まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

望月宿

2007年11月30日 | Weblog
ぼくのまわりには、望月さんが大勢いらっしゃる。

なので、代参で、望月の宿へ行ってきたわけだ。

写真は、街道の北側、役場の裏の川。

なかなか、いい風情だったので、こっそり、撮っておいた。

御牧ヶ原というところがあり、馬を飼っていたはらっぱも近くにあるのでしょう。

牧ノ原台地なんて、静岡県にはあるけど、そこは、御がついていない。

天皇(すめらみこと)に献上するために御馬を育てた、ということで、御がついているようだった。

みまきがはら、と読むそうだ。

望月宿のてまえには、御馬寄(みまよせ)なんていう地名もあったし。

献上する日が、8月29日だったのが、15日の満月の日になり、望月というようになったらしい。

役場でもらったパンフレットには、たしか、そう書いてあった。

 
 逢坂の  関の清水に  影見えて 今や牽くらん  望月の駒

という紀貫之の歌も残っている、という。

京では、望月の馬は有名だったらしい。

ものの本には、中山道六十九次のなかで、温泉は下諏訪だけ、なんてあるけど、この望月宿には、望月温泉としっかりうたってもあった。

ぼくの知り合いの、望月さん、そういうわけで、行ってきましたよ。

望月と天狗との関わり合いも、気にはなっているんですが。

竜爪山の天狗の面をもっているのが、たしか、望月さんだったんで。
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小田井宿

2007年11月29日 | Weblog
中山道六十九次、つまり、中山道には、69の宿場があったわけだ。

東海道は五十三次、というよね。

そのなかのひとつに、小田井宿がある、と知ったばかりなんだけど。

母親が、御代田の駅の近くに、小田井という古い街があるらしい、と軽井沢への車中、ぽつり、と言う。

なにせ、長女なので、ほかのおば・おじは、言うことを聞くんです。

じゃ、そこへ、行ってみよう、とあいなった。

ところが、国道18号線の近辺で、土地のひとに、聞いたリするんだけど、なかなか、たどりつかない。

目印という目印もないしで、わかりにくい。

やっとの思いで、さもない辻を曲がると、その角に、小さな標識に、中山道小田井宿跡地、と書いてある。

その通りが、旧中山道ということになる。

18号線が、まぁまぁ、中山道でもあるわけだけど、すべてでもない。

今は昔、の今昔物語じゃないんだけど、今のメインストリートは、国道18号線なわけで、道ばたの標識には、旧中山道、なんて書いてもあったりするんだけど。

その昔、歩いて、または、かごで進む道中は、こんなに、便利に、まっすぐで、広い道ではないわけだ。

ほとんど、18号線からはずれたところに、かつて繁栄・栄華をきわめた中山道の街々は、ひっそりと身を隠している。

旧道に、上書きするように、新道が何回もでき、われわれは、便利この上ない、ドライビング・ジャーニーを満喫するんだけど。

その道の、奥底ふかいところに、栄耀栄華、悲喜こもごもの物語が、数え切れないくらい、眠っているんだよね。

歴史?そんなもん、答案用紙には、ぼくは過去にはこだわりません、て、書いておけ、って、島田洋七は、がばいばあちゃんに言われるんだけどね。
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血圧

2007年11月28日 | Weblog
おじおば会から帰って、寝ていたら、母親の血圧が高い、と妻がおこしにくる。

上が210で、下が、103だったか。

がたがた、ふるえて、かかりつけのお医者さんに、電話している。

今晩は、白湯をのんで、ゆっくり寝れば大丈夫ですよ、といわれたらしい。

とはいえ、本人のふるえは止まらないし、声は小さくなっているしで、救急病院へむかう。

市の北部へ、移転が噂されている病院でもあるんだけど、待合室で、1時間ばかり待つ。

病院というところは、とくに、深夜の救急病院は、どうも、苦手で。

ま、大事なのは、付き添いじゃなくて、本人なんでね。

2回ばかり、血圧を測るうちに、血圧が少し下がり、母親もおちついてきた。

結果、お薬を一錠いただき、明朝、かかりつけのお医者さんに行ってくださいね、ということになった。

医療崩壊がさけばれているなか、救急医療というのは、大変なことだ。

いろんな患者さんが、それこそ、突発的に来院するわけで、少ないスタッフで、長時間勤務ということなんだろうな。

ほんとに崩壊してしまって、総合病院がなくなってしまった街では、不安になるね。

おじおば会で、山道をはしりながら、こんなところに住んでいる人たちは、病気になったとき、困るよね、なんて話していたけど、実際、異変がおきてみると、そんなことを痛感してしまう。

当夜の患者さんのなかには、ブラジル人らしき人もいたけど、瞬間、映画の「バベル」を思い出してしまった。

異国の地で、言葉も通じず、保険もなく、と。

さぞかし、不安いっぱいなんだろうけど、仲間が、SOSと書いたあんちょこをもっていた。

ほんの短い時間だったけれど、何事もないときには感じない、さまざまなことを、感じた救急病院だった。

嫁・姑をぬきにして、こころから心配していた、と妻がいう。

ときに、母親の、冷笑的な、シニカルというのか、皮肉まじりの物言いに、頭にきたりもするけれど、いい家族だな、って、思った、と。

異変は、家族を揺さぶり、あらためて、家族を実感する瞬間。

古い言い方になっちゃうけど、グリコのおまけみたいで、すごく、思いがけない、気分、というやつだね。
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碓氷峠

2007年11月27日 | Weblog
碓氷峠の見晴台からの浅間山。

お天気に恵まれ、妙義連峰も美しかった。

この峠には、熊野神社があるんだけど、ちょうど、群馬と長野の県境。

まさに、真っ二つになっている。

宗教法人的にいうと、各県からの申請、ということになって、もともと一つだったものが、二つになっている。

つまり、長野側が、熊野皇太神社で、群馬側が、熊野神社、と。

宗教法人というのが、いつの頃なのか。

神様たちも、苦笑しているんじゃないかな。

いずれにせよ、この峠、かつては、門前町として、70から80軒が軒を連ね、隆盛を極めたらしい。

中山道69次のひとつになるのか。

いまは、ほんの数件が、観光客相手にひっそりと、ご商売されている、という感じ。

熊野神社の宮司さんのお店で、お茶などいただき、いろいろ、お話をうかがった。
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東急ハーベスト IN 軽井沢

2007年11月26日 | Weblog
玄関前の喫煙所。

軽井沢の朝です。

タバコを吸う人は、肩身が狭いのです。

夕べは、同じ、この場所で、埼玉からいらした、ご老人と、肩身が狭い同士、意気投合。

碓氷峠からの眺望は、絶品だ、とか、大宮から新幹線で38分だ、とか、いろいろ、お話しをうかがう。

今月のおじおば会は、少しリッチに、一泊なのです。

糠漬け師匠ご主人からいただいた、ハーベストのチケットを、有効に活用させていただいた。

まさに、ハーベスト。

豊かな収穫の時間を過ごしています。


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年表その2

2007年11月25日 | Weblog
2004年の2月10日から、11月まで、年表を作ってみた、のは、以前にアップしたかもしれない。

読み返してみると、おもしろい。

その日にあった出来事、そして、そのときの、いろんな人のコメントを書き留めてある。

過去、というわけだから、過ぎ去ったものなのだけど、生きているように感じる。

けっして、過去は、なくなったわけでも、ひからびているわけでも、ないのですね。

ヴィヴィッドに、まざまざと、そこにある。

すぎさったできごとの再解釈、というのが、ま、トラウマからの脱出の、一つの方法でもあるらしいけど、うなづけるものがある。

過去も未来も、今、というこのときに、集まっている、かな。

それはともかく、年の暮れが近づいたせいもあり、最近、まわりでは、時間のたつのは早い、早い、というのが、なにか、はやり言葉のように、とびかっている。

なぜ、そんなに早い、早いと思うの、と質問すると、あんたは、ろくに、仕事、してないから、そんな、のんきなこといっているんだよ、なんていわれる。

でも、僕の身近な、エブリデー・サンデー、つまり、サンデー毎日さんたちも、もう、こんな時期になっちゃったの、なんていうんだからね。

かくして、師走、近し、というわけです。

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湯浴みⅡ

2007年11月24日 | Weblog
ついこの間まで、神社おたくを、自称もし、他称もされていたんだけど。

今は、温泉おたく。

その理由は、温泉は神社だからである、と。

寺社仏閣の壮麗な建物を眺めていると、温泉地にたつ、豪華絢爛な建物とアナロジカルな思いにかられる。

根っこはひとつだ、と。

建築で使うコンパネというベニヤ板があるけれど、あの材料って、たしか、自分の重みで倒れてしまうほどの大木だったように記憶している。

大きくなりすぎて、倒れてしまう。

根を張るほどの準備期間もなく、外へ外へと張り出す、というしくみ。

これ、今に置き換えると、いろんなところで、見て取れるんだよね。


神社にしたって、神は細部に宿りたまふ、というくらいだから、ほんとは、奥の院の又おくの、小さな石ころに、本来のエネルギーがあるのかもしれない。

温泉にしたって、源泉のなかに凝縮した、地球のエネルギーが、そのご本尊なのだと思う。

その外側の構築物って、結局、その時々のパトロンがだれなのか、ということ。

貴族だったり、お侍さんだったり、するんだろうけど、いまは、お金を風呂敷包みにしょった、普通の人々、かな。


と、ここまでは、源泉原理主義的な、リクツなんだよね。

実際には、温泉を管理、運営していくのは、大変なんだろうな。

山村順次さんやいろんな方が研究しているみたいだけど、湯治オンリーの湯浴み客は、高度成長期以降、極端に減ってるようで、10%をきっているらしい。


これ、2007年4月24日に書いたものです。

けっこう、肩に力がはいっているね。

その時々で、心境やら感懐ってのは、変わるものだ。

だから、人生、おもしろい、というわけでもあるんだけど。
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糖尿病おやじさん

2007年11月23日 | Weblog
家で、寝転がって、「江戸の遺伝子」という本を読んでいたら、妻から、メールがはいる。

修理、と言う記事に、糖尿病おやじさんから、コメント、入っているよ、だって。

それじゃ、さっそく、本文に、アップしちゃうよ、と返信する。

婦唱夫随、だよね。

二人三脚のブログ生活、っていうところかな。

コメントは、以下です。

ちなみに、糖尿病おやじさんは、電気のプロです。


『こんな事してちゃだめですよ。
友達に電気屋さんいるんだから素直に頼めば・・・。

明かりがついたから良かったけれど自分の経験で行くと大抵「バチ」と言ったきり点かなくなる。もっと悪いのは、ブレーカーが落ちて大騒ぎ、しびれて椅子から落ちて大騒ぎ、なんて事よく有る話ですよ』


親切な、コメント、有難うございます。

たしかに、バチッといって、指先がしびれもしましたよ。

次回からは、よろしくお願いします。

とはいえ、小さな成功体験を、一緒に、よろこんでくださいね。

ところで、冒頭の「江戸の遺伝子」って本、徳川恒孝(つねなり)さんが、書いている。

徳川家康公から数えて、18代目という方。

やっぱり、明治維新のときに、かなり、乱暴に、新しい国のかたちをつくるために、江戸の悪さ・悲惨さなどなどを、デフォルメしてしまったみたいです。

西郷隆盛公の銅像はあっても、徳川家康公の銅像がないのは、どうしてなの、と日本郵船の海外勤務時代、外人に言われたらしい。

前はこんなにひどかったんだけど、今はこんなにいい世の中になったんだよ、っていうのは、どの時代の為政者もやる、常套手段ではあるんだけど。

昭和20年からの戦後も、似たようなものですね。

読み終わったら、感想を、アップします、って、もう書いちゃっているけど。

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人に歴史あり

2007年11月23日 | Weblog
ブロック屋のおやじの話。

小学校の息子が帰ってくるなり、言うんだって。

先生が、おまえのおやじは、と言って、下の名前を、呼び捨てにするんだって。

よくよく、聞いてみると、自分の教わった先生。

そのころは、大学を卒業したばかりだった、と。

いまじゃ、ベテランだよね。

そういえば、そのおやじさん、といっても、僕より、一回り若いんだけどね。

高校のときの恩師、国語の担任だったそうだけど。

その恩師の、退任のお祝いだったか、贈り物、何にしたらいいでしょうね、と相談をうけたことがある。

ちょうど、手に入れたばかりの本があったので、紹介する。

明治天皇御製。

つまり、明治天皇の詠まれた和歌集だね。

昭和12年発行だったか、ちょうど、その先生のお誕生の年。

インターネットのオークションで、やっと、一冊、みつけた本。

もう何年か前の話だけど、今でも、話題にのぼるんだから、感謝もされているんだろうな。

たとえば、こんな御歌です。

 あらし吹く世にも動くな人ごころいはほに根ざす松のごとくに

 老の坂こえぬる子をもをさなしと思ふや親のこゝろなるらむ

 かざらむと思はざりせばなかなかにうるはしからむ人のこゝろは
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うれしいこと

2007年11月22日 | Weblog
母親が、夢をみたらしい。

この間、なくなった義理の弟の、つまり、妹のわかれただんなさまの夢。

牧場のような、広い公園に、妹と柵にもたれて、いた、と。

ひろい、ひろい公園で、きもちがよかった。

そこへ、義弟が、満面に笑みをたたえて、卵をたずさえて、やってきた。

いい笑顔だったので、安心した、と母親は言う。

いい夢を見たね。

彼は、ほんとは、そんな風に生きたかったんだよね。

うちの昭チャン、おやじだね、もそうだったと思うけど。

というか、あるいは、その笑顔が、本質だった、というほうが、あたってるかな。

なぜ、人はそういう夢をみるものなのか、といぶかしくもあるんだけど、いい夢は、うれしいものだ。

自分もうれしくて、人もよろこんでくれることが、かれの本質だったとしたら、いやいや、すべての人が、そうだったとしたら。

おたがいさま、と言う言葉があるように、その笑顔をひきだすことにならなかった、こちら側の問題でも、あるわけで。

母親の夢は、いい夢で、よかったね、となるんだけど、なかなか、てごわいものが、ひそんでいるのかもしれないね。


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