まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

一年間お世話になりました

2013年12月31日 | Weblog
今日は、大晦日なので。

お家の大掃除でお忙しい中、お越しいただき、感謝いたします。

このブログも、since2004年の12月というから、10年ということになるね。

毎年、この日は、こんな具合に書いていたのだったか。

10年も続くと、ブログも、自分の暮らし方、生き方とフィットしてきて。

欠かせないものになっているんだね。

ことに、この半年は、ここのポジションが定着し。

指先と思考と生き方が、おさまり具合がよくて。

さらに、楽しんでいるのですが。

来年は午年ということで、検索すれば、どんな年、なんてのが。

しこたま書いてあるんだろうけど、それはやめといて。

二年前にも予言して、それが実現してないので、エセ予言者。

状態ではあるのです。

一気呵成に世の中が革まる、という予言なんですね。

例えば、幸せの基準が変更されると、瞬時に。

みなさんの笑顔で満ち溢れ、ということなんだけどね。

大昔から、時代をまたいでつながれてきた、ある種の、価値観、考え方、ってのが。

この瞬間から、やめます、という宣言が行われたら。

この世の重大事が、一挙に、とるにたりないものに早変わりし。

各人が、いのちのあらわれのままに、生き生きとね、変身する。

というもので。

これ、生存本能を、おびえ、としてとらえるか、よろこび、としてとらえるか。

だけなんだけど。

生存本能への不安、という部分を、あのてこのてで、いろんな方々が、刺激する。

という構図。

左翼から右翼、道学者からアナーキスト、数え上げたら、人間の数だけありそうな。

そんなエピゴーネンたちから、自由になる瞬間、ってのが。

そのうち、訪れる、というのが、二年前の、僕の予言だったのですが。

島尾敏雄の書名じゃないけど、出発は遂に訪れず、まま、なので。

この年の暮れも、そんな予言したいけれど、どうも、そうなったらいい、風な。

願望が入っているような気もするので、やめときます。

ただ、そこかしこで、そんな気分が、ってのは、エピゴーネンたちに。

自ら語らせる、というのか、どうぞ、ご自由に、でも、わたしは。

みたいな風情が漂い始めているのはまちがいなく。

わけわからないリクツを、餅つきのように、こねてしまったけれど。

そんな気分なのです。

では、みなさまの来る年が、佳き年でありますように。

さらに、一年間のご来場に感謝申し上げます。









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ドナルド・キーンと瀬戸内寂聴

2013年12月30日 | Weblog
夕べは、BSで、「不易流行」と題して。

表題のお二人の対談でね。

伊勢神宮の式年遷宮にからみ、そう、ドナルド・キーンは。

今回で、四回目、ということらしく。

そのことに触れながら、その都度の、文学者たちとの交流を。

例えば、ノーブル賞を、もし、三島由紀夫がとっていたら。

市ヶ谷への突入も、あるいは、翌々年の川端康成の自殺もなかった。

でしょうね、と断言したりね。

おもしろい番組だった。

源氏物語の現代語訳は、それこそ、いのちをかけて、というくらいのもので。

とかね。

源氏物語というのは、世界の源氏物語で、残念なのは。

日本では、古典の文法の教科書くらいの位置づけしかないこと、だと。

僕も読んでないので、そのうち、読んでみようかな。

ところで、妻が。

二三日前から、足を引きずりだし、よく見ると、えらく腫れていて。

今朝は、なんだか、風邪をひいたみたい、ということで。

そういえば、商売始めた頃の僕も、この時期になると。

風邪をひいて寝込み、家族のひんしゅくを買ったものだけど。

そういうことだよ、日々、緊張感のなかでがんばってきたからね。

からだを休ませなさい、というメッセージなんだよ。

なんてことを、僕のイベントをフィーチャーして伝えると。

そう、自分で作った料理はうまくて、といういい性格をしている。

僕の、真骨頂ともいえる、解釈にね。

苦笑もし、とはいえ、本日は、母親の手伝いで、餅つき器でおもちつき。

なので、休んでもいられないわけだ。

そうだ、甥っ子は、夕べ、二人の友達と午後、やってきて。

お茶をしたんだ。

若者、三人とのダベリングは、なかなか、楽しく。

時間がもっと欲しい感じだった。

当方、今日は、お昼前に、発芽会と銘打った方々を事務所にお招きし。

こちらも、ダベリング、ということになるかな。

本年の〆、ということで、お弁当でも食べるんだけど。

さて、どんなギフトがあるでしょうか。

そうそう、昨日は、本を買ってきて。

本を買ってしまう難病に罹っているので、ね。

水野和夫と朝日新聞の記者、近藤康太郎という方の対談なんだけどね。

「成長のない社会で、わたしたちはいかに生きていくべきなのか」ってやつ。

人類の作り出した謎多き「資本主義」に正面から思考する知的問答、って帯には書いてあって。

徳間書店、っていうのが、また、面白いんだけど。

なので、読みやすいかな、ともね。

午後には、浜松にむかった、甥っ子の友達、二人もまた、やってくるそうで。

そのまま、東京へ帰るんだけど、その後には、長男坊が到着、とあいなるのか。

そんなこんなで、イベントは続き。

和暦的に言えば、年の初め、ともいえる、明日の大晦日を迎えるのであります。



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お酒がきいている

2013年12月29日 | Weblog
夕べは、忘年会で。

お酒がまだ残っている、という感じで。

なにせ、飲み放題いくら、っていうお店なので。

頭がかぶとになっちゃう、だったか、とにかく、頭にくるお酒、ってのを。

たしか、三遊亭金馬が、「居酒屋」のなかで。

そこのお店の小僧さんを、からかうのに、なんとかって、言っていたんだけど。

そう、ひどい酒で云々、というね。

今朝は、そんな感じで、起床はいつもより遅れ、お寺の鐘もとうの昔になりおわり。

という時間帯に書いているのですが。

今朝は、いつもの神様のおつかい、境内のお掃除されている方も、この時間で。

彼女、忘年会だったのかな、なんてね。

あとわずかですね、さむいですね。

氷点下でしたからね。

なんて会話を交わし、彼女からは、がんばりましょうね、と。

なんだか、仲間のような気分にもなり、で。

ところで、昨日も、おとといも、このブログに来てくださる方々のカウント数が。

減っていて。

なるほど、この時期、Google検索するかたも、お正月休みかな、ということでね。

そういえば、お正月休みに韓国へ行かれる方が言うのには。

旧正月なので、元旦だけ休んで、あとは通常営業なんだ、と。

ポスコだったか、鉄鋼メーカーさんへ、ということらしく。

どうだろう、今でも、宮廷料理っていうのか、テーブルの上に二段重ねの勢いで。

さまざまなごちそうが並べられ、というのは、残っているのか。

旧正月、ってのが、わが邦では、明治の御維新で、まさに、字のごとくに、新しくなったんだけど。

かの国では、グレゴリオ暦との兼ね合いをどんな具合に調整したのか、興味深くもあるね。

そうそう、夕べ、到着予定だった、甥っ子たちは、東京からの長旅もあり。

僕らの忘年会、ということもありで、駿河健康ランドで、仮眠。

ということになり、甥っ子ひとりだけ、お昼頃、わが家へ、という次第で。

今日は、ここで、手巻きのタバコをまいて、小休止。

時間があくと、リズムも変わる感じがするんだね。

珈琲も落ちたので、巻きたてのタバコを一服し。

そういえば、夕べ、午前様だったんだけど、妻とね。

帰ると、母親が、今から、「おぶつなさん」へ行こうと、身支度しているわけだ。

隣のキヨ子さんと、とね。

「おぶつなさん」というのは、近所の、氏神さまで、神明宮なんだけど。

カレンダーを指差し、28、という数字を示したらね。

あら、そうだったの、みたいな、あら、あたしまちがえちゃったのかしら、くらいの感じで。

その場のほころびを直し。

なんてことが、一瞬、あって。

どうなんだろう、そんなときの、彼女の内側ってのは。

耳が遠い、ということも、一分前のことを忘れたり、ってことも、こころもとなさ。

とでもいえるのか。

わたしの方向とまわりの人たちの方向がずれていて。

よく、子どもに帰る、なんていうけど。

たしかに、誕生から死までの道中は、なんとかかんとか、その、まわり、とバランスすることに、ね。

腐心し、そう、まさに、こころを腐らせる、ってわけだ。

いずれ、誕生以前へ戻る、ということなのか。

ともかく、そんな具合で、われわれの行く道筋を、老いたる方々は、指し示してもくれて。

あるいは、今、を映し出してくれて、とも言えるな。

さて、本日は、甥っ子を迎え、明日は、長男坊を迎え。

いよいよ、カウントダウンらしく、なってきたかな。
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カウントダウンはじまる?

2013年12月28日 | Weblog
さすがに、年の暮れの実感がなくて。

なんて言いつつ、今日は、事務所の大掃除なので。

カウントダウンが始まりつつある、というね。

そんな今日、東京の甥っ子が。

つまり、妹の息子がね、自転車で、清水に帰ってくる、というのか、やっってくる。

それを聴いた妻は、昨日からおおわらわで。

なにせ、到着予定時刻が夕方、わが社の忘年会の真っ只中で。

たどり着いた家には、耳が遠く、物忘れの激しい、老いた母親がひとり、という。

そんなんで、しんぱいでしんぱいでしんぱいで、ってわけで。

結果、甥っ子と直接、電話で話したらしく。

どうにかこうにか、なのですが。

B型の僕としては、なるがまま、なすがまま、みたいな感じで、気楽なんだけど。

それが、世間的には、そうもいかず、ということでね。

それはともかく、昨日は、営業会議でボーナスをわたすことができ。

なにせ、利益がでていないことには、そんなこともできないわけで。

ありがたいことです。

その場で、来年のワードは、と。

去年は、チャレンジ、だったんだけど、今年は、CHANCEとCHANGEです。

CとGの違いなんだね、ま、細かいことはどうでもいいけど。

このことについては、またの機会に、ですが。

そんなわけで、今朝も、お寺の鐘がゴーンとなっていて。

次第に、歳があらたまろうとしているのです。

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夜間痛(やかんつう)

2013年12月27日 | Weblog
昨日の個人ミーティングはでは、いろいろなギフトがあったんだけど。

その中で、印象に残っているのが。

冒頭のやかんつう、です。

10時に寝て、1時になると痛みで目が覚める。

それで、5時頃まで、眠れれず、というわけです。

お医者さんの診断では、五十肩だそうで。

草木も眠る丑三つ時、って頃に、痛みで起きている。

という構図がね、どうも、理解できなくて。

痛みというのは、からだからのなんらかのメッセージ、なんて軽く。

他人事のように、普段、のたまっている僕なんで。

この方の痛みも、そうなのかも、なんて思いもしながら、お聴きしていたんだね。

今朝の僕は、痛みがあったわけではないけれど、4時から瞑想して。

会社着は、5時半、というわけで。

妻とは、これじゃ、あの人たち、なんの宗教なのかしら、くらいの感想をもたれちゃうかもね。

みたいな会話をしながら、車中の人になったのでした。

これじゃ、長男坊的には、仙人をこえて、万人だね。

今日は、今年最後の営業会議で。

明日は、午前中大掃除で、お昼は、ご近所のおそばやさんから、年越し蕎麦を。

で、夜は、忘年会、ということで、一年の会社の行事は終わることになっているけれど。

翌日も翌々日も、実のところは、仕事は続いていて、to be continued状態ではありますが。

メリハリは大事だけど、いのちに休みがないように、仕事にも、ほんとのところ、休みはないんだね、きっと。

それを、どうだろう、6日お働きになり、神は7日目を安息日とされた、と聖書は言うんだね。

いつの間にか、週に二日を安息日とされた、といのが、現状で。

夜の会合なんかも、金曜日、ってのが、多くなっているしね。

それでもまだ、供給過剰、ってんだから、いっその事、落語の世界みたいに、べらぼうめ。

午後は風呂へへぇーって、一杯飲んで、ってことにしてしまえばよさそうなものなんだけど。

これ、難しいのかな。

そうそう、昨日の会話のなかでも、社長が早く帰れ、でないとブラック企業になっちゃうぞ、みたいなこと言うので。

‥‥‥、みたいなことがありね。

そりゃ、俺の口からは、働けはたらけ、なんて言えないけど、成長する時ってのは、羽目をはずす、リミッターがはずれざるをえず。

ってことは、ありで、そういいつつ、俺的には、君の姿がうれしくもあるんだよ。

なんてことを、ね、話し。

細かな再現はむずかしいけど、この羽目をはずす、という言葉のイメージは。

塀で囲まれた家屋敷から外の世界が見える、ということでもあり。

さらには、古代の中国での、国ね、外側を高い塀で囲まれた中が、国です、という。

そんな羽目も外してみたら、そりゃ、リスクはあるけれど、おもしろいこと、この上ない世界が広がっていて。

というようなイメージにもつながり。

もともと、そういう冒険が、いのちにワクワク感をもたらしてくれて。

今年のワードとしては、この、リミッターをはずす、ってのが、気に入っていて。

さらには、バットをふる、ってのもありだな。

バットふらなきゃ、ボールにあたらないでしょ、ってわけで。

吉本の芸人さんが、たしか、使っていたと思う。

なにせ、ああでもないこうでもない、結論は、リスクマネージメントだ、ってことになるでしょ。

それってなによ、ってことですね。

柔肌の熱き血潮にもふれ、酒なくてなんのこの世のなんとか、ってのもあり。

ま、リクツはともかく、バットをふる、ってことですね。

老いも若きも、ね、それこそが、日本強靭化計画だと思うけどね。

って、ここで、息巻いても仕方ないな。

あれ、これで、1500字越えなんだね、それこそ息巻くと早いね、パチンコでいう定量打ち止め、だったか。

そんなわけで、師走の本日、あと五日でお正月です。


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おやじはえらい

2013年12月26日 | Weblog
表題は、僕のおやじ、昭ちゃんのことなんだけど。

えらい、って言葉が適切かどうかね。

というのも。

今朝、瞑想していてね、そう思ったんで。

父親が亡くなり、49日の間のこと、以前にも書いたかも、ですが。

僕が車を運転しているときに、居眠りしちゃったんだね。

曲がりくねった道で、そのとき、僕の名前を呼んだ。

それに気がつき、目が覚め。

ってことだけなんだけど。

なぜ瞑想している時に思ったか、というのは、この状態で。

しかも、言葉につながる現実、つまり、三次元的なからだやら五感やらが。

すでに、自分の持ち物として用意できない状態でね。

よく、ぼくのところに声をかけてくれたな、という。

そんな思いが湧いたのでした。

言葉にしてみれば、この程度のことではあるけれど。

実際、お試しになればわかるかも、ですが、とても、むずかしいだろうからね。

って、どうやってお試しするの、ですか。

ま、それはともかく、そんな有難さを思い出したのでした。

夕べは、「御用達会」という会合で、臥竜梅を飲みました。

なんだか、小学生の作文みたいだけど。

同友会が、静岡と清水が合併してからできた飲み会で。

今年、実は、初めて参加、ってことなんだけどね。

さまざまな話、そう、出雲の話もしたな。

出雲の旅メンバーが、半分を占めていたしね。

ところで、今年は、どうも、年末の気分がしなくてね。

なんだろう、と考えているんだけど、わかりませんが。

歳のせいなのか、もういくつねるとおしょうがつ、と歌った頃にもどりたい。

みたいな気分なのか。

空気感が違うんだね。

景気がいい、とか悪い、とかとは、また、違うような気がする。

当面、謎です。

また、話はもどるけど、おやじはえらい、と書いてしまったことね。

えらい、とは、これまた、ちょっと、違っていて。

すごい、でもないし、かたじけない、でもないし。

うまい言葉が見つかりません。

ところで、冒頭の、今朝の瞑想ね、その前日にお会いしたいろんな方々との会話が。

流れてきて。

それに、いちいち、反応はしないんだけど。

あれ、視点が変わると、映画でも見ているような感じにもなるのかな。

この世はマーヤ、つまり、幻想、なんて言い方もあるし。

ここでも、よくわかりません、状態ではあるけれどね。

さて、本日、丸一日、個人ミーティングだ。

どんなドラマがおとずれるのでしょうか。







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メリークリスマス

2013年12月25日 | Weblog
その次に続くのが、ジョニー、だったか、名前忘れたな。

「戦場のメリークリスマス」って映画で、坂本龍一じゃなく、ミュージシャンだよね。

その彼が、ビートたけし扮する鬼軍曹に言うんだったか。

ちょっと、シチュエーションは忘れましたが。

この時期、ちょうど、冬至なわけだ。

太陽が一番力をなくす時、そして、これから、再生がはじまる。

というね。

太陽は一度死んで、再び、生まれ変わる、ということで。

たぶん、世界中で、そんなことのなかで、祈る対象はそれぞれだったんだろうけど。

伊勢神宮の、かたじけなさ、という以上の有難さ、恐れ多さで、祈りに祈った。

クリスチャンの方には、申し訳ないけど、あくまでも、私の、というか、ひとつの仮説です。

そんな習俗と、イエスの誕生を重ね合わせ、このクリスマスがあり。

後発の、精神世界メーカーが、既存の、土着の神を上書きした。

というような構図、と言ってもいいかも。

そんなことは、どうでもいいけれど。

太陽が再生する、この時期、日本では、ふゆ、と言っているんだね。

漢字でなく、ひらがなで書くと、なんとも、いい感じで。

ふえる、というイメージが湧くよね。

ベランダに未だに残る、ユウガオの実を見ていると、そんな気分が納得できるんだね。

力を溜めて、人間の目には見えないけれど、実の内部では、ふゆ、につながる営為があり。

太陽が死んだように見えるのも、その実、内部では、というわけです。

この、ふえる、というのも、量的にふえるのか、質的にふえるのか、ってのも。

大事な違いでもあるけれど、腹減っている側からしたら、とにかく、たくさん、たくさん。

八百万、やおよろず、ってことにもなるわけで。

供給過剰の、この資本主義の時代であっても、そのDNAを忘れていない。

わけで。

そういえば、昨日の、「めざせ!広瀬中尉」ってのは、まちがっていたようで。

白瀬中尉らしい。

コンピュータ屋のおじさんから電話があり、どうでもいいことだけど、と。

この場をお借りして謹んでお詫び申し上げます、なんて書くと、偽装表示のどこぞの社長みたいだね。

あの事件というのかイベントというのか、あれもとても興味深いものがあり。

唾をとばし、口角が泡だらけ、なんていうコメンテーターさんたちは。

見物ではあったんだろうね、見てないけど。

細かい話はともかく、五感に帰ろう、ということで。

おいしさの定義、味の定義、食の定義、ってやつが、どこか、頭過剰でね。

って、言いながら、定義、なんてことばを使う事自体、洗脳されちゃっているんだけど。

うつの人が多い、とか、ってのにも、企業でもメンタルヘルスなんていうし。

いろんな言説はありもし。

ではあるけれど、頭、使いすぎ、というか、架空の物語があたかも、現実であるかのような。

錯覚、とでもいいましょうか。

これ以上書くと、語弊、その他、誤解、曲解、に行き着くかも、で。

このあたりは、丁寧に書かなきゃね。

なので、やめときます。

一時凝った、春野山の大光寺、だったか、行基さんの修業場があり、写真にはオーブが写った。

なんていうお寺なんだけど、そこは、山犬信仰で。

麓のお嫁さんが、どうかすると、狐憑きになりね。

で、そのお山へ、お札をもらいに行く、帰るとき、うしろを振り向いちゃダメ。

なんてことがあったようで、そのお札を家に貼っておくと、狐はどこかへいっちゃう。

というんだね。

なので、うつというのが、現代病みたいに言うけれど、実は、昔からあったのかも。

という、これまた、仮説があり。

人間の精神世界というものは、奥深いものであります。

のだけど、ここで結論にしちゃうと、ほんとのところには、たどりつけないんだけど。

残念ながら、1500字の、K点越えなので、このへんで。


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めざせ!広瀬中尉

2013年12月24日 | Weblog
というのは、たしか、南極探検隊の中尉さんだったように記憶してるんだけどね。

小学生の頃だったか。

南極という極寒の地へ探検に行くので。

と、日常生活から、寒さに強くなるように、ってわけだ。

伊達の薄着、ってのとは、違うかもだけど。

で、当方も、毎晩、窓ガラスを開けて寝る、ってのを。

彼、広瀬中尉になぞらえて見たんだけどね。

南極というような、途方もない話はともかくとして。

慣れというのはあって。

寒い寒いと背中を丸めて、ってのは、どうもね、という感じで。

もちろん、寒いんだから、寒いでしょ、でいいわけだけど。

夏だと、エアコンの設定温度を24度じゃ、下げすぎでしょ、みたいな。

冬なら、今朝なんか、3度だったから、15度の設定でも、暖かい、んだろうね。

ま、比較の問題で。

世界の歴史を見ると、だいたい、北の民族が戦いに勝利する、という構図のようで。

寒いと、動いてないとね、だし、腹へった人が一番強い、ってことだね。

減りすぎて栄養失調にまでならない程度、だけど。

さて、そんなだいそれたことを書きながら、昨日の、炊き込み御飯です。

前回は、モータースの奥様に教えていただいた通りのレシピで作って成功。

今回は、ちょっと、おごりがあって、こんな程度かな、というね。

それで、ちょっと、水が多かったみたいで、失敗。

といえば、失敗だけど、おいしかったので、成功ともいえて。

おこげができなかったのが、残念だったけどね。

そう、こかぶも漬けたんだった。

こかぶと葉っぱと人参、鷹の爪をいれて、塩昆布もだ。

それで、押し漬けにする。

これも、炊きたてのご飯には、最高なんだな。

そんなわけで、昨日は妻の買い物につきあい。

掛川の道の駅までも行き、夕飯は、母親へのサプライズで。

写楽のお寿司、で。

いつもの決めゼリフ、夢にぼたもち、って言葉がでてきて。

そう、彼女、お寿司には目がなく、たくさん、食べたな。

K点越え、って感じで、欲がある、ってのは、いいことだね。

若いうちの欲は、どうしても、ありあまっているので過剰になり、制御不能みたいになっちゃうけど。

だんだん、歳を重ねた方々の、どんな欲でもね、身内からわき上がってくるものは。

いいことです。

家庭内では、いいこと、でも、権力にしがみつく、なんてのは。

その人にとってはいいけど、まわりはたまらん、ではあるけれど、それだって。

人間の、いのちとの連帯、という観点からみれば、ね。

ただし、おれに火の粉はとばすなよ、という但し書きはつくけれど。

とばしたらわかってるだろうな、という脅し文句は必要だな。

昔々、祭壇へ供物をたくさん捧げ、祈る。

そのかわり、おれの願いをかなえなかったら、ひどいめにあわせるぞ。

みたいな祈りってのも、あったようだけど、ま、それとは、少し違うけどね。

そんなわけで、広瀬中尉なのです。

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「芝浜」の鐘は明け六つか

2013年12月23日 | Weblog
車から降りたら、ちょうど。

お寺の鐘が鳴っていて。

落語の「芝浜」では、何時ころだったのか。

なんて思い、珍しく検索してみたら、明け六つ、くらいみたいだ。

冬至の頃では、6時11分、なんて書いてあった。

巴川にでも出てみれば、革のせぇーふが落ちているかもしれず。

犬を連れた方々が、そぞろ歩き、いや、ウォーキングか、してらっしゃる。

ので、落ちている財布は、とうに、拾われているんだろうか。

そういえば、何年か前、暮れの押し詰まった頃。

財布を落としてしまって、カードから免許証から、みんな、なくなっちゃって。

焦ったことがあったな。

カード会社とか銀行さんに電話して、かくかくしかじか、と報告してね。

でも、あの時をきっかけにして、金の巡りってやつは、コヒーレントになった。

コヒーレント、ってのは、ボブがよく使う言葉なんだけど。

抵抗なし、摩擦なし、という状態でね。

そんなに多くのお金が入ってくるわけじゃないけれど、かといって、足りなくなることもなし。

というようなね。

なので、ある霊能者が言ったように、財布の中のお金を賽銭箱に入れたら、お金が入ってきますよ。

ってのも、まんざらでもないかな。

っていっても、よいこのみなさんは、まねしないでね。

今日は、このあと、きのこの炊き込みご飯を作ろうかな、と。

「東北食べる通信」ってサイトから、岩手のお米が届いているし。

佐藤初女さんを真似てみたくもありで、土鍋でね、やってみようかな。

と。

お料理ってのは、やってみると、おもしろくて、一時、はまりかけたんだけど。

あれね、食べ過ぎちゃうんだね。

太っちゃうんで、やめたんだけど、パン焼いたり。

そうだ、夕べ、次男坊が、タモリの料理、食べてみたいな、って言ってたな。

おいしそうだよね、というわけだ。

当たり前だけど、お料理には、その人が表現され、ね。

そんなわけで、本日は、お料理タイムとなるのかも、ということで。
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この写真は賞がとれるよ

2013年12月22日 | Weblog
というのは。

僕のLINEのプロフィール写真のことなんだけどね。

夕べ、やっぱり、四連ちゃん目に突入。

つまり、中学の同級生との忘年会があって。

そこで、写真ネタになり、だれかがこれこれ、と取り出した写真を。

表題のように、言うおなごがおりまして。

絵柄、ってのは、4~5歳なのか、僕と妹が並んで写っているもので。

妹が指差す方を、僕が見ている。

のです。

これが、セピア色で、着ているものからして、昭和の貧しい時代を表現していてね。

たぶん、わが母親が撮ってくれたんだろうけど。

なかなか、言われてみれば、いい写真なんだね。



これなんですが。

そのことを言ってくれた子が、以前にもご紹介したけれど。

家庭にめぐまれなかった子でね。

中学の時に、名字がかわり、中学を出ると、美容院に住み込みで修業し。

その頃、夕暮れ時、さみしくて仕方なく。

今でも、夕焼けを見るとその頃の感情がわいてくるんだよ。

みたいな会話を、ずっと前、一緒に信州を旅行したときにバスの車窓からの夕焼けをながめながら。

ポツリ、とね。

その彼女が、僕の写真をみて、いいね、と言ってくれる、その向こうにはね。

撮ってくれた人までも含み込んだものかもしれず。

感慨深いものを感じながら、そんなこと、言ってくれた人、いなかったな。

なんて、軽く応じたんだけどね。

そんな環境を経験した彼女なので、もちろん、今では、いいご主人との間にお子さんも。

さらには、お孫さんもいて、幸せに暮らしている。

この間は、育ての母親を自分の手元でお送りしたそうで。

人生、山あり谷あり、ではあるんですが。

もう一人の同級生は、家電屋さんを経営しているらしく。

大型店舗さえ苦戦する中、がんばっているようだけど、もうね。

お客さんがいなくなっちゃっているんだ、つまり、この世から、と。

でも、買ってくれる方は、量販店より高くても買ってくれたんで。

最後まで、フォローしないと、ってやっているんだ。

なんて言ってたな。

映画の「三丁目の夕日」に出てくる、哀愁の氷屋さん、という風情ではあるけれど。

あの、モータースに、電気冷蔵庫がやってきた日に、自転車で街を流す彼、ね。

路傍には、昔の冷蔵庫が、投げ捨てられていて、という光景ですね。

というわけで、夕べも、飲んでしまったのです。

昨日は、シャーマン・キーシャの本を読み終わり。

紹介いただいた、伊勢の御仁にも、感想など含め、お電話し。

そうだ、この間、娘のところへ行った折り、昔のビデオを。

そう、子どもたちの幼かった頃のね、iPadにつめ。

娘に渡したんだけど、それを、彼女、仕事の休憩時間に見たらしく。

その感想なぞを、妻へメールしたわけだ。

それを見せてもらいながら、流れた時間を感じもし。

しかし、そうした瞬間瞬間が、娘の中で、どんな具合に熟成していくのか、と思うと。

楽しくもあり。

わが母親の時代は、写真機だったものが、ビデオカメラ、とカタカナになり。

と時代は移っているけれど。

その底流には、なんだろう、いとおしいものを、この時間のなかに定着させたい、とでも言おうか。

そんな気持ちが流れてもいて。

それはまた、まわりで起こっていることを、どう解釈して、定着させるか、にも通じ。

すべては、いま、起こっているわけだ。

なんてことをつらつらと書きながら、本日は終了です。







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