まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

大向こうを唸らせる

2023年02月28日 | Weblog

多くの人にお集まりいただきありがとうございます。

なんてフレーズもあるよね。

このブログにやってきていただく方々も、小学校のふたクラスかさんクラスくらいか。

気にならないふりをしながらも気になりもし。

片や、村上龍だったかな、俺の小説を100万人の人が読むなんて理解できない。

とかね。

ミュージシャンなんかでも、聴衆の期待に応えられる曲ができずに自ら死を選ぶ。

なんてのもあったりするね。

名画家として祭り上げられているゴッホなんかも、生前は絵が売れず、貧乏暮らしだった、とか。

株なんかの世界も、美人投票という言い方、あるしね。

みんなが美人という人を選ぶ、自分が美人だということではなく、と。

マスクやらワクチンやら距離を取るやら消毒するやらも、似ていなくもないな。

社会の常識です的な。

常識ってのは、美人投票みたいなものでもあり、おおかたの人たちが良い良い、と言っている、ってね。

だから、社会がうまく回る、ってわけだ。

商売もそうで、お前が良いってのは、俺には良くない、とかさ。

だから、売れない、売上が立たない、あたしならこんなマーケッティング、しまっせ、みたいな。

人士も商売になるわけだ。

今朝は大きめのみかんをヒヨドリとメジロのために進ぜた。

なんて書くと、神様に、みたいだけど、ある意味、彼らは神でもあり。

それぞれがそれぞれの神を崇め、奉り、人生という時間を過ごしていく。

このところ、年齢の近い人が身近で亡くなったせいか、そうか、俺も死ぬんだな、って当たり前のことが。

思い浮かんでくることがあり。

死そのものは、不浄でもなくおそれでもなく、でもあるんだけど。

もっとも、当方、120歳を設定しているから、とお茶を濁してもいて。

もっとも、死そのものは美人投票ではないから、ど現実、って事になるな。

死についてもそのうち、書きたい気分でもあるな。

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今朝はなんか気がのらない、アップ。

2023年02月27日 | Weblog

ということで、アリバイ的にアップ、としておくか。

なんて気分で始まったブログです。

キーボードに触れる指先から、何らかの信号が脳内に送られ、何事かがやって来るのかもしれない。

けれど。

そう、村上春樹が100キロを走った時の文章を読んだ。

75キロ過ぎから、どうも、瞑想状態みたいな感じだったらしく。

興味が湧いてきもし。

その中で、意識なんてものはたいしたもんではない、というのがあったな。

そこ、うまく書き表せないけれど、自分なりには、ふむふむと納得しそうになっていた。

さて、次なるルーティンへ向かうか。

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226記念日と律儀にプリウスが言った。

2023年02月26日 | Weblog

たしか、雪じゃなかったかな。

映画で見る景色だと。

昭和の初めの2月26日。

昭和維新とか言っていたか。

噺家の柳家小さん、花緑のおじいちゃんだよね、彼も参加していたそうで。

志願兵ではなく徴兵かな。

古今亭志ん生は、靴だって生涯、何回履いたのか、だったそうだから、どこぞで酒でも飲んでいたんだろうな。

方や、小さんは、きっちりと制服に身を包み、もちろん靴は履き、緊張感の中、その場にいた、というわけだ。

そのまま、戦争気分、状態に突入していったんだろうね。

今でも、SNS上では、勇ましい言説を垂れ流す御仁方は数多、だろうけど。

勇ましいこと言うやつは、だいたい、現場には行かず、って感じでもあるな。

事件は現場で起こっているにもかかわらず、だ。

もっとも、戦争は、どこで起こっているかと言えば、だいたい、メディアと呼ばれるものの中で、だよね。

あの頃もさぞや、新聞やラジオが勇ましく、音楽から変えちゃって、なんてことは想像に容易だな。

今もそんなに変わってはいないけど。

信長が暗殺された後、秀吉が天下を取ったんだけど、あれ。

暗殺現場界隈へ、新聞記者みたいな、何ていうのか、戦場ジャーナリスト、今で言えば。

そんな人を派遣して、明智光秀が信長を倒し云々、とわかりやすい物語を仕立て上げた。

なんて話もあるよな。

たしか、明智の残党、というか、何十代か後の末裔が、本を書いてたな。

武力というより、共同幻想を作り出してしまったものの勝ち、って具合だ。

なんて事書いている間に、外は明るくなった。

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ボールペンの滑りがいい朝。

2023年02月24日 | Weblog

春の足音を、今朝は、表題のような感じで受け取り。

なめらかに、なんだよね。

今朝の珈琲は、コロンビア、サン アグスティン。

その名前の日付の後に書き込み、の時、おやってな感じがね、春だった。

第5候は、霞始靆(かすみはじめてたなびく)となっている。

昨日あたり、掛川の帰りの富士山は、はっきりくっきりと雪景色だったけれど、これが。

春だね、暖かいね、なんてころには、霞がかかったような景色となる。

のだろうけど、そんな移り変わりを眺めながら、我が身の処し方に仮託して。

なにごとかの象徴だな、なんて言い方にもなるんだろうな。

今朝のアロマオイルは、eucalyputus radiata、ユーカリだ。

オーストラリア南東部に固有の樹種だそうで、さぞかし、アボロジニの人たちも古来から親しんでいたのかも。

なんてことを思いつつ、だ。

口からは南米のコロンビア、鼻からはオーストラリア、まったく、古代の王侯貴族すら味わえなかった朝だな。

目の前には、iMacというバーチャルな空間への扉もあるし。

アボリジニに思いが飛んだけど、彼ら曰くの、ドリームタイム、ってのが気になっていて。

キリスト教世界では、神の国と言っているようなものらしいけど。

もともと、人間ってのが、多次元世界に生きている、というのがデフォで。

だから、そのことをOK!わかった!と言っちゃえばいいだけの話でもあり。

すると、目の前の出来事が別の相貌となってやってくる。

んだろうね。

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今朝もヒヨドリがやってきたな。

2023年02月23日 | Weblog

という間に、どこかへ飛び立っていった。

わからないね、相変わらず。

どんなことが彼らのところにやってきて、そうやって行動をしているんだろうな。

なんてね。

これが、まだ若かりし頃なら、毎日毎日、もっと丹念に眺め、観察記録し、ひとかどの研究者にでもなるのか。

ヒヨドリ観察に限らず、そこここに、そんな御仁方はいらっしゃり、有名無名問わず。

昨夜は久しぶりに長男坊との呑み。

あれやこれやで盛り上がり、しかし、そんなに遅くならずに、の帰宅。

ベランダを眺めると、スズメたちが大挙しての来訪で。

朝まだきの餌やりもやる気が出ようってもんだな。

こんなこと書いてると、昔読んだ、名前も忘れた、ヨーロッパのどこかの保養所の光景が浮かんできたな。

老人ホームみたいなところだったか。

サナトリウムかな。

ぼんやり、のんびり、ゆったりと景色を眺めている人たち。

ヨーロッパの没落、なんてこと言われていた頃だったか。

彼らも、この朝のような光景を眺めていたのかな、なんてね。

現在でも、さまざまなことが起こり続け、ある人の起こったこととまた、別の人には違うことが起こっている。

当たり前だけどね。

それらをどう受け止め、解釈し、なんてことね。

どうも今日は、これ以上、飛んでかないな。

 

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走ることについて語るとき僕の語ること

2023年02月22日 | Weblog

これ、村上春樹の書名。

彼、ずっと走ってきたんだよね。

今はどうなのか、この本は、2005年から書き始められている。

走ることって、一般的には、苦しい、とか、きつい、とか。

そこを乗り越え立派な、みたいな言種あるでしょ。

根性とか気力とか克己とか。

表層的に見れば、彼、つまり、村上春樹はそんな感じに受け取れていて。

買ったはいいけど、ほったらかし状態だったんだ。

ところが、なんかの拍子に手にしたら。

Pain is inevitable. Suffering is optional.「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」

なんておしゃれな、というか、僕自身もそんなこと、考えていたんだ。

というのは正確でなく、今、こりゃダメだ、と歩き出すのは、カラダがダメなのか、気持ちがダメなのか。

なんてことね。

なので、ビンゴといえばビンゴなフレーズで。

会社経営に限らず、どこにでも転がっているような、心のうちと外との関係、なんて言えば。

何事かを語ってる、ってわけだけど。

なんにせよ、目に入るものすべて我が師なり、って宮本武蔵の、例の言葉、あるでしょ。

というわけで、この本、読んでみようかな、という気分になっているのです。

さらに、歳をとるのは誰にしても人生初の体験、なんてフレーズもあったな。

さすがの売れっ子小説家、だなと思った次第。

当たり前といえば当たり前だけど。

僕のまわりのシニア方が、なんか、年取り病みたいなのに罹患しているような気配で。

それは、つまり、齢を重ねる事は、pain なのか、suffering なのか、とね。

俺ももうこんな歳になっちゃって、なんて台詞、そりゃ、世間智、人生智なのかもしれないけれど。

例えば、3歳の幼子が、あたしもまだこんな歳なんで、とか言うかね、ってなもんだな。

なんてことはともかく、出会いの新鮮さ、神仙さに、気分を良くしているのであります。

 

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いいねぇ!とつぶやく

2023年02月21日 | Weblog

朝まだきの時間に。

というのが、第一声といったところだ。

さまざまな事柄が起きているのだけど、もちろん、世間的には、会社的には。

いいこともよくないことも、とね。

しかし、だ。

表題をつぶやくわけだ。

ところで、YouTubeのCEOが突然、辞任、とか言い出したね。

メタもそう、Twitterも買収され、あとどこだっけ、トヨタか。

とにかく、トップの交代劇が続く。

世界では、ただならぬことが起こっているような気配濃厚だ。

いずれ、それらのことは、わが邦にも及ぶのかもしれないな。

って、既に及んでいるか。

現在の政権与党も大丈夫?ってなもんで。

既存のさまざまなことが、パンデミックをきっかけに、そもそもなんだっけ、ってところに目を向けざるを得ない。

というような状況だよね。

ホリエモンも言説を大きくチェンジしたみたいなこと、流れていたしな。

そんな朝は、土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)という第4候だ。

大地が暖かい春の雨にぬれてうるおい目覚める頃、と説明文がある。

ベランダには、新顔かな。

ヒヨドリにしては少し太ってるし、むくどりにしては嘴の色が違っているような。

平和な風情を醸し出し、とこちらは受け取っている光景だけど、彼らにとっては。

ひょっとしたら、新しい猟場なのかも知れず、人それぞれ、鳥それぞれ、ってわけだ。

と見る間に、いつものヒヨドリがみかんに食いついている。

スズメたちも大挙しての訪れ、の前は、先着者たちが一斉に飛び立ち、なんてこともあり。

実況中継してたらキリがないな。

 

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喜びの輪が池に落ちた小石の奏でるような

2023年02月20日 | Weblog

まるで音楽のように、だ。

おじおば会、復活宣言により、ということで。

おばに話したら、あるいは、妹に話したら、表題のごとく。

同心円に拡がっていく。

それの応用編が、人生そのものでもあるんだよね。

仕事もそうだ。

time is money ではない、喜びの連鎖だ。

そこんとこ、テストに出してくれるといいんだけど、しかも、減点主義じゃなく、成績も廊下に張り出さず、だな。

スポーツなどの、例えばオリンピックのような競技、ってのが、デフォになったのはいつの頃からなのか。

2000年くらいかね。

その前の地球では、競う、ということがあったのかどうなのか。

知らぬ間に洗脳されてしまっているという可能性もありそうだ。

そんな朝は、エチオピアからのモカ、イルガチェフ。

これ、気に入っているんだよね、と言っても、飲み比べなんかで出されてもわからないだろうけど。

たぶんに、頭で飲んでる気配もあるんだよな。

頭といえば、母音。

日本語人という話ね。

この列島に住む日本人、というより、日本語で育った人=日本語人、ということだそうで。

白人でも黒人でも、と。

母音を左脳、つまり、言語で受け取り、理解する、というわけだ。

日本語人以外は、母音は右脳、抽象的な、ぼやけた世界に投げ込むそうで。

なので、虫の音、川のせせらぎなど、雑音として、あるいは、ないものとして受け取る、とか。

ちょっと、まだ、初心者なのでうまく説明できないな。

いずれにしても、左脳で、情緒的な母音の響きを受容する、ってのは、ディベートには向かず。

一方、そんな音は右脳でこなし、左脳には、論理的な、怜悧な言葉のみ、とすると、世界は。

論理で組み立てられることになるわけだ。

この辺り、わかりやすいよな、世界はロジック、だと。

ネオコンみたいな話だな。

 

 

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雨と風の強い音が聞こえる。

2023年02月19日 | Weblog

春一番なんてフレーズも聞こえてくるそんな朝。

グアテマラは、ウナプ ブルボン。

夕べは、隣家の従兄弟がやってきての軽い呑み。

過去に遡り、あれやこれやのよもやま話の共有、って感じかな。

おじおば会を復活させようか、という勢いになり、だった。

二年以上になるのか、諸事情ゆえに遅れていたハリアーの納車も来月、ということなんで。

それで行こうか、ってなもんだな。

時間ってのは、無限にあるだろうけど、もう時間がない、というようなおばたちだから。

ってわけだ。

彼女たちの中に眠る思い出は、宝物でもあり、それらが繋がれていくということでもあり。

なんて話で盛り上がった次第。

過去を蘇らせる。

とでも言っておくか。

それを起点に、現在が彩られ、未来へ繋がっていく。

とか、括ることもできるかな。

春一番かという雨の中、今朝もやっぱり、鳥たちが訪れる。

彼らの時間の流れをなんとかこちらも享受したいという思いに駆られもし。

日本野鳥の会の初代会長の中西梧桐さんの境地に至りたいものだ、なんて密かに思いを巡らし。

彼、街を歩いていると肩に小鳥が乗ってくる、なんて御仁なんだそうで。

自然そのものの人間、ってのを表現していたんだよね。

スズメたちが一斉に飛び去り、すぐにまた、三々五々来訪し、餌を啄む。

見飽きない光景だ。

ことに今朝は、ごった返している感じだ。

彼らも春一番の気配を感じ、体現しているのかもな。

 

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どうも書名が微妙に違っていた。

2023年02月18日 | Weblog

この間、買った本。

「日本人の脳」というはずだったが、「日本語人の脳」というものだった。

同じ著者ではあるけれど。

出版の前後関係、前記のものが最初の頃のようだな。

ま、いいか。

目次を見て、興味のあるところから読んでいく、って感じ。

なので、いまだにこなれてません、って具合だ。

静かな朝。

このところ、そんな朝が続いている感じだな。

それと、今年は、何だか時の経つのが早いような気がする。

この先はわかりませんが。

昨日、足ツボマッサージをアロマとともにやっていただいて。

うまいものだな。

この間までは、事務局の仕事をしていたのに、どこでどうやって覚えたのか。

霜焼けは完治に近く、なんだけど、足の冷たさは相変わらずで、末端の毛細血管にまで血液の回りが悪いのか。

これまた、テーマ発生、ってんもんだな。

なんてうちに、春がやってきて、小川の水の温む、なんてことになると忘れちゃうかな。

いずれにしても、何らかのメッセージを授けてくれているわけで、それへの素直な応答は必要だ。

 

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