まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

車外温度計が44度を指し示し

2018年07月31日 | Weblog

暑い暑いの大合唱の列島模様。

俺、あんまり暑さ、寒さ、気にならなくて、なんて娘の前で言うと。

それ、危ないから、センサー壊れているかもよ、ってわけだ。

エアコンつけずに、そのまま熱中症であちら側へ旅立つ、と言うお年寄りの仲間、みたいだけどね。

もう何年になるのか、客先の旅行で、シンガポールへ行った時の、どの家もエアコンの室外機があり。

なんて光景、思い出すな。

いつの間にか、わが列島でも、そんな光景に近い風情で、この暑さでは、エアコンをつけなきゃダメですよ。

ってね。

靴はもちろん、終生、着物しか着なかった、と言う志ん生の話が懐かしく思われる、って、このメンタル、やばいかね。

ノスタルジックな。

懐古、懐旧趣味、みたいな。

前にも書いたけれど、戦時中の、戦意高揚の行進に、靴を履かされ歩かされ、って噺家一同。

足の痛みに耐えかねて、なのか、博打したさ、からなのか、隊列を抜け出し、なんて逸話。

当時は、なんたって、講談とかが華やかで、なにせ、忠君愛国の様が、ね、落語と違って。

かたや、やれ、クマさんだの、品川心中だの、廓の話だったり、怠け者の話だったりだから、ね。

どうも、このところ、落語づいちゃって、昨日も、44度の車中、志ん生を聴いていた。

一度ゾーンに入ると、なんでもおかしくなっちゃう、まるで、箸が転がるのも面白い、って風情だ。

昨夜は、恒例の田中会のあと、80歳越えの方と一献傾け。

その前日は、昭和の一桁世代、昨日は、ちょっと二桁に入った御仁。

そりゃ、懐旧趣味に陥るのも宜なるかな、ってわけだ。

昨日、Facebookにアップしたんだけど、この間のおじおば会、掛川へ向かう高速道路からの白雲が素晴らしく。

隣に座る娘に撮ってもらったんだけど、感嘆の声しか出なかった。

なんて言うのか、鮮やかな白が、ね。

なにかの予兆のような、そんな雲だった。

天変地異含め、政治状況もきな臭く、なにかの変わり目、と言うことは、なんとなく、わかるような。

そんな時だから、なおさらに、その鮮やかな白が印象的で。

さて、セミの鳴き声を聴きながら、わがカラダとの対話に向かうとするか。

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天然うなぎが待っていた

2018年07月30日 | Weblog

そう、7月、二度目のおじおば会は、さくめ。

一時間のウエイティングののち、出てきたのは、表題のごとくで。

ひさびさのさくめさんでもあり、うなぎでもあり。

一同、口を揃えて、美味しい美味しい、と。

今回は、娘が初参加。

90歳前後のおばたちに伍して、いかがなりますやら、と思っていたんだけど、流石に。

娘だ。

笑い声だけで、おばたちを喜びの渦に巻き込んでいた。

台風一過が、なかなか、複雑な雨雲を残し、という公の発表の中、いつものように。

ほんと、雨に降られたことないね、という言葉が出てくるような、そんな展開で。

ありがたいものだ。

もちろん、雨は雨で悪くはないんだけど、彼女たちの言葉を借りれば、邪魔だからね、と。

さくめさんまで走ると、そのあとの展開は、方広寺とか竜ヶ岩洞とか龍潭寺とか、季節によっては。

舘山寺の、なんていうんだったか、たしか、竜をかたどった梅の木、マイナーな梅園もあったり。

なんだけど、昨日は、娘に、掛川道の駅を体感させたくて、一路、掛川へ戻り。

その後、上のおばが、もう帰っちゃうの?!オーラが凄まじく、大丈夫、まだ帰らないから、ということで。

小夜の中山へ。

峠の茶屋で、今は掛川市の管轄になっているようで、カッコ予算つかない、のだけど。

そこで、管理人のおじさんとおばちゃんと、総勢5名が、あれやこれやの話に花が咲き。

楽しいひと時ではあった。

今回の台風は、東の風だったので、ほら、この飛行機もこちら側から飛び立つんだよ、と静岡空港からの。

飛行機について説明してくれたり、この辺り、パワースポットになってるところもあったり、とね。

娘が殊の外、フランクで、フラットな関わりをしていて、まるで、僕が、娘に似たのかな、なんて錯覚しちゃうくらいで。

その分、プチ旅の楽しさが、深まり、印象にも残り、というわけだ。

小夜の中山の、峠の茶屋のおばちゃん、先代の、だけど、104歳までここに暮らしてしたそうで。

しかも、102歳までは、一人で、計算なんかもしっかりしていた、なんて管理人さんがおっしゃっていて。

川島せつさん、とおっしゃったか、元は鈴木さんなんだけど、80歳をすぎて、跡取りがないから、と嫁ぎ先から戻り。

なんだそうだ。

プチ歴史の旅を堪能した次第で。

小夜の中山といえば、西行法師のこの歌、だね。

 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 

なんとも哀切極まる、歌碑を建立されたのが、前々掛川市長さんの榛葉さん、とおっしゃる方だそうで。

さて、今朝もここらで、よかろかい、これ、最後に、かい、と、い、がつくんだね。

そうそう、思い出した、昨夜の「せごどん」、国というのは生きたいと思うものの集まり、だったか。

そんなことを、慶喜さんの前で、ある意味、決別の辞、という風情で語っていたんだよね。

これ、こらからの時代の象徴的な語りだと思い、iPhoneのメモに書いといたんだ。

おそるべし、林真理子。

このことについて書き出すと、長くなるので、ここらでよかろかい、です。

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今朝はタンザニア・キリマンジャロ。

2018年07月29日 | Weblog

まさに、モーニングコーヒーだ。

トーストと卵のサービスはつかないけどね。

台風一過、ではある朝一番、日本平に屹立するような、ホテルね。

輝いて見えた。

美しい光景だった。

一人密かに楽しんだ。

雲の切れ目に青空も広がり、今日のおじおば会を言祝いでいるような中、ルーティンの順番を変えて。

まずは、屋上での骨ストレッチからの日課とあいなった次第で。

ところで、今日は、妹の代参で、娘が初参加。

下のおばに話したところ、大歓迎で、来月は、ひょっとしたら、もう少し大勢さんで、なんてことになるのか。

どうなのか。

は、ともかく、天浜線さくめ駅の前の、例の、大将のところへ行けるか、どうなりますやら。

この後のお天気次第ではあるけれど。

昨日、そういえば、ヘアーカットの大将ジュニアのところで、綺麗さっぱり、カットしてもらったんだった。

そこでの会話で、もうさ、病膏肓に入る、って訳で、また、本買っちゃってね。

なんて当方の嘆き節に、彼、その病を治すための本、買わなきゃ、ですね、だって。

うまい、志ん生の小噺みたいだ。

と瞬間に応じてしまったよ。

外では、セミが鳴き出し、台風一過、この駿河の地では大した被害もなかったことを、寿いでいるような。

そんなセミだけど、我が家の庭の木に、大量のクマゼミが一夏の生命を謳歌しているんだけど、それを見た。

我が家の住人たち、カッコ僕を除く、ってわけだけど、アイヤー、みたいな。

なにせ、虫、特に羽音のする虫ね、ダメなんだよね、ゴキブリから始まって、ね。

子どもの頃、時間を忘れてセミ捕りなんか、してなかったかな、と思いつつ、そんな会話を聞いたりもしている。

好き嫌いがあるのは、いいことでもあり、いいというより、良くも悪くも、そうなんだから、それはそれだ。

いきなりだけど、二千年続いた魚座から水瓶座の時代、アクエリアスか。

今朝の水筒にも入っているアクエリアスだけど、曖昧さ、不確実、秘密、といったものが、魚座のキーワードだそうで。

水瓶座は、開放の時代、自分が目立つとか手柄になるとかでなく、グループ全体が結果を出す、ということのようで。

付け焼き刃、覚えたて、うろ覚え、なんで、だけど。

ま、そんな見方もできるような時代に突入ということらしい。

俺、大得意だよ、これ、って豪語しちゃおうか。

さて、幼稚園児のようなおばたちが待ち構えているので、そろそろ、ここらでよかろか、って。

 

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天気の占いが精細を極めている

2018年07月28日 | Weblog

と言えるのか。

朝から晩まで、台風が直撃します、という天気予報のオンパレードだ。

そうすると、いつの間にか、すごい台風が来るんです、という集合意識が出来上がるのか。

当たって当たり前、上に外れたら大目玉、って絵柄だ。

なにしろ、情報集めの、お金を稼がないプロたちの巣窟、ってのが、ネットの向こう側に広がる空間だからさ。

微に入り細に入り、ってわけだ。

昔々、もちろん、ネットも、ラジオさえなかった時代は、どうだったんだろう。

村の長老や占いに自信のある人士からの、この風はなんとかだな、みたいなご託宣が流布し。

中には、お調子者もいたんだろうしね、狼少年のようなメンタリティの。

江戸の火事と話は大きいほど盛り上がる、みたいな不謹慎の輩、今の時代では、エンターテナーがね。

なんてことが浮かんで来る、嵐の前の静けさ、の朝だ。

今日は、順番を入れ替えて、嵐の前に骨ストレッチと行こうか、と思いつつ。

ここでこうしてブログ、書き始めちゃったよ。

そうだ、昨日登場願った家族、埼玉まで帰還したのだけど、こちらへ来るのは。

2時間半くらい、帰りは、8時間以上なのか、渋滞に巻き込まれた、とメールが来た。

そうそう、昨日、「1億3000万年前、第8世界から地球に来た私」って本が、届いた。

まったくね、病気止まること知らず、ってわけだけど、この年数に、ちょっと、負けた感があって。

なにしろ、こちらは、100万年生きる、なんて豪語してるつもりだったんだけど、豪、になってないもんね。

だけど、そもそも、時間なんてのが、リニアに、つまり、過去から未来へと直線的に伸びていく。

という認識そのものが、この地球上の、今のわれわれだけのもの、とも言えるようで。

実際には、現在、この瞬間、ってのが、存在するだけ、いや、この論は、うまく展開できないな。

それはともかく、くだんの彼女、朝起きて、さて、今日は何をするんだっけ、とスケジュールを一生懸命に思い出そうとするのは。

やめましょうね、とくるんだ。

落語の、志ん生の噺みたいでしょ、シュールでありえなくて、と。

それよりも、今日をどう楽しもうか、と考え、ってわけだ。

すると、一年後には、とんでもないタイムラインの住人になっている、ということなんだね。

新し物好きの当方としては、馬には乗ってみよ、人には添うてみよ、って具合なんで、試してみるか、と。

なんたって、1億3000万年前、ってわけだから。

さて、雨の降りだす前に、屋上だ。

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ブログネタ満載の朝

2018年07月27日 | Weblog

昨夜は、このブログに最近やってきてくれている、らしい、御仁家族と。

一献傾け、という話題で、と考えつつ、出社。

したら、電動シャッターが開かない。

隣にある、自動販売機も電気が来てない。

ので、ちょっと遅れた社員さんと、裏から云々、ということで、なんとか、まるで家宅侵入のような感じで。

で、ブレーカーをあげ、開けた、というイベントがあったわけだ。

盲点だな。

この対策、とっとかないとあかんね。

なにせ、地震の時の避難所として、ご近所の防災の方にシャッターの鍵もお渡しし。

ってことなんだから。

手動であげる、なんての、想定に入ってたと思うんだけど、これも確認しとかないと、だな。

上記の御仁、というのは、早い話が、いとこ夫妻プラスいとこ二人、って具合なんだけど。

そうだ、中三とセブンティーンの二人も一緒だったんだ。

緊急に僕の買って帰った、いつもの焼き鳥屋の大将の手になる作品をね、若者は平らげる、平らげる。

ってわけだ。

それを眺めていての感想から、長男坊が東京の建築現場でお世話になったトビの親方から。

肉やら何やら大量にご馳走になり、その食べる姿が嬉しいんだ、なんて話も思い出した。

昨夜は、なんの話題だったか、ほとんど、覚えてないけれど、楽しかった。

人、集い、人、笑い、多少の忖度も交えつつの、ああだこうだの時間は、ね。

それが肥やしになる、ってとこ、テストに出るところなんだけど、わかるかな、わかんねぇだろな、って昔のギャグだ。

さて、こちらもセミが鳴き騒ぎ、それこそ、一夏の生命を楽しんでいる。

今朝は、骨ストレッチのルーティンもままならずに、今日という日へ突入だ。

 

 

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在来線が上下とも止まる

2018年07月26日 | Weblog

昨夜、正確には何時ころの雨なのか、会合の二次会が終わり。

駅に向かうと、いつもと妙に違っていて。

人が溢れている、というのか、電光掲示板には、時間は出ているんだけど。

動いている様子がなくて、西方面に帰る相方が、タクシーの方が無難ですよ、というので。

そこでも人の列はできていたけど、即決。

運ちゃんから、道中、さまざま、情報をお聞きしながら帰って来た。

今のせたお客さんが、新幹線で西から降り立った方だったようで、いきなりの豪雨。

40分だか遅れて到着だったそうで、在来線は、上下とも止まっているというし。

その因果関係がよくわからなくて。

とにかく、静岡ー掛川間で、大雨が、しかも、予期せぬほどの大雨が降ったらしい。

如何にもこうにも、このところの地球は、なんかの予兆のような。

そんな転変ではあるね。

地震も予知できないけど、大雨もそうだね、なんて言いながら、にわかの繁盛に、運転手さんの語るトーンは。

華やいでもいて。

不謹慎な言い方だけど、そんな感じはわかるね、小学校の頃の台風上陸前、みたいなね。

それに加えて、稼ぎが付いてくるんだから、宜なるかな、とも言えるか。

ところで、昨日、ある方から、中沢新一、読んでるんでしたっけ、とメールが入り。

いやいや、その質問、一番弱いところだよ、と返した。

「アースダイバー東京編」というのが、積読状態で、さらに、昨日。

ふらっと立ち寄った、というか、意図もしていたんだけど、本屋さんで。

たけし、買っちゃいました。

なにせ、「やっぱ、志ん生だな」という書名なんだもの、ノータイムでしょ、ってんもんで。

実は、今週末、「共学ゼミ」と銘打った勉強会があって、それが、どうも、明治維新についてのものらしく。

受講生が、各々、自分のテーマを持ち寄り、というもので、なので。

出口治明という、アカデミックな範疇に入らない歴史家、しかも、元企業人、という方の本を探しに入ったんだけど。

結果、半藤一利との対談、「明治維新とはなんだったのか」ってのを買い求め、なんだけどね。

って、相変わらずの病気でしょ、ってなもんだ。

しかし、昨日の朝、何気なく、伊賀、という言葉につられて訪れた、伊賀八幡宮は、なかなか、だった。

家康さんのご先祖様が、伊賀の地から岡崎へ勧請した、と書いてあった。

松平さんだね。

後年、なんの戦だったか、信長が明智光秀に殺された後の戦か、伊賀のジモッティに助けられて落ち延びた。

なんて逸話、割と有名だけど、そんなことと繋がり、ってわけだ。

摂社というのか、末社というのか、各地から集められたさまざまな神様が祀られていた。

中でも、伊勢社というアマテラスさんが祀られていた祠がビビビッときたな。

あとは、住吉社、他は忘れちゃったな、もっとも、ネット見れば、続々と現れてくるんだろうけどね。

その道中に、安倍晴明社という小さなお宮があって、キャッチは、岡崎のパワースポット、とあった。

今だって、売れてるアニメのご当地、聖地巡礼なんて言っての、パワースポットもあるんだから。

その昔、家康さん全盛の頃なのかどうなのか、ジモッティがそこへお祀りしたのも。

なんらかの意味、意図、系列、よんどころなき事情もあったんだろうな。

ところで、昨日は、よく歩いた、18000歩を超えていた。

些細な日常の出来事ではあるけど、歩く、ってのは、面白いもんだ。

視線が車とは違い、スピード感もね、道ゆく人の距離も、なので。

新鮮でもある。

知らない街を知るには、自分の足で歩くことだね。

空気感も交え、味わってくる、って次第で。

おやおや、調子に乗っていたら1800文字越えだ。

骨ストレッチへ行ってきます。

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今朝は8時前に10000歩近く

2018年07月25日 | Weblog
これです。



東岡崎駅の近くの宿から、伊賀八幡宮へ。

というのが、朝のお散歩コースで。

って、お散歩どころじゃない距離だった。

この岡崎の地の方は、距離を近く感じるのか、表現の仕方がそうなのか。

聞く人聞く人、もうすぐそこですよ、くらいの感じでね。

ま、そんなことはともかく、ここです。





とにかく、家康さん家康さん、の、地だ。

そんなわけで、今朝は岡崎から、です。
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どうもブログがアップされてなかったみたいで。

2018年07月24日 | Weblog

今朝は、ダブル投稿、って具合かな。

今日は、岡崎まで出張。

恒例になりつつある、キャリア体験学習も、東豊田小学校で開催されるんだけど、やむなし。

参加できず、なんだけどね。

役員さんのLINEグループを眺めていると、熱中症対策、暑さ対策の文字が踊る。

昨日なんか、35度オーバーが、全国で242ヶ所、とあった。

凄まじい暑さの列島なんだけど、前にも書いたけど。

列島人としての誇り、律儀さと勤勉さが、姿形を変えるチャンスでもあるんだけど、果たしていかに、ってわけだ。

今で言えば、共同無意識、吉本隆明なんかでは、共同幻想、か。

そんなものから、いかに逃れるか、というのか、自分としての自立、か。

自分の体感を、それだけが大事だぞ、ということなんだけど、このあたり、なかなか、力技でもあり。

ある時期には、自分と括られている領域からの拡張、覚醒とでもいうか、そんなことも大事でもあり。

ほら、相撲なんかで言われる、可愛がり、なんてのも、つまり、しごき、か。

あれのおかげで、自分の枠を拡げられた、まだ見ぬ自分に出会うことができた、ということもあるしね。

それが度を過ぎると、死に至ったり、精神錯乱ともなり、というね、実に微妙は、悩ましい境界でもあって。

何れにしても、そんなチャレンジが求められる時期、時代の到来、なんて言い方もできるかな。

神様のおっしゃる通り、と生きて生きた時代から、アンチ神様も含め、自主自立、という時代。

暗黒の中世から近代の曙、ってやつだね。

その後にやって来ている、という自神、という流れ、か。

あるいは、神様との共同作業、のほうがいいか。

どちらが上司でどちらが部下で、という区分けではなく、基本、平等です、という観点ね。

なので、お互いの得意の領域で、それぞれの持ち味を出しあいましょう、そして美味しい料理を創り上げましょう。

ってことで。

今日は、そういうわけで、早めの出発につき、ブログ書きも、ここらでよかろか。

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黒鯛とアジを焼いた

2018年07月23日 | Weblog

久々に、滴り落ちる汗と蚊の襲来を受けながら、だった。

備長炭の色を見ながらの、火起こしから始まって、長方形の七輪にて。

火への距離を調整しながら、だ。

串に刺して、手袋をはめた手に持ち、30センチくらいの黒鯛は、重くてね。

それでも、結果、お酒の肴には十分過ぎるもので、前日に引き続き。

途中から、ヱビスにした。

ビールは、返って、酔うので、せごどんは、見ているようで見ていないようで、みたいな。

で、よく覚えてないんだな。

今朝も蒸し暑いけど、今、ほらほらやって来た、お約束の冷気、って感じで、気持ちがいい。

セミの鳴き声とともに、って感じだった。

ところで、このところ、山へ登ってないな、とふと思った。

7月もそろそろ終わりに近づき、だからね。

明日は、岡崎へ出張。

中部地区の安全パトロール、というものなんだけど、その後、彼の地在住の旧友と一献傾け。

お泊まり、と相成り。

ま、四方山話に花を咲かせ、ってわけだ。

そうそう、昨日は、ホームセンターで、ゴミ箱を探したんだった。

家の中で、分別できるような、可燃物、ビンカン、粗大ゴミ、あとなんだろう、電池とか。

それ、習慣にしちゃえるような、インテリアとしてのゴミ箱、くらいの感覚でね。

なにせ、習ったばかりの、魂のありかは目の前のもの、状況、環境なんだよ、ってのね。

それ、実行に移している次第で。

って、気分で探すと、これまた、リクレーション、というか、楽しいことに、置き換わるんだよね、掃除にしても。

ここんとこ、テストに出ますよ、ってなもんだ。

大層な哲学書やら宗教書、あと何、倫理道徳、あるいは、舶来のポジティブ信仰、みたいなものに頼らずとも。

目の前の、ほんの些細なことをいじりだすと、あらあら不思議、そこに立ち現れるのは、ジャジャーン。

魔法のランプ、ならぬ、至福の、いや、楽市か。

そんなこんなで、神は細部に宿りたまふ、の実践編だ。

しかも、神ならぬ身、という謙遜がまかり通った魚座の時代から、自分自神、とでも書ける。

水瓶座の時代、というんだから、なおさらね。

上記の、宿りたまふ、細部、というのは、我が身わが心、ってわけだ。

いずれにしても、神への定義を変更する時代なんだろうな。

そんなわけで、神への実践編、骨ストレッチ+ウォーキングへ出かけて来ます。

 

 

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あなたの部屋はあなたの心そのものです。

2018年07月22日 | Weblog

なんて言葉に出会って。

その後、「習慣」というものに、展開していくんだけど。

なにせ、付け焼き刃なので、うまく語れない。

それとか、魂というのは、今あなたの目の前に広がる空間・環境・時間のことです、とね。

カラダのどこかに存在するんでなく、目の前の物の中に魂はあるんだ、という話で。

このところ、そんな思考を、というのか、考え方をたのしんでいる。

夕べは、某大手さんの子会社での夏祭り。

暮れなずむ前からのヱビスで、その後は、近くの焼き鳥屋さんにて二次会。

焼き鳥屋さんなのに、魚がうまい。

アジとかが、さすが沼津、ってわけで、堪能した。

もちろん、カシラなどの焼き鳥も、なかなか、ご当地清水では食べられないものだったな。

かたや、わが同友会では、静岡と清水の合併10周年ということで、盛大な記念パーティとバズセッションが。

行われていた、その時間に、ということだった。

知らぬ間に、同友会歴も、古い方から数えたほうが早いくらいになっていて。

パーティに参加できなかったのは、残念だった、けれど、一方の。

夏祭りでの、さまざまな情報収集はかない、ということなので、二兎を追うものは、って感じだね。

集中、集中、ってとこだ。

今朝は、セミの鳴き声が、うるさくはないけど、印象的で。

巴川縁を散歩する御仁方の声が、聞こえないな。

なんて間に、冷気がやって来た。

この瞬間が、何度もいうようだけど、素敵な瞬間で。

これを、例えば、悪い習慣だから変えなさい、と言われても、変えられないな。

習慣といえば、何か、ことを起こそうとするとき、というのか、目標に向かってなんらかの計画を立てる。

その計画を、いかに習慣にくっつけるか、習慣という隊伍の後列でもいいから、引っ付けて。

あらあら不思議、知らぬ間に、ことがなっていた。

なんてのが、習慣という、頭を使わない自動化された日常の使い方なんだ、というのが。

上気したような、このところはまり込んでいる、岡崎直子という女史の。

星占い、でもなく、占星術、でもなく、なんていうのか、「キロンとトランスサタニアン」なんてやつで。

これ、もう少し理解できたら、御披露申し上げます。

今朝は、インドネシア、マンデリン・ビンタンリマ。

これ、気に入っているんだ。

この間、コメンテーターのtoshさんと行った、川内珈琲店さんで、再度の買い求め、そこに。

ボディ感、というコメントがあって、そうか、この味わい、確かに、ボディ感の表現。

ぴったりくるな、と瞬間に思った次第で。

なんてことのあった、インドネシアを今朝は、堪能。

小笠原とか沖縄だったか、そこでも珈琲は採れるらしく、お店での会話にも出て来たけれど。

高い、らしい。

うまいから高いのか、生産から消費へまでの道のりが、ほら、植民地主義者の。

ある意味、利口な、ある意味、えぐい、そんなシステム作りの歴史に与してこなかった。

辺境の地、もちろん、白人から見てだけど、そんなところの話題かな、とね。

この話、書き始めたら終わらないので、ここらでよかろか。

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