まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

キタキツネの子別れ

2020年08月31日 | Weblog

というのは、なかなかに厳しいものらしく。

生まれてからずっと、可愛がられていた子どもたちが、ある日、突然。

母親は、獰猛とも言えるくらいの態度で、冷たく、突き放す。

らしい。

独り立ちしなさい、という暗示、メッセージを行動で示す、というんだね。

もちろん、巣から、つまり、家庭、家族から追い出され、というわけだ。

子どもからしたら、その時のトラウマ、ってのは、凄まじいだろうな。

獅子はわが子を千尋の谷へ突き落とす、なんてのもあるよね。

それほど、社会、自然というものは厳しいものなんだ、という人間への。

教訓、訓示みたいな感じでよく使われがちだけどね。

その真逆が、落語の「薮入り」。

落語には、ベタに「子別れ」なんてのも、あるけれど。

丁稚奉公に出た息子が、薮入り、つまり、年に一回なのかな、お休みで家に帰ってくる。

その時の様を、待ち構える親の側から描く、ってのが、噺なんだけど。

前の晩から、熊さん、眠れず、女房に、いま何時だ、と何回も女房に聞いたり。

いつもは朝寝坊だけど、早起きし、家のまえを掃き清め、近所の友達から笑われる、とか。

帰ってきたらきたで、昼飯は、どこそこのうなぎに刺身に、あと、なんとかとなんとかを食わせ。

明日は、川崎大師さんから、大山さん、それから、駿河のなんとかへ連れて行って、とかね。

とにかく、目一杯甘やかしたい風情、満載、って次第。

最後は、子どもに諌められ、みたいなオチだったかな。

教訓としてどちらを取るか、ってのも、ちょっと違うかも、だけど。

キタキツネや獅子の話を、わがホモ・サピエンスに置き換えて、ってのも。

考えてみれば、随分に乱暴な話だな。

どっちでもいいよ、って感じかな、熊さんでもキタキツネの母親でも、とね。

いずれにしても、そんなお為ごかしに縛り付けられている、その無残さ。

ってのも、どこか、片隅に置いといてもいいかな、というわけだ。

キタキツネの話を紹介していた御仁が、若い頃、二年間、精神科へ通ったことがあるそうで。

とてもいい先生で、懇切丁寧に処方、処置をしてくださって快癒に向かい。

その最後の日、先生にお礼を申し上げ、というタイミングで、くだんの先生。

一気に、厳しい、鬼のような形相で怒鳴りつけ、なんてことになり、くだんの御仁は。

二度とこんな先生には会うまい、と心に決めたらしい。

んだけれど、のちにその先生の著作に、かくかくしかじか、自分に依存しないように。

そんな態度にしている旨、書いてあったそうだ。

依存、ってのは、目に見えないから、やばいといえばやばいけれど、ね。

ま、いろいろと、難しいです。

というわけで、こちらの今日は、シンプルに行くとします。

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苦→楽を共にし

2020年08月30日 | Weblog

なんて言葉、あるけれどね。

苦と楽の間に、→という矢印があるのが、ミソなんだけどね。

って、またまた、走りの話。

2月当初、苦だった。

はっきり言って、苦しかなく、その時間になるのが怖いような、逃げたいような。

じゃ、なんでやったんだ、って言えば、いつだったかも書いたけど、汗ダクダクとかきたかった。

唯一、それを頼りに、ってことだったんだよね。

その同じことが、苦から楽、楽しくなりつつある、という、これまた不思議なことが。

わが体内?脳内?で起こっていることで。

今朝も、LSDをやってきたんだけど、クールダウンまで終わった後、Tシャツは。

絞れる汗で重いんだ。

これこそ、求めていたことで。

この感覚、何十年ぶりだろうか。

というノスタルジック・モーニング、ってやつだな、造語だけど。

こんな朝の珈琲は、エチオピアのシダモ行政区とでもいうか、そこから届いたモカ。

それもいいんだけど、天日にがりの入ったお湯に、手が伸びてしまう。

絞れるくらいの汗からは、当たり前だけど、ミネラルも同時に流れ落ち。

ってわけだから、にがり=ミネラルは欠かせない、ってことを、カラダが求めている。

んだろうね、きっと。

ところで、走り終わった後、さぞかし体温も上がっているだろう、と思い。

コロナ感染防止対策用の、ピッピと額に当てる体温計で計測。

38度くらいを指すか、と思ったんだけど、通常の36度なにがし、だった。

ことほど左様に、わが体内では、わが細胞くんたち、ミトコンドリアくんたちが。

奮闘してくださっていたわけだ。

瞑目して合掌礼拝、だね。

そうだ、今日の午後は、生豆を買ってきてあるので、焙煎してみようかな。

50グラムくらいを15分間ほど、フライパンで、って焙煎堂のオヤジさんに教わったので。

ムラができるけれどね、とも。

そりゃそうじゃなけりゃ、プロの立場、ないからね、くらいの応えをしたんだったか。

そうそう、昨日、突然、ヘアーカットの大将が事務所にやってきたんだった。

なんか、軸がないんだよね、心もとない感じがするんだ、なんて話していた。

仕事を息子に譲っちゃったから、ということなんだけど、このあたり、なんだろうね。

乱暴に言っちゃえば、そもそも、仕事なんてしなくてもいいのにね、という観点だな。

それじゃ、飯が食えないじゃん、なんて話になるんだけど、どうなんだろう、その言説も。

どうもね、誰かに、社会に、それこそ、月に強いられている、みたいなことかも。

なんて視点があってもいいんじゃないかな、とも。

せっかくのパンデミックなんだから、そこらへんから物事を捉え直す、ってのも一興だな。

さて、こちらは二興、三興に向かうとするか。

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論理的コミュニケーション能力がないらしい

2020年08月29日 | Weblog

今朝は、いきなりの表題ですが。

どうやら、僕はそうらしい。

もちろん、科学的な根拠があるわけではなく、学校の先生と答え合わせをした。

わけではなく、なんだけど。

なんだそうなんだ、もともとないなら、そんなのできなくてもいいんだ。

というね。

そんな楽な気持ちになったのでもあるんだけど。

苦手でね、理路整然と、とか、上手に組み立てて話す、とか、って。

でも、何かのプレゼンとかは、そうしなきゃ、って思い込みにとらわれていたんだな。

そこが、外れて、めでたしめでたし、なんだけどね。

というのも、月の話。

月は欠損をもたらす、というのか、だいたい、7歳くらいまで、というんだけど。

例えば、お母さんの口なりを通して、あんたはこんな子だからねぇ、みたいに。

刷り込まれるらしいんだけど、それが、真逆なことらしく。

もちろん、お母さんが悪いわけじゃなく、ね。

もともと持ってない能力を、あたかも持っているかのように、という関係を作っちゃうのが。

月なんだ、と。

by マドモアゼル愛さん。

ここまで書いてきたこと、そのものが、表題の通りでしょ。

論理的ではなく、ってわけだ。

このあたりの話は、そのうち、もう少し、詳しく書けるかも、ですが。

月ができたのが、1万5千年〜2万年前くらいだ、というんだね。

50億年の地球の歴史からしたら、ほんのちょっと前、ごく最近の話だよね。

そのおかげで、重力が6倍になったらしい。

なので、たまに、巨人の骨が発掘されたりする、というんだね。

なんたって、重力が1/6だったら、そりゃ、育つでしょ。

「巨人 遺跡 日本」で検索したら、2006年の岩手・宮城地震の時のニュース映像があった。

もっとも、その後、巨人の骨は消されたらしいけど。

ま、そんなことはともかく、月はそんな一面もある、という話です。

そうそう、アポロの月着陸の時の話、お前ら何しにきたんや、って巨人に脅された、っての。

ドラコレプテリアンだったそうで、なので、その後、月着陸、って聞かなくなったものね。

いずれにしても、裏面を見せない月、って、いわく言いがたい存在なのかも。

なんて朝、LSD、ロング・スロー・ディスタンスってやつ、やってきたんだよね。

だんだん、長く走れるようになって、ほんと、小さな積み重ね、ってやつだな。

この実感、わかるかな〜、ワカンねぇだろな、って、古いね。

というわけで、本日は始まっているのです。

 

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どの道、何かにどこかにすがって生きていくのか。

2020年08月28日 | Weblog

マスクをすることにすがり、マスクをしないことにすがり。

コロナを、パンデミックを信じることにすがり、フェイクコロナを、プランデミックを。

信じることにすがり。

そういえば、中原中也は、自恃だ、自恃だ、と詩っていたな。

自らを恃む、ってわけだ。

いや、そうはいっても、感染が広がってますからね、と。

第二波、第三波がやってきたら、しかも、秋から冬にかけてのインフルエンザシーズンを迎えたら。

みたいな、言説ね。

それにしても、いったい、どうなっていくのか、こちらは、ノープランで待つしかないわけで。

夕べ、帰りがけ、ご近所の方のマスク姿の水遣りを眺めて、上記のような思いが湧いてきたんだよね。

どちらも正解、どちらも不正解、ってんもんだな。

そもそも、正解を求める、その奥底には何があるか、と。

いいじゃんか、正解も不正解も、ってことだな。

あんたが選択したことなんだから、とどこかから声が聞こえてきそうな気がする。

今朝は、久々の、モカはイルガチェフェ村からの。

果実のような、が、少し薄かったかな。

そうだ、今日は、zoom会議が二つだ。

すっかり、zoomおじさんになっちゃったな。

そのうちなんとかメガネをかけたり、なんとかチップが埋め込まれ、いったいぜんたい、あたしって。

みたいな、ね、どこまでがあたしで、どこからがあなたなのか。

なんてこと、出来しそうな感じもするよね。

なにせ、全能感みたいなの、憧れとして残存しているだろうからね、たぶん。

そんな時の、調整機能を果たしてくれるのが、走る、ってことだな、きっと。

自分の足で、走るしかできないからね、しかも、より速く、でもなく、もっと遠くへ、でもなく。

ただ走る、ってのには、AIもマイクロ?ナノ?チップも口出せないからな。

それにしても、この2月から始めたわけだから、ズドーンと核心をついてるな。

コロナ真っ盛りの中の選択、ってわけだ。

ところで、昨日、同友会の「社長TV」っての、久々に眺めてみた。

自分の回のやつで、わが経営を語る、みたいなもの、なかなか、いいこと言ってるな。

なんて、我ながら感心しちゃったよ、なので。

今朝は、このブログへの客人方にもシェアしちゃおう、という気になったので、貼り付けちゃいますね。

こちらです。

さて、雨の一日を健やかに、素敵に過ごすことにするか、それとも……、迎えにいくか。

 

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今年は白いアサガオがよく咲いた。

2020年08月27日 | Weblog

わがグリーンカーテンでの出来事。

あふれる喜び、と言う花言葉をもつアサガオ。

ベタにわが社の第一番目の経営理念で、ものつくりの基本は喜ぶ顔つくり、ってことで。

そう、昨夜は、今週2回目の呑みで。

その席の女史に、顔がシャープになった、と言われた。

先月だったか、わがヘアーカットの大将Jr.にも言われたな。

走りを初めて2回目、ってわけだ。

だからなんだ、と言うことでもないけれど。

今日と明日は、走りはお休み、骨ストレッチは続いている。

お休み、って大事だそうで、その時間は、筋肉などが修復、成長をするんだ、とね。

大概の本に書いてあるので、素直な僕は、そうなんですか、と応じているんだけど。

この仕組みが面白い、と言うかね、人間的に、休んでいる、と思っている時に。

カラダの内部では、村の鍛冶屋さんみたいな作業、し続けているわけで。

そんな話になれば、呼吸だってそうだし、さまざまな消化活動、細胞の入れ替わり、とかね。

なにせ、一週間だっけ、あらかたの細胞が新しくなるの、って。

わが骨ストレッチの創始者も、頑張りすぎの脳から自由になる、なんておっしゃっていて。

なるほどな、と。

なんたって、脳が、頭が、さまざまな言説を鵜呑みにしての苦行を当たり前のこととして。

なんていう教育を経てきた、なんて書くと、先人、ま、親であったり教師であったり賢人であったり。

社会そのもの、もそうだろうね。

いずれにしても、一つの仮説、一つの、誰かのちょっと見の成功物語をお手本にして、と言うわけだ。

なんて書いてくると、昨日の続きみたいだな。

これね、たぶん、ルネッサンス、イタリアはフィレンシェでの、あれが潰された話にも繋がるんだよ。

きっと。

四角四面の、角ばった、かしこまった、いかめしい、とか、そんな形容詞を使いたくなっちゃうような。

その昔、中国での、纏足、っての。

女性の美は小さな足にあり、みたいなことなのか、小さな靴を幼い頃から履かせて小さな足を作る。

って、とても残酷な物語ね、あれにも似ていて。

みんなこうやって生きてきたんだよ、とか、我慢しなさい、とか、いい子でいなさい、とか、そんな言葉ね。

規矩、みたいな言葉、思い浮かんだけど。

はめ込む、とか、型通りの、とか。

ペストの流行ったヨーロッパでは、神への不信みたいなことが広がったのか、そろそろ、本来の生き方に。

戻ろうか、なんてことから始まった、人間復興、ね。

ま、潰されたと言うんだけど。

ちょっと、止まらなくなったので、このあたりにしときます。

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「より速くもっと遠くへ」と言う資本主義は終焉するか

2020年08月26日 | Weblog

今朝の表題は、なんとも勇ましい、とでも言おうか。

ちょっと前、よく水野和夫さんが書いていたののパクリなんだけど。

とにかく、じっとしていられない、ってことで。

なんて感懐が湧いたのも、わが心内、ココロの中、あるいは、脳内か。

で起こっていたことからの話なんだけどね。

今朝も、30分間の平日走り、をしてきたわけだ。

LSD、ってなんかの薬みたいな呼称だけど、とにかく、ゆっくりと長く走る、ってのね。

とは言いつつ、わがApple Watchに表示されるラップタイムが気にもなり、と。

早い遅いじゃなく、30分間を楽しむ、あるいは、そこにいる、あるだけ状態。

ってんだけど、脳の達成意識ってのは、過去の遺物に汚染、いや、憑依、いや違うか。

占領されがちで、こんなタイムか、とかね、もっと速く、とかさ。

さまざまな絵空事のような妄想がチラチラ、現れるわけだ。

とその時に、浮かんだのが、表題の、水野和夫さんの言葉だった次第。

ランニングでは、LSDみたいな言葉も流布しているので、かくかくしかじか、と説明もつくけど。

日常、とか、経済、とか、社会、とかのくくりでは、どんな言葉になるのか。

スローライフみたいなの、あったか。

言いたいことは、さまざまなコンセプトが提出されるけれど、心内で起こっていること。

奥の方で起こっていることにもフォーカスして、と言うわけだ。

比較の世界、誰かとの、どこかとの、比較の世界での話は、どちらにしても、似たようなもので。

能力主義であったり、最近流行りの、職務記述書であったり、50歩100歩、かな、と。

平和な、豊かな、楽園のような社会が、なんてことは、その実、心内の世界を抜きにしては語れない。

もっとも、ひと頃流行った、唯物史観ってのを使っちゃえば、社会が変わればココロも変わる。

なんて話にもなるのだろうけど。

はともかく、今朝は走りながら表題のようなフレーズが浮かんだのでした。

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歩く人が増えているような

2020年08月25日 | Weblog

朝まだき、は大げさだけど、早朝からの。

歩く人や走る人が、表題のごとくな感じがしてね。

なんとなく、こちらも気分が良くなろうってなもんだ。

自立?自尊?自らを生きる、とでも言おうか。

例えば、歩くこと、そのものは、誰でもなく、自分がしているわけで。

SNS、とか、ネット社会、とか、リモート会議、とか、自分のようで自分でない、と、そんな流れの中。

自分の足で立ち、歩き、走る、と言うことが、ひょっとしたら、人間が人間であることに。

かろうじて繋ぎ止めてくれているのかも、と言う妄想ですが。

巴川の向こう岸を歩いているのは、人間ならぬ白鷺か。

たまに川面を飛翔する姿はとてもカッコがいいけどね。

今朝は、なんだろう、餌を探しているのか。

しかし、昨日も書いたけど、秋めいてきて、さすがの猛暑、酷暑も何処へやら、と言いつつ。

昨日だって、プリウスの車外温度は、43度と出ていたな。

そうだ、Hallelujah、ね。

レナード・コーエンの作詞作曲で、いろんなミュージシャンがカヴァーしているんだけど。

昨日、そのうちの一人、Jeff Buckleyの、をわが社の若手に紹介した。

生ギターの弾き語りみたいなのが、とても良くて、しかし。

残念ながら、彼、30歳で溺死しちゃったらしい。

いずれにしても、歌詞も深遠で、anthemとこれが、このところのお気に入りです。

そうだ、昨日来社の方にも、オードリー・タンも交えてのご推奨。

いいよいいよ、ってわけだ。

さて、今日も夕方、zoomミーティングがあるな。

なんて日に出立するか。

 

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志ん朝の「芝浜」を推奨されたんだった。

2020年08月24日 | Weblog

先週末の呑み。

一人の相方が、三代目の志ん朝の云々、聴くたび泣いちゃう、なんて話から。

彼、ちょっとした誤解があったんだけど、未だ存命、と言う認識の、で。

もう一人の相方と、少し色めき立ち、そんな芸の持ち主が、あの。

志ん生の次男坊の跡を継いだのか、ってなもんだ。

もちろん、誤解だったんだけど、で、聴いてみた。

たしかに、泣ける場面、あるんだな、これが。

大晦日の晩、実は、50両を拾ったのは夢じゃなかったんだ、ってことを告白する女将さんの。

台詞に、グッと来た。

なんて書いても、落語に興味のない方、「芝浜」を聴いたことのない方には、なんのことやら。

ってなもんですが。

とにかく、そんなことがあったのでしたが。

夕べもご長寿番組の「笑点」が、師匠方は、リモート出演。

会場も距離を取り、新しい生活様式、ってやつをフィーチャーしたもので。

今頃、浅草の演芸ホールはどうしているんだろうな、とかね。

そんなこと、思いながらしばらく眺めていた。

この世相を、それこそ、志ん朝の親父、古今亭志ん生で聴いてみたいものだ。

息子の「芝浜」は丁寧な描写で、時間もかけて、だけど、親父さんの方は、はしょりの天才。

とでも言っちゃうか、半分くらいの時間で、ちゃっちゃとこなしちゃう。

もちろん、自分の気に入っている噺は、たっぷりと時間をかけて、だけどね。

なにせ、開戦記念だったか、そんな時の行列を全国民が強いられた、その時、初めて靴を履いた。

なんて御仁で、その靴もすぐに脱いでしまい、行列からも外れて、一杯呑みに行っちゃった。

だったか、博打をうちに行っちゃった、くらいの。

そんな名人だったわけだ。

なんて書いてると、昭和も遠くなりにけり、みたいな気分にもなろうってなもんだけどね。

今は、令和、だ。

しかし、猛暑、酷暑と言いつつ、昨日から少し、秋めいてもいて。

季節は巡るわけだ。

そうだ、先週末は、真鯵のいいのがあって、例の、河岸の市だけどね。

久能で釣ったらしい。

早速買い求め、大根を桂剝きにし、と書くと、かっこいいけど、桂剝き、難しいんだよね。

でも、薄く剥けた時のみずみずしい大根の汁が包丁を伝う瞬間は、気分がいい。

ので、精進に相勤めます、ってことだけど。

わが骨ストレッチの創始者、松村さんという方が、書いていたんだけど。

毎日こまめに続ける→ある時突然カラダが軽く動くようになる→さらに続ける。

→しばらく停滞期→この時期を過ぎて次の段階へジャンプアップ。

と言うのね。

これ、貴重なまとめで、思わず、ノートしちゃいました。

って感じで、一つのことを習得する、ってことは人生模様まんまで。

頭の達成感とココロとカラダの融合、ってのが、このところのテーマでもあるな。

いずれにしても、秋めく夏の月曜日に出かけるとするか。

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人生初の60分間超え

2020年08月23日 | Weblog

60分間、と言うのは、どのくらいの長さか。

高校時代のサッカーは、40分だったか、以前のマラソン大会の10キロ走は。

40分少し超えたくらいか。

講演時間はだいたい90分くらいか。

今朝の走りが、その時間で、考えてみれば、今までに経験したことがなかったんだな。

厳密に言うと、焼津マラソンの20キロ走の途中棄権があるので、だけどね。

それはともかく、われなりのLSD、ロングスローディスタンス、ってのをやってみたわけだ。

頭の達成感にコントロールされず、カラダの喜びに耳を傾けつつ、という、なんとも。

絶妙な平衡の中での時間、と書くと、カッコいいかね。

これね、固くなっちゃうかも、だけど、組織についても言えそうな話で。

会社組織、と言うのか、集団であることを遂行する、と言う時の。

目標達成なんてのは、頭の達成感とも言い換えられて。

その時、カラダは、つまり、社員さんを含めた集団としての喜びはどうなんだ、と言うね。

応用問題だな。

と言うか、世の、ほとんどのことが、わが頭とカラダの関係に置き換えて考えられる。

のじゃないだろうか、と言う一つの仮説、推論、ってわけだ。

なんてこと、ツラツラと考えるともなく脳内に浮かんできている最中、珈琲を淹れ終わった瞬間。

巴川の方面から、涼気がやってきた。

まるで、わが親友のような、遠い祖先の方々のような、そんな気分に、思わず。

サンキュー!と挨拶し、合掌までしてしまった。

得難い瞬間だ。

気分がいいところで、今日に出かけるとするか。

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GOTOキャンペーン前まではよかったですけど。

2020年08月22日 | Weblog

と言うのは、個人タクシーの運転手さん。

夕べの呑みの後、僕も商売やってるんで、なるべく、個人タクシーに。

なんてこと言いながら乗り込んだタクシー。

あたしは年金もらいながらだからいいけど、って話だけどね。

昼間も、病院通いのお年寄りが、感染の模様眺めで、あんまり出ないようで、とか。

若者がマスクしないで、とか、テレビの画面から流れてくるフレーズが。

運転席から聞こえてくる。

いい薬が出ないうちはね、ってわけだ。

ワクチン?

ま、いいか、このあたりの話は。

いずれにしても、今朝も走った。

海を眺めながら、ってね。

釣り人を傍目に、しかし、走ると体力がつくんだろうな、と言う実感はあって。

そうそう、夕べの呑みのテーマは、ルネッサンスが14世紀に潰されたこと。

と関係があって、と勝手に当方が決めているんだけどね。

つまり、世に言う、いい人、とか、聖人君子、とかってのは、どんな具合に出来上がったのか。

と言うわけだ。

ちょっと前にも、少しだけ書いたけれど、ここんところはテストに出るところだな。

面白い観点です。

って、わけわかんないか。

さて、本日は、ちょっと変則的になってしまい、こんな時間のアップだ。

 

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