今朝は寒いね、今日は少し暖かだね、なんて会話を交わすうちに。
表題のような塩梅で。
当たり前だけど、季節はめぐる、ってわけだ。
このところ御執心の、七十二候、今朝は、草木萠え動る、とかいて、そうもくめばえいずる、と読むらしい。
第6候だ。
これ、何がいいかというと、グレゴリオ暦とは違うタイムラインが、自分の中で流れる。
と、日々の日常の当たり前化しているさまざまなことごとが、そもそも、とか、いや待てよ、とかね。
そんな具合に、歴史とか呼ばれる生き物から少しばかり身を離して佇める、って。
何年か前だったか、ある霊能者さんが、そう、僕より、どのくらい若かったか。
夢や希望は、わからないこと、だから、ワクワクもし、なんだけど、わかっていることに。
安心、安住を求める、という変な性癖があるんですよね、人間には。
みたいなこと、言っていたのを思い出すな。
彼、今頃、どこでどうしているのか、なんてことも思いながらの朝になってきたな。
今回の世界的なパンデミックと呼ばれる事態も、結果、多くの方々が、そもそも、という言葉を投げつけられた。
なんて顛末でもあり。
日常の忙しさ、と呼ばれる状態に、ちょっと待てよ、そもそも、これ、なんだっけ、というね。
忙しい、なんて文字、ベタな親父ギャグだけど、心を亡くす、なんてよく言われていたけど。
そこへ突きつけられた、ステイホームなどなども、鬼滅の刃、なんて感じでもあるな。
そういえば、さっき、きさらぎ、を変換しようとしたら、鬼、と出てきた。
まさに、春への道は、鬼滅の刃じゃん、ってなもんだ。
いずれにしても、鬼滅とするかどうかはともかく、そこんとこ、テストに出るところだな。
なにせ、鬼、ってのは、そもそも、魂だって、鬼が云う、と書くわけだし。
歴史的にも、鬼滅、ってのは、おいおい、それ、お前にとっての鬼だろ的な存在でもあるしね。
「ジャックと豆の木」で、天上にも辿り着きそうな巨木の上でジャックが、鬼から。
今、イングランド人の匂いがしなかったか?なんて言われる、あのシーンだな。
先住の民からしたら、イングランド人が、鬼みたいなものだったはずだけど、正史では。
後来のイングランド人、いい人、先住のアイリッシュ、悪い人、みたいな。
なんて書いてくると、キリがないので、ここらでキリあげます。