両手では数えられないくらいの、で。
今日あたり、そろそろ、御礼メッセを、と思っているのだけれど。
今日は今日とて、県境をまたぐ行動はご遠慮願います、くらいの風潮の中、ちょっと、跨ぐんだよね。
豊橋。
例の、エネルギーワークへ行ってくる。
この間行った時の、駅近くの珈琲屋さんを再訪したいな、というね、そんな単純な思いもあり。
かの地には、古くからの友人もいるので、なんだけど、その時間、捻出できないだろうね。
なんて具合にすれ違うこと、ってのは、数多あるわけだ。
ところで、このところ、新聞、読まなくなっちゃってね。
コロナ以後、熟読玩味くらいの勢いで読んでいたんだけど、アメリカの大統領選への報道姿勢、ってのに触れたら。
困ったことに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいな感じで、信、が置けなくなっちゃってね。
これほどまでに編集、編集しちゃうものか、なんていうの。
マスのメディアってのは、そういうもんだ、という認識はあったにはあったんだけど、これほどまで、というね。
タレントの誰それさんは、放送局の意向とは逆のコメントして、即降板、なんてこともあったし。
凄まじいものだな、という気分になってる次第で。
そんな傾向の記事を、熟読することでこの先を占う、判断する、ってのは、やばい話だ、となる。
ので、見出しを眺めるくらいに方針を変えた。
ら、これまた困ったことに、使い道がないんだな、新聞紙の束。
ここまでで、2回も、困ったことに、って使ってるな、ほんと、困ったことだ。
もっとも、先の大戦、応仁の乱じゃなく、第二次大戦、ってやつでも、新聞各局は、世論喚起の先兵、いや、扇動か。
だったわけで、もっといえば、右から左からの各紙のラインナップも、民主主義というもののアリバイ工作。
ともいえて、となると、反知性主義みたいなのが蔓延りだすんだよね。
つまり、直接行動、暴力であったり。
知性が正義の味方ということでもないんで、この辺りの表現、ってのは、難しいものだ。
こんな時には、この間いただいた「七十二候カレンダー」でも眺めるに如くはない、と洒落のめして。
来週の2月3日から始まるのが第一候、3日は旧暦の12月22日だそうだ。
東風凍を解く、とある。
これ、はるかぜこおりをとく、と読む。
春まじか、ってことだね。
そんな中、もう少ししたら、走る準備だな。