まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

「time is money」 の終わりか

2023年01月31日 | Weblog

誰が言ったのか、そんな表題のような言葉がひと頃、流行っていたよね。

うまいキャッチだよな。

資本主義の権化に辿り着きそうな、あるいは、たどり着かなきゃいけないような焦燥感、掻き立てるよね。

あるいは、日本がこのままじゃ潰れちゃう、消えちゃう論なんての、声高に唱える向きもあるけれど。

そもそも、だ。

何を強いようとしているのか、ってことだな。

戦国時代にしろ、その前の荘園の争いにしろ、そんな具合なフレーズ撒き散らされての。

口角泡を飛ばしの、だったのかもな。

激情がなきゃ、日常から離れられないからね。

そんな日常は、昨日に続いてのコロンビア。

たしかに、柔らかな、しかし、舌に残る珈琲か。

昨日のお茶会には、モカを進ぜ、久々のイルガチェフ。

美味かったな。

せっかく、ムツゴロウさんが当帰の茶葉をくださったのだけども、だな。

そうそう、宇宙の本質は、遊びと喜び、なんて言説に出会って、得たりやおう、ってなもんだった。

神のみぞ遊ぶ、なんてこと、白川静さんが言っていて、なかなか、それが腑に落ちなかったんだよね。

しかし、昨日、腑に落ちたかな。

われは神なり、ってことだ。

表題の対極にあるような言葉だね、遊び、ってのは。

どうも、幼なき子たちの動きやら感じ方やらがおもしろくて。

例えば、孫娘たちを見ていると、ね。

目に入るものすべてがわが師なり、って具合だな。

遊びをせむとやうまれけむ、なんて、梁塵秘抄だっけ、忘れたけど、どこかにあったよね。

言い得て妙、ってわけだ。

さて今日も、遊びと喜びに出掛けてみることにするか。

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コロンビアはサンアグスティン

2023年01月30日 | Weblog

これはブロウニーのマスターが激推しで。

ノータイムで選択した次第。

マイルドコーヒーのお手本のような美味しさ。

なんて書いてあるな。

しっかりしたボディがありつつの、とも。

たぶん、聖なるアウグストの降り立った地方、とかいう意味なんだろうな。

なんて勝手に、サンアグスティンを解釈しているんだけどね。

メソアメリカに降り立った、聖なる神々の、なんて感じだ。

聖なる神々とその僕たるわれわれ、とかさ。

聖と俗、貴と賎、とか、巷に溢れているよね。

こんなアタクシですが、みたいな謙った、謙虚はいいけど、とかね。

そのわけは、昔々、ニビルから訪れたアヌンナキが、前人間を遺伝子操作で改変し。

金掘りの奴隷労働として使役した、なんて物語もあるし。

そのアヌたちを神のように崇めた、と。

コロナ前までは、欧米の白人たちはマスクを嫌った。

むしろ、忌み嫌った、なんてヤマザキマリ、「テルマエロマネ」だっけ、古代ローマのお風呂の漫画描いた女史。

彼女がどこかの対談で言ってたな。

なにしろ、マスクは奴隷たちのするものだった、ということかな。

そんなことまで連想させる珈琲の朝。

このところの巴川ベリは静かだ。

寒さのゆえか。

わが七十二候は、第72候だ。

鶏始めて乳(にわとりはじめてとやにつく)。

春の気を感じた鶏が鳥屋に入って卵を産み始める時節、と書いてある。

春だ。

節分だ。

次の第1候は、立春となるんだろうな。

 

 

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なんとかの記念日とプリウスが言った日。

2023年01月29日 | Weblog

僕の誕生日なんです。

そんな前日は、同級生との食事。

僕は君たちの後輩だから、とおだをあげていたのだけど、彼らと一緒の歳になっちゃった朝。

は、中小企業家同友会を辞めて、会社も辞めて、ということかな、そんな御仁のFacebookの投稿がよぎるんだよね。

まだ、若い。

少なくとも僕よりも。

第二なのか第三なのかの人生を描いているんだろうな。

サーフィンなんか、やっている方だからね。

とか、昨夜の同級生たちの生き様なども一緒に思い浮かべ。

なんだろうな、と。

会社を経営するとか事業を続けるとか、あれやこれや、というわけだ。

そんな朝は、ブラウニーさんのケニア。

在庫が少なくなってきたので、後ほど、買い求めに行こうか、なんてことも浮かんでいる。

イフニさんのブレンドが気に入っているんだな、このところ。

そうだ、昨夜、英君、正雪、臥龍梅と三つの酒蔵の飲み比べ、を楽しんだ。

久しぶりの臥龍梅は美味しかったな。

そんなに遅くならずのお開きで、今朝の走りには影響なし、ってところだな。

ところで、記録的な寒波、というものがわが駿河の地では、何事もなく通り過ぎていったのか。

豪雪地方では、さまざまな難儀があったようだけど。

有り難いことだ。

Twitterには、アメリカのどこぞでの洪水なんて画像も流れていたな。

そうそう、夕べの三人は、ほぼほぼ、情報はテレビ・新聞らしく。

そんなお年頃だよね。

少し遅れてやってきた彼は、何回目かのワクチン接種を済ませてきたなんて言ってたな。

前回は未接種で入国不可だったジョコビッチが決勝へ、の全豪オープンは。

車椅子の部で、日本の16歳が決勝へ進み、惜しくも敗れたけれど、大したもんだな。

顔つきは16歳には見えなかった。

なんて朝、そろそろ明るくなってきた。

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奥さん、300歳ですよ!

2023年01月28日 | Weblog

なんて具合の、水瓶座での寿命の伸び、かもな。

こんな具合になったら、そりゃもう、大騒ぎ、ってなもんだな。

20歳やら30歳やらの平均寿命、なんて地方、部族、たしか、アフリカのどこかであったような。

そんなところでは、幼少期ってのは、いくつくらいまでなのか。

ということもあるし、大人になる、という概念は、とかね。

その10倍ということになると、ただ、だらしなく間伸びするだけなのか、あるいは、ウダウダした教育も間に合わず。

もう、自由にやってちょうだい、となるのか。

はともかく、人生観、死生観なんてものが、大きく変貌し。

いろいろな妄想が浮かんでくるわけだ。

としても、存在するのは、瞬間瞬間、ってのは、変わらずだろうな、とは思うけれど。

あるいは、暇に任せて、脳内へチップでも入れて、とかあるかね。

一挙に幾つかの瞬間を味わえる、とかのキャッチコピーとともに、とかさ。

それって、現代で言うと、精神分裂症と名付けられるか。

いや、統合失調症と名前が変わったんだったか、いずれ、そんな具合だな。

42.195キロのマラソンだと、タイムがどうとか誰それがこうだとか、だけど、1000キロだとなると。

どうだろうね。

早く走るのか、楽しく瞬間を味わいつつの走り、とかになるのか。

なんてことも、思い浮かぶな。

どちらにせよ、大きく価値観が変わることは間違いないね。

社会の構造なんてのも、そうだろうし。

ところで、免疫を上げる三つの方法、笑う、タバコを吸う、人の悪口を言う、というやつ。

これを伝えた時の、えっ、あなたがそういうの、という対応が面白くもあり。

ことに、最後の、人の悪口を言う、という部分ね。

ま、よりよく生きる、とか、善悪に几帳面になっている社会では、とか書き始めるとキリがないので。

to be continuedとしておきます。

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今朝は寝坊した。

2023年01月27日 | Weblog

というのが正確かどうか、なんだけど。

瞑想の時間がなくなって、そそくさと出勤、とあいなり。

だったな。

一年で片手で数えるくらいの顛末だ。

そんな朝なんだけど、相変わらずの汗だな。

昨夜は理事会の後、社員さんと三人で呑み。

そろそろ、そんなことも、少しずつの復活活動なんだろうけど、外食というのに慣れないな。

焼き鳥、唐揚げ、なんて選択肢で、若かりし頃は、そんな具合に年中飲み歩いていたんだよな、思い返せば。

ところが、ってわけだ。

意識高い系なんて揶揄されるような食の選択に様変わりし、だ。

とは言いつつ、そこまで、こだわっているんじゃないけれど。

深山の仙人みたいな食を、というか、暮らしぶりに妙に魅かれる今日この頃なあたし、って感じか。

そうだ、最近、time is moneyの洗脳からの脱出、だったか、そんなフレーズに出会い。

たしかに、物心ついた頃から、そんなこと、言われていたな。

商売始めたら、否が応でもそんな風情濃厚で。

なんて年月を経てみての今日。

そんなフレーズに心惹かれる自分がいるわけだ。

テキパキ感の問題点、なんて視点ということにもなるか。

思い出した。

今朝の表題は、「悲報です!」あるいは、悲しいお知らせです、と始めるつもりだったんだ。

魚座から水瓶座の時代に入りつつあり、これから2000年続く、というのね。

その時代には、否でも応でも、寿命が伸びる、って話。

100歳時代とふれまわられているけれど、300歳とか500歳とか、いや、もっとか。

武内宿禰が500歳だっけ、福井の小浜のなに比丘尼だったか、700歳とか。

過去にそんな方々もいらっしゃったわけで、信じる信じないはおいといても。

なので、100歳とかでオタオタしてる場合じゃないですよ、ってなもんだな。

長寿がいいのか夭逝がいいのか、はあるけれど、この世的な生と見えない世界での生と、なんてのが。

徐々に明らかにならざるを得ない、という気もしているけれど。

ま、そんなことで、今朝は二つのブログをアップした気分だな。

toshさんへのコメント返しの代わりとして、とかでもあるか。

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-3度だったプリウス

2023年01月26日 | Weblog

僕の中では、新記録タイだな。

しかし、フロントガラスは凍りついてなく。

湿度のせいか、風が吹いていたのか。

よくわかりません。

が、用意したペットボトルもお湯はそのままに、って朝だな。

朝早くからサイレンが鳴り響き、だったので、それ系の異変が起きていたのに対応してくれていたのかな。

まったく、僕らの知らないところで活動してくださっている御仁方に感謝だよね。

今回の寒波がらみでは、朝霧の知り合いの工場が、零下の19度、それ平常ですよ。

みたいなコメントやら。

八ヶ岳の住人は、零下15度、雪景色の中、雪見酒を洒落込み、とかね。

気象とか気候とか天気予報とか、言葉で言っちゃえば、簡単ではあるけれど、そこここで。

いろんなことが起こっているんだよね。

どこだったか、15時間、道路渋滞、通行止めにつき、社中で過ごす、とかさ。

僕ら、駿河国の住人からしたら、ほとんど未知のゾーン、日常だよな。

中国では、ー50何度だったか、で記録更新、とか、ちょっと前には、ロシアで−61度とかさ。

一度、−60度の冷凍庫に仕事の関係で入ったことあるけれど、息もそこそこ、絶え絶えに、みたいな。

5分だったか、15分だったか、それ毎に外へ一旦出て、とね。

ロシアでは、外へ一旦出る、って、どこへ行くんだ、ってなもんだな。

そりゃ、戦争やらせりゃ強いよね。

そんな不穏な、剣呑な天候の中、今朝も瞑想(エネルギーワーク)が気持ち良く。

世間では、何も起こっていない状態だった。

ハートとカラダのコラボレーション、だ。

それらは繋がっている、というのか、まさに一心同体ってなもんだな、きっと。

とすると、病というのは、気の病とも言えるな。

だから、孤独なんて言葉は、頭過剰、偏重の賜物でもあるな。

古来、文学作品に孤独をテーマにしたものが多いけれど、あれはあれで、ちょっと脇に置いて。

くらいの鑑賞態度が必要かもね。

ということで、今日も瞑想から始まったのでした。

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新記録ならずのプリウス

2023年01月25日 | Weblog

何日も前から記録史上の、とか、かつてない、とかの前置詞のある寒波。

やってきました。

ということなんだけど、残念ながら、は不適切表現になるのかも、か。

0度だったのが表題で。

マイナスの5度、なんて予報が出ていたんだけど、さすがのするがだ。

そんな朝は、当帰四逆加呉茱更生姜湯を温めていただいてきての、ケニア・チョロンギ。

静かな寒波到来予測の朝だ。

ところで、今朝の瞑想はなかなかの収穫があったもので。

ハートとカラダが繋がったような、そんな気分とでも表現しておくか。

ハートあたりの温かさとルートチャクラへまで至る連動、というのか。

言葉にするのはもったいないのかも、という感じです。

また、楽しみがひとつ増えた次第。

頭、言葉、概念などなどから遠い世界への旅立ち、と、カッコつけておこう。

なんて朝は、言葉を最小限にしておくとするか。

 

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ゴールドラッシュの日

2023年01月24日 | Weblog

だそうで。

いつものプリウスからの朝のご挨拶、ってなもんだな。

アメリカ大陸のことなのか、それとも、マヤ、インカの金銀を奪い尽くしたと言われるスペイン人の、か。

よく言われる笑い話が、結局、一番儲かったのは、金を掘りに行った人ではなく。

彼らにスコップを売った人、なんての。

それにしても、故郷の貧困由来なのか。

一族郎党を食わせるために、と一家の主人が遠い地までやってきたのかもね。

ある意味、死に物狂いでもあったわけだ。

そんな記念日、ってのも、なかなかに考えさせられる物種だな。

それぞれの物語を携えの遠洋航海も含め、異文化への突入。

物語といえば、昨日来社された御仁、いつものお茶会なんだけど。

自称75歳、人呼んで80歳の、で。

我が母親も、来月の8日で、95歳かな。

あたしももう80になっちゃって、が口癖だからね。

どうしても若い自分であり続けたい、なんて願望の表れか。

それにしても、100歳時代到来としたら、年寄り観とでもいうものの変更、変容、解釈し直しは大事かもね。

くだんの彼、働くということ、労働ということ、経営ということに侵食されている、とでも言えるか。

別に、食べて息して寝て、でいいじゃん、とも思うんだけど。

結局のところ、ないものねだりだよな。

侵食と書いたけど、洗脳とかある価値観に染まるとか、いろいろな解釈が成り立つな。

それこそ、ここらでもっと悪口を書いて免疫を上げるのも一手だ。

ところで、旧暦でいえば、今日までが三が日。

僕の中では、立春が初春の、って感じでもあり、もう少しだな。

新しい七十二候に切り替え、という時の流れを演出している次第。

ふきのはなさく、という第70候の最終日だ。

そこに書いてあるのが、かつて二十日正月というものがあって、正月の祝い納めで仕事を休む。

なんてのがあったらしい。

いいね、お祝いというものを納めるために、仕事を休む、なんての。

とにかく、仕事観、労働観、男女観、食観、何から何まで変わりつつあるような錯覚に襲われる中、でね。

もう一度、そもそも、人間ってのは、って視点も大事かもね。

昨日のお茶会での興味深い話は、またの機会に、って具合だな。

コメント (3)
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グジ・ウラガとはどのあたりだろう

2023年01月23日 | Weblog

なんてふと思った次第。

そう、今朝のモカの生産地なのか、ブランド名なのか、というわけだ。

うらが、と入れると、浦賀と変換されるので、ひょっとしたら、そんな繋がりも、なんてね。

昨日は焼津で駅伝があったそうで、颯爽とした姿をFacebookにアップした御仁がいらっしゃって。

くだんの彼とは夕方、zoom会議やるんだな、きっと。

キロ4分だって言うんだから、たまげたものだ。

というのも、こちらはこちらで昨日、久能海岸まで久々に走り、いつもの記録マニア。

でもないけれど、自らのタイムを記帳していたからね、なおさらにその違いが、ってことで。

と言いつつも、体内?脳内?に残る、いわゆる「資本主義」的なるもの、もっと早く、もっと遠くへ、もっとたくさん。

ってのからの解放、ってのを、トレーニングしている我が身なので。

足るを知る、知足っての、それとも、微妙に違うんだよな。

ついでに、免疫を上げる方法、ってのが三つある、と言う、なんとかいう海外の学者さんがいらっしゃるそうで。

一番が笑いね、腹の底からの笑い。

次が、笑っちゃうんだけど、というか、我が意を得たり、だけど、タバコを吸う、だって。

最後が、人の悪口を言う。

最後がなかなかに深いな、と思った次第で。

お為ごかしに、悪口を言っちゃいけません、とかのフレーズ、あるあるだよね。

しかし、そこじゃないんだな。

善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人においておや。

って、親鸞さんの言ったという言葉、そこにも通じるか。

無理しないでね、くらいかな。

いい人になるためのなんとかかんとか、なんてのから解放されなよ、か。

コロナコロナと3年が経過するんだけど、真逆のこと、やってる感、満載でしょ。

いい人、いい子になるための教則本、ってのが、巷に溢れ、だよね。

出川じゃないけど、やばいよやばいよ、だな。

ま、それも一つの物語でもあるから、どうぞご自由に、の世界でもあるんだけど。

夜明け前の巴川からの実況中継でした。

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知ることはいいことなのか

2023年01月22日 | Weblog

おもしろい話に出会って。

ある時代の、世界は、経済不況の中、ある料理屋さん、引きも切らずの繁盛で。

というのも、その親父さん、世界のことなんか、全く興味も関心もなく、だな。

自分の仕事に邁進していた、ということだ。

ところが、ひょんなことから、世界の、経済の状況を知ることになり、こりゃ大変だ。

と、仕入れを見直し、とか、いわゆるコスト削減みたいなこと、始めたのかな。

すると、お客さんの足も遠のき、やがて、潰れちゃったそうだ。

出来過ぎのきらいもあるけれど、そういうことなんです、ちゃんちゃん、ってね。

未来は自分の思い描いた通りになる、という証左だ、なんて話だ。

この物語をどのように捉えるかは、それぞれだよね。

私は知らないことを知っている、という有名な、誰だっけ、ソクラテスか、なんて言い回しもあるし。

知る、ってのは、なかなか厄介なものだな。

この3年間の自分を見ているようでもあり。

いわゆるパンデミックと呼ばれるものからの始まり始まり、ってなもんだ。

おおよその枠組みは、わかった気になっているけれど、その流れで、会社の中にも混乱がもたらされ。

だな。

細かい話は割愛するけれどね。

例えば、オリンピックやワールドカップやらが、一つの物語の中で構築されていたわけで。

それらの本質が、少しずつ、明らかになってきている。

そんな中で、未来をどのようにとらえるか、というとまた、わけわかんない話になっちゃうかな。

できることは、目の前に立ち現れるさまざまなことをただ、受け止め、受け入れる、と。

そうだ、わが走りに似ているな。

それは、オリンピック的なるものではなく、つまり、昨日より早く、誰よりも早く、ではなく。

もっと早く、もっと遠くへ、なんて具合ではなく、だ。

カラダとの対話、会話、共感、慈しみあいとでも。

何処かから借りてきたフレーズではなく、自分オリジナルな、ってわけだ。

ここらあたりの話については、to be continuedということで。

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