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まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

かすかに鳥の鳴き声が聞こえてくる

2019年02月28日 | Weblog

ので、窓を開けてみた。

ずいぶん前から、ある周波数が、聞こえにくくて。

なんだけど、今朝は、あれ、って感じで聞こえてきた。

それも、実際は定かではないけれど、そこに鳥がいたのかどうなのか。

なんてのもね。

と言えば、すべからく、この世はそんななりとたちで、出来上がってもいるわけだ。

先週の、長崎への旅の余韻が残っている、というのは、アンテナが。

島原とか雲仙とかに傾いている、とでも言えるか。

街を歩いていても、ね。

よく作家さんや学者さんが、くだんの研究対象の生家や事績を訪ね歩く。

なんてのがあるけれど、あれ、気持ち、わかるね。

不思議なもので、そこへ降り立った、というだけで、他人事でなくなる。

リアルの持つ力、か。

理屈や論理というのは、どうも、胡散臭いわけではないけど、屋上屋を重ねるようなところもあり。

砂上の楼閣とも書けるか。

かといって、ベタな現実だけを語る、ってのも、なかなか鬱陶しくもあるんだけど。

ベタな、というより、現実まがいの現実を表現する、というのかね。

どこかから借りてきた認識の仕方、解釈を並べる、っての。

時代の大転換期、なんての、どこでも言われるセリフだけど、それを思い知ったのが。

長崎での、ジャパネットタカダの高田明さんの講演で、彼、最後の方で。

愛、という言葉を投げかけた。

すべからく愛なんだ、と。

愛なんて言葉は、そこここで撒かれてもいるけれど。

あの場面での言葉、というのに、時代の転換を感じた次第で。

転換、というのも、たぶん、人類にとっていい方向への、という意味だけどね。

そりゃ、AIでなんとか、地球環境がなんとか、なんて言い方もあるけれど、テストに出るとこ。

そこんところじゃなく、ってわけだ。

殉教、愛、汝が先のナガサキ、被爆したマリアさま、などなど。

そこから抽出できるものが、たった今の、感懐なのです。

さて、外も明るくなりつつある中、骨との対話へ向かうとするか。

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新宮から縄文遺跡が

2019年02月27日 | Weblog

発掘されている、というのが、NHKで放映されたらしい。

ツイッター情報だけどね。

ちょっと、ググってみたら、何回か調査されてもいるらしく。

文化資料館かなんかの建築のために掘り起こしたら、そこに出現。

というんだね。

残すか残さないか、なんて議論もあるのかも、だけどね。

それにしても、新宮に古宮、遺跡というのが、なんとも妙な取り合わせ。

紀の国。

木の国だとも。

スサノオさんの息子さんだっけ、朝鮮半島から持ち帰った木を植えた。

なんて逸話、神話、伝承が残っているよね、たしか。

この4月には、その地を訪ねることになる。

歴史の旅。

その前触れのようなツイートだったな。

古い古いお宮さんなわけだ。

この間の長崎、まさに、汝が先、まんまのジモッティさんたちに触れて。

そりゃ、なんとも言えない、素敵な気分を味わった。

道を尋ねて、そこがわからないと、さもすまなそうに、というあの瞬間が。

とてもいいんだ。

路面電車の停車場まで送ってくれた若い女子のことも思い出す。

行基菩薩由来の、朝の満明寺、その石段を降りてくる間、待っていてくれたバスの運転手さん、とか。

大湯、かの地ではなんて言ったか、ジモッティたちの愛する共同風呂で、清水から。

というと、長崎名物を、土地の言葉で、懇切丁寧に教えてくれた。

あれは、餡を卵で巻いた、と言っていた、結果、カス巻き、とら巻き、というお菓子のことなど。

あそこに8月9日、落とされた原子爆弾に、被爆したマリアさま、浦上天主堂だ。

一瞬にして街がなくなった、そうで。

雲仙地獄と名付けられた、硫黄泉が噴き出ている高台に立てられていた十字架。

100人以上のキリスト教徒が、殉教したという地、ね。

そんなことごとと、汝が先、ながさきのモードとのコントラスト。

こうして書き出すと、キリがないな。

ところで、昨日、kindleに落としたのが、「サピエンス異変」というもので。

書いた方は、腰痛持ちのようで、現在の自分の健康問題にてらした、サピエンスの変化、変容を。

45億年前から探り出している、とでもいうか、そんな本だ。

思わず笑いながら、ちょっと、読んでいた。

Facebookの、書評専門のページがあって、そこで、「バカの壁」だっけ、の養老孟司さんが。

書評していて、ほだされてダウンロード、という展開なんだけどね。

こちらも、ほんと、キリがないね、興味、関心のままに生きていると、一体全体どこまで行くのやら。

って感じだ。

健康の要諦は、タオ(道)のままに歩む、生きる、くらいか。

そうそう、ハブに噛まれて一度死んだ女史、初美さんという方が。

「この世は私で在る以外、やることは何も無いよ」と言っているらしく。

面白いので、メモしたんだけど。

臨死体験ね。

ガンなんかの病気も治っちゃったりするらしいね、臨死体験すると。

さて、そろそろ、骨だ。

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226の朝。

2019年02月26日 | Weblog

何十年前になるのか、たしか、雪の朝だったように思うけれど。

って、歴史として知っているだけの。

青年将校の蹶起。

のなかに、柳家小さん一等兵か、上等兵か、混じっていたわけだ。

と書くと、ちょっと和むような感じもするけれど、リアルには。

眦を決す、みたいな朝だったんだろうな。

そんな風に、その一事件のみならず、多くの時が、多くの思いとともに流れて。

この、たった今、がある。

とも言えるし、実は、今しか存在しない、とも言えるし。

226の一将校も一兵卒も、実は、同等で、さらには。

島原の地で、殉教した、多くの方々も、もっと言えば。

その殉教の元になった、奉行やその配下の者たちも、というわけだ。

ここのところを外しちゃうと、どこまで続くぬかるみぞ、ってなもんで。

正義の使者だらけ、勧善懲悪の、善なるもののみの跋扈する、実に。

せせこましくも鬱陶しい時代になっちまう、んだけど、そこんとこ。

なかなか、ね、って。

なにせ、昨日も、「タオ」の第一章と第二章、読んじゃったからね。

これが、どうやって、わが列島の神道に合一したのかね、なんて、プチ疑問符とともに。

だったけど。

たぶん、エピゴーネン理論、のなせる技だと思うけどね。

なんて書くと、わけわかんないでしょ、これ、僕固有の理論だからさ。

エピゴーネン、亜流、ってのは、忖度の限りを尽くし、まだまだもっともっと、っていうメンタリティ。

になりがち、ってことだけどね。

なので、過剰に、格式ばり、慮る、ってことになる、という次第で。

例えば、韓半島の儒教ね、あれ、本家の孔子さんも驚くばかりの、儒者の思想だよ、きっと。

イエスの末裔さんたちも、似たようなものだけど、って、書いてくると、わが立ち位置が。

少々、傲慢な、上から目線的ではあるね。

このエピゴーネン理論、ってやつ。

よく大手企業さんの、本社の社長やらの幹部が来社されます的なイベントね、あれだって。

たぶん、創業者からしたら、おいおい、ってんもんだろうけど、忖度の限り、だろうし。

もっとも、もともと、そんなメンタリティになるようにできているのかもしれないけど、ね。

この人間、って認識構造がさ。

というわけで、226の朝、平和裡に、骨との対話に入ります。

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旅から帰ってきた

2019年02月25日 | Weblog

夢が枯野を駆け巡ったわけでもないけど。

定位置に戻った朝。

となってみれば、掛け替えのない、比べようのない時間にいることに気がつく。

さもない、と言えば、さもない時と処ではあるけれど。

いつものようだった、ルーティンのごとき珈琲タイムを経ての。

ブログだ。

旅の途次では、ブログ書きのタイミングが難しく。

アップアップのアップ、ってオヤジギャグみたいだけど。

押し寄せる未知との遭遇への、丁寧な一つ一つの対応が、オーバーフローをもよおし。

まとまらない感懐が、さまざま、やってくるわけだ。

そこですね。

そこで、予期せぬ噴煙が上るかも、ってところだ。

というわけで、なにがあったのか、と一筆書きをするのは、骨の折れることで。

というより、それは、旅のエキスを味わうこととは違う所業で。

なんてこと、昨夜、日付変更線が変わる頃の帰宅の後。

ふと、加島祥三さんの「タオ」を開き、読んだ。

老子の「道徳経」というやつを、英文学者たる彼が訳したもので。

第1章から、名付けることは不可能だ、くらいのことで、

それは嘘だ、というようなもの。

そう言えば、OSHOも「TAO」という、やっぱり老子の「道徳経」について書いていたな。

とそれもパラパラめくり、眠りについた。

当たり前だけど、名付けることの無理さ加減が書かれていたんだけど。

なので、そんなことをするのは、やめときます。

せいぜい、どこそこのお土産はこれで、あれで、みたいな話しかできないのかもしれないな。

その意味では、各地の名産、名物なんてのは、先人の知恵でもあるな。

食したもので、すべてをまとめ、語る、というような。

だから、お土産は、大切なのです、とね。

さて、久しぶりに骨ストレッチを始めるとするか。

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小浜温泉の朝

2019年02月23日 | Weblog

弘法大師さんと月。

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長崎、初見参

2019年02月21日 | Weblog
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道頓堀の小林秀雄

2019年02月20日 | Weblog

ある冬の夜、道頓堀を歩いていたら、モーツァルトが聴こえてきた。

というやつ。

耳の奥でね。

知る人ぞ知る、有名な道頓堀体験、ってやつなんだけど。

文芸批評家の、中原中也や大岡昇平とも親交のあった小林秀雄、ね。

その時のことを思い起こして、文章にしているわけだ。

何を考えていたのか、いずれ、人生やら文学やら絶望やら、だそうで。

自分にも意味がわからぬヤクザな言葉で頭を一杯にして、犬のように歩いていた。

なんて書いている。

そこへ、ト短調40番、第4楽章が聴こえてきた。

というわけだ。

小林秀雄が書くと、いかにも劇的な、文学史に残る、みたいなことになりがちだけど。

ふとね、昨日、エアーポッドと書いてあったか、アップルのイヤホンで。

街を歩きながら、パブロカザルスだったか、そんな音楽を聞いていた時に。

おいおい、ほとんど、これ、小林秀雄になれちゃうかも、なんてこと、浮かんできてね。

ますます、AIの支配型って具合だな、と少々、自嘲気味でもあったのだけれど。

車でも音楽、例えば、auld lang syne、蛍の光だね、なんて聴いていて、いいなぁ、なんてね。

ところが、イヤホンにしたら、これまた、音が良くてね、驚きだ。

の延長が、街を歩く”小林秀雄”ってわけだ。

こうなったら、とことん、自分の外部の電子的な携行物のお世話になっちゃってみるか。

なんて気分にもなっていて。

だって、馬車しか乗れない人、って、蒸気機関車が疾走している時にね。

まるで、バスターキートン?、チャーリーチャップリン?、ってなもんでしょ。

なんてことはどうでもいいけど。

今朝、出がけに、妻が、のろいと素早いについて、話していて。

自分の母親がのろいと言われていたというのろい、ってオヤジギャグみたいだけど。

それ、おもしろな、とね。

のろいとかはやいとか、どんな価値観があったら発生するのか、というね。

それぞれがそれぞれの固有の時間とも言えない時間の中で、生きているのがデフォなはずで。

そこへ、さまざまな価値をくくりつけ、比較の対象になり、という様がね。

大きな、something great、創造主とも言えるか、その立ち位置からしたら、微笑ましくも映っているか。

なんてくらいの話でもあるんだけど、そこはそれ、何の因果か、資本主義。

なんてもの、発明、というか、作り上げてしまったがために、とも言えるな。

さて、明日は長崎へ、。

昔のわが列島では、一日の始まりが、夕方、っての、あるでしょ。

そのデンで、すでに長崎への旅は始まっているのです、ってね。

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三寒四温って言ったよね

2019年02月19日 | Weblog

この言葉、幼い頃、オトナが言っていたので覚えた。

寒い冬の中、少しずつ温かくなる時に、聞こえてきた。

なんか、じっと耐えていると温かな春が来るよ、というような。

そんなメンタリティだ。

今年の冬は、そんな言葉も使わずうちに、春一番が吹きそうだね。

この週末の長崎は、雨模様だけど、温かそうだ。

どんな出会いがあるのやら。

4月には毎年恒例の歴史の旅。

紀の国へいくことになる。

熊野。

何年前になるのか、今、あなたが熊野へ行ったら飛ばされちゃいますよ、くらいの話を。

霊能者から聞いたことがあり、そうですか、ってくらいだったのだけど。

伊勢神宮を頂点にした信仰形態とは、また、違った趣のあるところのようで。

海沿いの新宮には、新しい宮、というのもいわく言いがたいけど、中上健次がいたからね。

って、あんまり関係ないかも、だけど、彼、補陀落渡海、とかの文章も書いているようで。

それに、出身、ということで、歴史の謎を体現しているような作家だった。

それはともかく、今朝も早くから社員さんが出動だ。

それに応えるためにも、僕は長崎へ、だ。

よく言われるように、経営者のキャパシティだけ、会社は成長する、なんての。

むしろ、そんなことより、社員さんの成長を邪魔するな!くらいの方が、いいかもね。

人は自ずから成長する、というわけだ。

それを押し留めるのは、よくわからない思い込み、常識、前例などなど。

さて、今日も、働き方改革、真性の、ね。

それについての打ち合わせだ。

アレキサンダーや毛沢東みたいな長征だよ。

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氏より育ち

2019年02月18日 | Weblog

なんて言葉があるね。

いかにも、って言い方だけど。

血縁よりも育った環境だよ、みたいな、ね。

なんて感懐に至ったのも、今朝の珈琲、ブラジルの。

アカイヤ・ムント・ノーボという音に触発されたわけだ。

これ、品種の呼び方らしいけど、珍しい品種だな。

農園主の名前が、マルクス・エイトールさんというらしい。

ネイティブの民が住むところへやってきたポルトガル人の末裔かな。

という名前でもあり。

ずいぶん前、シンガポールで、やっぱり華僑が中枢を担い、というような話を聞いたことがあり。

華僑は経済力もあるし、歴史もあるからね、くらいの感想だったんだけど。

営々と続く文化の中で育まれる、人との、モノとの接し方、処し方などなど。

そりゃ、ジャングルの中で果物や獣とずっとやり合ってきた人々とは。

明らかに違うわけで。

一方は自動的に、自然に心の中、仕草に現れる様を、かたや、人工的に作って行かざるを得ない。

そりゃ、大きなハンディキャップだよね。

表題に絡めれば、なんて言っても、「素人鰻」という桂文楽の噺。

武士と小間使いが、明治の御維新で立場が逆転し、というね。

たぶん、志ん生や円生ではなく文楽なんだと思うけどね。

は、おいといても、何を隠そう、商売を始めたばかりの頃の僕自身、先輩の。

元醤油屋の末裔からの話を覚えているんだ。

休みの日にでもお店にやってくるんだ、すると、ご飯食べていても。

すかさず、お店に出る、とか、お客さんのところへ行くには、必ず、勝手口から。

だとかね。

サラリーマン家族だった当方からすると、そりゃ、及び難いメンタリティで。

そういうものなんだ、と驚き、記憶に残っているわけだ。

人種とか民族とかの大枠で言わなくても、小さなコミュニティの。

それぞれの常識の中で、それぞれがオトナになっていき、それぞれの持ち場で仕事にありつく。

そんな中での一コマ、という切り取り方も可能だよね。

だから、言いたいことは、何を感じるにしても、それぞれの、長い長い道のりの現れとしての。

目の前の人、ってことで。

迂闊には判断できません、とでも言っておくか。

逆に言えば、それほどの悠遠たる時の流れをひきずって目の前に登場してくださった。

多くの人々に、どんな態度で向き合うのか、とね。

今朝の表題には、そんな深い意味があるのです、なんてね。

さて、久々の骨ストレッチです。

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今日、私は自分の価値を100倍にする

2019年02月17日 | Weblog

昨日、浜松への往復で読んでいた。

オグ・マンディーノの「世界最強の商人」のなかのフレーズ。

まるで、100歳時代に、100万年生きる、と言った時に似ている爽快な言葉で。

心の何処かにメモした次第。

他にも、今日を最後の日として、とか。

せっかくだから、全部書いてみるか。

私は、今日から新しい人生を始める。

私は、良い習慣を身につけ、その奴隷になる。

私は今日という日を心からの愛をもって迎えよう。

私は成功するまでがんばりぬく。

私はこの大自然最大の奇蹟だ。

今日、私は自分の感情の主人になる。

私は世間を笑おう。

私は今、行動する。

というものなんだけどね。

アファメーション、というやつだ。

自分に言い聞かせる、というのか、天に伝える、とも言えるか。

そうそう、昨日は、そういうわけで、浜松。

同友会の浜松支部の45周年記念式典、ってのへ、参加してきた。

ちょっと、早く着いたので、トゥルネラパージュ、TOURNEZ LA PAGE

ハワイのコナ珈琲をいただきながらのジャズを聴いてきた。

スピーカがすごいので、写真でもアップしておくか。

 

たまには、こんな感じもいいもので、いつもの日常への楔を打ち込む。

くらいの。

というわけで、今日まで骨ストレッチはお休みにしよう。

 

 

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