まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

モカ イルガチェフェ

2024年04月30日 | Weblog

今朝はそういうわけで、モカです。

こんなところから届けられた豆だ。

香ばしい名前の国が並んでいるな。

yirga chefeという地名を日本語では、イルガチェフェと読むわけだ。

戦火や飢饉を通り抜けてのモカだ。

ヨーロッパの国々が侵略?進出?しなけりゃ、わが方に届けられなかった、知られなかった珈琲豆というわけだ。

フェアトレードとか言いながらも、複雑な思いもするな。

なんて書くと、なにをナイーブなこと言ってるの、とツッコミ入りそうだけどね。

連休の合間の火曜日。

ここを有給にすると10連休くらいになっちゃうね。

どこかのSNSで、日本、休みすぎじゃない?なんて話、出ていたな。

おいおい、働き方改革で休め休めの大合唱なんじゃないの、ってなもんだけど。

植民地や移民依存の経済とは違うんだけどね、と。

勤勉実直な、がウタイの列島なんだけどさ。

なんてことはともかく、そろそろ、そんな合間の日に出かけるとします。

 

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今日は昭和の日

2024年04月29日 | Weblog

昭和のおじさんからしたらなんともかんともの日だ。

その昔、明治は遠くなりにけり、なんて言葉が頻繁に飛び交っていたけれど。

今となれば、その代わり、が本日、4月29日というわけだな。

亡くなった叔父の誕生日で、よく半分しゃれのめしての会話があったな。

天皇陛下と同じ誕生日だ、ということでね。

そんな叔父の代わりにいとこを仲間に入れのおじおば会二代目を画策しているんだけど。

そんな流れで、この間はおじおば会の後、おばと妹と妻とで食事会をした。

ま、飲み会。

おばは飲めないから、食事会、とも言える。

その時に、亡き母親とか入院中のおばの話にもなり、この世に存在していることとかあの世に移った後は。

とかのね。

思い出を語ることで、いまだにそこに存在してもいるわけで、と。

ところで、そのおじおば会で久しぶりに訪ねた奈良田温泉。

白根館のお湯が有名だけど、そこ、、休館していたことを知った、ネット検索です。

道理でなんだか、以前と風景が違って見えたわけだ。

なにせ、奈良田を通り過ぎちゃったからね、当日は。

いずれにしても、時が流れるようにさまざまなことごとも流れているんだよね。

 

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久々の奈良田温泉

2024年04月28日 | Weblog

復活なったおじおば会。

妹が参加するようになってから初めての西山温泉経由の奈良田温泉。

奈良時代に孝謙天皇が行幸、ここは奈良だ、といって地名がついたらしい。

そんな温泉といっても、そこへ入るわけではなく、だけどね。

途中、リニアの工事用の事務所があったり、新しい施設ができていたりと時間の流れを感じつつ。

その前に、下部の木喰上人の博物館へ行った。

こちらも久しぶり、妹は初めてで。

彼女にしたら初物づくし、ってわけだ。

手元に資料がないので、そのうちに詳しくご紹介できる予定ですが。

今朝は、街の中の旅ラン的な走りをしてきた。

ゆっくりと、が合言葉で、10キロ近くだった。

車では走られない、走れない道があるとそこを選択し、というような走り。

なんといっても季節がいいね。

世迷いごとが漂い流れる気配濃厚な世の中で、季節を満喫できる幸せを噛み締め、って感じだな。

次男坊は昨夜からキャンプへ。

これからの時代、キャンプ的な日常が最強だよ、と父親たる我が方は述べているのであります。

ロシアのダーチャにも通じるような、だな。

さて、今日は、この後、知り合いの若き社長が新しい試みを始める、記念の日だ。

新しい市長も参加する、というからね。

というわけで、出かけます。

 

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復活おじおば会

2024年04月26日 | Weblog

ということで、今日は妹が帰ってくる。

明日のおじおば会のために、なんだけど。

と書いてきて、ぼんやり巴川を眺めていたらカワラヒワがピューッと翔んできた。

月間3000キロのランナーもゆっくりと走りすぎていった。

膝だったかどこだったか、の怪我も癒えたようだ。

しばらくすると、川向こうに180spmの女史もやってくるのか。

このところ、新顔ランナーがちらほらだ。

わが朝の風景の登場人物となっている。

ベランダには朝顔が一輪、青というのか紫というのか、そんな花弁を開いている。

まったく可も不可もない朝のひと時だ。

今朝は、骨ストレッチも珈琲もやめてみた。

けれど、ブログは書いているわけだ。

しかし、書きたいことを書かないというのはちょっとしたストレスでもあるな。

さて、そんな本日という一日に出かけるとするか。

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小さな秋ならぬ春を見つけた

2024年04月25日 | Weblog

なんて気分があるぜ、ってことが浮かんだ朝。

大きな世界を語ることがいかにも人間の追い求めることで、みたいなことからの脱出だな。

だれの歌か知らないけれど、小さな秋見つけた、って言葉遣いがいいな、というわけだ。

昨夜の通夜で棺に眠る御仁を眺めながら、でもあるのかも、だ。

ベランダにカワラヒワがやってきていた。

少し黄色が入ったカラダが目を惹くんだよね。

今日は旧暦で3月17日だそうで、もっとも、季節感は子供の頃からの新暦で慣れているのだけれど。

言葉、季語とかが旧暦でできているからね。

カラスが鳴いている。

それこそ山へ帰ると鳴いているのか。

なんて朝、霜止みて苗出ずるの日に出かけます。

 

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春雨じゃ

2024年04月24日 | Weblog

濡れて行こう、だっけ。

そんな言葉が残っているのは、たぶん、どこかのドラマの中からの、だろうな。

テレビ隆盛を極めていた頃か。

それとも、映画か、または前世代の芝居小屋かなんかからの剽窃だったのか。

電車の中でよく言われる、最近はみんなスマホを眺めている、なんての。

たしかに、当方もX見たり動画を見たり、だから人様のことは言えない体たらくだけど。

それ見てて思ったのは、それぞれがそれぞれの世界に入っているんだよね、きっと、と。

人の数だけの世界があることをまざまざと見せつけられているわけだ。

当たり前と言えば当たり前なのだけれど、そんなことも気が付かずに、ということでもあったのかも。

なんて朝、夕方には、高校の後輩のお通夜だ。

僕の親しい友達がテニス部でそこの後輩でもあり、よく呑みもした。

そんな御仁が今頃黄泉路の入り口あたりで右往左往なのか、まだ、そちら側へ行きつつあることを自覚せず、か。

臨死体験じゃなく死そのものを体験真っ最中だ。

このところ、自分よりも年若い御仁がこの世を去っていく。

となると、それなりの人生観、人の世のある姿などなどに思いが至るわけだ。

それはそれで深みのある人格誕生というものでもあるのかも、ってことだな。

なにせ、縦軸の経験が増えるわけだから、深さがマスのも宜なるかな、だ。

横軸に関しても、それに影響を受け、ということだろうけどね。

ともかく、春雨じゃ濡れてまいろうか。

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ハルジオンというのだけれど

2024年04月22日 | Weblog

地の神さまへのお参りの後、足元に見つけた。

いつものアプリでは、表題のような回答ですが。

そのものの名前をつけることで安心する、ってのが、こちら側に起こっていることではあるけれど。

あちら側の世界では、どうなっているのかな。

名付けるということ、定着、固着させることってのがね。

野に咲く花のように、人間界でもこれからの季節、色づいてくるのかどうなのか。

着るものからしても。

ところで、どうやらこのところ、なんらかの変化が起こりつつあるような、そんな予感もしていて。

今までと同じようにことごとが進んでいくわけではなく、ちょっとした齟齬や大きく思えるズレやら。

そんなことを感じている今日この頃であります。

表題のハルジオン、思い返せば母や叔母などの会話の中に出てきていたかも、だな。

キク科だけど春に咲きます、とpicture thisには書いてある。

 枕もとに長命菊のさかりかな

と正岡子規の句も紹介されていた。

長命の語があるから、春咲くこの花ということなのかな。

さて、というわけで、旧暦3月14日に出かけるとします。

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キキョウカタバミ

2024年04月21日 | Weblog

今朝もまた身近なお花をアップします。

昨日アップしたサツキの下にこんな具合に咲いていた。

厳密に言えば、咲くのはこれから、ってところだけど。

ネット情報からしばしの平穏を保つためにの営為って事だな。

今朝の走りも、江尻埠頭から清水港という今までとは違うコースを選択。

これも、新たな場面を作り出そうという魂胆だ。

日に新たに日々に新たにまた日に新たなり、の実践編ってところだ。

慣れ親しんだことごとへの、感謝はしつつの次なる展開。

新たな、新しい、という文字、左側は、木の上に立って遠くを見る、という象形文字とでも言えるか。

しかし、その右側にあるのは、斧。

切られて痛い、厳しい、というような意味だと白川静さんは書いている。

そういうわけです。

だからと言っていつもの習慣を変えることが悪いというわけでもなく、新たな選択をするときにはたとえば。

ひび割れも起こるかもしれない。

しかし、だから、そこから光が差し込む、という、例の、anthemの中の歌詞だ。

レナード・コーエンです。

今朝は少し頭の中を整理しつつの、キキョウカタバミのご紹介ブログです。

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5月が近づいているわけだ。

2024年04月20日 | Weblog

毎朝、このサツキと出会う。

車の脇腹で意識しながらのお出かけとなるんだよね。

その下の小さな花はなんていうのか。

picture thisのアプリに聞いてみる事にするか。

便利なものだね。

なんだけど、それがどう出るか、ってのも多少は気にしておくのも一手かも。

慣れちゃうとね、物事には答えがある、ってことに。

それはそれでやばい話でもあり、だ。

ところで今朝は、久しぶりに久能海岸を眺めながらの走り。

iPhoneを持ってなかったので写真には収められず、だった。

ところで、山笑う、は季語だったよね、たしか。

穀雨・初候の添え書きに書かれていて。

この季語は好きなんだよね。

そうだ、笑っちゃえばいいんだから、ほとんどのことが。

だから、わが人間も自然に見習い、ってなもんだ。

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紫蘭というらしい

2024年04月18日 | Weblog

出がけが明るくなって、と昨日も書いたけど、お花の色目が目につくんだな。

なので、iPhoneのシャッターを押したくなっちゃうわけだ。

そしてpicture thisというアプリにお伺いを立てる。

別名は紅蘭とも、なんて書いてある。

こんなことしながらの思惑は、もちろん、思惑なんてなくて単に感動、心を動かされるままに。

ではあるんだけど、ネット界隈からやってくる情報と呼ばれる、ニュースと呼ばれる、そんな世界からの。

しばしの解放を味わう、とでも表現しておくか。

それぞれの空気感の違い、世界の見方のズレなどなどに拘泥せず、の境地でいたいんだな、きっと。

という朝は、珈琲をお休みしました。

ルーティンを少し変えてみる朝、なんて具合だな。

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