ね、セミナーね、いろいろあるけれど、ね。

そういえば、監査役を担ってくださっている社長の会社からも2名参加、ということだったな。

さてさて、どんな一日になりますやら、お楽しみにお楽しみに、だな。

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ゴ、ゴ、ゴー、風が泣いている、ゴ、ゴ、ゴー。

2021年10月26日 | Weblog

昔懐かしいフレーズだ。

スパイダーズ。

今朝は風が強く、GS盛んな頃は、泣いている、と歌ったわけだ。

川は流れる。

ベランダにレンガを二つ置き、餌を置いた、その上に、つがいのスズメがやってきている。

風と雨がなかなか、いい感じだな、なぜだろう。

それはね、ってなもんで、それをそのように受けとる心があるからだよ、と。

ことほどさように、もの皆、わが創造物とも言えて。

どう受け取るかは、各人のご自由に、親鸞さんを気取って言えば、面々のおんはからいなり、だ。

それほどの自由を手に入れているのが、わがホモ・サピエンス、というのか、人間ということだ。

にもかかわらず、だ。

あれがこうなって、これがああなって、という議論が、SNSなんかに渦巻くんだよね。

ことに、選挙戦になったら、いつも見かけないツイートが流れてきたり。

そりゃ、政治は大事だからね、とどこかで習った言説に繋がりそうだけど。

この、習った、というのが曲者で、アカデミックな、白い巨塔の主、とか、どこぞの親分とか。

賢者とか聖者とか、ま、とにかく、エライ人の言ったことが幅をきかせ、知らぬ間に、それが。

自分の考えのような、というのが、習ったことの危うさ、ってことだな。

おっと、ベランダのレンガの上に、スズメが増えている。

しかし、彼ら、お腹が空いているから食べているのかな、どうだろう。

人間は、空腹の時に活動する、という古くからのしきたり、ならわし、習性を持っていたようだけど。

現代においては、お腹が空いたから食べる、という流れだけどね。

それすら、あてにならない。

という間に、ゴ、ゴ、ゴーの風は少し静かになったかな。

同じくらいの大きさで、車のエンジン音とタイヤの音だ。

さて、さて、骨ストレッチも縄跳びもツイストジャンプも終わったので、ゆっくりと。

ケニアのキアマバラを堪能するか、そのあとは、アロマ、今日は、pomeloと書いてある香りだ。

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野鳥用のエサを買ってきた。

2021年10月25日 | Weblog

今のところは、わがスズメくんのために。

そのうち、他の鳥たちもやってくるのかどうなのか。

1.4キロの袋で、500円だったか。

ヒヨドリやシジュウカラとかもやってくるのか。

なんてことはさておき、スズメだ。

今朝は、グアテマラ、ラスヌベス。

土曜の午後は、長男と次男との珈琲談義に花が咲いたな。

なかなか、面白い展開だったのだけど、それをここへ書くのは難しいものだ。

人生全般にまで及ぶ、とでも言おうか。

日曜の午後は、久しぶりに、kan.さんの「問題は解決するな」という本を手に取っていた。

そもそも、そんなことは不可能だから、やめとけ、というわけだ。

すると、「それ」に出会うよ、とね。

「それ」とは、自分の奥にある自分、かな。

緊急事態宣言というものが解除となり、動き出すぞ、というムードもある中、当方。

今のままで十分、という気分でもあり、ことに、玄米食に突入したので、その根っこのところ。

つまり、医であったり食であったり生であったり、という領域へ進出、って具合で。

世の中をよく治めて苦しみから民を救う、という経済、経世済民、なんてことにも。

思いは至り、という次第。

経済を回す、回らない、って言葉にも、なにがしかの違和感もあったりの、だな。

いずれにしても、自粛のモードをわがものにして、と大仰に言ってみるか。

すると、GO TOなんて掛け声かけられずとも、その気になったら行く、でなければ行かない。

当たり前だけど。

今朝の巴川は流れているな、下流に。

さて、またやってきたスズメを愛でつつ、今日に突入するか。

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88歳におなりになったか。

2021年10月24日 | Weblog

久しぶりにご近所の賢人にお会いした。

朝まだきからの、ご本人曰く、5キロ四方のゴミ拾い。

このところ、お見かけしなかったので、お辞めになったのか、なんて思っていたんだけど。

めでたい。

もう少しすると、いや、年明けからだったか、市内の小学校の卒業証書の名前書きが始まるので。

しばしのお休みになるんだけどね。

今朝の当方は、朝一の走り、というルーティンを変えてみた。

走りがルーティン化するのも、もったいないな、という思いとともに。

走りたくなったら走る、その気持ちを大事にしよう、ということなんだな。

ルーティーンを早いうちに終えて、という考えが浮かんでいて、それ、もったいないでしょ、というわけだ。

なので、今朝は、モカを淹れ、まったりの時間を過ごしつつの、〜たい、が湧き起こるのを待つ。

伊那谷在住のタオイスト、加島祥造さんの「待つ」という著作を思い出しながら、だな。

もっとも、待てるのも、暑さの夏が終わって、朝の涼しいうちに、が無くなったこともあるか。

今朝のベランダには、餌を求めるスズメの声が聞こえる。

忘れちゃったんだよね、玄米。

そうだ、スケジュール観とでも言えるか、時間に追われ、というのからの遁走、ということでもあるんだな。

走りのルーティーンを変えたのも。

なんて書いていると、巴川上空をカワウくんたちの群れが西方へ。

次には、また別のカワウくんか、川に潜った音も聞こえる。

五感を愛でる、ということからすると、多くは聴覚への刺激ではあるけれど、楽しいものだ。

今、アロマのスイッチを入れたので、そのうち、モカの香りの後の、シトラスだったかな。

それがやってくるだろう。

今、川面を滑空して行ったのは、なんていう鳥だろうか。

実にスマートに飛びすぎて行った。

かたや、カワウくんはバチャバチャと音を立てて、本日の朝食だろうか。

このくらいの時間になると、わが賢人さんも帰宅と相成り、朝食が始まるのか。

一日三食、という、それこそ、明治の頃からか、昭和になってからか、ルーティン化した、された。

そんな習慣?というのも、実のところ、危なっかしい話でもあり、まるで、土用の丑の日のうなぎ、みたいな。

あるいは、戦後の、貧乏人は麦を食え、だったか。

スマートなおうちの朝は、パン食ですよ、なんても、そうだな。

by 玄米食初心者の独り言です。

 

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白湯は生水の飲めない地の風習だそうだ。

2021年10月22日 | Weblog

どのくらい前からか、カラダを温める、というのか、ミトコンドリアが働きやすいために。

白湯とか温かいものを飲むように心がけていたのだけど、どうも、もう一つの考え方で。

もともと日本は水の国なので、なるべく普通の水を1500cc〜1800cc飲んだ方が代謝は良くなる。

なんて言説に出会い。

さてさて、というこの頃なのです。

寒くなって冷たい水を飲まなくなるとカラダを含む足先は冷える、ともいうんだよね。

瞑想が終わった後、左側の足が冷たくなるからね、これからの季節だと。

もうこうなると、言説というより、わがカラダの声を聴くことだな。

傾聴だ。

人それぞれ違っているし、カラダだって当然、いろんな歴史をへての今だからね。

金科玉条なんて言葉、あったけど、思い込んだら命懸け、みたいな、の。

いや、そんなに、命をかけているわけでもないか。

は、ともかく、五感にカラダに聴いてみる、ということだな。

今朝のアロマは、neroli、と書いてある。

効果効能は知りませんが、漂ってくる。

ほのかに、だ。

心なしか落ち着きとでもいうか、言葉に置き換えると。

もっとも、せっかくの原始脳への刺激を、わざわざ頭、というのか、言葉に置き換えることはないな。

ままにある、ってことだ。

では、本日も、ままにある自分というものとお付き合いするとしますか。

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西の空に満月が煌々と。

2021年10月21日 | Weblog

それにしてもすごい灯りだ。

車に乗る前に見上げた西の空、次男坊の部屋の壁に光が当たっていた。

となると、やはり、灯火もなく、朝まだきの、古代の朝に思いが飛んでいった。

月、そりゃ、なんとも言い難い思いとともにいたんだろう時空。

マドモアゼル・愛さんは、月に騙されないでね、という「月の教科書」を書いた。

15000年前に出来たというんだったか、月がね。

ざっくり、縄文の始まったと言われる時期だな。

そんな朝は、lavande fine というアロマ。

ほんのりと香ってくる。

fijne lavendel、lavanda fina、とも書いてある。

何か国語かの言い方なんだろうか。

たしか、ベルギーの会社からの輸入だとか言ってたからな。

今朝まいた玄米に、スズメたちがやってきている。

感謝の、喜びの囀りとともに、と勝手な解釈を施し、悦に入る。

という実にいい性格だね、当方も。

今日は名古屋で研修、この後、早い電車で行くことになる。

そんなひとときを、ラベンダーの香りとスズメの囀り、五感的に言えば、聴覚と嗅覚となるか。

このほんの少しの、五感の拡張とでもいうか、拡がりね、これは、たぶん、いいよ。

瞬間が、倍増するとでもいうのか、充実、密度の濃いものになる。

さて、五感を楽しみつつの今日に出かけます。

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