まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝はいろんな表題が浮かんできた。

2022年08月31日 | Weblog

僕のGoogleおじさん(toshさん)が、教えてくれた、カミキリムシ。

とか。

父親孝行の御仁が通り過ぎる。(車椅子を押して)

あとは。

180spmの女史の走りが力強くなってきた。

とかね。

3000キロ/年間の男子が柔らかい走りになった。

なんての、とか、あと一つ、ヘヴィーなの、あったんだけどね。

忘れた。

忘れたやつじゃないけど、ヒヨドリについてもあったな。

例えば、義経と柳田國男がヒヨドリで繋がった、なんての。

民俗学の泰斗と言われている柳田國男の幼少期。

祖母の家にあった祠を見ていたら、彼、次元を越えちゃったとでもいうのか、この世を通り越したあちら側の住人に。

なっちゃった、のか。

と、その時に、ヒヨドリが鳴いた。

で、こちら側に戻ってきたんだそうで。

義経の方は、鵯越の戦い、みたいなの、なかったっけ。

そんな具合です。

二、三日前か、駐車場に車を止め、わが御神木を背後に歩き始めた時に、空で鳴く鳥がいた。

見上げてもわからず、あれ、ヒヨドリだったのかもな、と今は思ったりしている。

今朝は、平日走りをやってみた。

とにかく、走った後が気持ちいいんだよね。

汗、ダクダク、で。

シャワーというのか、ベランダの菜園への水やり用の水で汗を流す。

でも、まだ、汗は止まらず、なんて具合で、この季節でなければ味わえないものだ。

さて、今日も今期の目標の深掘り、なんて書くとかっこいいけど、それ、やることになるのかな。

というわけで、本日、処暑・次候に出かけることにします。

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名前の知らない虫がやってきた。

2022年08月30日 | Weblog
 
 
背景はパソコンのモニターなんだけどね。
 
何日か前に、いきなり、まさに、異次元からやってきたように現れた。
 
しばらく眺めていると、二本の手?で、拍手のようなことを繰り返していたな。
 
いろいろと聞いてみたかったんだけど、言葉は喋らず、ただ、そこに佇む、という風情。
 
しかし、秋の気配だね。
 
涼しい風が吹き抜けていく。
 
そんな中、巴川の向こう岸を走り抜けていくランナー。
 
昭和20年の終戦の日は、もっと暑かったか、もう少し前だからな。
 
昨日も書いたけど、今は昭和20年に似ているのかもしれない、という考えに取り憑かれている。
 
そのうち、墨で塗られた教科書のようなものが出回るのか。
 
戦争中も僕らはずっとそう思っていたんだ、なんて言い出す御仁が現れるのか。
 
そうだ、あの頃、多くの人が戦争について、反省をしたらしい。
 
んだけど、小林秀雄は、なに言ってんだ、とそれに叛旗を翻した文章を書いていたようだ。
 
なんてこと、思い出すな。
 
スカートをモンペに履き替え、って姿は、そのうち、見ることができるかどうか。
 
西欧文明の象徴としてのスカート、モンペは、ヤマト文明とでも言えるか、列島の固有の文化文明、か。
 
明治の少し前、攘夷、つまり、毛唐のいうことなんか信じるな、という立場で、病死した。
 
ことになっているけれど、孝明天皇。
 
しかし、一説には、毒殺された、なんてのもある。
 
和魂洋才、なんて言葉、あったな。
 
頭のいいやつがいたものだ。
 
上手い表現だよね、ある意味では。
 
それよりもっと昔の話になるけれど、白村江の戦い、天智天皇の頃だったか、大敗したんだよね。
 
今から1500年くらい前になるのかな。
 
わが庵原からも、大量の船が送り出された、なんてこと、聞いたことがある。
 
朝鮮半島の白村江という港かね、そんなところでの海戦。
 
もし、SNSがあったなら、凄まじい情報戦でもあったか。
 
今のウクライナみたいな。
 
有る事無い事、吹聴合戦。
 
どのくらいの時差で、そのことを知ったのかね、その頃の人々は。
 
もっとも、そんなことは、何百年、という時差でなければ、明らかにならなかったのかもね。
 
ほんとのこと、しかもそれが、ネガティブなことならなおさら、言わないからね。
 
あの後、日本海側、九州や出雲やの辺りには、要塞が築かれた、んだよね。
 
あれなんていうんだっけ、防人か、彼らの歌に、残されているのかもな。
 
妻や子を置いて、私は戦地へ行きます、みたいなの。
 
涼しい朝に、昔々を振り返り、だ。
 
昨日は、母親のところへ、ちらし寿司持参で馳せ参じ、だったんだけど、結局、最後までわからずじまい。
 
警察を呼ぶぞ、とどやされながら帰ってきたよ。
 
さて、涼風の中を出かけるとするか。
 
 
※これ、昨日アップできてなかった。下書きに入っていた。
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体重が戻らないんだな、これが。

2022年08月28日 | Weblog

60キロあたりで行ったり来たり、なんだよね。

2キロくらい減量中、ということだ。

コロナ発熱以来、で。

あれやこれやと、探偵ホームズよろしく、詮索、探索しているわけだ。

一つには、コロナウイルスと呼ばれるものが、腸内に未だ潜伏中か、と。

京大の宮沢教授もそんなこと、ちらっとツイートしてたし。

だから、わが体内の戦いは未だ終わらず、ということになるね、その言説からすると。

もっとも、パンデミックに関しては、いろんな言説が、僕のタイムラインには流れてきていて。

ここで一つ一つ、取り上げようかと思ったんだけど、今流行りのBANというやつに引っかかるのめんどくさいかな。

なんてね、忖度おじさんを演じてもいるんだけど。

とはいえ、それらのメディア、というのか、SNSか、一私企業なんだし、どうぞ、お好きなように、ってなもんだ。

けれど、ヒットラーのゲッペルスじゃないけど、あれから、百年近くが経過し、そのスキルは。

半端じゃないんだろうな。

世論形成なんて4文字熟語にすると、なんだか、もっともらしいけれども。

だから、書を捨てよ、街に出よう、の寺山修司のフレーズが懐かしく思い出されもし、なんだな。

そこへ、この間の5分間の停電だ。

あれは昨日も書いたように、インパクトあったな。

ちょうど、スマホで何かを検索していたんだったか、Twitterだったか。

いきなり、画面が動かなくなり、を経験、体験したんだな。

慣れ、なんて言っちゃえば、簡単に片づいちゃいもするけれど。

そんなことも含め、研究開発している御仁方は、たくさんたくさんいらっしゃるんだろうな。

マーケティングなんてのも、似たようなものだしね。

ほんとに人間は頭がいいよ、アホなくらいに。

そんなこんなだけど、今って、終戦の日、昭和20年の8月15日か、そんな感じじゃないのかな。

戦前の教科書には、真っ黒く墨が塗られ、とかいうの。

あの日、皇居前広場で、人々はしめやかに玉音放送を聴き、中には、割腹自殺までした方もいたか。

なんて日、しかし、人々はたくましく、モンペをスカートに履き替え銀座を歩いた、なんて。

誰か、書いていたな。

そんなことが起きそうな気配濃厚だよね。

そのうち、スカートをモンペに履き替え、なんて姿が散見されるようになるのかもしれないな。

さて、今朝は、もう少ししたら雨がどこかへ行ってしまうので、走る予定です。

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たった5分の停電、そのインパクトたるや。

2022年08月27日 | Weblog

先おとといになるのか、夜に停電があった。

いきなり、家中の電源が落ち、暗くなった。

もちろん、wi-fiも使えず、だ。

一挙に、なに時代かな、明治か、江戸か。

曽祖母のおみなさんが、油がもったいないから寝らずよ、と言ったこと、それを孫たる母たちが聞いたこと。

そんなことを思い出した。

おみなさんは慶應の最後が生まれ年だった。

明治の女ならぬ江戸の女だ。

いまや、電気なかりせば、な時代になっちゃったわけだ。

どんな高邁な論説も、五年ののちの、ふむふむ、いいね、くらいの話だろうな。

Facebookでは、瞬時の、いいね、だ。

そりゃ、さまざまな反応が変わるよね。

記録的な暑さなのでエアコンはつけておきましょうね、なんて掛け声、あるけれど。

あれだって、人類史から見たら、つい最近の出来事だろうね。

とはいえ、そんな世界の中でいかに楽しむか、ってのが、テーマでもあり。

歴史にIFがないように、現在においても、そりゃ、ないわけで。

まさに、いまここ、ってことになるな。

今日は、そんなわけで、パソコンには向かわないつもりでいたけれど、気がついてみたら、こうしてブログを書いていた。

しかし、Excelおじさんもなかなかのものになってきたよ。

マスターした、というより、なにができてなにができないか、というのが、判断できるようになった。

とでも書いておくか。

それより、なにが欲しいのか、どんなデータが欲しいのか、それで、なにを示したいのか、というね。

そんな流れになってきて、頭使いすぎの二週間ばかりを過ごし。

そうだ、昨日、アロマの御仁がやってきて、ついでに、足裏のマッサージをしてくれた。

親指の付け根くらいが痛いので、そこ、どこにつながるの、と聞くと。

頭、使いすぎだそうで、こういうわけで、Excelおじさん、やっていたからね、と答えておいた。

さて、そんなこんなの、やっぱりパソコンの前にいるExcelおじさんなのでした。

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雨が降り出し止んだ。

2022年08月26日 | Weblog

って、まんまを書いてるだけの表題だけどな。

事実その通りで。

妻を事務所まで乗せてやってきて、そう、夕べ、雨が降り出し、娘のお迎えで帰ってきた。

ので、自転車が事務所に残されていたわけだ。

その道中、いつもすれ違う女性陣、お二人、案に違わず、勢いよく歩いていた。

その情景を松尾芭蕉が詠めば、日本の今を代表とするような風物詩に仕立てられ。

ひょっとしたら、小学校の教科書にも載せられるかも、なんて妄想だな。

そういえば、母親のお世話になっている施設の担当の方からお電話。

コロナも癒え、今は、ほぼ全員が感染を終わったので、面会、できます。

それに、食が細くなっている、というので、じゃ、大好物のお寿司か鰻を持って行きますよ。

と応じておいた。

食べて出して眠る、のデンでいけば、食、大事だからね、わっ、なにこれ、美味しそう、という感情の動き。

それも、大事だ。

いつだったか、キハダマグロ、その時の河岸の市での、いつものお店の大将は、キワダマグロ、と書いてあったけど。

生です、これはいいよ、というので、長男坊におみやとして、赤身の好きな孫娘にやって、と。

しかし、そのキワダ、あまりの美味しさに、父たる長男坊が、ほぼ食べてしまった、なんて話もあったな。

それでいいんです、感情と忖度を比較したら、感情が勝っちゃいます、ってことだ。

今朝のわがレストランには、20羽くらいいるか、スズメくんたちの群れだ。

その上、防音壁のてっぺんには、ヒヨドリがなにやら様子見。

ぼちぼち、みかんがやってくるか、なんて感じなのか。

おっ、ヒヨドリがスズメくんたちの群れに入りつつ、やっぱり、いつものみかん置き場、というか、小さな枝へ。

なんて平和な光景を眺めながらの本日は、朝からスケジュールがいっぱいだな。

 

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今朝はヒヨドリが鳴いていた。

2022年08月25日 | Weblog

おや、いつもと違う鳴き声だな、と思って見上げたら、室外機の防音壁の上にいた。

ヒヨドリだ。

僕の中では、わかった、そのうち、みかん、置いとくからね。

なんて、勝手に浮かんできた。

ヒヨドリも季節の変わり目を敏感に感じているのかね。

というか、人間ほど鈍感じゃないよ、ってなもんだな。

しかし、自民党も大騒動だね。

だけじゃなく、それに関わる経済界も、ということで。

この先、どないなりますやら、なんだけど、そういったまわりで起こっていることは、実のところ。

自分が生きる、ということにはあんまり関係ない、というか、まったく関係なく。

どんな物語の主人公でいるかどうか、ってだけで。

解釈次第、あるいは、自由意志を持った主人公は、あるがままに、なすがままに、この時代を生きる。

みたいな絵柄なんだろうな、と思う。

昔、桜田淳子は、ピンクのうんちするのかね、と真剣に聞いてきた、ヤンチャ少年がいたけれど。

そんなことで、幻想を振りまかれ、その虜になり、その素材で幻想としての物語を紡ぐ。

なんてことのまんまの姿を体験したことを思い出すな。

そんな幻想、妄想の中で、彼、喧嘩したり、あたくれたり、だったのかもな。

もっとも、当方だって、似たようなもので、社会は、世界はこんな具合にできている、というイデオロギーめいたもの。

その虜になってもいたわけだ。

現在で言えば、「パンデミック」現象、壺売りと政治の云々、とかね。

そんなことを素材にして物語が組み上げられ、あたかも、それしかないというような気分になり。

だな。

そんな朝にヒヨドリの来訪、なんていい感じだね。

ところで、Excelおじさんを気取ってパソコンの前にいる時間が長くなっているんだけど、そんな朝方。

そんなことで新しい領域、事業を発見できるかね、というような、お告げのような、御触れのようなものが訪れ。

たしかに、事件は現場で起こっているんだからね。

ということも少し思い出しつつ、の日にしてみようかな。

いずれにしても、わがカラダとそれに付随するココロとそれらを取り巻くエネルギーとのランデブーだ。

さて、始めるとするか。

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エアコンのスイッチが入った。

2022年08月24日 | Weblog

音を立て始めた室外機の傍では、スズメくんたちと鳩だ。

出社後も、エアコンなしの生活、というのか、僕の部屋はエアコンなし状態、と言ったほうがいいか。

開け放たれた窓からの風が心地よく、夏の間中、こんな感じで。

表題は、社員さんがやってきての話だ。

そんな昭和のおじさんを気取っている朝、ブラウニーさんのモカ。

新しく仕入れた地域からのらしく、マスターの推奨品。

たしかに、これはいける。

甘味の中から届けられる苦味、ってのは、なかなか洒落た味だ。

という具合に、わがコロナ後遺症は終戦を迎えた風情。

コロナといえば、長渕剛の動画がSNS上に流れてきたな、たいしたことなかった、と。

彼も陽性反応だったんだろうね。

もう三年にもなんなんとするコロナ狂騒曲の一端だな。

いや、しかし、世情は動きに動いている感じだ。

そんな中、当方のExcel狂騒曲も相変わらず続いている。

教則本は3冊、机の上にあるからね。

わが師匠だ。

ふっとやってくる、あの瞬間がなんとも楽しくて、だな。

わけわかんない関数なんかが、そうか、そういうことか、なんて瞬間、あるいは、寝ている時。

歩いてる時に、やってくる、あれ、なんだろうね、あ、そういうことか、とか。

あれ、こんなこともできそうだな、なんての。

別に、誰との比較でもなく、うれしい楽しい瞬間、ね。

というわけで、処暑の「綿柎開(わたのはなしべひらく」の第二日を始めるとするか。

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走る道を変えてみた。

2022年08月23日 | Weblog

たまたま、赤信号になったのでUターンして、巴川沿いの道を走ってみた。

ひょっとしたら、カワウくんと出会えるかな、という淡い期待とともに。

残念ながら叶わず、だったな。

ついでに、今朝は、骨ストレッチをお休みした。

ルーティンに流され、日常というやつに流され、いつの間にか、時間ってものに追われる日々の住人。

なんてことから抜け出さんと、なんて書くといかにも大仰だよね。

昨日は、月曜の定例珈琲ミーティングがあり、やがて80の大台に乗るだろう御仁も訪れ。

自由でない、問題ありありの日常について語っていたので。

ちょっと前までは、全然問題ない、が口癖だったんだけど。

それで、ルーティンからの遁走ってのが、浮かんだわけだ。

だんだん、少年から離れていくと、A=B+C、現在(ー)=未来<過去。

みたいな発想から抜け出られず、ぐるぐるとまわり、かつ。

そこへ、不安や不如意や不足という味付けをしがちで。

あの頃はよかったな、という例のパターンだな。

こちらはこちらで、笑みを浮かべ聴きながら、だったけどね。

嫌、というんでもなく、オーオー、ハマってるね、老いとか呼ばれている思考経路に、くらいだった。

もっとも、上記の数式も、多くの場面で見受けられるものかもしれず、それが大人、なんてね。

これから大変かもな、そこに嵌まり込んでいる標準体だとしたら。

なにせ、デクラス、秘密解除、勝手に隠し事が明かされてくる可能性がありそうだし。

というか、勝手に気が付かざるを得ない、とでも言っておくか。

そんな時代に、何が大事かといえば、そう、いつもの通り道を変えてみる、とまさに、わが朝の道程だ。

なんて勝手に思っている。

だって、この世はミラクル、不思議で満ち溢れているからね。

その不思議さをどう受け取るかは、面々のおんはからいなり、ってわけだ。

めんどくさいのか、辛いのか、悔しいのか、切ないのか、それぞれの咀嚼、消化活動はあるにしても。

さて、今日もExcelおじさんを気取るとするか。

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年間の3000キロはすごい距離だな。

2022年08月22日 | Weblog

と、今朝も窓辺から見かけたランナー。

くだんの御仁、今年は3000キロ走る、とお正月に意気込んでいたからね。

なんてこと、思い浮かべながら見送っていた。

たしか、その時の話で、いつもは犬の散歩をしていて、だった。

その犬が死んでしまって、とね。

人それぞれの物語を抱えながらの日々だな。

身近な知り合いで、毎朝、10キロくらい歩いている御仁もいらっしゃり。

すごいものだね、まるで毎日が狩猟生活への回帰みたいなものだ。

ところで、トルコの古代遺跡、ギョベクリ・テペ、130世紀前だってね。

それが今、遅々という感じで掘り起こされているのか。

どうやら、人類の文明史も書き換えられるかも、というわけだ。

そりゃ、遅遅ともなるよな。

いろんなところで生計を立ててきた人士方からすれば、めんどくさい話でもありね。

今まで勉強してきたことは、一体、なんだったんだ、ってなもんだ。

こんなサイトがTwitterのタイムラインを流れてきた。

一万三千年というと、そのちょっと前、1万五千年前に、鹿児島の、火山が噴火して埋もれた、だったかな。

上野原縄文遺跡なんてところへ、わが社の社員さんの実家を訪ねたときに寄ったな。

途方もない話で、ふむふむと聞きおいた、なんてことがあった。

このように、これこそはと信じられていた「歴史」、「正史」というものが、実はですね、と塗り替えられる、というね。

まるで、加川良の歌みたいなものだな、これこそはと信じられるものがこの世にあるだろうか、っての。

ま、そんな具合に、信じていたものが、いや待てよ、みたいなこと、これから、多くなるかも、というのが。

魚座から水瓶座への、信じる時代から知る時代への、変わりようです、というのが星占いの弁だね。

さて、そんなわけで、当方も信じていたことから知ることへの一日に踏み出すとしますか。

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またしても繰言の朝になりそうだな。

2022年08月21日 | Weblog

毎度おなじみのわがiMac。

昨日、Appleからメールが届き、現在、おなたのお求めへの対応はできかねます、みたいなものだった。

早い話が、iMacのロックの解除はできませんよー、ってことだ。

おいおい、あれでもダメだったのか、ってなもんだ。

購入店での証明書を郵送していただき、それにシリアル番号を記入し、写メ。

明日、アップルサポートにもう一度、電話してみるか。

いい加減、飽きてきたけれどね。

むしろ、iMacそのものを盗人に持ってかれ、盗難届でも出す、ということであれば、諦めもつくんだけど。

目の前に、立派な、しかも、わが白内障上がりの折りたたみ式レンズ、遠近両用の入った目にとっての。

この画面は、なかなか、捨て難く、お世話にもなっているんだけど。

果たして、この顛末はどんな具合に展開していくのか、興味深くもあり、だな。

おかげさまで、MacとWindowsの両刀使いになりつつある、ってことだ。

もっとも、最近チラホラそこここで目にし耳にするように、書を捨てて街を出よう、じゃないけど、SNSを捨てて。

自然に帰ろう、ってメッセージかもしれず、だな。

情報過多なんていうけれど、その情報を取り入れているのは、意識無意識問わず、当方の仕儀でもあるんだからね。

もっとも、昔の世捨て人、修験者、修行者みたいに、深山に篭れば、それはそれで、なんだか、逃げちゃってるようだし。

過多と呼ばれる情報なるものへの距離感、立ち位置などなどの話でもあり。

今朝は、カワラヒワはやってこないな。

さて、本日も、データベース界隈に身を置く午前中とするか。

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