まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

亡くなりゆくインコは

2021年08月31日 | Weblog

悲しみの周波数だった。

亡くなって後には、友情を示す周波数に変わったそうだ。

旧ソビエトで開発されたメタトロンという、カラダの各部の周波数を測定できる機械。

測定時の感情の動きまで測れるらしく、表題からの話題は、インコのことで。

という話だったり、飼っている犬、猫の感情の動きも測定でき、と。

嫉妬したり寂しがったり、ね。

なんて話を聞いていると、俄然やる気がもちあがったわけだ、よし、会話するぞ、ってなもんだ。

なので、今朝もやってきた磯ヒヨドリとは会話を始めた。

言葉を介さない交流とはいえ、こちらは、言葉に感情を乗せることしかできず、なんだけど。

とりあえず、おはよう!からの始まり。

渡鳥なんかもそうだけど、地図もないのにナビもないのに、よくそんな遠くまで帰るよね、でしょ。

というくらい、僕らにはわからない交信、交流をしているんだろうね。

もちろん、そんな研究をされた学者さんは数多、だろうけど。

会話といえば、うちの母親が、庭の草花に挨拶や言葉がけをしていて、姉妹の中では。

栽培が上手と言われていたのも、そんなところからだろうな、と思うわけで。

何年か前に流行った、江本勝さんの、水の結晶ね、いい言葉をかけると素敵な結晶になる。

馬鹿野郎とかの言葉を投げかけると、乱れたひどい結晶になる、なんての。

そもそも、人間も植物も動物も小鳥も、水、だよね、ベース。

なんてことを、インドネシアからのマンデリンをいただきながら、つらつらと考えている朝。

聖書の記述によると、このコロナ騒ぎは7年間続く、というから、あと5年半くらいだな。

のんびりと応対しましょうか、いつ終わる、いつ?いつ?早く早く!ってのはやめにして。

だな。

にしても、聖書、ってのを、改めて読んでみたいものだ。

さて、そんな流れの中、今日という日に出かけるとするか。

 

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先週末、長男坊に珈琲を点てた。

2021年08月30日 | Weblog

点てた、とは言わないのか、珈琲は。

しかし、そんな気分だったな。

差し詰め、現代の千利休になりかわり、って風情だ。

かの御仁は、通常は四畳半くらいらしいんだけど、二畳の茶室だったという。

茶を点てて、その場の雰囲気やら顔相やらから、戦国武将たちが裏切らないかどうか、なんて事まで見立て。

それで、ずいぶん、重宝された、という解釈もあるようで。

と書いてくると、わが茶室ならぬ珈琲室も満更ではないしつらえと変身するな。

たしかに、戦国武将たちにとってみれば、常住戦場、誰につくか、がお家の一大事なわけで。

虎視眈々と、とか、鵜の目鷹の目、とか、そんな気分が日常そのものだったんだろうしね。

アフガンで起こっていることは、それに近いものもあるんだろうな。

誰につくか、負けた武将についたものは、いかに逃げるか、誤魔化すか、というね。

わが列島でも、物部氏と蘇我氏の戦いか、敗れた物部の守屋は、諏訪へ逃げたのか。

だけど、一族郎党は、敗戦が決まると、一目散に、姿形、身に纏うものを変え、逃散、なんて話あったな。

蘇我氏の側には聖徳太子がいて、太子が、物部氏の御霊を祀るというウタイで建てたのが四天王寺。

ということになっていて、お寺の奥に、ひっそりと祠が建っている。

のだけれど、その祠を物部の末裔、守屋家が、寺奴となってずっと祀っていた、なんて話も。

おっと、話は珈琲を点てただった。

彼も、珈琲を始めたらしく、味の探求ってわけだ。

味覚は、たしかに、幼年期に決定し、なんて話もあるにはあるけれど、それだって、どこまで当たっているか。

なわけで、始める時がスタートライン、って事になるな。

さて、磯ヒヨドリの鳴き声だけ、姿は見せず、だけど、やってきたな、今朝も。

こちらも、今日に出かけるとするか。

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トレセンから

2021年08月29日 | Weblog



SNSっぽく投稿。

この写真には音も入っていて。

ツクツクボウシの鳴き声、高速を走る車の音。

あと、名前はわからないけど、虫の音。

走り終わった後、タバコを吸いながら撮影。

裸の上半身を風が吹き抜けてゆく。

最高やね。
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磯ヒヨドリといつもの、久々のランナー。

2021年08月28日 | Weblog

今朝も、6時前、巴川沿いを走り始めようとした時、表題のごとくで。

河童橋の際にたつ標識の上に、磯ヒヨドリが止まっていて、眺めていたら。

下流からやってきたのが、いつもの、ではあるけれど、久々のランナーさんだ。

おはようございます、と声をかけたら、磯ヒヨドリは飛び立っていった。

わがベランダも、草が夏の緑を演じてくれていたのだけど、女子社員さんたちが、白菜とかカブとかのタネを蒔いてくれ。

たので、磯ちゃんからしたら、別風景となってしまったか。

当分、ご遠慮します、の気分かな。

そうだ、いきなりだけど、アダムとイヴの話ね。

悪魔が、なのか、蛇が、なのか、誘惑し、禁断の木の実を食べたことにより、ってやつ。

あれ、知だっけ、快楽だっけ、いずれにしても、まだまだもっともっと、の世界に入り込んじゃったわけだ。

エデンの園という楽園から、失楽園行きの切符を買っちゃった。

神話ってのは、うまい具合に作るものだよね。

ある意味、ぐうの音も出ないよ、って、

そんな人類の末裔なんだから仕方ないか、ってなもんだ。

知っちゃいけなかったんだぜ、なんて脅しだ。

見たなー、なんて決め台詞の怖い話、なんての、あったな。

ところが、i knowの時代だ、というんだから、アダムとイヴ神話からの脱出、ということでもあるかもな。

ところで、この時間、巴川は上流へと流れていく。

行ったり来たりなんだよね。

なんてたわいもないことを書きつつ、この辺りにて。

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自ら「免疫」を上げることに目覚めたのか

2021年08月27日 | Weblog

いつかも書いたけど、歩き走る方々が増えている。

とどのつまりは自分発、ってことかね。

走り始めの姿に、うんうん、最初はそうだよ、でも、続けてね、とかさ。

先輩ヅラしたコメントが脳裏に浮かんでくるし。

毎朝の欠かさずのベテランランナーさんには、痩せちゃわないのかな、と要らぬ心配もし。

食に関しても、それなりの経験を積んでいるんだろうな。

表題の、免疫についていえば、食が、ほとんどの地位を締めるくらいだろうからね。

食べて出して眠る、というシンプルな姿。

だから、食が大事なんだ、オーガニックで添加物なく季節のものを、と話は流れていくわけだ。

けれど、以前、誰だったかが言っていた話で、アフリカの、ニューギニアだったか。

タンザニアだったか、忘れたけど、そこの女性、タロイモしか食してないんだけど、筋骨隆々。

らしく。

それこそ、出典もエビデンスもままならない話だけど、つまり、西欧流の栄養素が云々からの展開とは。

これまた、違う流れもある、というような。

現実にお目にかかったことはないけれど、不食の御仁、なんて話もあるよね。

一切食さず、なんでもプラーナというもので生を繋いでいくことができる、というような。

思い出したけど、薬屋のはなちゃん、彼、一日一食だったな、夜だけか。

ランチをご一緒した時には、変な場面だったな、僕は食し、彼は水を飲む、みたいな。

そもそも、一日3食、なんて神話も、いつの時代から語られ出したのか、なんてのもあるしね。

歳を取ったら肉を食べなさい、なんて最近流行り始めてるけれど、かたや、高タンパク質が。

ガンになる、なんて研究結果を携えてるお医者さん・学者さんもいたり、だな。

美味しいと感じるものをいただきましょう、なんて話になると、そもそも、美味しさ、ってのは。

どうやって醸成されるのか、と流れ、だいたい、幼い頃の母親の作ってくれたお料理の味、とかさ。

別に、拗ねてアンチ的なこと、連ねてるんじゃなく、だけどね。

せっかく、i believe の時代から、i knowの時代へ、なんて言説もある中、そもそもなんだっけ。

ってことなんだけどね、ついでに、そもそもコロナからのメッセージの一つは、この、そもそも、だと思っているしね。

そもそもついでに言っちゃうと、瞬間瞬間を味わう、ってのは、それこそ、妙味だな、きっと。

食にしても対人関係にしても、と。

お後がよろしいようで、磯ヒヨドリ未だ来らずの実況現場からこれにて失礼します。

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「正」の語源についてプチ・講義。

2021年08月26日 | Weblog

をしたのが、昨日のちょっとしたミーティングの場で。

例の、白川静さんの称えるやつね。

足で国の壁を蹴飛ばす、俺たちのいうことを聞いた方がいいぞ、徳だぞ、と言ってね。

その字体が、正というわけだ。

なので、正義競走ってのは、鬱陶しくもあり、邪道でもあり、って次第。

猫も杓子も月光仮面になっちゃった風情、ってわけで、正しさがあちこちに散乱し、それぞれが。

それぞれの得意技で、がなりたてるイメージ、だな。

そんな時には、どうぞ、ご自由に、って立ち位置か、でも、俺のところへきたら逃げるか戦うかするよ、ってなもんか。

今朝も、空から月がわが窓をのぞいている。

この後には、磯ヒヨドリがやってくる手筈だけど、それは、期待、とか、願望、とか、前例では、とかだな。

今朝は、この後が続かないな。

ヨーロッパの中世での話、ペストが出来したことで、ルネッサンスが始まった、なんてことに絡めて。

コロナで、人間性のルネッサンスが始まる、なんて書いていた御仁がいて、それについて書こうかな。

なんてことも浮かんだけど、ベタか、あるいは、いろいろと語弊があるか、あるいは、もう少し。

えぐい、深い話でもあるかもな、今回のコロナは、くらいの気分で。

書く気がしない、ってことでもあるな。

パンドラの箱を開けたらその奥の方に、希望、という言葉があった、そうだけど。

定かならず、だけどね。

いつだって、まれなるのぞみ、ってのは、あるわけで。

今回もそうなのかも、とも言えるし、そもそも、そんなこととは関係なく、今この時の連続でしかなく。

でもあるな。

さて、磯ヒヨドリのこない窓辺からのLIVE中継はこのくらいにしておきますか。

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磯ヒヨドリの鳴き声と朝の月。

2021年08月25日 | Weblog

空には雲の合間に、限りなく透明に近い青、に近い青。

いい風情でしょ。

傍には、インドネシアのマンデリン。

ついでにと言っては失礼だけど、巴川縁を歩き走る人人。

そういえば、夕べ、タニタの、だったか、体重計に乗ったら、体脂肪率10点台だったな。

これ以上引き締まったら、それはそれで、しまったというよりなくなった、って感じになりそうでもある。

ダイエットに苦労されている人士方にとっては、垂涎の点数、ってなもんだけどね。

コロナが近づいてきた、と山川紘矢さんのFacebookの投稿があった。

奥様が、陽性になったようで、僕のいくヘアーサロンの女史は、妖精だけど。

だから、というんではないけれど、我が社でも、陽性者、濃厚接触者への対応を再確認したのが。

昨日の夕方からのミーティング。

過剰に恐れず、しかし、油断もせず、というわけだ。

組織防衛、ってことだ。

パンデミックへのさまざまな見解、立ち位置、考え方があるんだけど、そこはそれ、学校の授業じゃないんだから。

実を見据え、ということになるな。

大雨で増水している川を眺めながら議論しても始まらないからね、逃げるか、食料を調達するか、なんとかかんとか。

って次第で。

だからと言って、幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってありがちな話でもあるし。

オオカミ少年のように、脳内妄想で、オオカミが来る、と認識しちゃうケースもままあり。

食べて出して眠るだけ、のsimpleライフってのが、なかなか、実現できないのが頭過剰のわがホモ・サピエンス。

でもあり、ね。

もっとも、そんな脳内産出物によって、幸せだったり不幸せだったりを決めちゃう、ってのも。

これまた、あるある、だし。

いいか、人生は、ポジティブに、だぞ、ってなもんだ。

あんたの明るさは便所の100ワットだよ、と、わがヘアーカットの大将に宣ったのも、遠い昔だ。

さて、磯ヒヨドリの鳴き声が聞こえなくなった窓辺での次なるお仕事へ、だな。

 

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simpleLifeもアキレスもなくなっていた。

2021年08月24日 | Weblog

コロナ以来だから、1年半はたつのか。

仕事用の靴を仕入れに、ってわけで、松阪屋さんへ行ったわけだ。

表題のような顛末で。

前者は、会社そのもの、レナウンか、がなくなったのかな、後者は。

かくかくしかじかで、メーカーさんを吟味し、みたいな話で。

こちらも、かくかくしかじか、あの靴がとても良くてさ、足になじみ、なんて話を。

とてもフレンドリーにできたんだけど、それは、どこの売り場も同じ感覚で。

同病あいあわれむ的な、ねぇ、困る的な、そんな感じ。

寂しいものだな、なくなる、ってのは。

ここで、諸行無常、会者定離とか言っちゃうと、抹香臭くもなるんだけど。

いろいろと考えさせられちゃうよね。

ところで、夕べ、娘の作ってくれた炊き込みご飯は美味かったな。

出汁が効いて、牛蒡の香り、存在感が一際、って感じ。

マンボウに続きの緊急事態宣言で、外食が極端に少なくなって、の結果だ。

この外食、ってのも、いつ頃からの話なのか。

江戸時代?

その前の戦国時代なんかはどうだったのかな。

額に汗した生業、じゃない、暇人というのか、金利生活者というのか、そんな存在の仕方が可能になってからなのか。

おっと、今、電線の上で、磯ヒヨドリが鳴いている。

かわいいもんだね。

そのうちに我がベランダへの定期の来訪者となるはずなんだけど。

と眺めいっていると、spm180だろうと勝手に推測している女史が走ってきた。

ほぼ毎日かな、いや、週4くらいか、痩せちゃわないのかな、と我が身を振り返りながら思ってもいて。

当方、このところ、5キロを2本、週末に、というペースなんだけど、これ以上走ると。

痩せすぎになりそうで、ね。

恰幅がいい、より、足取り軽く、の方が、どちらかというと、好みなんだな、きっと。

いきなりだけど、アフガニスタン情勢、あれ、かなりの影響があるのかも、だな。

集金システム、というのか、公的金融還流システム、というのか、そんなものが壊れた。

なんて複数の御仁が述べているし。

麻薬栽培やめます、なんてマスのメディアでも報道されていたり、さ。

おいおい、そんなほんとのこと、言っちゃうのかい!、ってなもんだ。

それはそれ、オトナの事情で、言わない約束でしょ、だったんだろうけどね。

ま、そんなこんなで、世界情勢、世間情勢、個人情勢、磯ヒヨドリ情勢、です。

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歩く人走る人のメンツが増えているような

2021年08月23日 | Weblog

そんな朝だな。

カラダとしての自然、自然としてのカラダからすると、鬱々と溜まり込んだものを吐き出す。

とでも言えるか。

入れて出して眠る、だけの話なんだよね、結局は。

とてもシンプルなんだけど、そこへ頭が載っかっているという、これまた、厄介な存在の仕方。

実際は、頭なのかどうなのかは定かならぬところだけどね。

カラダの外側に、ライトなボディという言い方で、実のところ、目に見えない第二のカラダがある。

なんて言説もあり。

今、「カラー図解・東洋医学」って本が、目の前にあるんだけど、ブックオフで手に入れた。

毎日、少しずつ、読み始めているんだけど、漢字多くてさ。

最初は戸惑っていたけれど、少し、それには慣れてきた。

カラダの中の、わからないこと、もちろん目に見えないこと、などなどだな。

自然の動きと対比させていて、そのうち、もう少しわかりやすくここにご披露できるかも、できないかも。

だな。

五臓六腑とかいうけれど、心・肺・肝・脾・腎とあるのが五臓だそうで。

心は太陽、肺は雲、肝は木、脾は大地の土、腎は川や湖や海、と。

こんな具合に、何千年とカラダというのか、人間というのか、眺めてきた歴史があるわけだ。

もちろん、後来の西洋医学にだって、素晴らしい部分もあるけれど、それがすべて、ということでもなく。

そもそも、5%しか解明されていないんでしょ、いわゆる現代科学、ってやつだと。

そこはそれ、謙虚に認め、科学を信仰の対象にせず、ってことだな。

たしか、ゲーデルだったか、そんな名前の科学者さんが、世界にはわからないことがある。

という定理を証明したんだったか、そんな話、あるよね。

ま、門外漢からしたら、噴飯物だけど、当のご本人はいたく真面目な顛末なんだろうな。

さて、いつもと違ったメンツの走り歩く光景を眺めつつ、本日へ入っていくか。

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「国見」ならぬ町見をしつつの走り

2021年08月22日 | Weblog

今朝は久しぶりのおひさまを浴びながらの走りだった。

ビタミンDだっけ、大量に産出されたのか、どうなのか、だけどね。

国見といえば、サッカーで有名な長崎の高校だけど、あの言葉。

その昔、王家というのか、天皇というのか、新しい土地に来たときに、小高い丘からその街、邦を見渡す。

ある種の呪術みたいなものでもありそうだけど、そうすることで。

安泰、安寧、豊かな邦を経営することができる、とね。

なんてことを思いながらの、町見、街見だ。

いつもとは違うコースを辿ることになったんだけど、そのわけというのが。

瞑想が終わった時、ふと、津波が来たときの、なんて言葉なのかイメージなのかがやってきて。

んなことあるわけないでしょ、でもいいんだけど、今朝のところは。

それに従ってみたわけだ。

仮に、地震が来て、津波が、ということになっても逃げれるような、そんなコース。

こうしたことを、日常の細かいことにも使いだすと、これまた、本末転倒ってやつだけど。

中国の、夏から始まって、殷、周、その次くらいだったかな、商という王朝があって。

今の天皇家ともゆかりがある、なんて言説もあるにはあるんだけど、その王朝が。

占いとかに拘っていた、なんて話を聞いたことがあって。

日常の細かなことまで、そんなことが滲み出し、今で言えば、「自粛合戦」みたいな。

なんてことも思いつつの、今朝の決断でした。

このところ、ベランダに、磯ヒヨドリ、というのかな、やってきて。

まだ、会話はできないんだけどね。

一羽とか二羽とか、での来訪。

そのうち、仲良くなるんだろうな、と思いつつ、巴川に二羽の白鷺が、水面スレスレに滑空。

この白は美しいんだよな。

どうしても、それを取り上げたくなっちゃうんだけど、そういえば、昨日。

走りの道すがら、ちょっと高い建物に、あたりを睥睨するように、カワウくんが止まっていたな。

嘴の曲がった、あれはあれで、なかなか、立派だったな。

涼やかな風とともに、次なるルーティンへ、だな。

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