おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

意外に知らない

2015-03-24 14:06:56 | 福島

 図書館で借りて来た日本国憲法の本を読んでいる。ようやく69条、半分を超えたところだ。

 憲法と言えば真っ先に思い浮かぶのは、聖徳太子の「憲法17条」だ。これは奈良時代の前の時代とあって、学校でも結構早い時期に習う。第1条が有名な「和をもって尊しとなす」というのは、かなりの人が言えるのではないだろうか。

 それに引き替え、日本国憲法を少しでも齧っている人はどのくらいいるだろう。日本の学校で習う歴史の授業は、なぜかいつも縄文時代から始まるので、学生時代に現代史までたどり着いた覚えがない。いつも三学期の終わり頃に全力で駆け抜けて行くのである。

 憲法17条が頭にあるので、日本国憲法もそれに毛が生えたくらいだと思っていた。しょっちゅう話題に上る憲法9条というのがあるので、日本国憲法も20条くらいかと思えば、なんと全部で補則まで入れて103条まであるではないか。知らなかった。

 第1条は言われると思い当たる。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」

 憲法改正と言えば、必ずといっていいほど憲法9条の戦争の放棄をうたった一項が問題になるが、実は103条もある憲法の中には、すでに時代にそぐわなくなったもの、制定当時は想定になかった時代遅れもはなはだしいものがある。

 例えば、犯罪の加害者の人権を守る条項はあるが、被害者や被害者家族の人権を守る条項はない。公衆衛生には触れているが、環境問題にはまったく触れられていない。政治家の失言も国会内なら許されるといった、国会での発言が即時お茶の間に知れ渡るようになった今のようなネット社会では考えられない条項もある。

 憲法について改憲派か護憲派か、というような取り上げ方は、実はずいぶんと間抜けな言い方だ。日本国憲法はすぐにでも書き直さなければ運用とのギャップがひどくなるばかりというところまで来ている。

 が、護憲派の人たちが恐れるのは、どこかひとつでも憲法をいじれば、カニの穴から水が漏れるがごとく、虎の子の憲法9条までいじられるんじゃないかということだ。それゆえ、なにがなんでも護憲だと言う。改憲はすなわち改悪だと言う。

 今は憲法9条の問題はとりあえず横に置いておいてでも、ほかの憲法を逐一点検する必要がある。

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