まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

Facebookに誕生日祝いのメッセージをたくさんいただいて。

2021年01月31日 | Weblog

両手では数えられないくらいの、で。

今日あたり、そろそろ、御礼メッセを、と思っているのだけれど。

今日は今日とて、県境をまたぐ行動はご遠慮願います、くらいの風潮の中、ちょっと、跨ぐんだよね。

豊橋。

例の、エネルギーワークへ行ってくる。

この間行った時の、駅近くの珈琲屋さんを再訪したいな、というね、そんな単純な思いもあり。

かの地には、古くからの友人もいるので、なんだけど、その時間、捻出できないだろうね。

なんて具合にすれ違うこと、ってのは、数多あるわけだ。

ところで、このところ、新聞、読まなくなっちゃってね。

コロナ以後、熟読玩味くらいの勢いで読んでいたんだけど、アメリカの大統領選への報道姿勢、ってのに触れたら。

困ったことに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、みたいな感じで、信、が置けなくなっちゃってね。

これほどまでに編集、編集しちゃうものか、なんていうの。

マスのメディアってのは、そういうもんだ、という認識はあったにはあったんだけど、これほどまで、というね。

タレントの誰それさんは、放送局の意向とは逆のコメントして、即降板、なんてこともあったし。

凄まじいものだな、という気分になってる次第で。

そんな傾向の記事を、熟読することでこの先を占う、判断する、ってのは、やばい話だ、となる。

ので、見出しを眺めるくらいに方針を変えた。

ら、これまた困ったことに、使い道がないんだな、新聞紙の束。

ここまでで、2回も、困ったことに、って使ってるな、ほんと、困ったことだ。

もっとも、先の大戦、応仁の乱じゃなく、第二次大戦、ってやつでも、新聞各局は、世論喚起の先兵、いや、扇動か。

だったわけで、もっといえば、右から左からの各紙のラインナップも、民主主義というもののアリバイ工作。

ともいえて、となると、反知性主義みたいなのが蔓延りだすんだよね。

つまり、直接行動、暴力であったり。

知性が正義の味方ということでもないんで、この辺りの表現、ってのは、難しいものだ。

こんな時には、この間いただいた「七十二候カレンダー」でも眺めるに如くはない、と洒落のめして。

来週の2月3日から始まるのが第一候、3日は旧暦の12月22日だそうだ。

東風凍を解く、とある。

これ、はるかぜこおりをとく、と読む。

春まじか、ってことだね。

そんな中、もう少ししたら、走る準備だな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知っていることと知ることと知らないこと。

2021年01月30日 | Weblog

知が随分と並ぶけれど、微妙な違い、ってわけだ。

実は、知性VS反知性、とかにしようか、なんて思ってもいて。

んだけど、ベタすぎて、やめといた。

というか、そんな表題そのものが知への讃仰、信仰、信頼みたいになっちゃってるか、なんてね。

はともかく、この間来社された御仁が、「無知の知」というお題の新聞コラムを送ってくれた。

娘さんがお弁当を作ってくれた、と写真を見せてくれた御仁なんだけど。

水瓶座の時代は、i know、我知る、の時代、というんだけど、であるからとも言えるか、知性。

なんて言葉への讃仰に、眉に唾して、って魂胆なんだな。

なんたって、i believeの時代の残滓、残渣、未だ衰えず、って時に、知ることで知ったことへの。

believeってのが、厄介でもあるんだよね。

なんて事書いて来ると訳わかんなくなっちゃうな。

くだんの御仁曰くは、無知、私が知らないことを私は知っている、とソクラテスが言った、なんてことだったか。

なんでも知っているという、どこかの碩学の、賢者に答えて曰く、ってシチュエーションで、だそうで。

そういえば、言う者は知らず知る者は言わず、なんてのも、あったな。

いずれにしても、めんどくさいね、コオロギはそんなこと、考えて鳴いてるかね、ってなもんだ。

この間、来社された女史が、サソリじゃなく、なんだっけ、ワニみたいなの、ペットとして飼っていたそうで。

その餌が、生きたコオロギ、だと言うんだよね。

なんともかんとも、だけど、そんなこと言い出したらキリがないか。

肉、食べるなよ、ってわけだ。

きゃー、かわいそう、このお魚さんがこっちを見てる、とても食べられない、と言って、そこをお箸で撤去して。

結果、食べた、なんて半分ネタのような話もあるしね。

「進撃の巨人」なんて漫画、読んだことないけど、そんな風情濃厚でもあるな、ヒトのやってることも。

食というもの、大事というか、なかなかのものだよね、と誕生日の昨日、話したな。

その視点への復活、復旧、復興の一大事業かも、なんて話ね。

そう、昨日は、午後から財務局関係の方々とのズーム会議。

おもしろかったな。

さまざまな取り組みをしなければ、という観点から、それぞれの方がそれぞれの立場での発言。

群盲像を撫でる、みたいに見えるかもな、神の視点からは、なんてね。

でも、それがホモ・サピエンスの鋭意そのもので。

決して、シニカルに話してはいけません、まる。ってなもんだ。

そう、与謝野晶子の短歌、の話もしたな、わが誕生日に。

柔肌の熱き血潮に触れもみでさみしからずや道を説く君、ってやつだけどね。

これについても語り出せば、一昼夜を要するかもしれず、って大袈裟だね。

はともかく、そんなわけで、誕生日の翌日に向かうとします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月影を踏んでプリウスへ

2021年01月29日 | Weblog

満月なんだね、今朝は。

明るい。

そんな朝は、骨ストレッチを休んでみた。

ふとね、そんな気になって。

そう、今日は誕生日なのです。

父親の享年からどのくらい超過したのか。

ここで父親と比較するのは、男性同士だからなのか。

いずれにしても、人それぞれで寿命というものは違うわけで。

サラリーマンならとうの昔に定年を迎え、なんて年齢だな。

不思議なものだな、20代には、30歳の自分が想像できなかったからね。

あの頃、自分が芸術作品だ、なんてほざいていたな。

世界に名だたる芸術家にはなれなくても、と。

ではあるけれど、今でも、そんな気配、気分濃厚で、ペットにも興味がないのは、自分がペット、だからかな。

なんてことを考えている誕生日の朝。

昨日の午後は、久しぶりに、おふとり様がおひとり様で来社し、よもやま話に花が咲いた。

モカマタリを例の調子で進ぜて、しばしの時間を楽しんだ。

これ、病みつきになりそうだな。

芸者さんにいただいた、秀大和という年賀の手ぬぐいをテーブルクロスがわりに敷き。

ミルを回し、珈琲を落とす時間、まさに、間だね、あれが次の話題への準備となり。

なんてことね。

古代人の心の動き、時の流れには到底叶わないけれど、秀吉の時代、利休の。

茶室みたいな風情には、少し近づくことはできるかな。

あそこでは、密偵たちが、あるいは、イエズス会の間者たちが密談を交わし、みたいな。

そんな話もあるようで。

さしずめ、人類の越し方行末を占う、そんな時にしてみむ、なんて妄想は成り立つな。

誰にも正解が見出せない時代なんだから、どうせなら大きな風呂敷を広げてみるのも一興だ。

描いたもん勝ち、って勝ち負けじゃないけれどね。

このところのプリウスライブは、相変わらずのベートーベン、ピアノ。

ポリーニ、とか、ホロヴィッツ、とかのピアニストの。

たまに、ボブ・ディランのmurder most faul、こちらはアメリカの分裂などなどが気になった時に聴く。

勝手に、ひとり、センチメンタルになってね。

「アメリカ」というものが壊れていく、ロスト・ジェネレーションならぬ、ロスト・「アメリカ」って。

ということで、誕生日の今日をクリエイトするか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘がお弁当を作ってくれるんです。

2021年01月28日 | Weblog

とスマホの写真を見せてくれた。

昨日、来社された、最近奥様を亡くされた御仁、うれしそうにこそばゆそうに。

たった一つの言葉だけど、その裏側に籠る思いの、なんとも表現のできないもの。

そんな気分とともに、眺め聞き入り、話題は転じた。

なんて瞬間があったわけだ。

いろんな瞬間の連続が、日々の暮らしではあるけれど、その瞬間をどのような気分と共に受け取るか。

どんな物語を紡ぐのか、ってことにもなるね。

と書きつつ、相当省略しているので、何を思わせぶりな、ってんもんですが。

それにしても、今朝の西の空、大きく明るい月が見事で、思わず、マドモアゼル・愛さんの。

月の欠損、なんて言葉が浮かんできてしまったのだけれど。

月を愛でるだけでいいのに、なんだな。

ことほどかように、もの・ことにいちいち注釈をつけての、人生模様。

今朝は、またしても、モカマタリ。

今、ウイキで歌詞を調べたら、昔アラブの偉いお坊さんが、とくる。

恋をなくした若い男に進ぜたら、あら不思議、若い娘と恋に落ちた。

なんて歌詞だった。

お坊さんの後に、恋をなくした、と書いてあったので、そりゃ、禁欲生活に入った御仁だからね。

なんて思いがやってきていたんだけど、歌の中では、恋のキューピッド役になっていたんだな。

昨日の御仁に進ぜたのも、モカマタリ。

自分ではいつもネスカフェなんです、だそうだけど、アラブの偉いお坊さんの時代であれば。

なんていう美味さなんだ、しかも、シャッシャッとかき回すだけで、なんてセリフも聞かれたかも、だ。

そう、その御仁とは、食について話したな。

コンビニエントと手作りのお料理、ちょっと前、どのくらい前か。

パンを焼いていたことがあったな、どんなきっかけからだったか、忘れましたが。

こねて打って発酵させて、それから焼く。

パンを食べたいな、と思えば、コンビニでもスーパーでも行けば、ほぼノータイムで思いは遂げられる。

ところが、自分で焼こうと思い立つと、食べたい思いから叶うまでの時間が、どうだろう、10時間?

もっとかな。

のタイムラグが、なんだか、楽しくもあり。

だったんだけど、たくさん焼いちゃうので、食べすぎて太ってしまう、と言うことなどなどがあり。

いつの間にか断念模様になったんだな。

ずっと昔の狩猟生活なら、獲物を仕留めるまでの時間ときたら、目も眩むようなものだったかもしれず。

食にありつける、ってことのありがたさを超えた、なにごとかを感じつつ、いや、感じもせずに食そのものを。

経験した、なんてことだったのかもな、なんてね。

そんな妄想を膨らませると、この先の、暮らし方、生き方なんてのが、見えてくるかもしれないな。

欲というものへの向き合い方、そもそも、欲ってなに、なんてくらいの、ね。

こんなこと書き始めるとキリがないので、やめとこ。

そんなこんなで、本日に向かうとします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝のレッドマウンテンは酸味が。

2021年01月27日 | Weblog

ちょっと、きついかな。

イエメンからやってきたんだけど。

ブルーじゃなくレッドだ。

と書くと、ずっと以前、子どもたちが、ファイブマンだったか、あのテレビ番組に夢中になっていたこと。

思い出すな。

たしか、色に応じての動物だったか、サイもいて、伊豆高原のなんとかパークへ行ったときに。

テレビの、ヒーローのサイと実物のサイ、臭かったのか、その違いを楽しんだ、というより辟易した。

なんてこと、あったな。

見ると聞くとじゃ大違い、ってことだ。

夕べ、東京出張帰りの御仁と呑んだ。

と書くと、おいおい、感染防止のガイドライン、知らないの、みたいな話に行きそうだけど。

彼曰く、8時過ぎ、街は暗くなっていて、と。

報道では、自粛要請、なんて言葉になるけれど、実際に見てきた人の話は、妙に切実に伝わるんだよね。

そう、昨日のお昼に来社された女史、夜の飲食街での割烹屋さんの女将さん、とも言えるけど。

ご近所のお店が、100店、閉じるんだ、なんて話ね。

その方々の活計(たつき)だって、そこへの納入業者さんの、とか、家賃収入の大家さん、とか。

影響は計り知れないし、街が衰えていく、わけだ。

もちろん、先の大戦の、戦火の跡からも逞しく緑の若葉が芽吹きもし、ってことはありはありだけど。

そんな呑気な言論、解説したところで、なんの足しになるか、ってなもんだ。

そうは言っても、あれも大変、これも困ったものだ、なんて思考の流れを作り出しても詮ないことでもあり。

まさに、未知との遭遇を楽しむにしくはなし、ってことなんだけどね。

雨だ。

一雨ごとに暖かくなる、という季節には少し早いか。

いいお湿りだね、なんて言葉が聞こえてきそうだな、母親の口から。

と言っても、彼女、それこそ、感染防止対策にての、施設に入りっぱなしで。

ああした施設のピリピリ感、携わる方々の緊張感もなかなかヘヴィーなものがあるんだろうな。

ところで、本当の自分は獲得してゆくもの、ってフレーズに出会ってね。

うんうん、と膝を打ち、だったな。

これ、体感したら、おもしろきことこの上なしの人生になるな、なんてね。

いろんなものを信奉、信仰、信頼してきたのだから、このフレーズに信をおくのも一興だ。

これ、当分、持ちネタになりそうな、そんな気配濃厚。

ななか、そろそろ、本日へ出かけることにします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過ちを通り抜けていく

2021年01月26日 | Weblog

と言ったのは、OSHOだそうだ。

表題の前に、本当の生は、とある。

常に過ちをおかすことができるようにし、常に勇気を持ちなさい、ってわけだ。

そこから成長する。

過ちをおかすとなじられる、100点じゃないですね、こことここが間違ってます、というね。

そんな時間を、どうだろう、何十年、保育園からしたら、3+6+3+3、15年か。

人生50年としたら、三分の一だよね。

しかし、同じ過ちを二度と繰り返してはいけない、と道学者のようにも話す。

なぜなら、からが少し違って、それは、古くなるからだ、とくる。

新しくやること、新しい在り方、それを見つけなさい、ってことなんだね。

〜しなさい、って訳は気に入らないけど、ま、そこはおいといて。

とはいえ、これ、おもしろいな、と思ったので、ノートしたのでした。

それとかね、人格は文明の賜物だ、とか、あなたはあなたの衣服ではない、とかね。

本当の生の土台は、who am i?への答えだ、ってわけだ。

いいね、OSHO。

表題の、過ちは、字の如くに、すでに過ぎ去った過去だ。

過去を託つ、悔いる、なんてのは、詮ないことで、反省はサルでもできる、って猿に失礼なキャッチコピーもあったな。

人間万事塞翁が馬、だっけ、失敗したと悔いたことが成功への架け橋で、みたいな。

成功は失敗のもと、なんて揶揄、斜め目線、なんてのもありか。

というか、そもそも、失敗・成功ってのは、衣服を着ている僕、ってことになるね。

社会というか、文明というか、そんな衣服を着込んでの、評論家気取り、ってなもんだ。

さて、そんなわけで、今日も、who am i ?、の答えを見つけに旅立つとするか、って、まるで、青い鳥だね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケニアのレッドマウンテン。

2021年01月25日 | Weblog

今朝の珈琲です。

ネタがないわけでもないけど、なぜか、表題に珈琲名を使っちゃったんだよね。

初めての、なんだけど、たくさんあるんだよね、豆の種類。

それがアフリカ大陸のケニアから届けられる。

何十人、何百人の人々の手を通ってくるのかね。

動く。

カラダが動くとアタマも動く。

夕べ、ダウンロードしたMP3、藤原直哉、マドモアゼル・愛、月橋先生の鼎談では。

くだんの月橋さんが、いのち、と言ってたな、最後のまとめで。

お医者さんだから、治療とは外部からの施術ではなく、いのちの発露、ってわけだ。

いのちの声を聴く、とも言えるか。

これからの時代、すべてのものに言えるんだろうな。

経済の、お金の、地位の、名誉の、財産の、あと何?人気とか、なんとかかんとかは旧時代のもので。

根っこにあるのは、いのちそのもの。

なんてこと、書き始めると終わらないブログになっちゃいそうだな。

たしかに、キーワードというのか、当たり前のことを当たり前に語るだけ、ってことでもある。

今まで気遣っていたように見えてその実蔑ろにしていた、いのちそのもの、ってわけだ。

いのちでくくれば、すべての共通項、同じ、しかし、現れ方が違うだけ、というね。

だから、女性の時代とかのフレーズが、無意識のうちに出てくるのかも、だな。

もちろん、授かる人もそうでない人もいるけれど、観点は、そこではなく。

だな。

昨日もご紹介したけど、漂白の想いやまず、にも近いな、いのち、ってのは。

強制力やなんとかの価値観で押し込めることさえやめれば、誰にしても自然に発露する、そんなシロモノだよね。

シロモノ、なんて言い方は、不躾ではあるけれど。

さて、レッドマウンテンを味わいながらの次なるルーティンへ向かうとするか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蜂蜜を購入。

2021年01月24日 | Weblog

庵原の蜂蜜農家さんから、みかんはなくなっちゃったんです、というので。

百花蜜ってやつね。

狭い道路を分け入って、なんて感じのお宅で、それこそ、庵原君臣(いほはらのきみおみ)の頃からの。

これ、道じゃないの、ってくらいの、ね。

近くには、こんな風景。

この左側には、墓石が十個以上並べられ、古き駿河の景色か、なんて思いつつ車をのそりのそりと走らせた。

またぞろの、素人郷土研究家に舞い戻り、ってな気分だ。

なぜだろうな、古い景色に心落ち着くのは。

齢を重ねたせいなのか。

なんてことに思い至るのも、最近、子どもの頃にバスから眺めた畑が、コロナ禍での流行り、ドラッグストアに。

姿を変えていた。

この表現、チューリップの、財津和夫の「夕陽を追いかけて」のパクリみたいだけど。

その畑の前は、バス通で、車窓から眺めた光景、おばあちゃんが立ちしょんべん、ってのが。

原風景みたいにあって、寅さんの啖呵売に出てくる、粋なねぇちゃん、たちしょんべん、ってのにもつながるんだけど。

ま、そこがキレイに舗装され、駐車場として使われると、2度とあの景色は拝めないんだろうな、と。

そうして、古来、数多の景色が、それこそ、姿を変えていき、そりゃ、人も姿を変えていくわけだ、けれど。

夕べもやっていた「土曜の夜は寅さん」。

古い景色、やがて失われるだろう景色を撮ってきた、なんてどこかで監督が話していたな。

ゆく川の流れは絶えずして、ってわけだ。

なんてこと書いてると、しみじみ、みたいな気分にもなるけれど、前へ前へと歩くのもいいけど、たまには。

立ち止まり、右左、後ろも眺めるのもいいもんだ、って言い方もあり。

といいつつ、これも年寄りじみていて、動かなくなった御仁の説教話に転訛しちゃうと、これまた困ったもので。

動かなくなるとリクツが走る、なんてこと、以前も書いたけど、サッカーをやっていた時。

受験のために引退する先輩方、なんだか、評論家になっちゃったな、なんて瞬間、あったんだよね。

その時の印象が残っていて、動かないとしゃべるのか、みたいな。

口舌の徒、なんて言葉、なかったかな。

口とか頭とかだけの輩、みたいなのね。

自分はリスクとらず、とか続きそうだけど、一方、リスクとるなんてこと自体、大したリスクでもなく、とも言えて。

なんだろう、衝迫、芭蕉が旅立つ時の、漂白の思い止まず、だっけ、あの感覚、そこだよな、と。

エキセントリックな思想家、副島隆彦さんの最近の講演会で、会場から若い質問者がマイクの前に立ち。

アメリカ大統領選云々カンヌン、そこでの出来事を体系的に知るには、みたいな問いかけ、に対して。

すかさず、そんなもん、いらん、体系、なんて言葉で、インテリを気取るんじゃない、お前の中から湧き出る。

どうにも止まらないもの、そこで勝負しろ、みたいな返答をしていたのと通じる、芭蕉の漂白の思い。

ってことになるかな。

今朝は、長くなっちゃったので、やめにします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今朝はモカマタリ、っていつかもだったな。

2021年01月23日 | Weblog

表題に困ると、珈琲名を書く。

なんて算段だな。

この一年くらいのことをまとめてみようか、なんて志を立て、なので。

昨日は、いつもと違う状況、ま、喫茶店でノートにああだのこうだのの言葉を書きつけてみた。

タバコが禁じられてから、喫茶店ってのは、自分の視野から消えていたんだけど。

そうも言ってられなくて、ってなもんだ。

やってみると、なかなか、おもしろくて、場を変えてみる、ってのはありだな、と。

妄想実験場みたいなものか。

これ、ありかもな、ってのがあって、さっそく、社外取締役の方にLINEをしたんだ。

ちょっと、これこれについて教えて、とね。

ここへご披露するのは時期尚早ってなもんなので、遠慮しときますが。

今朝も、走る気満々なのだけれど、雨模様かつまだ暗いので、後ほど、多少の雨でもOKなところを走るか。

なんて密かに想いを巡らし。

モカマタリのちょっとの苦さを味わっている。

そうそう、昨日は、社内のホワイトボードの代わりにモニターへ、カレンダーやら工事実績やらを映し出し。

なんてことを画策しての専門家のご意見を伺い、なんて時間があって。

社員さんからのアイデア募集、って感じになりつつあるんだけど。

動き出す、と決まったら、いろいろと動きが出てくるわけだ、当たり前だけど。

「コロナ」ver.2、ってことになるな。

そもそも、トヨタにも社名があったし、太陽だっけ、意味は。

メキシコにコロナビールもあったり、なので、言い換え、意味の付け替えみたいなものだな。

今日は、いつものヘアーカットの大将Jr.のところへ行くんだった。

というわけで、ver.2の今日に出かけるとします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンデミックも大統領選も終わり……

2021年01月22日 | Weblog

って、まだ、両方とも終わってないでしょ、とツッコミ、入りそうだけどね。

終わったのは、僕の中で、ということにしといていただいて。

そろそろ、終わりにするか、って気になってきた。

昨日、少し、まとめようと、つまり、文章化、ね。

そんな気分になったのであります。

この一年間、動かなかったしね、なので、ふと、待てよ、これ、ひょっとしたら違う展開が成り立つのかも。

なんてね。

あくまでも、気分の問題ですが。

そうは言っても、相変わらず、さまざまな情報を集め、なんてことにもなるんだろうけど、そこへ向かう。

気分ってやつが、違うものになってきたわけだ。

としか、書けないんだけど。

何が起こっていたのか、何が起こってくるのか、なんてことにうつつを抜かしていたんだな。

うつつ、現、まさに、それが現実、リアル、ってやつだけど。

まとめよう、と思うくらいだから、まとまっていない。

なんて現況だ。

うかうかしてると、このブログの場が、まとめの試行錯誤になりそうだから、要注意、だな。

というか、この場は、もともと、そんな場だな。

そもそも、どんなまとめにしたいかと言えば、スピからエネルギーからリアルから経営から人生から歴史から。

ありとあらゆるものをそこにぶち込んで、なんて思惑ね。

表題の二つは、そのくらいの大きな話でもあり。

ついでに、風の時代への、水瓶座の時代への、i knowの時代へのご挨拶、みたいな。

それも含まれ、ということになるか。

なんだか、壮大な絵模様だね。

言葉と言葉ならぬものとさらに言霊と、って、侍の武士が馬から落ちて落馬、みたいな表現だけど。

いずれにしても、慣れ親しんだ模様、言葉つかい、カラダ使い、なんてのから、少し。

離れてみむと、って感じだな。

もちろん、日常的には、社交辞令、ご挨拶、オトナの事情、なんてのを使い分け、ではあるけれど。

そろそろ動くか、ってのは、A地点からB地点へ、って空間の移動だけではなく、なんだけどね。

なんだか、今朝は、エチオピアのモカ、ハニーを味わいながらの述志になっちゃったな。

さて、次なる物語を紡ぎに参ります。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする