まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

献杯から始まった

2019年10月31日 | Weblog

のは、田中会。

芸者さんとの飲みの席。

なにせ、このところ、温かなもの、という縛りがあるので、いきなり。

日本酒、燗酒、って具合で、今朝も少し、残っているかな。

骨休みの時間、7時間〜8時間、というお約束も、本日は、その半分くらいで。

二次会では、って、会の主人公を連れ立ってのスナックだったんだけど。

なんとかの水割り、ってのだから、くだんの坂井先生であったり、その師匠格の。

西原克成先生だったりのご推奨の、とにかく温飲食、ってウタイからは、外れちゃうんだな。

昼食屋さんに入っても、氷の入ったお水が出てくるし。

この40年間の、飲食の冷傾向、というのか、簡単に、アイスクリームやら氷やらが手に入る時代。

その零下に近い温度を、体内では、大勢の方々が、元の37度に戻そうと汗をかいて働いている。

それで、疲れた、ってのは、なんちゅうこっちゃ、って話ですが。

こんなこと、書き続けると、どこぞの因業親父みたいになっちゃいそうだけどね。

にしても、新鮮な話なんだよね、僕にとっては。

たしかに、冷たいものはカラダによくないよ、というのは聞いていたけれど。

ミトコンドリアまで行くとは、と。

昨日だったかのアップで、細胞の数だけ、のミトコンドリアだから、なんて書いたけど。

実際には、一つの細胞に平均で、300〜400というから、すごい数だね。

まったく、なんてこった、ってわけだ。

その一つ一つが、質量のないエネルギー、生命エネルギーを作り出し、司ってる、ってんだから。

神のごとき存在、とも言えるよね。

神社へ行って神様にお願いしつつ、氷水を飲む、なんて絵柄は、なにかのお笑い番組みたい、とも言えるんだよね。

そうだ、献杯ね。

会の主人公と同級生の方が、つい先ごろ、お亡くなりになり、会のメンバーでもあったので。

というわけだ。

その流れで、くだんの御仁を二次会へお連れして、歌を歌わせた。

まさに、歌わせた、と言えるかな、声を出すこと、大事だからね、ああだこうだのリクツよりも。

とここまで書いてきて、首里城火災、とニュースが流れた。

全焼、とあるね。

ノートルダム大聖堂に続き、って連想しちゃったな。

このことについては、またの機会にします。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠るときには貼らず貼るときには眠らず

2019年10月30日 | Weblog

どうやら、そんなことらしい。

なので、夕べは、貼らずに眠りについた。

そう、カイロのことだけど。

にもかかわらず、夜中、汗をかいた。

たぶん、深夜か朝方か、少し寒い感じを覚えているんだけど、そうなると。

いつものように、寝汗をかく、というね。

だいたい、それはよくありません、とかの評価になってしまいがちなんだけどね。

自分の中では、どこも調子の悪いところはないわけで。

不思議な現象です、くらいでお茶を濁しておきますか。

昨日は、小島貞夫の「志ん生のちょっといい話」だったか、そんな文庫本に出会い。

バランスボールに座りながら読んだ。

志ん生は、戦中から戦後にかけて、満州だったか、とにかく、外地にいた。

ちょうどその頃、小島貞夫もインドネシアは、セントヘレナ、現地名、スラウエシに抑留されていた。

という記述があってね、セントヘレナ、って、ナポレオンの流刑地?と思いつつ。

スラウエシが、たしか、珈琲豆のマンデリン?だったか、その原産名で、よく聞く地名だったんだな。

そのことに関心が向いた、ってだけの話だけど。

「びんぼう自慢」とかの代筆者である小島さんが、そこにいたんだ、戦地に、そこから届く豆か。

というね、慨嘆とでもいうか。

そんな時代がありまして、ゆやーんゆよんゆやゆよーん、と中原中也のリフレーン、思い出すな。

いろんなできごとがあって、今がある。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミトコンドリア先輩に絶賛ぞっこん中

2019年10月29日 | Weblog

ミトコンドリアというと、馳走の大将を思い出す。

かの御仁、ご自身をDNA教の教祖、とも称し、軽妙洒脱な会話を酒の肴に、なんて時間もね。

懐かしい思い出なのですが。

そのミトコンドリア先輩ですが、なんせ、20億年だったか、そんな頃から、細胞のエネルギー制御を。

というのか、産生を一身に担い、という御仁ですから。

わが体内にも、70兆個の細胞が、なんてことであれば、70兆人の先輩がいらっしゃる。

その先輩が生息しやすい環境を、というので、くだんの温熱作戦、カイロ貼りまくり。

なんだけど。

さすがに、ほどほどがよく、夕べは、二枚だけ、副腎のあたりに貼って寝た。

やっぱり汗はかいたけどね。

わがカラダを使っての実験中なのです。

実は、昨日、あるエネルギーワークを独習し、試してみたんだけど、これ、いいんだ。

中身は、今のところ、内緒だけどね。

つい最近アップした、坂井学さんという方の唱道する「エネルギー治療」というものに衝撃を受け。

なんてしてると、それ系のいろんな事毎に出会いもし、それは広がりを持つんだな。

なんてところでの、昨日のワークでもあって。

なんか、予感がしているんだよね。

わが標榜する、仕事をすればするほど健やかに、元気になる集団、ってのへの萌芽、とでもいうか。

このところのいろんな出来事は、そこへの一筋道、と。

まわりで起こっていること、というタイトルでブログを始めて、もう何年か、長くなるけど。

まさに、まわりで起こっていることの、すべて、一つの光へ収斂していく、とでも書くとカッコいいかな。

今朝のルーティンは大幅に変更し、って、ちょっと、一つワークを入れただけだけどね。

いや、榊の水替えと骨ストレッチはお休みしたか。

榊ね、いまだに青々としているので、昨日も、全体ミーティングで言っちゃったよ。

このミーティングでは、各自一言という名目で、参加者全員が仕事のこと、プライベートのこと、話す。

それが、この場を浄め、高め、流動化させ、そのおかげで榊はいまだに生命力を盛んに発揮し。

なんてことを述べた。

んだけど、まったく、そう思う。

ブラック企業とか労使の関係とか様々な言説がある中、わが社は榊の青がすべてのことを。

ヴィジュアル化、ま、見える化、物語ってくれているのです。

リクツではなく、感性、考えるな、感じろ、の世界だな。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貼りすぎは暑い

2019年10月28日 | Weblog

昨日の続きですが、カイロね。

夕べは、試しに、ユニクロで購入したタイツに貼り付け。

上は、腹部と腰部に、ということで、寝た。

さぞかし熟睡の極みを、なんて淡い期待とともに、だったんだけど。

さすがに、暑い、そう、この文字なのです。

暑くて夜中に目が覚め、それでも暑いので、脱いでしまった次第。

すぎたるは及ばざるが如し、ってことなんだよね、当たり前だけど。

体感もなにも、汗をかいただけ。

なのだけど、日常を変えていくのは、なかなか、至難の業で。

なにせ、冷飲食はやめましょうね、というウタイなので、マイブームだった、包丁での捌きを封印。

温食に切り替え、ってことでもあり。

当分の間、試行錯誤が続くのでしょう。

なんにせよ、やってみる、すると、なんらかの結果になり、そこでもう一度、トライ。

ってことの繰り返しなんだろうな。

とはいえ、やるやる詐欺じゃないけれど、心はやって、なんでもやることに意義がある、という思想に。

毒されるとろくなこともなく、ただ、ありのままに、ということがいいんだろうな。

あるがままに、なすがままに、なるがままに、という境地だね、難しいけど。

って、最後の、難しい、って言葉は、余分だな、すると、難しいとなっちゃう、という意味でね。

今朝は窓外から蚊が羽音を立ててやってきて、夏の間には入ってこなかったのに、どうしたの?

って感じで、笑っちゃいました。

珈琲は、ドミニカ、セサール、メルードと書かれたもので、泡立ちが、つまり、炭酸ガスだっけ、その出がよくて。

膨らみ、その後呼吸をするように、収縮を2度ほど繰り返し、その絵柄を眺めて。

なんだか、いい氣分になったのでした。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんでもやってみないと氣がすまない

2019年10月27日 | Weblog

というわけで、早速、坂井先生から伝授いただいた、温熱療法。

服の上から貼り付ける、という使い捨てカイロ、買ってきてね、試してみました。

腰、腎臓、腹部とね。

熟睡。

汗、かいちゃいましたが。

少しの間、わがカラダを使っての実験中、が続く、と思う。

体感だからね、言葉に溺れるのではなく、ね。

そもそも、これほどの冷たい飲み物、食べ物が多くの大衆に賞味された時代、ってのは。

せいぜい、この40年でしょ、っておっしゃるんだよね。

たしかに。

外気温をコントロールして快適な暮らし、なんてもそうだよね。

にも関わらず、さまざまな症状を訴える方は、むしろ、増えている。

だから一度、今までの常識、自分の中の思い込み、考え癖などなどを、一旦、オールクリア、ACボタンだな。

それを押してみて、身の回りを点検してみましょうか、という発想だったらしいけどね。

うなづけるんだ。

ところで、朝のルーティンの瞑想も、バランスボールを使ってやっている。

これ、30分間なんだけど、心なしか、その後の体感がいいような氣がしている。

あんまりたくさんやりすぎると、なにが効いてなにが効かないのか、ってのが、わからなくなっちゃうけどね。

ま、毎日、氣分よく過ごせれば、それでいいでしょ、ってなもんだ。

なにか、言い忘れているような、というのも、今朝の表題はこれだな、というのが、思い出せなくて。

カタカムナでは、言葉は楕円軌道で宇宙を回る、とか言っていたな。

だから、一度、忘れてしまうと、遠い宇宙の果てまで行ってしまう、というような。

なので、今朝の表題(仮)は今頃、宇宙を遊泳しているわけだ。

よく、脳のキャパシティの5%しか使ってない、アインシュタインでもせいぜい7%だっけ、誰がどうやって調べたのか。

ってのは置いといて、そんなことが言われたりするけれど。

それを決めたのはあなたです、なんて言説もあり、つまり、あなたが神、創造主です、とね。

津留晃一さんという、今は他界されている方ですが。

かの御仁に限らず、割と、そんな言い方、流布しているけどね。

だからなに?って。

結局、あれもこれも、こうなってます、なんて言質、言説が、ま、あなたがそう考えるなら。

それでいいじゃない、って、程度のもので。

だから、自由自在に飛び跳ねることだけが、わが方のできること、というか、もともと、そうできている。

けれど、家庭や学校や社会や会社や集団や組織や、そんなことごとからのメッセージを甘受、納得、実行。

みたいな果てに、思い込んだらこの一筋道を歯を食いしばってやってる僕、ってね。

そんなヒーロー像が出来上がり、障害物競走で、少しでも前に早く行こう、って具合だ。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スピリチュアルが大好きなんです

2019年10月26日 | Weblog

という方が、昨日、来社され。

って、いきなり、そんな切り口ではなかったんだけどね。

ひとしきり、仕事の打合せが済んだ後、そんな展開になり、表題なのですが。

よくよく吟味すれば、文章、おかしいかも、だけど。

ま、そんな具合の展開になり、でも、そんなこと、高言すると、おかしいでしょ。

とか、いろいろと批判もされ、なんてね。

たしかに、スピリチュアル、なんて大声で言いだすと、ああ、お花畑系ね、なんて具合になりそうだし。

なんだけど、言葉の表現はともかくとして、目に見える世界だけがすべて、なんてのは。

いかにも、そこの浅い話でもあり、かといって、何かと言えば、見えない世界のせいにするのも。

これまた、かったるいので、バランスが大事ではあるんだろうね。

まさに、わが二日目を終了した、バランスボールの世界だな。

そうそう、その女史に、わが社の神棚の話をしたんだった。

未だに、去年の暮れかな、その時の榊が青々としている。

なんてこと、をね。

そうなんです、未だにそういうわけで、すごいね。

いかに、この場のエネルギーが強いか、清浄か、ってわけで。

これだけでも、見えない世界のおかげさま、というのを実感もし、体感もするんだけど。

不思議だね、くらいの軽いノリで終わっちゃうのも、ちょっと、悲しい話で。

それにしても、どうなんだろうな、この現象は。

毎朝、そんなことを体感させていただいているのです。

ペストだっけ、伝染病ね。

フランスのカミュなんかも、小説にしていたかな、何百年前なのか。

ヨーロッパを襲った死の病、何百万人も命を落としたんだろうけど、あれ、その頃の。

医学では、まったくわからず、手の施しようがなかった、ということなんだけど。

わかってみれば、あら、簡単、って具合に、文明の歴史も展開していく、とすると。

わが方の、見えない世界、例えば、エネルギーとかの話も、ああ、そうだったんだ、ってなもんだね、きっと。

とはいえ、科学の証明を待つまでもなく、五感を総動員して向き合う、ってのも、今できる。

一つの方法ではあるな。

ところで、昨日も少しご紹介した、エネルギー治療の先生ね、とにかく、温めなさい、ということで。

飲食物は37〜40度、痛いところは、捻挫でもなんでも、温めなさい、って。

挙げ句の果てに、夜寝るときには、口にテープを貼って、外気の冷たさが体内に入らないように、だって。

鼻はそれなりの機能を持っているから大丈夫、そもそも、口で呼吸するのは、しゃべる、という機能を手に入れた。

この人間だけが持っているもので、他の動物にはない、とかね。

なぜ、キンキンに冷えたビールがいけないか、というと、例えば、0度のビールを飲むと、体内では。

大忙しで、0度を37度まで高めるための消化活動ならぬ、体温上昇活動をせざるを得ず。

膨大なエネルギーを消費する、と。

腸内細菌が大事、腸内フローラ、なんて流行りでもあるけれど、常在菌は。

0度では、全滅しちゃいます、というわけだ。

たしかに、そりゃそうだろうな。

なんか知らぬ間に、1500文字を超えちゃったな、なので。

中途半端なママに、本日のブログ、終了いたします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バランスボール、初日

2019年10月25日 | Weblog

いいわ。

これ、いいです。

バランスボールの上へ両脚をのっけて、ただ、呼吸をしているだけ、というものだけど。

呼吸に連れての、全身の微妙な動きにボール内の空気がこれまた、微妙に連動して。

とするうちに、活元体操のように、脚や腰が自然に動き出す。

この後、就寝時、手足が温かくて、気持ちがいいんだね。

これは、いいです、くどいけど。

なんてのが、初めてのバランスボール体験なのですが。

くだんの紫鯨亭直さん、名古屋で施術をしていただいた方なんだけどね、今度は、かの御仁のFacebookで紹介されていた。

和歌山の坂井学先生、こちらも、元整形外科のお医者さんで。

腰椎などが変形して神経に触り、痛みが出てるんです、的な。

整形外科の世界に、じゃ、ずっと痛いの、神経に触って痛いんなら、ずっと痛いはずでしょ、みたいなこととか。

ちょっと、理の通らない整形外科医におさらばして、今では、エネルギー治療と銘打って施術をしている御仁だそうで。

ちょっと、衝撃だった。

患者さんに何も触れず、押しもせず引きもせず、って具合で。

ただいるだけ、ってわけだ。

量子物理学の世界。

人間の身体だって物質で、細胞にしても、なんにしても、それをどんどんどんどん、極小まで行くと。

それこそ、波であり粒子であり、という存在の仕方をしている、って、例の量子物理学。

なので、最小単位の素粒子のエネルギーを調整する、つまり、そこの部分のエネルギーの乱れが。

表の痛みとして現れる、ってわけだ。

って、にわかには信じられないでしょ。

でも、そうやって商売されているわけだから、ね。

昨日は、そんな御仁にも出会うことができ、ちょっと、衝撃としか言いようがないんだな。

これね、エネルギーは誰も持っているので、早い話が、誰にでもできるんです、って言うんだな。

そこにいるだけで、明るくなり元気になり幸せになる、と言うような、そんな立ち位置を目指していた当方としては。

ベタすぎるくらいの話で、興味津々なのです。

さて、そんなわけで、衝撃の翌日、今日を始めるとするか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルーティンを変えたらこの時間になった

2019年10月24日 | Weblog

そう、今朝から骨ストレッチ、復活。

って、一日しか休まなかったのか。

というわけで、読書の時間の後、こうしてブログを書いている。

人は習慣の産物だ、と安岡正篤さんが言っていたのを思い出す。

習慣がすべて、だとも。

安岡さんといえば、今朝の渋沢栄一さんの文章に。

「民はこれを由らしむべし。これを知らしむべからず」ってのが出てきた。

人民とは政策に従わせればいいので、その理由まで知らせてはならない。

という意味に、ずっと取られてきて、というのも、林家という明治維新までの教育権限を守ってきた、その方々の解釈の。

遺物だ、というようなもので。

現代では、人民は政策に従わせることはできてもその理由まで理解させることは難しい、と解釈されている。

と注釈欄にはあったんだけどね。

くだんの安岡さんの解釈は、たしか、由らしむ、というのは、自ずから湧き上がる、自律的なもの、だったかな。

その氣になる、とも言えるか。

そうすることがいいのであって、無理やり教え込んだり、知らしめてもろくなことはない、効果はない。

みたいなことだったような。

朝から、小難しくなってますが。

流石に、ブログの前に読書、なんて手順だと、影響受けちゃうな、これも、検討の余地あり、だな。

このところ、魚、捌いてない。

何やかやと予定が立て込み、って具合、台風もあったしね。

そろそろ、この週末には、とも思っているんだけど、果たして、と。

昨日は、バランスボールを購入。

今日から早速、それにて、カラダを緩めることにするか。

さて、次のルーティンへ。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議な時間が過ぎた

2019年10月23日 | Weblog

昨日の、名古屋での、整体、と言っていいのか。

共鳴法整体の紫鯨亭、という御仁の施術を受けたのでした。

腰痛に関しての結論は、脚からではないですね、ここでしょうか、というのが。

大腰筋の下部、ここ、痛いですよね、というので、凝っていた。

サッカーやっていたんですか、この右側の腿、蹴られましたね、硬いコブになってます、とかね。

後、首の四つくらいの頚骨というのか、むち打ちになってますね、とか。

あまりにも不思議な指摘、というのか。

煙に巻かれたような、なんともかんとも、で、感想を一言で述べるとしたら、表題のような。

そんな名古屋行きでした。

60%くらい空気を入れたバランスボールへ脚を上げて云々、と推奨していただいたので、早速、手に入れよう。

そのボールの上に、脚を乗っけて、15分くらい寝ているだけ、と。

すると、呼吸による微妙な刺激で、下半身が緩み、脳まで緩むかも、なんてこととかね。

ほんとに、摩訶不思議、人間のカラダそのものが不思議、理解不能、ってことなんだろうな。

それが、日々の生活、考え方、感じ方などにも影響を与え、知らぬまの。

泥沼だったり、晴れ晴れとした日であったり、を演出し。

ということでもあるんだろうな。

だからと言って、その施術に依存するのも、これまた、転倒している話ではあり、ってことにもなるかな。

何れにしても、摩訶不思議な施術を体験したのでした。

もっとも、くだんの御仁からすれば、至極、当たり前、真っ当な、なんだろうとは思うけどね。

この二、三日、カラダがだるいかもしれません、筋肉の奥の方が少し変化したはずですから。

とも。

おかげさまで夕べは、熟睡、だったか。

病は氣から、と仮説を立てているんだけど、そのことと、昨日の施術はどう繋がるのか。

こちらも謎です。

そうだ、というわけで、今朝のルーティンは変更して、骨ストレッチは休みました。

せっかくの奥の方への刺激に日常を忍び込ませて、なんてことが、ちょっと、失礼かも、というね。

歩き方も変更するか、と。

かかとを先に下ろすんではなく、親指のすぐ後ろを着地点にして、アーチの骨によって衝撃を吸収するような。

かかとだと、毎日の脳への衝撃はバカになりませんよ、なんてことね。

ということで、生まれ変わった僕がブログアップしてます、と。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

趣味ーワクワクするような面白み

2019年10月22日 | Weblog

仕事をするにも、こんな具合に、趣味を持つことがよい。

というのは、このところの朝の読書から、の渋沢栄一さんですが。

いきなりですが、こんな感じ。

之れを知る者は之れを好む者に如(し)かず。
之れを好む者は之れを楽しむ者に如(し)かず。
(論語・雍也第六)

早い話が、単に理解することより好きになることがいい、好きになることより楽しむこと。

ってわけだ。

まるで、僕が言ってる言葉じゃん、ってね。

仕事のように遊び、遊びのように仕事する、と。

ので、朝の論語、by 教育テレビ、みたいだけどね。

この週末には、台風が、なんて話もあったけど、どうやら、温帯低気圧に変わったのか。

テレビ、ほとんど見ないので、知りませんが、今、どなたかのFacebookに出ていた。

被災地に追い討ちをかけるのか、なんて思っていたけど、それはなんとか止まったかな。

今日は、この後、名古屋へ整体に、というスケジュール。

山行きも師匠からお誘いを受けていたんだけど、ね。

整体、というのか、なんというのか、ちょっとわかりづらいものではあって、なのだけど。

今年の2月に、腰痛にて杖つき生活になったりしたから、予防も含め、現在のカラダを見ておいていただく。

という予約を入れてあって。

シフティングの講座をやっていただいた、三重は名張の御仁も見ていただくようで、そんなご縁からの。

本日なのです。

初めてのお使いならぬ、初めてのカラダの点検、だな。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする