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まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

鼻の筋肉を鍛える

2018年05月31日 | Weblog

今朝の表題は、めちゃくちゃ、だけど。

そもそも、筋肉じゃないし、つまり、薫香と書けば、かっこい。

いや、かおりを聞く、だったか、香道ね。

鍛える、なんてのは、おこがましいんで、嗅覚を呼び覚ます。

とでも言えるか。

早い話が、珈琲豆を挽き、その香りを楽しむ、というだけのことなんだけど。

それ、毎朝、原産地の違う豆を楽しむと、表題のような。

よくありがちな、例えば、大腰筋を鍛える、なんてことにも似ているかな、と。

ただそれだけなんだけど。

いつだったか、新聞の健康欄に、足が早くなるマシンを開発した御仁の記事があって。

膝と同時に腰も出す、という動きをサポートするマシンのようで、インナーのマッスルを動かす。

というコンセプトらしい。

という記事に触発された表題でもあるんだけど。

日頃、うかうか過ごしていると使わずにほっとかれている機能に注目、とでも書けるか。

大腰筋も、使わずにいると、だんだん、収縮し、なんて言葉にピクピクというわけだ。

せっかくの機能だから、それこそ、神からの授かり物だとしたら、大事に使わせていただこう、というね。

黙っていると、声の大きな方へ傾斜しがちだし。

目とか耳とかに押されちゃうでしょ。

しかも、目とか耳ってのは、頭に近いから、頭優位な、理屈優位な。

なので、音楽なんてのは、おもしろい道具だろうな、と思う。

昨日アップしたOSHOの、聴く、ってのとほぼ、同じこと、だからね。

聴くだけが、そこにある、という状態、思考も入らず、何も入らず、と。

触覚もそうだし、味覚もそうだし、とつながる。

禅僧が食事を作るそのことが修行だし、食べる、そのことが修行、というね。

すると、外界で起こっていること、あるいは、もともとそこにあったものたちに。

出会う。

日々は豊穣へと様変わりする。

そんな仕組みだね、きっと、たぶん。

心してみれば、という例の、誰が言ったのか、僕は、「宮本武蔵」の吉川英治に教わったのだけれど。

万物、ものみな、わが師なり、という時の、心して、と書いちゃうんで、誤解が生じもする。

心、は、意志の力でなんとかする、できるものじゃなく、まんま、そこに置いとく。

そんな感じなんだろうけどね。

ところで、このところ、ネガティブであること、それを味わい尽くす、そんな能力がある。

なんて言い方にであい、英語で書くと、negative capabilityかな、ネガティブ・ケイパビリティ。

これについては、to be continuedということにしておいて、そうだ、志ん生がお亡くなりになったんだった。

もちろん、結城昌治さんの伝記のような小説の中でのことだけど。

娘さんに、医者から止められていた酒を、おい、酒が飲みたい、飲ませなけりゃ、死んだ後後悔するぞ。

と脅して、水差しに注いでもらって、その晩、そのまま、眠るように黄泉へ旅立った。

という臨終の顛末だった。

それにしても、凄まじい、芸というものへの、なんていうのか、生き様と落語が一体化した。

とでもいうのか。

耳に思考が入らない聴く、と、生きることと落語の間に、夾雑物が入らない、噺、と。

似ているかな。

ちょっと人工的だけど、瞑想にも通じるものもあり。

古来、高僧たちが、愚をめざしたのとも似て。

愚、とは、とやかく考えない、とでもいうか。

考えはあくまでも外側にあるもので、その人そのものとは違う、とかね。

こんな話、言い出せばきりがないくらい、言いたい放題になってくるけれど。

そんなことより大事なことは、今朝の骨ストレッチ、というわけで、さて、そろそろお時間となりました。

ってことだ。

 

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革命家を追想しながらの朝

2018年05月30日 | Weblog

いささか先生じゃないけど、ちょっと気取りすぎの感もなきにしもあらず。

くらいの表題だけど。

ボリビアです、今朝の珈琲。

現在のメディアでは、テロリストとか聞き分けのない困った人、というような。

そんな類に分類されるか、あるいは、おどろおどろしい、とかね。

イエスキリストにしても、実のところは、革命家でもあって、と書くと。

ちょっと、落ち着いた、裾野の広がりを感じるね。

マホメッドしかり、ゴータマシッダルータしかり、だし。

せごどんがらみでいえば、吉田松陰にしても、井伊直弼を暗殺した有村兄弟をはじめとした水戸藩士。

大雑把にくくっちゃえば、革命家であるとも言える。

まだ見ぬボリビア山中を拠点としたゲバラの革命行動、ってのは、どんなだったんだろうな。

モーニングコーヒーなんて、洒落たこと、できたのか。

終戦後、東南アジアに居残った日本兵たちも、かの地の革命軍に馳せ参じ、なんてこともあったようで。

台湾だったか、東南アジアの何処かの国だったかへ旅をした時に、現地の方に激賞された。

なんて話を伺ったことがある。

感謝のね、気持ちをいまだに持っていたジモッティにお会いした、なんてことね。

ゲバラも、そのデンで、ボリビアのネイティブたちに、歓迎されたのか、それとも。

ってとこでもあるな、微妙な。

どちら側から描くか、で、光にも闇にもなり。

激賞もされ、非難もされ、という、ありがちな情景も、浮かびもする。

先週くらいに、地中海クルーズに行ってきた御仁と、昨夜は、少々、呑んだ。

ジェノバ、バルセロナ、あとどこだっけ、忘れたけど、そんな地名を肴に、旅の顛末をお聴きした。

彼ら以外の人士方は、もと高級サラリーマンというような方々だったそうで。

全長330mもある、タイタニック号よりもよほど大きな船。

写真を見せたいただいたら、大きなビルそのもの、だった。

クルーズ文化は、やっぱり、ヨーロッパ人かな。

爛熟した地中海文化、みたいなこと、感じながらお聴きしていたんだけど。

そうそう、この、聴く、ってやつ。

よく家での会話で、いいか、人の話をよく聴くこと、9対1くらいの割合がいい。

なんて子どもたちとのお酒の席で、父親たる当方がのたまう、のだけど。

その実、その席では、ほとんど、僕がしゃべっている、なんて結果に、という。

よくありがちな光景も思い出すんだけど。

昨日、たまたま、OSHOのfacebook上の文章が出てきたんだった。

 

これですが、なかなか、いいでしょ。

全身全霊で聴く、ってわけだ。

 

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齢を重ねると子どもに返る

2018年05月29日 | Weblog

というけれど。

例えば、つい先日の結婚式、涙はお友達、みたいな風情で。

今年初めの、長男坊の式でも、会場入り直後の、新郎新婦の記念撮影準備から。

どこかのボタンが押され、泣きのモードだったし。

ピュアな美しさが、直球のようにやってくる、のだと思うんだよね。

そこ、単に凝視める、という所作が、歳経たものの役目でもあったのかも。

というのも、南島では、ついこのあいだまで残されていた、というお正月の。

お年玉、だったか、新年の言祝ぎにやってきた子どもたちの頭頂に。

洗礼のような仕草で、村の長老たちは応えた、なんて話ね。

佳きかな佳きかな、ってわけだ。

その心根は、美しいよ、それだけで、生きてあるだけで、と。

近代と言われる、脳内スピードの高速回転により、悩み、とか、黙考、とか、つまり。

サーモグラフィーで見ると、頭だけ、赤く色づいているような。

そんなことが、珍重されるようになって、そんな仕草、つまり、言祝ぎのね、は。

ナイーブすぎだよ、なんて身もふたもない、というか、いかにも先進事例はこんなんです、なんて具合になって。

ことみな、根拠やら理由やら科学の掟に従わないものは、存在すら許さんぞ的な。

ところで、今朝の珈琲は、パナマです。

どうだろう、パナマ運河の流水を飲み込むような味わいで、なんて書き出すこと自体、頭真っ赤な具合だな。

舌と上下の顎と歯と鼻と、で味わっている、唯一無二の瞬間を、頭が奪い取っているわけだ。

だって言わなきゃわかんないじゃん、ってのが、おきまりのフレーズで。

その瞬間を、人それぞれに味わっているのだけど、ちょっと、声の大きな。

舌べらの回るような人士が、ちゃっちゃと書いちゃったりすると、それがデフォになったりね。

春はあけぼの、とかさ、鹿の声聞くときぞ秋は悲しき、とかさ、んなこと、思いもしないのに。

ね。

そのうちにコミュニケーション能力が云々、という仕儀に至るんだな。

だって、人間というのは、人の間、と書くんだ、一人では生きられないから、なんて利いた風なセリフ。

なんて言いながら、重宝だから使っちゃってるけどね。

さて、朝からの戯言はこのくらいにして、そろそろ、リアルな骨との対話の時間とするか。

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捨て川から学校が見えたよね

2018年05月28日 | Weblog

小学校までの道のり、その昔、というのは。

50年以上前か、表題のような話題で喫煙スペースの時間。

昨日は、自治会のソフト・バレーボールの慰労会。

体育部長さんなので、オードブルからお酒からの段取りを一手に引き受け、という1日だった。

なにせ、不慣れなことをやるのは、一つ一つ、一手遅れになりがちで。

だったんけど、無事、宴もたけなわのなかの会話で。

毎年交代制だから、来年の担当になる方にも、こんな具合で、と言いながら。

引き継ぎをわかりやすく書面にしますから、なんて話やらの合間に。

この捨て川、って、もともとは、なんて呼ばれていたのか。

上流に、そのころは、場があり、何ヶ月かに一回、大量の赤い血が流れてきた。

何年か先輩の方の話では、まだ、丸太で殺していた頃で、なんてことも知ることになり。

ついこの間までは、野蛮も野蛮、だったわけだ。

もっとも、スマートに締める、のがいいのかどうなのか、とも言えるけど。

いずれ、命をいただく、という、敬虔な心持ちは大事なことだよね。

学校までの道のりが、一面の田んぼから住宅地に様変わりし、野焼きどころの騒ぎではなく。

バーベキューもままならない、というのは、その慰労会の前、わが家への来訪者、従姉妹二人で。

介護施設に入所しているおじを、一日お泊まりの日だったようで。

そんなことの感想などなど話しながら、日曜日の昼下がり前の時間を過ごしたのでした。

話は多岐にわたり、僕に筆力があれば、ま、例えば、志賀直哉、太宰でもいいか、堀辰雄か。

ま、とにかく、一つや二つの物語が、書き残されるような、そんな時間。

文章にはならないにしても、それぞれの中にそれぞれのストーリーが刻印され、みたいな。

そんな時間だったな。

そうそう、北朝鮮とアメリカの対談で、あれやこれやの物語が、テレビや新聞に踊るけれど。

あれ、眺めながら、それこそ、黒船が、どこだっけ、品川沖、ハリスさんがきたのが。

下田だっけ、下田のお吉の物語、か。

いずれにしても、あの頃の、わが列島の政権とアメリカの交渉に思い至り。

昨夜のせごどんでは、井伊直弼が、稲村弥二郎だっけ、薩摩藩士、それと水戸藩士のグループに。

暗殺されたよね、それに似たことが、北朝鮮内部でも、今、現在、起こっていても不思議じゃないし。

アメリカの内部でも、いろいろとあるんだろうね。

なんてことね、思い浮かべながらのニュース鑑賞、ってわけだけど。

今朝の風は、少々ひんやりもし、爽やかだ。

さて、骨ストレッチを屋上で始まるとするか。

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引っ越し屋のトラックが雪のために遅れた

2018年05月27日 | Weblog

昭和11年の2月26日なんだよね。

志ん生の引っ越し、なめくじ長屋から、やっと抜け出し、というめでたい日。

その朝は、東京にも雪が降り、というわけだ。

遅いな、トラック、とね。

そこへ大慌てでやってきた運転手さん、大臣がみんな殺されちゃったんだよ。

ときた。

そりゃ大変だ、と言ったか、それとも、そんなことはともかく、この荷物、運ばなきゃ、だよな。

と言ったか。

例の、ニーテンニーロク、クーデターまがいの日。

その日を境に、軍部の独走が始まり、と歴史家は書くのだろうけど、ようやく売れてきた。

古今亭志ん馬、になっていたのか、彼にとっては、戦争への足音はどうだったのか。

柳家花緑のおじいさん、四代目の小さん、柳家栗之助だった頃の彼も、反乱軍に加わっていたそうだね。

いかにも小さんらしいエピソードだな。

結城昌治さんの文庫本、やっと「下」に入り、昨日は、藤枝の結婚式場まで電車に揺られながら読んでいた。

そう、結婚式では、涙は心の汗だ、なんてのたまいながら、やっぱり。

泣いていた。

歳を取ると涙腺が緩み、なんてフレーズで、納めちゃうけれど、やっぱりね

酸いもあまいも体験、体感してくると、他人ごとではない、ということかね。

わがことのように、挨拶にしてもパフォーマンスにしても、ね。

五臓六腑に染み渡る、って感じで。

テーブルに出されていた、なに、膝の上にかけるやつ、あれが涙ふく大きなハンカチ、ってなもんで。

と書いてきて、その昔、ご近所のちょっと年上のお兄さんが、母親に話していたのを思い出した。

あの映画は、大きなハンカチじゃなきゃ、ダメだよ、くらいの話ね。

泣ける映画なんだ、ってわけだ。

テレビはまだ、ラジオから映画館の、という時代、昭和の、オリンピックが終わったのか。

そのずっと前なのか、そんな会話を思い出す。

さて、今朝の青空のもと、ウォーキングとストレッチをしてみむとて、の時間だ。

始めるとするか。

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「幸福のアラビア」から届いたフルーティな

2018年05月26日 | Weblog

今朝は、そういうわけで、って、どういうわけか。

古代ギリシアやローマの時代には、表題のような言われ方をしていた、by ウイキ。

古い国、イエメンの、「熟れたフルーティさと上品でユニークな甘い香り、スパイシーな飲み口

しっかりとしたコクが特徴的」と書いてある、そんな珈琲で朝を始めた。

たしかに、おっしゃる通り、とも言えるけど、言葉に踊らされちゃ、いけないよ、ってことで。

それはそれとして。

というより、イエメンからの連想は、南北に分かれた、内戦の国、というもので。

そこから、どんな具合に届いたのか、という方に、関心は向いちゃうんだけどね。

グラム当たりの単価も、通常の倍くらいしたから、味のプレミアなのか。

それとも、戦闘状態をかいくぐったプレミアなのか、ってところだけど。

平和だね、わが列島の、この巴川岸の住人たる当方は。

そんなこと、脳内で、あれやこれやと思い描いての、朝のひとときなんだからね。

しばらくすると、ベランダの向こう、お隣のたわわになったビワへ、小鳥がやってくるんだ。

名前知らないけど、頭が濃紺かな、ちょっと大きめの。

色づいたビワを突きにくる。

すると、お隣さん、こりゃいかんと、例年のように、ビワの取り込みに馳せ参じる、という光景。

がね、始まるわけだ。

ところで、くだんのイエメン、ウイキを眺めたら、BC8世紀にハドラマウト王国が繁栄、とあった。

皇紀2600年よりも前の話だよね、2000+800年で、2800年だから。

さすが、ミトコンドリア・イブだっけ、20万年前に一人の女性がアフリカから云々、と言われるだけあって。

古い。

と言っても、100万年生きる、からしたら、つい最近の話だけど。

お隣の小鳥、彼らもいつ頃からビワをつつき始めたのかな、なんてところに飛んでいくな。

紀元前かね。

もっとも、ビワ、って、感じだけど、あくまでも、僕の感覚だけど、列島固有ではなさそうだしね。

イエメンからのモーニング珈琲を、なんて悦に入ってる当方と、もともとは、そんなに違いはないかも。

なんて気もするな。

新し物好きな、鳥の中のお調子者が、お、いい色してるな、くらいの感じだったかもしれず。

今日は、この後、同友会の事務局長さんの結婚式。

藤枝の新しいホテルでの挙行。

ジューンブライドのちょっと手前での話だけど、この言葉にもなにごとかの意味があるんだろうな。

誰か、挨拶の中で、引用しそうだな、いや、ないか。

明日は、この間の、ソフトボール、バレーボールの慰労会。

なんて言ってるうちに、それこそ、ジューン、と月になっちゃうな。

今年こそは、何年ぶりかに、漆器祭り、行こうと思っているんだ。

6月1日からの三日間だそうだ。

行くぞ!行くぞ、行くぞ!なんて書くと、麻原彰晃の、修行するぞ、修行するぞ、みたいだけど。

さて、幸福のイエメンアラビアンセレクションをいただくとします。

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オヤジの小言と茄子の花は

2018年05月25日 | Weblog
万に一つのムダもない。

よく、居酒屋のトイレに貼ってあるよね。



これ、わが社のベランダ。

いい色ですね。

オヤジの小言はともかく、茄子の花は。

すべて実を結ぶ、結実、結果する、ということなのか。

とすれば、この写真、初夏前から縁起がいいわい、というわけで。

皆様に、おすそ分けいたします。

今朝は、Macのネット、繋がらず、だったので、iPhoneからのショートブログです。

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もう悩んでいるんです

2018年05月24日 | Weblog

という言葉から始まった、昨日の新入社員さんとの個人ミーティング。

ポイントは、二つ、もう、と、悩んでいる、の言葉、って全部だけど。

悩みのタネは、先輩と車に乗っている時に、タバコが臭い、ということなんだけどね。

僕は、悩み解決AIじゃないので、その先輩に言えばいいでしょ、くらいに応じたんだけど。

すると、その先輩、防塵マスク、つけとけ、と言ったそうで。

なるほど、面白い解決策だ、と思った次第で。

んなこと言わず、新入社員さんをもっと大事にしろよ、もありだし。

そもそも、同じ車内で、タバコ吸うなんて、言語道断、百害あって一利なしのタバコなんだから。

もアリだね。

時代の趨勢的には、先輩の返しは、随分と分が悪いことになるだろうね。

こんな話、労働基準監督署に持って行ったら、返す刀でアウト!ってね。

今思い浮かんだのが、達磨大師とその弟子、慧可の関係なんだけどね。

達磨さん、弟子は取らないことで有名だったそうで、しかし、くだんの慧可がどうしても。

弟子にしてほしい、ということで、自分の肘から下を切り落とし、このくらい、弟子にしていただきたい。

思いが強いのです、くらいの感じで、達磨大師の前に登場、なんてのが、言い伝えられているんだけど。

流石に達磨さんも、それじゃ仕方ない、と弟子にした、なんて話ね。

上記、タバコと慧可の話を繋げたら、さぞかしハーバード流の、世界でも有数な。

人使いのシステム、仕組み作りの御仁からしたら、怒り心頭、だろうな。

と思いつつ、書いているんだけど。

その慧可、ある時、悩みきわまり、これほど修行しているんですが、悩みが沸き起こり止まりません。

くらいの話を達磨さんにしたわけだ。

すると、達磨さん、わかった、それを全部俺が解決してやる。

剛毅なもんだね。

さすが、師匠、ってなもんだ。

わかったから、その悩みを俺の前に持ってこい、俺に見せてみろ、と。

慧可、たぶん、瞬間、ん?ってなったと思うけど、流石に慧可なわけで。

次の瞬間、頓悟した、つまり、悟りを開いた、とエピソードワンになった。

なんてこともあるそうだから。

どんな仕事、どんな場面であっても、その可能性は開かれていて、ただ、こちら側の希求次第。

ってことかもね。

もっとも、くだんのタバコの話は、粗製乱造された、仕事のない、暇な弁護士にでも見つかった日にゃ。

どこぞの、なんとか相談所からの訴訟のネタにされるかもしれないな。

そうだ、訴訟なんてのは、どうでもよくて、もう、という言葉なんだ。

ほら、僕の想定通り、仕事のシーンって、悩みがつきものでしょ、なんてメンタルの写し絵。

それ、あなたの勝手な解釈でしょ、ってなもんなんだけどね。

そこで、自分の正しさを証明したうれしさを表現しなくてもいいんだけどね。

そう言えば、地震学者のなんとかさん、名前忘れたけど、関東大震災だったかな。

師匠のなんとか博士が、断固として否定している予知が、その弟子のなんとかさん。

ベタにあたり、グラグラ揺れ出した瞬間、ガッツポーズをした。

なんてエピソードツウがあったな、これ、たしか、吉村昭さんが書いていたんじゃなかったかな。

そんな感じで、わが正しさの証明なら、人類が滅んでもいいくらいの勢でしょ。

ガッツポーズ、そこじゃないでしょ、ってツッコミ、入りそうだけど、ね。

さて、今から、人類の幸せのために、エピソードスリー、骨ストレッチを始めるか。

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名古屋城を改築しているらしい

2018年05月23日 | Weblog

のか、するらしい、のか、曖昧ですが。

昨日、名古屋駅から総会会場までのタクシーで拾ったネタ、なんだけどね。

現存のが、コンクリート築なので、木造で考えている、のか、造っているのか。

ということらしい。

現代的な、ではなく、昔のまんま、というコンセプトなんだそうで、ところが。

エレベーターもつけず、ということなので、お年寄りとか足の不自由な方々からは。

そりゃひどいだろ、みたいな意見も出ている、なんてことだった。

運転手さん曰く、そうすれば、100年、200年経った後には、遺産として珍重されるのにね。

なんてことだったけれど、たしかに、薬師寺を修復した棟梁、西岡さんだっけ。

樹齢1000年の樹で造作すれば、1000年もつ、なんて言ってたような記憶が。

なんだけど。

100万年生きるか、なんて宣言した後では、どうも迫力に欠ける年数だね。

例えば、200年とかだと、江戸時代か。

そもそも、どんな言葉が話されていたのか、どんな価値観を持っていたのか、なんてのは。

それこそ、古文書に書かれたものから推測すると、くらいの注釈をつけないと、わからないよね。

キリスト教の聖書にしても、何百年後に書かれたんだっけ、イエスが磔にされたと言われる年から数えると。

実際のところ、昔のことは、わからないね。

解釈し放題、解釈したもん勝ち、くらいの話で。

そりゃ、今、にしたって、すべてがわかるわけじゃないし、当たり前といえば当たり前の話か。

名古屋までの新幹線の中、「志ん生一代」をパラパラと読み、相変わらず、給金は。

博打と酒と吉原で使い果たし、というおきまりの世界が描かれていたんだけど。

高座でもしくじり、家賃も払えず、どうにもならなくなった時、「品川心中」のお染めになった気分。

なんて箇所があったけれど。

そうやって、結果として、落語の登場人物にリアルに重なる、ということなのか。

名人志ん生、という結果を知っているこちら側からすると、そんなシーンにも過剰に反応しちゃうんだけどね。

って、書いてきても、落語、知らない方には、イマイチかも、だな。

昨日といえば、日大のアメフト、彼の記者会見だろうね。

それにしても、スポーツに何かが絡むと、めんどくさい話になるね。

スポーツマンシップに則り、なんてフレーズそのものが、いかにそれが、稀なことか、の証左でもあり。

なんて話にもなりそうだけどね。

それにしても、100万年の設定は、面白いよ。

すべてのものが、ちっぽけに見えてくるからね。

もちろん、そのメンタリティもヤバさは含んでいて、ニーチェじゃないけど、精神の貴族趣味。

高踏主義みたいなね。

僕は違うんです的な、特別な存在です、なんてね。

ま、そんなことはともかく、その宣言は、ちょっと空気の澄んだ処へ連れて行ってくれるよ。

そういえば、何日か前の屋上での出来事、カラスがね。

群れをなして電線に、そこで、お互いうなづきあっていたんだ。

作戦会議みたいな、あれ、なんだったんだろうな。

ヤタガラスと呼べば、神武東征の介添え役だし、わがトーテム、カラス君は、なかなか優れものかもしれないな。

よくわからないけど、そんなわからないことは、100万年生きた後に、解釈することにします。

 

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100万年、生きてみるか

2018年05月22日 | Weblog

ふと、そんな気になった。

ついこの間までは、95歳の設定だったんだけど。

その次が、ギネス破り、ということで、117歳。

それが、いきなり、スケールオーバー、万年単位になったんだからね。

というのも、宇宙人からのメッセージとかね、そんな文章を読んでいると、そりゃ。

それだけ長く生きてれば、現在のコミュニケーションでは難しいんだろうね、ほんとのところが。

おたがい、わかり合うのは、と思った次第。

たった60年にしたって、例えば、幼子、3歳でも5歳でも、その子たちと会話をするにしても。

彼らのわかりやすい言葉、内容で、わかり合おうとするけれど、実はさ、みたいな会話は。

無理だもんね。

そのデンで、何十年のスケールと何百万年のスケールじゃ、目盛が違いすぎる、ってわけで。

なんだけどね。

何年も前から気になっているのが、鞍馬山ね。

そこには、40万年前、金星からサナート・クマラがやってきて、という伝承というのか言い伝えがね。

残されている、というの。

かの地にもいつだったか、行ってきたけど。

残念ながら、スケールの違いで、コミュニケーションは成り立たなかったわけだ。

このところ、自治会の役員のおかげで、身近なところを経巡ったりもするんだけど、あの家もこの家も。

あと20年もしたら、代替わりで、と考えつつ、おいおい、跡取りもいないよ、みたいな。

そんな感懐に陥るとね、この街も、えらく様変わり、土地の所有、富の所有で、朝も早よから。

夜も遅くまで、みなさん、働いているけども、と。

それこそ、設定そのもの、変えなきゃじゃね、ってわけだ。

人口ボーナスの時は、その逆で、後来の民が、一挙に押し寄せ、なんて光景はそこかしこだったんだろう。

人口オーナスと言われるこの時代では、その真逆で、そこかしこに、空きができ、なんだろうからね。

土地の所有、資産の所有で、それにレバレッジをかけて、つまり、テコの原理で、賢い人々は。

裕福、と言われる年月を暮らす、みたいな、サクセスストーリーは、星の数ほど、ってことで。

じゃ、これからの時代、何にレバレッジをかけたらいいの、ってことになる。

なんてことさえ、虚しくなるような、「100万年生きる」設定なんだけどね。

虚しく、というのは、ちょっと、ネガティヴっぽい言葉に見えるけど、その実、そこはドラえもんの。

なんでもポケットだっけ、いや、逆か、なんでも入ってくるオープンドアでもあり。

でね。

むしろ、心虚しゆうする、のが、未来への切符、なのかもしれないな。

もっとも、未来も過去もなく、そもそも、明日は永遠に訪れず、でもあるんだけど。

というわけで、今朝の珈琲は、ブルンジから届いた豆。

甘くて酸味のある、という当方のリクエストに、若い店員さんがチョイスしてくださったのがこれ。

さんまじゃないけど、ほんまや!って具合だ。

さて、骨を動かすとするか。

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