まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

砥石を研いだ

2019年09月30日 | Weblog

のが、日曜日だった。

その前日、出刃包丁を砥ぎ、メジナとカワハギを捌いた。

のだけれど、微妙に、切れ味が鈍っている感じがして、やっぱり。

仕上げの砥石、なきゃダメなかな、という思いが満ち、近所の。

ホームセンターに付属する工具屋さんに直行、ちょうど居合わせた娘と駐車場で鉢合わせ。

でもあったんだけど。

結果、#6000という砥石を購入。

さて、というわけで、帰宅後、そそくさと砥ぎを始めよう、という時、あれ、ひょっとしたら。

と浮かんだのが、砥石を研がなきゃ、かもな、ということで。

これまた、しばらく前に購入しておいた荒砥石にて、中砥石を研いでみたわけだ。

たしかに、手で触ると、真ん中が凹んでいるんだよね。

こりゃ、すごいもんだね、と。

で、傍で、次男坊がスマホで検索しながら、砥石の砥ぎの注意点などを解説しつつの。

そんなシチュエーションの中での、表題なのでした。

学ぶとは、知らないことがあったと知ることが知ることで、知/不知=知、なんて安富さんは書いていて。

その知を身に着けること、それが習う、習ということ。

その繰り返しが、学習過程、なんてこと、「論語」に関わりつつ、書いていた。

なんてことを、体感した時間だったのです。

今朝の秋空も素敵だ。

皆様も素敵な秋をお過ごしくださいませ。

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バタバタバタと不器用な翼の音?

2019年09月29日 | Weblog

そう、そんな季節の始まりです。

わがカワウくんが、飛び立っていく。

あれほどスマートに川面では魚を獲るのにね、こと、空間ともなると。

って感じだ。

それにしても2000年以上も前に、鵜の魚獲りを見ながら、鵜飼なんてことを発見した人。

すごいものだね。

今なら、さしずめ、グーグル検索なんてことか。

あるいは、Facebookの交遊サイトを思い立った瞬間、なんてことに比肩されるかな。

って、ちょっと、話は大げさに展開してるけどね。

昨日は、何と言っても、アイルランド戦。

ヱビスビール片手に、手に汗握る、って具合だった。

ラグビーを見慣れると、その後に、Jリーグの試合、見たんだけど、あれ、ってなもんで。

微妙にぬるさを感じたのは、正直なところです。

もちろん、サッカーはサッカーで面白いのだけどね。

カズが日経のコラムで、ラグビー、試合見てると、サッカーならみんな反則だ、なんてこと。

もちろん、リスペクトした上での話だけど、言っていたな。

鍛え方は半端じゃないんだろうね。

あの、ノーサイドの精神、ってのは、いいね。

笛が鳴ったら、敵味方関係なく、ってやつね。

せっかくのスポーツなんだからね、せめて、人間ってのは、もともと、そういうものなんだよ。

というイメージも大事なことだ。

言葉過多の、文字情報、映像情報過多の、この時代には。

それらのものを一見、自在に操るものが、勝者みたいな、そんな風情でもあるけれど。

SNS上の、なんとか合戦、マウントの仕合、正義の味方合戦、ね。

しかし、すでに、そういうことに辟易としている世代、ってのも、実のところ、そこここに現れ始め。

なんだろうな。

ヘーゲルが、正反合、だっけ、弁証法、ってやつ、アンチがあってそれらがネクストステージへ。

立ち上る、みたいな観察、あれもね、どうなんだろうね。

それにしても、静かな日曜日だ。

少しの雨が、巴川沿いのウォーカーの足を止め、発声を制御し、みたいな風情だ。

静かな時を堪能するか。

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ノーサイドの笛

2019年09月28日 | Weblog

ラグビー、アイルランド戦だね。

なので、ほとんどの予定を取りやめ、4時15分だったか、の笛に照準を合わせ。

という土曜日になりそうな。

今回ほど、ラグビーを観たことはなく、その昔。

高校生の頃には、ラグビーの試合をやったこともあるんだけどね。

校技だったのか、校長先生が、とにかく、ボールを持ったら前へ走れ、というシンプルさにほだされて。

だったか、体育の授業でもやったんだった。

のだけれど、細かいルールは覚えていず、という体たらくではあって。

と言いつつ、アイルランドとスコットランドの一戦、とか、フィジーとオーストラリア、あとオールブラックスは。

どことだったか、それに、最近のイングランドVSアメリカ戦ね。

ひきこまれたよ。

今は亡き妹の旦那さんが、ボクシングの試合見ながらカラダ、こわばらせていたけど。

そんな感じだな。

知らぬ間に力が入り、まさに、見入る、魅入る、って次第で。

雨が落ちてきた。

ビールの売れ行きはどうなりますやら、って、人様の商売、心配しても仕方ないけど。

アイルランドの地ビール、大量に仕入れた、なんて話も聞こえてきたりしているし。

静岡の街が、大騒ぎになるかも、なんて噂が噂を呼び、なんて具合で。

異文化の、異民族の蝟集、ってのは、なにかと話題が尽きないので。

といえば、このところのマイブーム、「キングダム」。

いよいよ、秦の始皇帝への道、長征が始まりそうなんだけど、そこへ登場したのが。

法家、これ、ほうか、なのか、ほうけ、ほっけ、なのか、読み方知らないんだけど。

つまり、統一した後、何によって統治するのか、というのね。

法による統治、ということだ。

現在では、当たり前に、慣れっこになっちゃってる、法治なんだけど、それがない頃は。

それこそ、諸子百家なんていうように、あれやこれやの価値観が、そこここで命数を保ち。

たぶん、マウント合戦、おらっちの方が正しい、時代にあってる、なんて話が。

口から泡を吹き語られ続けていた中での、法による統治、ってわけだ。

そんな中で出てきた会話に、儒家やら何やら、なんてのがあって、おいおい、孔子さんだ。

論語だ、ってね。

安定した後ではいいんだろうけど、それまでのプロセスでは、なにかと不具合をもたらし。

ということなんだろうな。

なんてことを妄想しつつ、アイルランド戦に思いをいたすとするか。

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ウィーワークとかzozoとか

2019年09月27日 | Weblog

このところ、「世間様を騒がせて」いるんだけどね。

創業の異端児が、金融世界の洗礼を浴び、退場を余儀なくされる。

とでも一筆書きにできるかな。

アイデアが湧いてきて、これやったら儲かるな、ウケるな、というわけで。

どちらも、それこそ、普通に暮らせば一生や二生では使えないくらいのお金を生み出し。

と言う間に、周りに群がる人士は、今度はその仕掛けからさらに高みに登り、もっともっとの。

お金を生み出すには、あんたが邪魔だ、くらいの話かね。

もっとも、それは当たり前といえば当たり前のことで、役割交代、配役を変えないと。

次のステージに出せる芝居にはならない、ってね。

と書きつつ、随分と抽象的な表現なので、興味のない方には、なんだそれ!ってなもんですが。

ふと、今朝は、そんなネタが思い浮かび、いつだって、そんな具合に、人生舞台。

ま、ステージですね、それは回り続ける、と言うことなので。

あら、子供が生まれ、お父さんの役が回ってきた、とか、孫が生まれ、おじいさんの役回り、とか。

そんな感じですね。

このところ、気に入ってるのが、気とかエネルギーには意識がある、ってことなんだけどね。

毎朝の、神棚の水換え、そう思うと愉しくなる。

相変わらず、わが榊くんたちは元気で、多少、老成したともいえば言えるけど、青々と。

コップの水も、神棚にあげるときに、あなたのすべての記憶をいただきます、と。

水にはすべてが含まれている、なんて言い方もあるから、それをパクっての仕草なんだけど。

それらの考え方がそれなりに妥当性があるかも、ということを確認できるのが。

榊の一年にもなんなんとする青さ、ってわけだ。

白鳥は悲しからずや、水の青、空の青にもそまずただよふ、ってのは、沼津に記念館のある若山牧水だけど。

こちらは、真逆で、榊の青に染まりつつただよふ、って次第。

なんて考えると、牧水さん、ご苦労されていたんだな、なんてちょっと上から目線で愛でてもみたくなる。

さて、そろそろ、空の青に漂い始めるとするか。

 

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五感が冴え渡る

2019年09月26日 | Weblog

なんて表現、あったよね。

例えば、味覚ということであれば、お料理とかお酒とか。

とはいえ。

グルメ、なんてのは、僕の趣味に合わないんだけどね。

どうしてもローマの貴族たちの。

戻してでも食べる、なんて仕草に及んでね、僕の美意識にはそぐわない。

なんてことなんだけどさ。

そこへ行くと、夕べ、会合の後の呑みで、その御仁のおじいさんの話、食べたお茶碗にお茶を入れ。

飲み干し、たくわんで拭き取り、ついでに、少々尾籠かもですが、そのたくわんで歯磨きまでしちゃう。

なんてシーンがね、まんま、禅の世界のような。

そちらの肩を持ちたいな。

どこぞの禅のお坊さんが、お料理の教室やってるんだったかな、そんな記事を見かけたんだけど。

食材の選び方から料理まで、見事に無駄がなく、ほとんどゴミも出なかった、なんてのね。

食材廃棄の問題は、心の問題でもあるね、なんて利いた風な口をききたくなるような逸話で。

そう、今朝のお題は、五感、感覚、外界との接触の最前線、みたいな話だった。

これ、嘘も隠しもなく、素直に従うと愉しいはずで。

ところで、この愉しい、と楽しい、を使い分けてみようかな、という気になっていて。

愉、という字も白川静さんに尋ねてないので、なんだけど、いいかも、なんて思っているのですが。

感覚に従う、応じる、メッセージを素直に受け取る、とか、言い方は山ほどありそうだけど、そこに。

いらん価値観、評価の基準、なんてのが入らないとすれば、いいかな、ってわけだ。

プラス、第六感、ま、直感みたいなものも入るか、そんな具合に生を送るとすれば。

という前提に立つと、社会やら何やらが要求する、息苦しさから解き放たれる、という絵柄ですね。

さて、清々しい秋の朝をさらに満喫しに出かけるか。

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「キングダム」は経営の参考文献

2019年09月25日 | Weblog

というのか、その昔。

「スラムダンク」がリーダーシップだったか、組織論だったか。

そんな類の話もあったけれど。

表題のような記事、サイトもあった。

それに加え、関連図書、とでもいうのか、「始皇帝 中華統一の思想」なんて本。

買っちゃったよ。

渡邊義浩という学者さんが、副題に、「キングダム」で解く中国大陸の謎、と銘打っての。

そんな本なんだね。

この御仁、秦の時代の研究者さんらしい。

って、まだ、帯しか見てないけどね。

その帯には、嬴政(始皇帝)の「理想」が今も中国を支配している!なんて書いてある。

あの広大な地を一つにまとめる、なんてのは、並大抵のことじゃないからね。

7億?10億?の人々の群れだもんね。

ということで、相変わらず、マイブームの「キングダム」なのです。

そういえば、もし、高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら、なんて漫画もあったよね。

こちらは、経営書を漫画にし、「キングダム」は、漫画を経営書にした、ってわけだ。

今日は、キャリア体験学習と銘打って、小学生相手に、仕事の面白さなどを伝えるイベントがあり。

わが社からも、若者二人が、代表で出かけていった。

これね、体感しないとわからないかも、だけど、プレゼンしようとする側の、あるいは、小学生に。

教えてあげようとする側の学びがとても多いイベントで。

なので、若者二人の成長にとってとても大事なものだ、と思っているんだけどね。

教育とはeducation、語源的には、引き出す、という意味もあるらしいけど、まんま。

そこんとこを刺激する、しかも、教えようとする側の、って。

なんてことを書いたり、考えたりしていたら、いい時間だ。

始めるか。

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砥ぎの勉強をYouTubeでした

2019年09月24日 | Weblog

このところの関心事が、包丁で。

表題のような昨日だった。

札幌の100年近く続く刃物屋さんの社長が、砥ぎかたをアップされていて。

見入ってしまった。

そうなんだ、というわけだ。

なので、早速、荒砥ぎ石、買ってきちゃったよ。

雨模様のお彼岸だったので、一夜干しのへダイを焼かなきゃ、ってんで、気を揉んだりもしたんだけど。

ちゃっちゃと、焼けた。

干物って、背開きなんだね、今回は、いつものように腹の方からの捌き、だったので。

開き、とまで言えないくらいだった、けれど。

自らの手で作る、というのは、とても面白くて。

なにせ、この時代、YouTubeがほとんどの手作りを教えてくれるし。

失敗して、成功しての実体験、実体感を味わう、ってのは、格別だ。

失敗も成功もとてもオリジナルなもので、それがいい、社会性なし、格付け会社もいらない。

って風情がね、いいんだな。

干物焼きは、昼食で、夜は、長男坊も集いの、これ、久々のオールキャストだな。

って具合で、昭ちゃんネタで盛り上がり、いかにもお彼岸らしい夕餉だった。

草葉の陰なのか、天空の特等席なのか、さぞかし、わが昭ちゃんもお喜びのことだっただろう。

そうだ、手作りといえば、新鮮なイワシが入ったら、オイルサーディンを作ろうか、と。

フレッシュなオリーブオイルもあるし、なんだけど、肝心のイワシ、なかなか、入ってこないらしい。

コンビニで買うのと違って、収穫の加減からの話なので、と書きつつ。

金子みすゞのイワシの歌、思い出した。

海上では豊漁のお祭り、海の中では、大量の葬送の儀式だ、ってのね。

命の連なり、とでも言えるか。

受け渡し、駅伝のたすき、みたいな感じだな。

さて、そろそろ、今日も、受け継いだ命を謳歌させていただくとするか。

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アイルランドを生で見てみたいという衝動

2019年09月23日 | Weblog
言わずと知れた、ラグビーね。
W杯だ。
この週末に、日本戦がエコパであるわけだ。
ほとんど関心もなく過ごしていたのだけど、何試合かテレビ観戦しているうちに。
表題のごとく気分になり。
娘が、検索するとあと何百枚だったか、残っているらしく。
4万円、だそうだけど。

迫力、あるよね。
まさに肉弾戦。
ルール、詳しいことまでわからないけど、見ているうちに引き込まれる。
ニュージーランドの、オールブラックスだっけ。
あれの試合前の儀式?ルーティン?
いいね。
これまた、娘が触発されてググったらしいけど、神聖な儀式だそうで。
ツイッターにアップされていた、オフィス街だかのあれ、スーツを着た人とかの。
とても素敵だった。
単に、戦闘の前のモチベーションアップ、ということだけではない、なにか、深い。
わけ、ありそうだな。
なにせ、その昔、ムー大陸があったかも、なんていうあたりじゃなかったっけ。
あのニュージーランドの地。

そうだ、日経新聞の朝の小説、伊集院静さんに変わったね。
夏目漱石。
「ミチクサ先生」というタイトル。
かの先生、お母さんの42歳の時の子だそうで、母方のわが祖母とおんなじ境遇だ。
42歳の恥かきっ子、というらしく、すぐに里子に出す、みたいな話だ。
わが祖母も、そんな具合で、彼女は、明治の28年生まれ。
かたや、漱石先生は、江戸の最後の年号、慶応の何年かで、にしても。
今と比べたら時間が緩やかに流れていた時代だろうから、ほぼ同世代だろうね。

そんな同時代を生きた祖母の御墓参りを昨日、したんだった。
お彼岸だ。

さて、秋分の日、暑さ寒さも彼岸まで、ってことだな。
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北西なのか西北なのか空がステキな色

2019年09月22日 | Weblog

今朝の巴川越しの空のことなんだけど。

iPhoneのコンパスアプリで見ると、西方面なんだよね。

表題のごとくで。

さて、ブログを、なんて気分で空を見上げたら、ということなんで、書いてしまったわけだ。

窓の網戸を開けはなつ、というのが好きなんで、夏からずっとやっているんだけど、不思議なことに。

秋の声を聞いてから蚊にね、刺され、ということで。

たしかに、哀れ蚊(あわれが)なんて表現、あったよね、たぶん、季語じゃないかな。

季節を違えて生きていることの証、みたいなね。

もっとも、旧暦と新暦の微妙なズレからすると、どうなるのかね、蚊ってのも。

新旧って、半月くらい、一月くらい?遅れてるんだったか、旧正月が、1月の15日くらいだっけ。

ま、何れにしても、哀れ蚊です。

このところ、巴川にカワウが、というのは、いつだったかも、書いたけれど。

少しづつ、その存在感を増している、とでも言えるかな。

時折、バシャバシャっと、音がする。

彼らが狩をしてるんだね、魚からしたら迷惑かも、だけどね。

なんてことすら考えもせず、自然の摂理の中にたゆたふ、ってことだろうな。

食物連鎖なんて言葉、知りもせず、知りたくもなし、って風情が、自然のあり様なんだろうね。

あまりに人間的な、って、ニーチェを気取りたくもなる秋の朝、って感じだな。

そう言えば、今回の台風被害ね、千葉方面。

昨日、いつものように、河岸の市へ行ったんだけど、魚がね、入ってこない、ってわけだ。

千葉方面、千葉関係の、と。

漁師さんたちもあるいは、市場の施設もそれどころではなく、という状態のようで。

金目鯛なんか、千葉沖でしょ、今は。

伊豆の稲取、ではなく、ね。

なので、京都なんかの料亭から、清水港へリクエストが舞い込むらしく、今朝、送ったよ、と。

高くてもいいから送って、ってわけだ。

グローバルとは言わなくても、そこここと繋がっているんだよね。

あんな状態に、つまり、何日も電気が来ない、とかね、とすると。

電子マネーというのか、リアルなお金じゃないものでのお買い物、ってのができないわけで。

いろいろと、困ることができるんだろうね、そして、それを解決する事業なんかが生み出されたりして。

さて、そろそろ、日曜日を始めるとするか。

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今日も仕事ですか

2019年09月21日 | Weblog

と声をかけたのは、先週の日曜日だったか。

事務所の外の自販機の前で、作業着のどこかのおじさんに、だった。

思い返せば、人見知りで、人との関わりが嫌いだった、あの頃。

そう、幼少の砌、とでも言えば、かっこもいいか。

他人に声を掛ける、話をする、というのが、とても苦痛で、めんどくさく。

いや、むしろ怖い、という感じの頃を思い出す。

それに比べて、妹は、なんてコメントは、何回も大人の口から聞いたものだ。

それが今では、清水の鶴瓶を自称も他称もされ、ってわけだ。

面白いものだ。

このところ、早い話が、これから、ってのを、大きな絵を描く、というフレーズに凝っていて。

これ、何だろう、と考えてみたら、過去も選択肢の一つになる、ということに通じ。

というのも、日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり、という具合に。

細胞って、何週間?で入れ替わっちゃうので、会うたびに、実のところは。

初めまして、の挨拶の方が、理にかなっているはずでね。

カラダ的には。

それば、かろうじて、意識、というのか、思考、というのか、昨日と同じあたしです、というアイデンティティ、ね。

それをそんな機能で、保っているに過ぎず、ということからの、過去も選択肢の一つ、ということなんだけどね。

過去を引きずって、という表現があるけれど、それすら、一つの選択肢、別の選択をしてもいい、くらいの話で。

大きな絵、というのは、ある意味、今までの自分との隔絶、断絶、ジャンプアップ、とでも言えるか。

なので、面白いのですが。

少し、勇気なのか、見て見ぬ振りなのか、無視なのか、何れにしても、今までからの類推で物事を運ぶ。

なんてことからの逸脱、解放、だな。

それを、文章にしてみむと、って仕草が、これまた、日に新たなり、の実践に繋がり、って算段で。

ところで、今朝は、近くの電線の上で、カラスが鳴いていた。

文部省唱歌みたいに、なぜ泣くの、ってくらいだけど、思えば、わがトーテムでもあった。

感じる力、使ってる?ってなもんだ。

感じる、というのは、感覚、五感、とも言えて、無駄な思考が入らない分、とても、素の。

大元につながる自分自身、とも言えて。

日常生活における瞑想状態、なんだな、きっと。

暑い、寒いの感じるは、割と共通気分だけど、そのほかのは、オリジナル、固有のもので。

それをいちいち、人と共有しつつ、なんて人工的な事、しなくていいし、してる暇ないし。

とね。

さて、そろそろ、わがカラダとの感じ合戦でも始めるとするか。

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