おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

アルハラに注意を向ける

2024-04-04 12:13:21 | 日記
 近所付き合いを円滑にするためには行政に頼っているわけにはいかない。そこで地区で活動することになるのだが、今年はその会計を引き受けることになってしまった。実際に何かお世話をするという役目ではないから、いわゆる世話役ではないが、大体僕はこの「世話役」という言葉が気に入らない。自分たちのことは自分たちでやればいいだけで、自分では何もしたくないから「世話役」を立てて、いろいろ押しつけてやれという感じがするからだ。

 大分から福島に引っ越して10年を超えたが、その間コロナの流行もあり、自分の住んでいる地区でどんな活動が行われているのかよくわからない。昔の収支決算書や領収書や通帳に記帳されている事柄から、いつ頃にどんなことが行われているのかを推察するしかない。

 で、細かく見てみると、住民から徴収した区費の中から、飲食代が結構な金額で使われていることがわかる。集まりがあるたびにペットボトルのお茶を出し、お菓子を出し、年に数回は親睦会があってアルコールも出す。区費が高い高いと文句も出るが、区費を払ってお茶をもらったり、ビールを飲んだりしているということに注意は向けられない。お茶が飲みたければ自分で用意し、ビールが飲みたければ飲みたい人が用意をすればいいだけなのだが、出ないとなると必ず文句を言う人が出てくるのが面倒なことである。

 セクハラやパワハラという言葉が当たり前に聞かれるようになったのは、そう昔のことではない。昭和の時代では、女子社員はコピーを取ってお茶を入れるのが仕事だというふうに扱われていたし、女性に対してスケベな下心を持って接するのもスキンシップだくらいの感覚だった。が、男と同等の仕事をしようと入社する女性が増えて来ると、途端にパワハラ、セクハラは訴えられる時代に突入する。その変化を理解できないために、いまだに勘違いな言動や行動を、「何か悪いことをしたのか」と開き直る。

 アルコールに関しても、昭和の時代は飲酒運転でさえお祭りと盆暮は警察からも大目に見られていた。が、飲酒運転による重大事故が増えると、飲酒運転は徹底的に検挙されるようになった。

 厚生労働省は現在「場の盛り上がりや上下関係による心理的な飲酒の強要『アルハラ』がある場合が多く、注意が必要です」と警告する。2003年の全国調査によると、このような「アルハラ」を受けた成人は3000万人にも達しており、そのうち1400万人はその後の生き方や考え方に影響があったと回答しているという。こうなって来ると、いつまでも飲み会が親睦を深めるため、というような動機付けは通用しなくなる。

 実際、アルコールの売り上げは右肩下がりだし、若い人たちは「飲めない」「飲まない」人が増加しているらしい。自分の趣味やライフスタイルを大切にするようになると、グダグダとどうでもいいような話をする酔っぱらいの相手に、長時間にわたって付き合うのは苦痛でしかないだろう。時間の無駄だし、精神的にも健康にも良くない。こうなって来ると、パワハラで会社や役所を辞めなくてはならないように、飲酒を伴う懇親会も「アルハラ」として訴えられる時代はすぐ目の前に迫っているようだ。

 無理やり先輩や上司に日付が変わるまで付き合い、翌日は最悪の気分で出勤していた時代を知る僕からすれば、当たり前と思っていたことがいかに時代遅れかを思わざるを得ない。何がセクハラかわからないオッサンにならないようにするのと同様、アルハラオヤジにならないよう気を付けていなければならない。
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