昨日、藤原直哉さん、月橋重隆さん、マドモアゼル・愛さんの鼎談を聴いた。
年に一回、あるんだよね。
そこから啓発されたのが、神話。
民族、人類の物語とも言えるか。
そんな物語を意識の片隅に置き、人間ってのは、生きてきた。
なんて安定感を感じもし、愚痴を言い合い、とかしながらも、生きてきた。
のだけれど、その神話、物語を紡ぎ直す時期だ。
というようなお話かな。
2000年間続いた土の時代が終わり、というタイミングで、というわけだ。
常識、とか、当たり前、とか、学校で習ったことでは、とか、賢人が宣ったこと、とか。
それらのことごとから、解放されましょう、って。
風の時代、i knowの時代、われ知る、ということね。
知らしむべからずよよらしむべし、なんて言葉、あったよね。
よらしむ、って、依存の依と書かなかったかな。
いずれにしても、統治の原則みたいなもの。
もっとも、安岡正篤さんによれば、強制力で知らしめるのでなく、民が自ら進んで知り、ついてくる。
というような解釈だったけれど、自ら進んで、ということを。
さまざまなメディア、教育、歴史、などなどを使って、大枠を作ってきたわけだな。
そこが終わりかけているよ、って具合だ。
親鸞さんの言葉に、面々のおんはからいなり、とあるんだけど、あれかもな。
どうぞ、ご自由に、の世界なんだな。
それぞれの物語、神話をそれぞれの言葉で紡ぎ直す、ということね。
そんな時代に生きている僥倖を得ている、とも言える。
そうだよな、ここまで生き延びなかった友人、知人の数々、のことを思うよ。
さて、自らの神話、物語を紡ぐ一日に出かけていくとするか。