まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

あれよあれよという間に如月最終日

2021年02月28日 | Weblog

今朝は寒いね、今日は少し暖かだね、なんて会話を交わすうちに。

表題のような塩梅で。

当たり前だけど、季節はめぐる、ってわけだ。

このところ御執心の、七十二候、今朝は、草木萠え動る、とかいて、そうもくめばえいずる、と読むらしい。

第6候だ。

これ、何がいいかというと、グレゴリオ暦とは違うタイムラインが、自分の中で流れる。

と、日々の日常の当たり前化しているさまざまなことごとが、そもそも、とか、いや待てよ、とかね。

そんな具合に、歴史とか呼ばれる生き物から少しばかり身を離して佇める、って。

何年か前だったか、ある霊能者さんが、そう、僕より、どのくらい若かったか。

夢や希望は、わからないこと、だから、ワクワクもし、なんだけど、わかっていることに。

安心、安住を求める、という変な性癖があるんですよね、人間には。

みたいなこと、言っていたのを思い出すな。

彼、今頃、どこでどうしているのか、なんてことも思いながらの朝になってきたな。

今回の世界的なパンデミックと呼ばれる事態も、結果、多くの方々が、そもそも、という言葉を投げつけられた。

なんて顛末でもあり。

日常の忙しさ、と呼ばれる状態に、ちょっと待てよ、そもそも、これ、なんだっけ、というね。

忙しい、なんて文字、ベタな親父ギャグだけど、心を亡くす、なんてよく言われていたけど。

そこへ突きつけられた、ステイホームなどなども、鬼滅の刃、なんて感じでもあるな。

そういえば、さっき、きさらぎ、を変換しようとしたら、鬼、と出てきた。

まさに、春への道は、鬼滅の刃じゃん、ってなもんだ。

いずれにしても、鬼滅とするかどうかはともかく、そこんとこ、テストに出るところだな。

なにせ、鬼、ってのは、そもそも、魂だって、鬼が云う、と書くわけだし。

歴史的にも、鬼滅、ってのは、おいおい、それ、お前にとっての鬼だろ的な存在でもあるしね。

「ジャックと豆の木」で、天上にも辿り着きそうな巨木の上でジャックが、鬼から。

今、イングランド人の匂いがしなかったか?なんて言われる、あのシーンだな。

先住の民からしたら、イングランド人が、鬼みたいなものだったはずだけど、正史では。

後来のイングランド人、いい人、先住のアイリッシュ、悪い人、みたいな。

なんて書いてくると、キリがないので、ここらでキリあげます。

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寒波再来、なんて書くといかにも

2021年02月27日 | Weblog

冬将軍がまたぞろ顔を出し、なんて風情濃厚になるね。

言葉だ、あくまでも。

なんて朝、西の空に、あれは満月なのかな、まさに朧月夜の名残か。

まわりをまるで霞がたたなびくような月がわが方を照らしてくれていた。

わがプリウスくんは6度を指し示し、だったから、ピークの寒さからしたらそれほどでもない。

のだけれど、表題にあんな具合に書いちゃうと、ってわけだ。

それはいいけど、この間、顔を洗う、ってんで、腰をかがめ、の時のピキピキの後遺症がまだ続いていて。

そろそろ、二週間か。

わがカラダとの対話が、いまいち、出来上がっておらず。

ソフトボールで筋膜リリースを、なんての、やってるんだけど、おぼつかず、って次第。

ところで、そもそも、このブログの始まり、ってのは、糠漬けだった。

あの樽の中にある糠床に、70兆とも、いや、もっとだったか、微細菌が生息し、というのが衝撃で。

さらに、野菜の細胞の中に浸出し、とかなんとかの話をしたくてしたくて。

行きつけの飲み屋さんでも盛んに、なのだけど、もちろん、相手は面白くないから上の空。

なんてことがあって、じゃ、ブログでも始めるか、だっただけど。

今、実のところは、そんな気分でもあるんだよね。

現在は、アフターコロナとデクラスと生・死、みたいなことだけど。

これ、なかなか、話すところがなく、けれど、このブログでも書くわけにはいかず。

なんて佇まい。

なんだよね。

樂の世界とも言えるかな。

わけわかんないよね、なので、やめときますが。

というわけで、もう少ししたら走り出すことになりますか。

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いろんなこと、したり考えたりしてるんだな。

2021年02月26日 | Weblog

というのが、Facebookを眺めての、他人事のような、感想と言ったところ。

かくいう当方も、そんなタイムラインを眺めているんだから、共犯者だな。

それぞれの方々が、さまざまな思いを吐露し、行動を示し、って具合で。

いつもいうセリフになっちゃうけれど、ネット環境のない時代にはどうだったんだろう、と。

この時代、各自各様の、発信の、創造の場があるわけで、例えば、誰かの「いいね!」ボタンで。

ひとまずの認証を受ける、みたいな。

ところで、昨日は、事業再構築補助金に関するリモートセミナーを受講して。

1兆円以上の補助金がつくんです、なんてウタイの、で。

関係各位は、腕まくりをしざわつき加減、甚だしいものがあるわけだ。

5万5千社をもくろむ、というので、650万社だっけ、ざっと1%くらいかね。

アフターコロナの経済復興への梃入れ、ってことになるんだろうな。

この話は、ひとまず脇に退けて、今日は、226事件の日なんだよね、わがプリウスくんが伝えてくれた。

伝えてくれたんだよね、って書いてみると、この先の展開、未来予想図みたいなの、浮かんでくるね。

新聞やラジオ、テレビなどが伝えてくれた、そうしたものが、マスの反対、対極の。

個人、というのか、ミニ、というのか、そこへ直接入ってくる。

最初は、自分のお好みで、なんて選択権がありそうな風情が、そのうち、知らぬ間に、これ、誰が選択したんだっけ。

なんて具合にね、もっとも、何かに、どこかに属する安寧、なんてのもあるからね。

知らぬが仏、とかさ。

ビッグブラザーの下に集います的な、まるで、「1984」の世界だね、30ページくらいしか読んでないけど。

知的には、つまり、頭優位的には、怖いですね、恐ろしいですね、独裁主義ですよ、みたいな解釈も成り立つ。

にしても、古来、わがホモ・サピエンスは、そんな具合に、徒党を組み、いや、仲間を募り、共同性を獲得し。

ネアンデルタール人をも駆逐し、みたいな歴史物語、イスラエルのハラリ教授、書いてたしな。

世上言われている、デクラス、なんてのがお目見えした暁には、そのあたりのことが、どんな具合に。

整理整頓され、俎上に乗っかるのかな、というのが、現在の、わが関心ごとの一つでもあり。

デクラス?

隠されていた、ないことになっていたもの・ことが、白日の下に晒される、とでも書いておくか。

それすらよくわかりませんが。

あるかもしれない、ないかもしれない、ってわけだ。

この時間は、既に明るくなりつつあり、十分に走ることはできるな、というわけで。

明日のこの時間には、えっちらおっちら、走っているのかもしれません。

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痛みがうつろいゆく。

2021年02月25日 | Weblog

なんて書くと、カッコつけすぎの感あるけれど。

くだんの脇腹?腸腰筋?の痛みが、夕べのテニスボールのマッサージで。

別の場所に移った気配。

痛みにより、ここらあたりが不具合だよ、というメッセージがあるんだけど、そこを。

しばらくボールで押していると、そのうち、そこの痛みは取れて、おや、不思議、ってんもんで。

なのだけど、今度は他のところの痛みに変わる。

なんて、わがカラダの模様を楽しんでいる、とまで言えないけれど、観察中。

机の上の本棚には、なんとかランニング・ストレッチ、なんて名付けられた本が並んでいる。

知らないことを知るってのは、なかなか、おもしろいもので。

そうなんだ、という瞬間ね。

なんにせよ、そこへ入り込むとキリがないわけで。

そういえば、最近、誰だったか、複数の方々が、月がおかしい、なんて言っていたので。

昨日は帰宅後、家の東にある月をまじまじと眺めてしまった。

もし言われている通りであるなら、あんたもすごい世界を作り出したものだね、なんて言いながら。

何年か前、エハン・デラヴィというアイルランドだったかの出身の、なんていうのか求道者?

地球自由人?

はともかく、くだんの御仁が、南米のシャーマンに伝わるアヤワスカという植物の液体を飲み。

酩酊なのか、になり、その時に、おそろしく巨大な大蛇を見た。

途轍もない知性を持ったものらしく、なんて話していて。

知性とか認識の仕方とか価値観とか、とにかく、わがホモ・サピエンスを大きく凌駕した生命体。

なんてこと、思ったものでしたが、月をそんなことも踏まえながら眺めていた。

500年くらい前の時代か、冒険の時代、スペインとかポルトガルとか。

新大陸を発見、なんて彼ら、息巻いてもいて、だけど、この現在では。

知的な冒険、認識の仕方の冒険、なんて具合だな、たぶん。

これこそは、と信じられていたものが、ひょっとしたら、こうも言えるか、こうも信じられるか。

みたいな、ね。

冒険だから、少しばかりの勇気と、いや、豪胆、蛮勇も必要でもあり。

安心、安全、安寧の位置から、ちょっとずれた位置、かな。

なんて朝は、化外の民、とでも言われちゃいそうな地、パプアニューギニアからの珈琲を愛でながら。

なのです。

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エルサルバドルのサンタリタ農園からの。

2021年02月24日 | Weblog

とくれば、珈琲。

ブルボン種らしい。

最後の一滴まで、なんて考えると、ちょっと酸味が出るのかな、と昨日。

学習したかも、なので、今朝は、早々に切り上げ、だった。

ところで、何日か前に事務所で顔を洗おうとして、腸腰筋なのかな。

腰の、脇腹あたりにピキピキっときて、それ以来、痛みが引かず、なんだけど。

カラダ全体にたくさんの筋肉があり、それらを個々に包む筋膜なんてのもあり。

と言うことを、最近知り、なんて時に、「1Q84」を読んでいたら、主人公の青豆という名の女性。

彼女、インストラクターで、カラダの全ての、そう言ったこと、筋肉やら関節やらを熟知している。

と言う設定で。

なんか憧れちゃうほどの、なんだな。

彼女に負けないように当方も、わがカラダの様、なりとたちを学習せむと、ってことだな。

カラダを哲学する、なんてね。

カラダもココロも宇宙も世間も社会も会社もみんな、似たようなもの、フラクタルとか言うのかな。

そんな気もしているんだよね。

そこに、目に見えない蜘蛛の糸のような、webというのか、ネットワークというのか、繋がりというのか。

そんなものに、一見、絡め取られ、みたいにも思えるけど、実のところは。

見守られている、とも言える、そんな佇まいのホモ・サピエンスたる我。

というわけで、今朝は骨ストレッチはお休みしての、脳内ストレッチング、って次第。

もっとも、脳内のストレッチなんてのも、しすぎてもだめ、しなさすぎてもだめ、という微妙なものでもあり。

結果、何もしないことが一番、なんて話にもなりがちでもあるけれどね。

昨日か、織田裕二とギバちゃんの、「踊る大捜査線」を妻が見ていて、ほんの少し、チラ見だったけど。

事件は現場で起きている、って、ね。

そうなんだよね、起きているのは現場なんだ、とはいえ、現場が人の数だけある、ってことでもあり。

もうね、数多のタイムライン、が流れているんだよな、きっと。

なんて脳内ストレッチはそろそろ終わり、現場へ出かけるとしますか。

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霞始めて

2021年02月23日 | Weblog

表題の後に、たたなびく、と続くのが、第5候。

なので、今朝は、これにしようとしたんだけど、たたなびく、と言う文字が出てこない。

雲偏に逮捕の逮、とかいて、そう読むらしい。

初めての文字なので。

なんだけど、可能な入力方法に辿り着かず、ひらがなにしてしまった次第。

旧暦新年明けてから第5回目の、だけど、おもしろいね。

五日ごとに、自然の動きが書かれているので、グレゴリオ暦とは一味違う、そんな日常を演出できる。

そう、須く、演出、演劇、映画、物語、ストーリー、ってわけだ。

累計にしたらどのくらいの方々の、さらに、その人生の時間まで掛け合わせたら、途方もない。

そんな集積の一つが、この暦なんだろうな。

暦に限らず、常識であったり非常識であったり、ごくごく普通になされる会話の中の。

小さな心の動きなんてのも、ある意味、集積の結果でもあり。

と考えてくると、宇宙大の、無限大の意識、なんてのに、辿り着きそうだ。

説明書きに、来る春に期待のふくらむ時節、とあるけれど、今朝は。

すでに、その期待が到来している、と言う時間軸のズレ、とでも言っちゃうか。

暖かな、まさに春、いや、ひょっとしたら初夏、みたいな気温だ。

昨日のわがプリウス、28度、なんて数値を叩き出していたからね。

数値数値のオンパレードで恐縮ですが。

って、今日の走りは、どんな展開になりますやら。

これまた、数値で、走り終わった後、Apple Watch⇨iPhone⇨ワークアウトアプリ、と言う具合に連なる。

データ、と言うやつを、当方、アナログチックにノートし、集積している。

コロナが始まった頃から数えて、既に100回は超えている。

時間、距離、心拍数、などなどを書き留め、たまに、振り返っているんだけど、愛おしい、と言うのか。

歩く方が早いね、なんて衝撃を受けた、一番最初の走りから数え、ほんと、小さなこと、取るに足らぬ。

小さなことの積み重ねが、一大事なんだ、ってことがね、体感、痛感できるわけだ。

と言うわけで、外も明るくなったことだし、走り支度が始まるのだろうか。

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玄関の梅の花が咲いたと写メした。

2021年02月22日 | Weblog

相手は、東京に住む妹へ。

しかも、メじゃなくLINEだけど。

こちらは、桜が咲いた、と返ってきた。

河津桜なんだ、と。

このところ、早咲きの桜が旺盛で、梅とどちらが早いか、ってなもんだ。

天竜川を遡って新城方面に曲がると、熊、と書いて、くんまと呼ぶ集落があるんだけど。

そこのジモッティのおばちゃんに、ここでは、梅・桜・桃と三種一気に咲くんだよ。

なんて言って、写真を見せていただいたことがあったな。

ずっと前に、母親に、会津の、三春の桜、なんて説明を受けながら、上記三種の花が咲く。

なんてことだったかな、どうだったか。

その後、福島原発の後、五月に寄り道した時には、三春、と言うのは地名なんだな、と知ったんだけど。

美しい春、と書いての美春だったか、いや、違うか。

そういえば、この名前、みはる、という奥様を持つ先輩、うどん屋のこなちゃんのことが話題になったな。

かの御仁は、何年前になるのか、黄泉の国へすでに旅立っている。

脳溢血で左脳がやられての三年くらい寝たきりの後の旅立ちだったな。

話せない、反応ない、の年月を経ての、だった。

その間、何度かお見舞いに行った時に感じた、わかってるな、僕の来たのがわかってるな。

と言う感覚だったんだけど。

同じような病を得て、かれこれ三年くらいになるのか、伊勢方面、名張だったかの御仁。

たぶん、わかっているけれど、左脳が損傷しているから表現、できないんだろうな、と。

共通の知人、摩訶不思議な整体師のなおさんと話したんだった。

言葉。

そぶり。

合図。

言葉は手段にすぎず、真を表すことはできないので、虚を使うしかない、寓言を。

なんて、白川静bot、と言うツイートに、あったけど、神話だったり、物語だったり、か。

例え話、なんてのもそうか。

はともかく、梅の花が咲いたのです。

その隣にある木は、猫柳か、それも花なのか、咲いている、と言っておこう。

春です。

そう、妹のLINEには、同時に花粉もそろそろ、なんて字句があったな。

神様のどんな魂胆を持った悪戯なんだろうね、春うららに悩ましい花粉が、なんての。

そりゃ、人間の文明が悪いんだ、なんてベタなこと、言ってみても始まらないしね。

いずれにしても、春うららの今日に出かけるとするか。

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海苔や豆腐がリヤカー売り

2021年02月21日 | Weblog

昔懐かしい商売、と言うのかな。

リヤカーに商品を積み、幟旗を立てての海苔屋さんであったり、豆腐屋さんであったり。

お豆腐の方は、まだ、現認してないけれど、海苔の方は、もう一年になるのかな。

見かけてから。

以前の走りのコースが、巴川沿いを海を見にいく、と言うテーマだった頃。

そのコースを、くだんの彼、リヤカーを引いてゴミも拾いながら、だったな。

なのだけれど、当方、そんな余裕もなくの走りで、この何日か前に事務所の前に現れ。

妻が買い求め、と言う展開なんだよね。

物売りといえば、以前、toshさんに、ラオ屋、と言う商売人が近所にやってきていた、なんて話、お聞きした。

こちらは、キセルの掃除人。

たぶん、50年以上も前の話じゃないかな。

キセルを掃除して商売が成り立っていた、と言うのが、なんとも、おもしろい。

それはともかく、くだんの商売の仕方が、成り立てばおもしろいな、と思いつつ。

ご近所の、全国区になるのか、バローさんが改装した後のお店の勢いが、半端ないそうで。

こちらは、娘の弁ですが。

アメリカの牛肉なんかともコンタクトを持つ物流の仕方を、いつだったか、新聞かなんかで読んだな。

ので、おいおい、それやめといたほうがいいんじゃない、みたいな感想は持ったものの。

巣ごもり需要で活気付くスーパーさんが。

さらにその上を行こうとしているのか、見ものではあるんだけど。

前述の海苔屋さんとの対比、コントラスト、ってわけだ。

海苔といえば、つい最近、同友会のマルちゃんこと、コンサルの丸山先生が、Facebookに書かれていたのが。

三河の海苔屋さん、すかさず、オーダーしてやってきたのだけど、海苔の香りが、つまり、磯の香りか。

いい感じで、プレミアムなんてのは、通常の2.5倍のお値段で。

ちょっとした贅沢な気分にもなったのでしたが。

いずれにしても、いろんな売り方があるんだけど、当方は当方で画策しているのは、売らない売り方。

なんての、なんだけどね。

具体的な形にはなってないんだけど。

この種を蒔いてあって、いつか芽吹くのかもしれない、時間は自然時間、だから、待つ。

求めない、待つ、なんて書いてくると、伊那谷の住人、加島祥三さんの、老子への道、みたいだな。

 

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IT土方に会う。

2021年02月20日 | Weblog

これ、失礼な言い方なのかも、土方、なんてね。

ポリコレじゃないけど、放送禁止用語なのかもしれないな。

は、どうでもいいけど、昨日、その女史が来社され、当方の。

あれだこれだの疑問にお答え願った次第で。

表題の言葉を使ったら、印象では、いたく喜んでいただき。

お父上が、本物の土方、というか、実際には、足場鳶さんだったらしく、遺言なのか。

いいか、おまえ、くらいの調子で、言い残してくださったようだ。

キレキレの説明に感心しつつ、かつ、業界的には、コミュニケーション能力に難あり、みたいなタグ。

貼られるでしょ、にもかかわらず、ってことで。

いい時間を共有できたのでした。

ま、世の中には、おもしろい方、しこたまいらっしゃる。

高校などで、教鞭をとってらっしゃるそうで、これからどんな展開になりますやら、ってところだな。

今朝のプリウスは、昨日よりも少々高い温度を指し示し、だけど、フロントは凍っていて。

しっかりお湯をかけた。

ところで、星占いみたいな話だけど、あなたのホロスコープは、なんてことになると。

生まれた時の太陽の位置がどこか、と言うことらしく、僕の場合は、水瓶座なんだよね。

なんだけど、土星の位置は?って見方もあるそうで、天秤座なんだ。

その星座のさしめす特徴が、苦手なこととして人生を過ごし、そこを克服するのが妙味、醍醐味。

ってことを、マドモアゼル・愛さんがおっしゃっていて。

僕の場合は、人との接し方、交流の仕方、ってことみたいで。

たしかに、そこ、苦手だったな。

なので、間合い取りのために、タバコ吸ったり、水飲んだり、お酒飲んだり、か。

なんて思ってもみて、なんだけど、今では、そこが楽しみでもあるんだな。

齢を重ねる、ってのは、そう言うことか、なんて結論しちゃうと、ベタすぎかも、だけど。

ま、今でも、プレゼン、下手だけど。

もっとも、下手さを逆手にとって、なんてテクニックも手に入れた気になっているけれど。

星座がすべてではないだろうけど、一つではあるんだろうからね。

なんてことをつらつら考えながらも、走るとしますか。

 

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-1でフロントが凍ってなかったのが不思議だ。

2021年02月19日 | Weblog

寒波再来、というようなことで、この二、三日は寒いですよ、のなか。

今朝は、表題のごとくで。

さすがに今朝は凍っているだろうの予測のもと。

ペットボトルにお湯を用意して、と思ったんだけど、もしかしたら、と先に見に行ってみた。

案の定、ってやつだ。

-1も、いつもの冬では、一度か二度、三度あったかな、ってくらいで。

そろそろ、暦の通りに、春が近づいているのだろう、週末はとても温かになるようだし。

河津の桜も週末には満開かな。

先日の個人ミーティングで、若者が写真を見せてくれたんだった。

河津の桜、五分咲きか七分咲きか、とか、河津七滝、とか、烏帽子山、そこの浅間神社、とか、城ヶ崎、とかね。

コロナ禍でも、彼らの活動エネルギーは減じることはなく。

ってことだ。

このところの全豪オープンに妻ははまり込み、WOWOWのテレビとなんてったかな、iPhoneアプリで。

の同時別試合観戦、ってのらしく、娘が呆れていた。

のだけど、ジョコビッチ、彼の試合を、夕べ、娘との夕餉、眺めながら。

対戦相手は、予選から勝ち上がった、かつ、初のベスト4の選手だったんだな。

フォアが重くて強くて、って解説があって、いいところまでジョコビッチを追い詰めて、というか。

ここで決まれば、王者もかなり追い詰められ、なんてところもあったんだけど、そこがね。

違うんだな。

そこの違い、ほんの少しの、だろうけど、天と地くらいの違いでもあるのかも。

なんだろうな、そこは、その時にジョコビッチの中で起こっていることは、なんてね。

結果は、楽勝、という形容になるか。

この楽から千秋楽、なんてのが連想されて、ところで楽って?、と思い立ち、白川静さんの「常用字解」を開いてみた。

白は、鈴のことらしく、元は樂で、糸みたいなのは、まさに糸に鈴をつけ振ったらしい。

神を楽しませるために、だったそうで。

さしずめ、神の代理人たるわが身へ向けて、糸に鈴をつけて振ってみるか。

それが暮らしであるはずなんだな、きっと、たぶん。

そんな物語を紡ぐために生を授かった、あるいは、選択した?

人間の作った価値観と違う価値観だろう宇宙の源から見たら、ジョコビッチが追い詰められ苦難に陥っても。

それは、まるで、糸に鈴をつけて振ってる姿のように見えるんだろうか。

たぶん、そういうことだろうな。

なので、すべからく、楽しむにしくはなし、ってことだ。

当たり前か。

わけわかんないこと書きつつ、そうだ、またぞろの「1Q84」、読んでるんだった。

筒井康隆や中上健次や色川武夫やらの短編を、なんて画策しているのに、そこへ手が伸びてしまう。

意味もなく、ってことなんだな。

短編として読んでいる。

さて、意味があるかないかはわからないけれど、今日の物語に出かけていくことにするか。

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