まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

瞬間最大60mが東海に

2018年09月30日 | Weblog

瞑想後、テレビをつけたら、そんなフレーズが踊っていて。

まさに、記録的な暴風、もたしかに、その通りだな、と思った次第。

あれは、何年前になるか。

こんなような日曜日の朝、富士山の麓、浅間神社の近くの現場から。

スマホじゃない携帯電話へかけてきたのが、今は、黄泉の国へ旅立った御仁で。

屋根が飛んでる、うわー、といって、電話が切れた。

掛け直しても、電話に出ない。

おいおい、こりゃ、そのまま、本人も飛ばされちゃったのか、と慌てて、今は専務になっている。

わが社員さんと急行。

大きな現場だったのだけど、何十枚か緊縛してあったうちの一枚の先端が外れていて、それがバタバタしていた。

それを大風の中、しっかり緊結し、ことなきを得たのだけど。

その現場まで行く道中、樹木は倒され、強風の中だし、現場の状況もわからず、なので。

気が気でない、なんて時間を過ごしていたんだった。

その帰り、富士川の橋の上では、大型のトラック、何台かが欄干にもたれかかっている、そんな光景を覚えている。

その時の風速が、瞬間で、50mと言ってたな。

以来、風速の基準がそこにあって、今度のが、東海で60mと言うんだから、そりゃ、大きい。

なんてこと、朝っぱらから思い浮かべて、そう言えば、と。

石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」、そんな題名の映画、あったよね。

台風来襲盛んな今年では、とても使えないフレーズなんだろうな、いかな裕次郎でもさ。

上記、くだんの御仁とは、その後、北海道へ夫婦でゴルフ、とか行ったり。

ふだんは無口だけど、シャレ男で、奥さんにぞっこん、と言うような印象が残っている。

それこそ、裕次郎と同じ、動脈破裂だっけ、なんか、そんな血管の不具合で、帰らぬ人となった。

そんな彼の葬儀も、10年になるか、ならないか。

窓の外は、嵐の前の静けさ。

巴川沿いを犬を連れて散歩している姿、川はいつもの朝のように、流れているようないないような。

今朝は、自家ブレンドコーヒー、マンデリンとルワンダのブルボン。

ブレンドも面白そうだ。

味がね、お互いの主張でなく、融合というのか、テイスティングの素人なので、これ以上。

言葉が出てこないけど、この間、昨日か、アップした古い友人。

彼、ワインのマイスター、じゃなく、ソムリエか、なんだそうで。

ワインでも、やっぱり、テイスティングの記録をとるらしい。

つまり、共通言語を獲得するわけだ。

この味は、こんな風に表現します、という基準をね、じゃないと、他の人にわからないでしょ、ってなもんだ。

という話を聞いていて、言語を獲得する、表現を標準化する、というのは、わかり合う、とかの意味ではいいけど。

多くのものを捨てて行く、放棄する、ということなんだな、なんて大仰なこと。

思ったわけだ。

散在する小さな文明を、大きな文明が飲み込む、それは同時に、言葉を大きな方に合わせる、ということでもあり。

ってね。

ブラジルやなんかの南米って、スペイン語かポルトガル語でしょ。

あれ、複雑な思いが湧いてくるよね。

さて、複雑な思いをこの場に残し、わが骨との対話に向かうとするか。

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英国旅行のテーマはなに?

2018年09月29日 | Weblog

古い友人が、来月、イギリスへ行くらしい。

ぐるっと一周してくるようで、知らない地名やらを説明してくれた。

ので、表題の問いを投げかけた。

イギリスは、食事が上手くないからね、と言うんだけど。

いつだったか、どこでだったか、いやいや、かの国も。

産業革命以前は、各家庭の手料理が美味しかったよ、なんて記事を目にもし。

蒸気機関が発明され、一挙に、国民総動員、聖戦の戦士ならぬ、産業勃興の戦士とあいなり。

それは、女、子供、年寄りの境もなく、それまでは、家でひっそりと、まあ、奥様。

なんて感じで、奥に引きこもっているように見えたご婦人方が、外へ引き摺り出され。

産業隆盛の礎となる、って絵柄で、家庭料理をする暇もなく。

そりゃ、今のような働き方改革、労働時間を削減しろ、みたいな謳い文句。

誰も言う暇はなく、資本家の意のまま、資本の論理のまんまの、何時間くらい働いていたのか。

子供だって、学校へなんか行かず、なんて風情に、例の、マルクスが、憤ったのか。

それとも、冷徹な分析家だったからなのか、資本論なんて本を書き、エンゲルスだっけ。

共産党宣言、なんてのモノし。

なんて時代だね。

その片隅で、馬車を走らせるのだったら、誰にも負けない、なんて名前も残っていない。

スーパーマンが、なんだ、この蒸気機関車は、だらしがない、とか、悪魔の乗り物か。

なんて言っていたのかも。

なんてわけで、海賊の末裔たる、ジェントルマンも、その昔は、家庭料理は美味しかったんだよ。

なんて話を思い出していた、くだんの彼の、イギリス行き、なんだけどね。

その彼、帰国後は、手術、だそうで。

癌センターで検査したら、胃がんの初期症状、とっちゃいます、ってことらしい。

癌に関しては、それなりの一家言の持ち主たる当方としては、アレやこれやの話もしたかったけど。

そこはそれ、彼は僕ではないので、粛々と、何かあったら連絡先にしてね、のリクエストに。

応じ、できれば携帯電話に連絡、と言うことにしてね、と。

そう、よくよく考えてみれば、家を何軒だか所有の彼、身寄り頼りもないんだったか。

なんてことは、よくある話なんで、いいんだけど。

と言うわけで、再来月、彼は癌の切除手術、と言うことになる。

何年か前に、大腸癌の疑いのあるポリープを、腹腔鏡と言うんだったか、お腹に穴を開けて切除。

なんて手術で、結果、一命をとりとめず、黄泉に旅立った御仁が友人にいるので。

ランチしながらのさまざまの話の裏側に、その御仁の事件が被さりもし、明るい笑い声の中の。

あれこれだったんだけど、ね。

今日は、お昼過ぎから台風の余波、大雨になるらしいね。

なんてこと、テレビとかなかった時代は、どんな具合に受け止めていたんだろうね。

風の流れ、湿り具合、雲の動きから、それぞれの感受性を全開して、なんてことか。

そりゃ、自然と向き合わざるを得なかっただろうな。

そこに、精霊を見たり、悪魔を見たり、現在では散逸してしまった神々の。

バリエーションを、それぞれに見ていたのかも、だな。

さて、わが神との対話を始めるとするか。

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珈琲は瞑想だ!

2018年09月28日 | Weblog

芸術は爆発だ!by 岡本太郎。

みたいだけど。

このところ、何日か、朝の珈琲、その味わいをメモしていて。

となると、飲むことに真剣になるわけで。

ながら族では、味は、なんだっけ、ってことになり。

珈琲を飲むときは、飲む人になる、これ。

禅の境地でもあり、あの世界だと、お料理もお掃除も修行に通じる、というね。

まんま、になる、それをする人、になる、というね。

そんな気分のコーヒータイム、なんて書くと、珈琲を単に楽しめばいいじゃん、なんて声、聞こえて来そうだけどさ。

これも、僕にとっては一興、と。

そのものと一体となる、と言うのか、それをするときにはそれだけをする。

お料理作りはお料理作りに没頭する、まさに、頭を没にする。

まんま、瞑想の世界だよ。

瞑想、と言うのか、人間の一つの現れ方、多くあるうちの一つだけど、とても、貴重な。

世界の、宇宙の秘密が暴かれるような、本然の姿の現出、とでも書いておくか。

夕べは、今年の歴史の旅、剣山にいたく感動した御仁の語りを聴く夕べ、くらいのウタイでの。

お蕎麦屋さんでの呑み。

相棒は、宮城は「日高見」。

谷川健一さんの「白鳥伝説」を読んだ方の感想文に、こんな文章があった。

ヒダカミ=ヒノカミ(日ノ上)説を推し、初めは天孫(天皇家の先祖)が降臨した日向(宮崎県)から見て東方にあたる大和の国(奈良県)をほめたたえて、大倭日高見国と称したのが、やがて東の常陸国を意味するようになり、さらに移動して、北上川流域の呼称となったといいます。】

ついでに、「列島縦断地名逍遥」の、北上川の項を貼り付けちゃおう。


 

お酒、一杯の説明が長くなったね。

一方、今朝の珈琲は、ルワンダ。

瞑想気分で味わった。

フツ族とツチ族の悲しい大事件の国から、遠路やって来てくれた珈琲だ。

たびに病み 夢は枯野を駆け巡る、だっけ、芭蕉?子規?

こちらは、いたって健康だけど、しかも、駆け巡るのは、枯野でもなく、なんだけど、このリズムが思い浮かんだ。

さて、遠くの汽笛を聴きながら、次のステップを踏み出すとするか。

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ジャスミンティーをベトナム土産に

2018年09月27日 | Weblog

と某行政機関、というのか、とにかく、そんなところから来社された女史から。

表題のように、いただいた。

いつも、珈琲をいただくので、というわけだ。

ありがたくいただき、今、机の上にある。

昨日、某会社の、来月の浜名湖行きのイベントで、バスで行くことになるので、保険の関係で。

年齢が必要だそうで、電話で、事務局の女史に、65です、と言ったら。

お世辞でなく、あら、見えませんね、と来た。

もともと、若く見られるタイプではあって、ある時。

これまた、匿名だけど、ある御仁とそんな会話になり、そりゃ、本当の自分、どこかで隠してますよ。

だったか、忘れたけど、温泉にはいるといいですよ、くらいの会話があり。

それで、一時期、わが身を、温泉オタク、と呼びもすることになった。

なんて事件があって。

それまでは、白髪もなかったんだけど、増え始めて今に至る、なんてことがあった。

白髪が老いの記し、みたいに言われがちだけど、そもそも、老い、なんてのは、どういうことか。

とかね。

あたし、もうハタチになっちゃって、おばさんだ、なんて言い方に出会うこと、あるけど。

逆に、とてつもない難事件に遭遇すると、まだハタチだから、と心理は動きそうで。

それなりに、なるほど、とは思うけど、幾つであっても、どんな人生を送って来ても。

この、今という時、時という名前の巨人、大きなまさかりのようなものが、まるで、地球全体とも見えるような。

そんなまさかりで、この瞬間を、ばさっと切り裂かれる、というイメージが、昔からあって。

年齢も生まれも関係なく、ね。

いちいち、まだ、とか、もう、とかの修飾語?なんていうのか、早い話が、エクスキューズ、言い訳。

あとなんて言い方あるかな、自分への防衛線、防護壁、なんでもいいか。

とにかく、いろんな自分物語とともに、この人生航路ってやつを、それぞれがそれぞれの。

映像を眺めながら歩いている、ってことで。

これね、腑に落ちると、とても気楽なもので、いろんな事件、出来事がまわりで起こっていても、そうだよね。

そりゃ、そうなるよね、なるほどね、そうなるんだ、そうそう、とか、さ。

こちらはこちらの物語を生きているわけで。

さて、雨だ。

いつものルーティンは、お休みか。

 

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ノスタルジックな味

2018年09月26日 | Weblog

グァテマラ、アルト・デ・メディナ農園の手になる珈琲。

無骨とは言わないけど、ボディ感というのか、重さのある味わいで。

タバコが実によく合う。

チェ・ゲバラのような革命戦士が、山深い高地でふかしていただろう、なんて想像しながらの。

珈琲もタバコもうまい。

ノスタルジック、と書かずにはおれなかったのは、繊細すぎない佇まい、とでも言えるか。

病的に、きめの細かさを競い合う、ものみなの対極にあるような。

なので、知らぬ間に、ブログネタになっていた。

今朝は、これだけを告解したら、それでよし、というくらいだけど。

惰性に押され、まだ書き続けているわけだ。

歴史を学ぶのは、ウエブ(web)が、つまり、蜘蛛の糸のように張り巡らされた、インターネットのような。

そのwebが、いかに改変されて来たか、その時代時代で、さまざまなwebに、このホモ・サピエンスが翻弄されて来たか。

なんてのを、例の、ハラリ教授で読んで。

そうだそうだ、と膝を打ちながら、の夜を過ごした。

認知の革命によって、共同することに意味、意義を見つけ、弱小な動物だったのが、今では、世界を制覇している。

そこについて書いている。

それについて、書きたいけれど、書けません、覚えてないから。

そう、例えば、キリスト教とイスラム教の戦いね、十字軍ってやつ。

故郷のみんなに鼓舞され、そこで命を落としても天国への道が待っている、とイスラムたちを殲滅しに向かった戦場で。

戦い相手のイスラムの戦士が、同じように、ここで命を落としたら天国への道が、なんて話を聞いた。

あらら、あんたもそうなの、くらいの話だね。

バチカンの法王のためなら、と戦って故郷へ帰って来たら、すでにその時には、ゲームのルールが変わっていて。

あの法王の馬鹿野郎が、くらいの風潮になっていた、と。

神話、というのか、共同のストーリーが変わっていたわけだ。

弱さを強さに変えた、共同のための神話が、書き換えられた瞬間で。

なんてことは、この、たった今の時代でも、そこここに溢れかえっていて。

現政権の応援団とアンチの方々とのネット上でのやりとりなんか見てると、命はかけてないけど。

たまに、命、落とす御仁もいるにはいるけどね。

ま、似たような風情が散見され。

仕方ないよね、過去の成功体験、早い話が、ネアンデルタール人を滅ぼした、そのツールが。

神話による、一人では弱いから共同で、仲間作り、ってことだから。

なんてことも浮かんでくる、そんな著述で、秋の夜長を楽しんだのでした。

さて、骨ストレッチはカラダによい、というわが神話に向かうとするか。

 

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僕の名前を知ってるかい?

2018年09月25日 | Weblog

この後に、新聞太郎と言うんだよ、と続く。

山田太郎という歌手が歌っていた。

というのも、今朝、わが駐車位置へ、と進んでくると、その前に。

原付バイク、かっこ新聞積み、という女性がいて、頭を下げながら出て行った。

という光景から、そんな歌、思い出したんだ。

ネットニュースに押され、各戸配達なんていう、日本独特の仕事も。

どうだろう、随分と減ったのか、そうでもないのか、わかりませんが。

ちょっと、哀愁を感じつつの一瞬だったのでした。

出版社などもアマゾンに押され、倒産の憂き目、なんてニュースも入ったり、なので。

紙での発信が、瓦版時代からしたら、随分と下火になっているんだろう、と推測しつつ。

「新潮45」なんて雑誌が、あまりのひどさに、ネット上では、あれやこれやの話題にもなり。

なんて朝ですが、昨夜は、満月かな。

秋分明けの満月は、なんとか、とどこかのサイトで書いていたな。

この時代、とにかく、変化変化のオンパレード、って感、なきにしもあらず。

というわけで、当方も、何かと言えば、そのブームに影響されちゃうんだけどね。

小さな変化の予兆を見逃さないように、みたいなね。

考えてみれば、これも、やるせないもので。

今を楽しむ、今を味わう、という観点からは程遠いものでもあって。

もともと、実は、変化なんてのは、当たり前に日々起こっていて。

それを、知らぬが仏、というのか、知るまでもなく走りすぎているだけ、とも言えて。

日々新たに、日に新たに、また日に新たなり、だっけ、中国の湯王の洗面器に書かれていた言葉。

とにかく、新たな日、でしかなく、昨日の続きに見えるのは、そう見ているから、ってね。

にしても、毎朝早くからの新聞配達、有難い。

どう見ても、ネット上からの入り方と違うんだよね。

そりゃ、kindleにしても、ワンクリックでわが集配所たるミニストップまでお届け。

でもなく、iPhoneに瞬時にやってくるので、便利は便利なんだけどね。

微妙に、紙からの入り方と違うんだな。

単なる情報としては、FACTという意味では、おんなじなんだろうけど、そこがね。

行間を読む、眼光紙背に徹す、みたいな、ね。

これをしも、旧世代のたわごと、なんて日も近いかも、だけど。

そう、そんな紙から、つまり、「ホモ・デウス」のハラリ教授がね。

人間と動物について、書いていたな。

いつから、人間が万物の霊長になったのか、動物には情動、意識はないのか、いつから。

なくなったのか、なんてね。

科学では、魂の存在を認められず、というわけだ。

だから、動物には、そんなものはありえない、というのか、例えば。

妊娠した母豚が、60センチ✖︎2メートルの柵の中で過ごし、出産後は。

何週間かで、子豚と引き離され、なんてFACTね。

つまり、事実、そのことについての解釈は、霊長でない動物だから、というわけだ。

それも、アニミズムから一神教に至る宗教が後押しして、と。

そんな文章読みながら、お召し上がりください、という列島での言葉つかい、思い出していた。

いつだったかも、書いたけど、いただきます、の言葉に。

どうぞ、お召し上がりください、ってのね。

召命、なんて言葉、あるけど、それですね。

命が天に召し上がってくださいますように、という祈り、それとともに、目の前の食をいただく。

カロリーとかダイエットとか健康にいいとか、そこと微妙に違う立ち位置なんだよね、と。

イタリアだったか、世界で一番、予約の取れない料理店で修行していた若者が。

これ、どうも違和感がある、と違う方向へ行こう、と思った、なんて番組、やっていたけど。

美味と斬新性を追求するあまり、食材のロスの仕方が半端ない、ということらしく。

そこへの違和感、という話をしていたけど。

たしかに、美味は文化でもあり、なんだけど、人間至上主義みたいな作り込み由来の。

文化に、どれほどの価値があるのか、なんてことだな。

もちろん、価値はあるんだろうけどね。

価値あるものが気持ちがいい、釈然とする、というのとは、また違うしね。

なんてことダラダラと書いてきたら、2000文字、超えちゃったよ。

考えようによっては、これほどの無駄もない、なんてね、というわけで。

ルーティンに向かいます。

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朝早くからの運動会

2018年09月24日 | Weblog

かくして、無事、運動会は終了。

あれが足りない、これが欲しい、という事で、当日は、ほぼ、調達係に扮し。

スーパーやらどこやらと会場を何往復したことやら。

この、素人感が、なかなか、楽しくもあり。

ああすればこうすれば、みたいな小さな悔いとね、まず、動け!みたいなことと。

ないまぜになった一日でした。

地域に、新しく入ってきた人々と、親の世代は知ってるけど、あんた、誰の息子?みたいな。

そんな世代間ギャップと命名されてしまうか、選手集めが大変で。

なんて言葉で、何かを言い終えた気になってしまうのも、ちょっと、違うかも、ということやらね。

なんにせよ、未知との遭遇、という気概が大切であること、気づかせてもくれて。

と、朝、二日ぶりに事務所に着くと、この間、秋刀魚を食べながら、爾今となんだっけ、三つばかりいただいた。

その相方から、ハガキが舞い込んでおり。

メール、LINE全盛の時代に届くハガキも、これまた一興で。

ハガキ、手紙の時代からずっと遡る頃には、風の便り、なんてのもあったわけだ。

ほんの少しの情報とも言えないネタから、誰それの安寧、変化、を知る、なんていうのね。

それにしても、なかなか、味のあるもので。

もう一つの便りもあり、それは、FAX。

来月、小学校で、キャリア体験学習というものをやるんだけど、それへの参加表明。

これまた、今風とはちょっとずれた立ち位置の便りで。

流行りものの変遷を感じる、とでも言うか。

と考えてくると、早いね、時の流れ、と言うのか、通信技術の進歩、と言うのか。

先回りして好みを読み、提示する、なんてのは、Google検索やら、アマゾンでの購入の際、感じるしね。

過去現在だけでなく、未来までひとまとめにくくられちゃいそうな。

そりゃ、AIがかくかくしかじか、なんて話にもなるな。

なんてこと、さまざま、あるなか、どの道、今、しかないな。

と言うのが、このところたどり着いた当たり前の結論なんだけどね。

どうみても、明日は永遠に訪れず、って事で。

なんて言うと、なんと無体な、と返事が返ってきそうだけど。

それにしても、骨ストレッチ、あれはいいわ。

疲れがたまらない、と言うのか、運動会の後でもね。

と言うわけで、それ、行きます。

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朝の雨と女の腕まくり

2018年09月22日 | Weblog

たしか、表題のような、今では、差別用語になってしまうか。

大したことはない、という意味で、昔は使われていた、なんて話、どこかで聞いたな。

というのも、明日の運動会、その準備が今日で、この朝の雨が、というわけだ。

なにせ、自治会の体育部長さんなんだからね、当方は。

雨は降らなくても、グランドコンディション不良につき、ということもあるから。

このペンディング状態、というのは、なんともね。

どこかへ出かける朝なら、大丈夫、晴れ男だから、くらいを小声で、なんてシチュエーションだな。

このところ、言葉の言い換え、とでもいうか、あるいは。

ごく当たり前に信奉、信仰、依拠されている、言葉の意味というものを、自分なりに弄ぶ。

とでも言えるか、そんなことが、小さな、マイブーム、でもあって。

外は明るくなってきた。

こりゃ、明日は運動会確定だな。

また、中止になったら、不意に訪れた空き時間を楽しめるかな、なんて淡い期待を持っていたんだけどね。

そう、言葉を弄ぶ、そもそも、それってどんな意味なの、というのね。

言葉は、社会の中に生きるものとしての、基本的なものではあるんで。

そんなことを真剣に始めちゃったら、その都度都度の対応が大変なことになるのかも、だけど。

そうはいっても、そんなにいつもが切羽詰まったコミュニケーションでもないわけで。

それより、こんな言葉使いをする自分、ってのを、見つめ、眺め、矯めつ眇めつ、というのは。

わりと、楽しいもので。

悪くない。

今朝は、グァテマラの、アティトン地区の珈琲を味わっていた。

ライトだけど、香りはどんときたな。

そんなことしていたら、随分とこのブログにいる時間が長くなった。

途中、昨日の会合の後、何人かと連れ立っての談笑の時、白川静先生の、「正」の字についての。

わが講義をしたので、念のために、常用字解を引いてみた。

正は。

会意。一と止とを組み合わせた形。一はもと囗(い)に作り、城郭で囲まれた邑(町)。

止(足あとの形)の古い字形は之(し=ゆく)と同じで、行くの意味がある。

と書いてある。

城邑に向かって人が進む形で、攻めて征服するの意味となる。

なんて書いてあった。

征服して征服地の人から税を取ることを征といい、その支配の方法を政という、とも。

ま、こんな白川さんの文章を眺めつつ、言葉の言い換えに思いを馳せてもいるんだな。

さて、そんな戯言はともかく、リアルに入ってく事にするよ。

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世間に置いてけぼりになる

2018年09月21日 | Weblog

その恐怖が、人を老いさせ、生への諦めを生み。

そして、やがて死に至る、というような見解を、誰だかが披露していたか。

それとも、なんかのコメントから当方が類推しているのか。

なんだけど。

ふと、今朝は、そんなことを表題にしてみたかった。

だから、新聞を読み、ネットサーフィンをし、SNSで発信もし、という具合で。

よくよく考えてみれば、ちょっと前までの世代、300年とか500年とか遡ると。

んなツール、ほとんどの方々は、手にしてなかったわけで。

余計なこと、とも言えるな。

どの道、時代の子、なので、それはそれで粛々と、って具合だけど。

たまには、ふと、足を止めてみるのも、一興ってなもんだ。

ハラリ教授じゃないけど、認知革命以来、言葉を覚え、積み重ね、さまざまな記憶をのせ。

と言いつつ、その言葉で、あれやこれやを考え、語り、同意を求め、というね。

はじめに言葉ありき、なんてどなたかがおっしゃったので、すっかり安心して。

言葉、大切、御身大切、ということなんだけど、その言葉に、積年の思いが秘蔵されてもいて。

何気なく使う単語の中に、思考回路を、ある方向に進ませる駆動力みたいなものもしこまれていてね。

時には、そんな単語を使って、鬼の首でも取ろうとばかりの勢い。

あるいは、悲劇のヒロインを演じるための、あるシチュエーションを現出させ、とかね。

そもそも、未だ来らず、の未来を語るのにも、過去の堆積した言葉を使わざるを得ず。

なんて書いてくると、んじゃ、オマエ、黙れよ、ってもんだけどね。

で、表題に帰るんだけど、というわけで、世間とか、他人様とか、社会とか、それってなに?

必要なの、くらいの話なんだな。

いずれ、一人で生まれ、一人で、とりあえずは、この世からはおさらばするんだから。

という視点、その真実には素直に倣う、というのが、ま、ここでのご提案です、ってわけだ。

さて、秋の空に向かって、わが骨の動きを御披露申し上げるとするか。

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聴くことが話すことだ

2018年09月20日 | Weblog

目の前の相方の話から、つくづくと、改めても、思い知らされた。

というのが、昨夜の、何年振りかの、その御仁との呑みだった。

彼、介護理容、と言ったか、それ用の車を運転して施設へ出向き、そこでカットをする。

という業界では、有名人で、例の、坂本教授、YMOの方じゃない、日本で一番大切にしたい会社、って本。

その発案者、の法政大学の先生をされていた。

そこで5冊だか、本を出してもらっていたそうで、そりゃ、知らなかった。

のだけど、彼の、現場での話が、つまり、表題のようなもので。

クライアントさんの話を、聴きに聴く、ひたすら聴く、そこに立ち現れる豊穣さ。

もちろん、呼び水をほんの少し、注入し、ってことらしいけどね。

そもそも、話す、ってことはどういうことか。

人とのコミュニケーションは、なんだろう、ということで。

つまり、何を実現したいがために話すのか、という大難題、ってわけだ。

そんな、えらく、得体の知れない領域に入り込んでしまうような。

相方との数時間だった。

僕の感じていたことと同じだ、というシンクロニシティ、とも言えるし。

たぶん、この目の前の御仁との久方ぶりの邂逅、談笑は。

何かに連なる序章、とも言えるし。

車の所有をやめて、北海道への奥様との旅を選択した、その旅も。

40回になるか、という御仁でもあり。

自分の言葉でしゃべっているな感が、とても好ましくもあり。

なんて時間を授かったのでした。

いただいたお酒も、前日に引き続き、爾今の特別純米。

それが用意されているお店にも感心し、新サンマの美しく焼きあがった様を愛でながら。

心して見れば万物皆わが師なり、と宮本武蔵が言ったのか、中国の古典なのか、吉川英治が書いていた。

ことを思い出してもいて。

わが師、というと、教えを請う、とかの方向へ行きがちだけど、そことも微妙に違う。

なんだろう、人生の妙、とでも書けるか。

大きな流れの中にたゆたふ、この現し身、とでも言えるか。

心して、というのは、頭を使わずに、目の前の出来事をまんま眺める、そんな感じか。

さて、秋の朝に、そろそろ、骨ストレッチだ。

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