まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

雨上がりの朝

2021年04月30日 | Weblog

空は澄んだ青。

なんて書くと、ここまではお約束の、みたいな感じでもあるけれど。

なにせ、このところ、言換え、概念を切替え、なんてことに挑戦しているので。

なんだけど、亀井勝一郎も、そんなことに、つまり、言い古された言葉に取り込まれていたな、と感じた瞬間がね。

あったようで。

「おくのほそ道」という講談社文庫があって、松尾芭蕉の句をそれにちなんだ地で回想、感想を書く。

なんていう企画の中で、佐渡を担当。

佐渡といえば、荒波や佐渡に横たふ天の川、って有名な句となるんだけど。

彼、それに囚われていて、佐渡といえば、荒涼たる夜の海なんてことが思い浮かび、そのはずだ、みたいなね。

もっとも、あらゆるところで、そんなことはあるわけで、区分けしたり名付けたり帰属を決めたり。

それで安心する、ってことに慣れ、もともとはなんだっけ、ってなもんだ。

支配する、なんてのも、不安やおそれからでもあるかね。

この、概念や名前を後生大事に、というのはそれはそれで悪くはないけど、時には、あれ、って考え直してみるのも。

これまた一興で。

ところで、今日から第18候、牡丹華く(ぼたんはなさく)とあるんだけど、深見草ともいうらしいね。

それはともかく、牡丹といえば、わが祖母、おすえさんの逸話。

牡丹が咲いて、雨だったか雪だったかが降ったので、落花しないように傘をさしていた、と。

この季節だと、流石に雪ではないね。

その話を聞いたのは、わが母親からで、その彼女も90歳を超え、施設に入所中、コロナ禍で。

面会もできず、ということなんだな。

なので、恒例のおじおば会も開くことができず、去年から季節の移り変わりを車中での。

昭和一桁世代の言葉とともに愛でることもままならず、だ。

さて、流れない巴川の上空は澄んだ青、そんな今日に出かけるとするか。

 

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雨の朝、川下に流れる巴川に、心、落ち着く。

2021年04月29日 | Weblog

当たり前と言えば当たり前だけど、川は川下に流れる、ってのは。

ところが、めでたいことに、というのか、ある気づきを知らせてくれるために、というのか。

わが巴川は、通常の朝は、満潮と重なるのか、川上に流れているんだよね。

なので、他所では日常の光景が、非日常となる、なんてちょっと哲学的な話になっちゃうわけだ。

逆に流れると、流石に、そこに同時に流れるエネルギーも、流れに棹ささない状態なので。

実のところ、くぐもった、滞った、逡巡した、そんな感じでもあるんだな、あえて言えば。

教訓めかしてこの光景を眺めれば、その他の出来事も、ほとんど似たようなものかも、というね。

流れに身を任せず、俺が、私が、僕が、身共が、という具合に、リキを入れ、肩肘を張り、だな。

そんな情景は、そこかしこ、なのかもしれず、俯瞰した、神の如き、宇宙からの視点では、ね。

また今、巴川を眺めやったら同じく、で、いい感じだな。

のだから、本日は、巴川からのメッセージをいただくとするか。

こんなブログ書きを平安時代の、例えば、源氏物語の誰だっけ、与謝野晶子じゃなく、清少納言でもなく。

円地文子でもないか、紫式部だ、彼女はどんな具合に眺めるかね。

なんの益もないものを、とは言わないだろうな、少なくとも。

人々の営為が、資本主義社会に取り込まれる前だからね。

ひょっとしたら、あんた、お腹いっぱいなんだね、とかの感想はあるかもな。

食べ物を探したり、耕したりしなくてもいいの?なんてね、あたしは、これこの通り、下男が持ってきてくれるけど。

とかさ。

今朝は、わがiMacのOSが新調なったので、つまり、アップグレードだっけ、いや、なんてったっけ。

ま、とにかく、新しいバージョンになったので、アップル用語を使うと、最適化するのに少々時間がかかり。

なかなか、文章を打てなかった、なんて事件もあったりしたので、ここまでくるのが長かったのです。

というわけで、雨の巴川を眺めながら、終了いたします。

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朝顔が一輪咲いていた。

2021年04月28日 | Weblog

ちょっと気が早いよな、と思いつつ、眺めていた朝。

そんな季節が近づいているのか、なんて事もね。

ありきたりだけど、季節は巡るんだよね。

今週と来週に、有給をとった、なんていう御仁は、15連休くらいになっちゃうんだよね。

しかし、働く、という概念ができたのはいつ頃からだろうね。

ワークライフバランスとかハーモニーとか、ワークとライフが、二つに分けられ出したのは。

生きてあることがすべて、という時期もあったのかも。

進化、なんて言葉あるけど、どちらが進化したのか、ってのは、危うい話でもあるね。

そもそも、原始の時代、ってのが、今と比べて劣っていたという心情は、アスナロの世界なのかな。

明日はなろう、ヒノキになろう、って翌檜の木が言うんでしょ、がんばれがんばれ、ってなもんだ。

そして、今に至るので、さて、明日に向かって駆け出そう、って仕儀。

想念、幻想、妄想、想像の世界に突入なんだけど、70億個の世界があるんだ、とも言えるよね。

まさに、パラレルなワールドを、おたがい、似たような心持ちで生きているんだな。

だから、どこかで統一された「社会」とか「世界」とか「価値」とか、なんとかかんとかの言葉を駆使し。

ほらごらん、杉作、あれが素晴らしい未来なんだ、by 鞍馬天狗のおじさん、って流れだな。

ところで、現在時、6時半なので、起床後、2時間強、お昼までには、8時間がすぎるわけだ。

本日の労働時間、終了、ってなもんだ。

その後の時間は、まるで余生のような、って優雅な、典雅な時間とするのも、一興だな。

もっとも、誰だ、労働時間を8時間、一週40時間なんて決めたのは、ということにもなるけれど。

決まり事ができることで、一つのイデオロギーが出来上がり、そのベクトルに合わせて多くの命が走り出す。

というデキだね。

ベクトルに合わないと、やれ、発達障害だの、パニック障害だの、後なんとかかんとか、ってわけだ。

だって、みんなで力を合わせて生きていくには約束事が必要でしょ、というイデオロギー。

なんてわけわかんない言葉を放出して、本日のブログ、終了です。

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2700年前に姿を消したユダヤ人が日本人にそっくり。

2021年04月27日 | Weblog

なんて記事を見かけた。

インド北東部のブネイ・メナシュというところに6000人くらい住んでいるらしい。

ブネイは子どもたちという意味で、メナシュは、失われた10支族の一部族の名前。

あんまり詳しくないけれど、イスラエルの失われた10支族というのは、よく聞く話でもあるね。

これらの民が、忽然と姿を消し、そこからひょっとしたら日本列島へ来たんじゃないの?、ってなもんだ。

だから、日ユ同祖論なんてのが喧伝された時もあったそうで、たしか、ある御仁のオタクで。

その方のおじいさんかどなたかが、戦時中に論文を書いたのを見せていただいたことがあった。

内容、忘れましたが。

いつだったかも触れたけれど、ある時、イスラエル大使が伊勢の修養館を訪れた時、彼。

イスラエルからやってきたんですね、ここに、と館長、石川さんだったか、いや違うか。

に、話しかけたので、くだんの館長、やってきたということは道を知っていたことで。

元々、こちらからイスラエルへ行ったんでしょ、と嘯いた、なんて逸話を聞かされたことがあったな。

竹内文書じゃないけれど、日本列島から世界へ五色人が散っていった、ってわけだ。

そう、昔々その昔、人間の顔は五色に分かれていて、なんて話もあるんだよね、知らないけど。

ま、そんなわけで、2700年前に消えた10支族、というネタに飛びついたのでした。

歴史もそうだし、現に起こりつつある事もそうだし、結果、それぞれの優位な物語が生き残り。

世を席巻する、とでも言っておきますか。

もっとも、各人各様の個の物語も、そんなもので、たくさん流れていく日々の出来事から何を選択し。

何を捨て去り、って事だな。

捨て去ったものが、実はとても大事な事だったのかも、なんて言い出すと、これまた厄介な話にもなるね。

でも、すべてのことは滞りなく記憶されているそうだから、いつかどこかで、そんなことにも遭遇するのでしょう。

と、これまた、ひとまず、言っておくとするか。

まるで、同時並行宇宙、パラレルワールド、ってやつが現実味を帯びてくるみたいな感じでもあるね。

 

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素晴らしい朝が来た、希望の朝だ。

2021年04月26日 | Weblog

なんて歌、中学生の頃、歌わなかったかな、というか、歌わされたのか。

というようなフレーズが湧いてくるほどに、今朝の景色は素晴らしく。

思わず、人知れず声に出していた。

どうしたんだい、ってなもんだ。

は、ともかく、素晴らしいことは間違いなく、巴川沿いを歩く人たちの姿も輝いて見えるから不思議だ。

それぞれのフォームで歩いている方々、それぞれの物語を携え、なんだろうね、って、当たり前か。

その一節に、今朝の歩きが加えられ、どこかでご披露申し上げ、なんてこともありつつ。

というわけだ。

昨日は、午後から葬儀があり、マスク越しの読経を味わった、というのか、堪能した、というのか。

マスクなかりせば、という思いも湧きつつの浄土宗だ。

法然さんの開祖になる、続いての親鸞さんが、浄土真宗、ってことになるのか。

あの時代の、新興の宗教だったんだろうね。

仕事に貴賤はない、なんて今ではありふれた言い方だけれど、そんなフレーズが存在していることが。

貴賤の存在証明でもあり、あの頃、ある人々は、極楽へも行けない、なんてことだったんだな。

死後の世界さえ縛られる、って。

そこへ登場したのが、法然であり、親鸞であり、というわけだ。

社会的な身分やなんやは関係なく、南無阿弥陀仏さえ唱えれば、極楽浄土へ行ける、というの。

善人だっていけるんだから、いわんや悪人においておや、って強烈な言葉を発してもいて。

しかも、信じる信じないは、面々の御はからいなり、とさえ言い放った。

こうして眺めると痛快な言葉だな。

現代に親鸞さんが現れたら、そう言い放つかもな、ガイドラインや忖度や同調圧力や、なんてことに対して。

OK、OK!面々の御はからいでOK!終わり、ってな感じで。

さて、巴川も下流に流れ下りが始まったことだし、わが方も流れのままに行くとしますか。

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走ってきた後のブログ書き

2021年04月25日 | Weblog

というなら、コスタリカのアキアレス、という珈琲タイム。

の方が、おしゃれだな。

タバコに似合いの地からやってきてくれた豆。

彼の地では、どんな生産方法なのか、フェアトレードは成り立っているのか。

子どもたちは過重労働に苛まれていないのか、なんて話になるのも、夕べテレビから流れてきていた。

池上彰さんのSDGs、ってやつで。

こんなこと書くと、だけど、胡散臭くてさ、あの標語、というのか、提示の仕方、というのか。

ま、大人気ないか、世間の大きな潮に向かって物言うなんて、ってことか。

ところで、このところの「短編小説フェチ」の世界での出来事だけど。

井伏鱒二、ね。

彼の短編集の後書きを、亀井勝一郎が書いていて。

いい文章だな、と思った次第、中学の教科書かなんかに出てきていたか。

どんな具合にいいのか、とここに書き表すことができないくらいにいい、とでも言っておくか。

松尾芭蕉の文章も引用されていて、小説家の、物書きの心のうちを書いていた。

「政治と文学」なんていうテーマの華やかなりし頃だったのか。

世間に通用する、つまり、有用な人間に憧れつつ、無用な人間に成り果てた物書き、なんて具合。

くだんのSDGsなんてのも、有用な人間になりなさい、という見えないメッセージだろうな。

もっとも、有用って何?なんて問いも成り立つけれど。

そうそう、短編小説フェチなんてのの源には、世界は物語で成り立っている、なんて事があって。

それぞれがそれぞれの物語を携え、解釈し、だけど、時として「大きな物語」を押し付けられてしまう。

知らぬ間に、ね。

なんて仕組みだな。

クワバラクワバラだ。

青くなって逃げ出しなさい、って歌ったのは、誰だっけ、加川良?岡林信康?忘れたな。

ということだ。

そんなこんなで、今日の日曜日は、この後、入社希望の方との面接。

新しい出会い、というわけだ。

日に新たに日々に新たにまた日に新たなり、ってことになるね。

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消費から内面の喜びへ

2021年04月24日 | Weblog

今朝の表題は、マドモアゼル・愛さんの動画より、だけど。

たしかに、一言で書くと、こんな感じかな。

当たり前と言えば当たり前だけど、経済まわす環境にいると、すべてのものが、経済経済。

商売商売ということになって。

いつの間にか、肝心なことを忘れてしまう、って寸法なんだよね。

とはいえ、今日のメシ、食わなきゃでしょ、ってなもんだ。

と書きつつ、金なくても生きていける、というのが、今のところ、究極の真理、なんて自分のノートに書いてあった。

その瞬間、ある瞬間に、訪れた言葉だったんだけどね。

こんな具合に、いわく言いがたく、矛盾の中に送る人生、とも言えるか。

this is the 人生!か。

ある会社さんの総会があって、そこでの幹部さんの挨拶の中に、親しいお医者さんがおりまして。

と始まったのがあって、今回の流行病は、風邪のちょっと強いやつ、なんておっしゃっていた。

というものだった。

なかなか、公の席でのそうした言葉を、聞いた事がなかったので、記憶に残っている。

のだけれど。

多くの方々が、大きな分断というのか、公益性とか社会性とかの言葉に取り込まれつつの。

日々の生活、その一方で、ひょっとしたら、重篤な流行り病かも、という生命そのものへの怖れ、なんてのも。

ありつつの、だな。

だって、年老いた親族にうつしちゃったら、というわけだ。

このあたりの話は難しいな、このブログでは。

今度、ぜひ、クローズな席で、チャンちゃん、ってことだな。

というわけで、いい日和の土曜日、今日も走るか。

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中国と米国、どちらがいいんだろう?

2021年04月23日 | Weblog

なんて問いかけがやってきた朝。

自由の国と共産の、強権国、なんて絵柄で語られるけれど。

その実、どうなんだろうね。

なにせ、言い方の上手な方が、あるいは、軍事も含めた力のある方が、事実認定させるのは。

有利というのか、そんな世界だもんね。

中国で10何年か学生生活も含め暮らしてきたという女史が身近にいらっしゃるんだけど。

聞くところによると、日本への帰国後、経営者仲間なんかへの会話では。

彼らの誤解を融くことに忙殺された、なんてことだったな。

つまり、ガチガチに作り上げられた国家像、それに合わせるような、その国の人々への印象を。

真逆なものに訂正作業、みたいなの、ね。

とか、朝鮮半島の38度線近くで、1年弱学生生活を送った、という女史がわが社にいるんだけど。

彼女も、なんとか人とか民族が、とかではなく、私を一人の人間として厚遇してくれたこと、話していたな。

なんて話もありで、もっとも、それぞれがそれぞれの情報源からの仕入れ、ってことだから。

方や、米国では、乱暴者で非礼なトランプが負けてバイデンが大統領になってよかったね、胸を撫で下ろしたよ、とかね。

なんたって自由の国だから、というわけだ。

一次情報、二次情報、三次情報、まちまちの中、さらに、強烈なドライブのかかった、イデオロギー的な。

意匠をまとった解釈合戦、ってことになるんだろうな。

とここまでは前振りで、知らなければ存在しない、ということなんで、知らされない、知ることのできない。

幸せ、なんて表現も成り立つな。

だって、知らないんだもん、ってわけだ。

しかし、逆流する巴川からの風、とても気持ちのいい風を受けながらの話題じゃなさそうだな。

それにしても、この季節、素敵だね。

不幸を演じているそこの人、この季節の住人になっちゃいなよ、なんて声をかけたくなっちゃうね。

そうだ、昨日、ある会社さんへお邪魔したら、そこがまた、環境のいいところで。

清水の北の方、うぐいすが鳴き始めで、がんばれ!若造!なんて一声かけたくなっちゃうようなもので。

とそのうち、ツバメの舞が見えたり、高いところでは、トンビがくるりとかどうか輪を描いた、なんてね。

いいところだったな。

このところ、何回か、その辺りの、早生甘夏、と書かれた柑橘をいただいているのであります。

みずみずしくて美味い。

ビタミンC、取りまくりだよ。

これで、日に当たれば、今度はビタミンDが算出され、自己免疫力向上運動に寄与すること、間違いなし。

ってなもんだ。

というわけで、川風に吹かれての今日を始めます。

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どのくらいになるんだろう、瞑想。

2021年04月22日 | Weblog

ふと、今朝は、そんなことが思い浮かび。

このブログが、日記のように、事細かく書かれていれば、検索かければほらこの通り、ってなもんだけど。

その都度の、都合、不都合ないまぜになったトピックの選択、ってことでもあるんで。

にしても、今朝の空も空気も気持ちがいい。

思わず、声に出してしまったんだ。

昨日も、それこそ、転がる石のように生きた。

今日もそんな具合になるんだろうな。

ところで、ご近所のトンカツ屋さんの女将さんが、仕事中に急逝されたそうで。

知らなかった。

のだけれど、以て瞑すべし、と言うしかないか。

見事な死に様、なんて表現もありだ。

経営者と職人の死に顔はいいんです、と言ったのは、安岡正篤さんだったな、たしか。

もと新左翼の若者が、ある時に、右翼の大物、思想的な後ろ盾のかの御仁の本にいたく感銘を受け。

なんて時代もあったな、by プチ自分史。

陽明学とか、なにしろ、20代そこそこで老師と呼ばれたくらいの方だから。

その安岡さんも晩年は、ちょっと大変だったみたいな話を、ある編集者の御仁から聞いたことがあったな。

詳しいことは省きますが。

その彼のお宅へ一度、泊めていただいた事があった、東京のどこだったか、忘れたけれど。

今頃どこの空で生きているのか、なんてね。

あの頃、全然普通に灰皿が出てきたな。

何があったのか、今では、喫煙✖️みたいな世相なんだな。

匂い嫌い、汚い、副流煙は健康に害が、ってわけだ。

喫煙率なんてのは、どのくらいの数値なのか、よくJT、日本たばこ産業、だっけ、やっていけてるな。

と他人事ながら心配でもあるね。

そう、瞑想だ。

つくづく、いい出会いだったと思うんだよね。

何はなくともなんとか茶漬け、ならぬ、瞑想、ってなもんだ。

外で起こっていることと内で起こっていること、とでも言い出すと、キリない話になっちゃうか。

さて、それはさておいて、今日を生きるとするか。

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有為転変と転がる石のように

2021年04月21日 | Weblog

ローリングストーン。

似たようなこと、みんな、言ってるんだね。

そりゃそうだ、その通りなんだから。

身を委す、委ねる、なんて話、あるからね。

流れのままに、エゴに主導させないで、と。

その場、その時に身を委ね、なすがまま、あるがまま、ってやつだ。

それじゃ、努力も、頑張ることもしないの、なんてツッコミ入りそうだけど。

そうです、しません、ってわけだ。

それは、単に、こちらの勝手な都合で、努力、という衣装を纏い、頑張る、という。

なんだろう、これも、衣装、小林秀雄は、意匠と書いたね。

「さまざまな意匠」という文章で、戦争終わったばかりの頃の、文学賞で二等賞をもらったんだった。

一等賞が、日本共産党の不転向の闘志、と名付けられる宮本顕治だ。

懐かしい語感だね、転向、なんて。

わがiMacの変換ワードでは、少々の時間がかかったよ。

それだけ、現在では、似合わない、流通していない、使われない言葉、って事になるな。

と書いてきて、努力とか頑張るを「意匠」としちゃったら、当のご本人は、気分悪くしちゃいそうだな。

それは、もっと高尚な、インテリっぽい言葉使いなんだけどな、なんてね。

これまた、なんとか思想もかくかくしかじかのイデオロギーも、似たようなものだ、努力、なんてのと。

そもそも、天才は努力も頑張りもしないんだ。

すべての人は天才です、という前提で、ね。

夢中、とかさ。

子どもたちが、ゲームにのめり込んで、ご飯ですよー!の言葉さえ耳に入らない状態、って。

そこだな。

だから、坂本龍馬は、例えば、ドブの中で死ぬ時も前のめりで死んでいく、なんてフレーズが。

人の口に膾炙しまくるわけだ。

人生そのものに夢中になる、と。

死んでることも生きてることも知らず、遠くで見たら、生命を寿いでいる、楽しんでいる、ってなもんだ。

俺、今、生きてるなー、って実感するんだ、なんて言い方もあるけど、あれも、なんだなー、って感じで。

すでにそこでは、評論家になっちゃってるんだな、過ぎてしまった瞬間の思いを言葉に繋ぎ止め、なんてね。

今朝は、二日連続のコロンビアのメサデサントス。

をいただきながらの、人生模様の実況中継といったところです。

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