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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

竹林意見書③

2016-04-03 10:34:25 | 裁判

引き続き③を掲載します。

5.府教委回答・発言の概括

 前節で表にまとめた1989年~2014年の各種交渉・会議等での府教委回答・発言を概括してみよう。なお、前節表の中では「日の丸・君が代」問題に関連した多岐にわたる事項に言及されているが、ここでは本意見書の趣旨上、「日の丸・君が代」に関する教委・校長の「指示・指導」が「職務命令」に相当するものかそうでないのか、なじむのかなじまないのか、またはじめに「処分」ありきなのかどうか、などの観点から府教委の姿勢がどう変遷しているのかをまとめたい。

 

【①1989年~1999年】

 この時期の府教委の対応はほぼ首尾一貫している。

・「粘り強く現場の理解を得られるよう指導する」(90・3・20)

・「ねばりづよく理解を求めるが、国旗が揚がらなかったといってそれだけで処分するものではない」(91・2・13)

・「『国旗掲揚・国歌斉唱』通知は昨年と同じスタンスであり、校長へのお願いである」「事前に指導はしない。結果として実施されない場合は、やむを得ない」(ともに96・2・13)

・「『日の丸・君が代』について一律一斉に実施してもらうことについては留保している」(97・12・18)

・「指導要領に基づいて実施するよう粘り強く理解を求めていく」(99・2・10)

 つまり、学習指導要領に基づいて「指導」はするけど、あくまで「お願い」(府教委から校長への「お願い」であるとともに校長から教職員への「指導」もまた「お願い」に過ぎない)しています、それでいいですよ、と言っているわけである。「強制にはなじまない」とはっきり明言しているし、強制の手段としての職務命令には全く言及していない。また、「日の丸・君が代」をセットで指導しているにしても、当時の焦点はあくまで「日の丸」掲揚の方であったこともわかる。「君が代」斉唱など当時は議論にもならなかったのである。

 

【②1999年~2008年】

 前項の①期で引用したように、1999年2月10日の交渉でも府教委は「指導要領に基づいて実施するよう粘り強く理解を求めていく」と回答している。しかし、この回答の2週間あまり後に広島県立世羅高校の校長が「日の丸・君が代」強制を契機として自死を強いられたできごとが全国報道されるにつれ、その死の責任を教職員組合にのみ転嫁する当時の政権党幹部の一面的な発言によって実施率の低かった大阪や沖縄などにさらに圧力が加えられていった。

 校長自死のおよそ1か月後に府教委は28市町村教委担当者(3月23日)や府立学校未実施校校長(3月24日)を呼び出して実施率を上げるよう尻を叩いている。そして、同じ年に「国旗国歌法」が強行制定され、それを受けて府教委もこれまでより一段と踏み込んだ指導を強めるようになっていった。

 しかし、府教委発言を注意深く精査すると、踏み込んでいく程度が強まったとはいえ、法的根拠や法的位置づけをこれまでと別の内容に変更したという事実はない。

 ・「方針に変化はない。学習指導要領に基づいて国旗・国歌を実施してほしいという強い

思いはあり、お願いしている」(00・2・21)

 ・「最終決定は校長が行なう」(01・2・14)

 ・「職務命令にはなじまない。この問題は服務上の問題ではなく指導上の問題である」

(04・2・10)

 ・「現時点で職務命令の必要性を感じない」(05・2・1)

 ・「良心の自由を保障する」「校長が一方的にするのも好ましくない」(06・2・22)

 ・「校長への指導内容は例年通りで、踏み込んだ点はない」「式の形態については指導も

関与もしていない」(07・2・6)

 ・「従来のスタンスを変えるものではない」(08・2・15)

 このような回答・発言をたどる限り、この時期の府教委の主張は、「日の丸・君が代」実施はあくまで学習指導要領に指導の根拠を置き、指導の中身は「実施をお願いする」というものであり、「職務命令にはなじまない」という認識を一貫して維持しているということが理解できる。ちなみに、2005年2月18日の交渉での府教委との確認事項については、現在に至るまで府教委から組合に撤回を申し入れてきた事実は存在していない。

 ところで、組合執行部に長年携わっていると、府教委の姿勢にも「表」と「裏」があることを思い知らされるときがままある。この時期、府教委が一方で組合に対して上述のような回答を維持しつつ、他方である種の<悪意>の滲んだ指導を開始し始めたことも、この時期の特徴である。

 早い時点では、2000年4月3日の府立学校臨時校長会で「役割分担を果たさないなど混乱が予想される場合には職務命令を出すよう」という指示を出している。また、2005年1月5日の府立学校臨時校長会でも「万やむをえない場合、新しい取り組みの可能性としての職務命令」に言及している。さらに、2001年度の卒業式においては教育合同東豊中高校分会の組合員に対し懲戒処分(「戒告」)が出されている。

 私も、当時、それぞれのできごとに対し激しく抗議をした。今でも怒りを感じている。しかし、そうであってもこの時期の「強い指導」は、まだ「お願い」「職務命令にはなじまない」という原則を前提としたうえでのものであった。職務命令にも言及するようになってきたが、しかしまだそれはいくつかの限定条件(「混乱が予想される場合」「万やむをえない場合」など)を付けたものであり、一律的・網羅的な職務命令の発出などは想定されていない。交渉での府教委の口頭説明によれば、その場合というのは、校長による繰り返しの粘り強い指導を前提として、さらにその事態を校長が府教委に相談してきた場合などの例外的ケース、というようなものであった。

 換言すれば、まだしも校長と教職員とが「日の丸・君が代」問題をともに教育上の課題のひとつとして語ることができた時代の「指導」であった。しかし、他の都道府県の動向ばかり気にしている府教委と、インターネットを媒介として当時すでに暴走しつつあった市民社会内部の右派言説からの圧力との間で、多くの校長や地教委が苦悩していたことは想像できる。

 付言すると、この時期の「日の丸・君が代」問題の焦点は、「日の丸」掲揚から「君が代」実施の方に比重が移ってきていた。とはいえ、まだ「君が代」を卒業式の中で実施するのかどうかそれ自体が焦点であり、「起立・斉唱」の具体的行為の評価などはまだ焦点化されていなかった。

 

【③2008年~現在】

 この時期は、①期、②期とは様相を大きく異にする。少しずつ徐々に反動化しつつあった府教委の百八十度の転轍を決定的にしたのが、2008年の橋下徹府知事の誕生である。

 2008年2月6日に橋下知事が就任すると、早速府教委事務局の組合窓口担当責任者(教職員企画課企画グループ課長補佐)の組合に対する姿勢が次第に高圧的になり、日常的関係の中でも齟齬が生じる事態が発生するようになってきた。2008年夏に組合が解雇問題で労組法適用組合員による合法ストライキを決行したこと、一部自治体での教職員(および生徒)による「君が代」不起立が大きくマスコミ報道されそれを受けて民間右翼による攻撃が強まってきたことなどの当時の動きもあったのか、2009年2月の交渉を最後に府教委は交渉拒否に転じた。その後、2010年~2013年の間ずっと拒否されたままであった。

しかし、この交渉拒否という点においてはその後事態は動いた。2014年には具体的事案についての「話し合い」という形で変則的に開催された。これには前年2013年11月7日に大阪府労委で大阪市君が代起立条例団交拒否事件について、組合が勝利命令をかちとったことの影響も考えられる。そのことは、さらに1年後の2014年10月30日、同事件について中労委からも組合側勝利命令が出されるや、本年2015年2月26日に府・府教委は組合との「日の丸・君が代」交渉に応じることに同意したことにも表れている。ただ、今後も「日の丸・君が代」問題での安定的な交渉開催が展望できるかどうかは不透明な部分もある。しかも、2014年・2015年の交渉は、組合側は「交渉」と表現するが府・府教委側は「説明の場」と位置付けているということをわざわざ事前折衝で確認を取り交わすという段取りを経てようやく実現したものである。また、2016年になってからは、この件での団体交渉はまだ実施されていない。一方、この問題についての対応とは別に、府・府教委は教育合同との労働条件・教育条件に関わる定期交渉や臨時職員・講師の雇用継続に関わる団体交渉などは最近まで拒否したままであったが、2015年3月に最高裁で組合側勝利の決定が出されたのを受け、ついに本年2016年1月に府・府教委は組合に謝罪文を手交して定期交渉、講師雇用継続要求団交が開始されることとなった。2月~3月にわたって2度の定期交渉が開催された。その定期交渉の要求事項の中には「日の丸・君が代」に関する項目もある。

 にもかかわらず、「日の丸・君が代」の指導については、頑なにその後も「はじめに職務命令ありき」の姿を隠そうとせず、実施が危ぶまれそうな校長を個別に府教委に呼び出し、完全実施を押し通そうとしている。

 この姿勢転換の背景に労働組合敵視を公言し戦後民主主義の理念に臆面もなく疑義を呈する橋下新知事の存在があることはだれの目にも明らかであり、現に2008年には府教委教職員企画課の組合窓口担当責任者も交代して、新任担当責任者はこの問題に限らずさまざまな課題の交渉においてあからさまに高圧的姿勢を見せるようになってきたのは前述のとおりである。府教委官僚がまさに「小アイヒマン」と化しつつあったのである。

 そして、府議会での議員質問を契機に2011年6月13日「君が代」起立条例を強行施行させた。それにとどまらず、橋下知事は府教育委員の入れ替えや教育全般のドラスティックな変質(その本質は教育分野における新自由主義と市場原理の貫徹である)をめざした「教育基本条例」、そのための職員支配を目的とする「職員基本条例」などを次々と成立・施行させていったのである。

 そしてまさにこの時期に、本意見書の発端となる辻谷博子さんへの「処分」の理由となった職務命令の根拠とされる「君が代」演奏時の起立・斉唱を強制する「教育長通達」(一般に行政の内部文書において「通達」は「通知」よりも一段と拘束力の強いものとされている)が2012年1月17日に発出されたのである。また、2013年9月4日には「入学式及び卒業式等における国歌斉唱の対応について」通知(いわゆる「口元チェック」通知)が発出されている。

 ところで、先の「君が代」起立条例の半年後には橋下知事は大阪市長選挙に出馬して当選し大阪市長に就任した(2011年12月19日)が、後任の松井一郎知事も橋下前知事と何ら変わることのない姿勢を続けている。

 このように2008年以降の大阪では、「日の丸・君が代」問題に端的に表れているが、けっしてそれだけにとどまらず大阪の教育のさまざまな分野で、それまで大切にされていた「人権」「反差別」「平等」などの概念が放擲され、競争と成績至上原理が席巻するようになっていったのである。

 ここまでの経過から明白になってくるのは、辻谷博子さんに対する処分も含めて、橋下知事登場以降の「処分」行政は何ら法的根拠を有していないという点である。憲法と教育基本法を前提にする限り、「日の丸・君が代」問題について行政が踏み込むことができる許容範囲は①期、②期の指導までである。2008年以前の府教委はその点に自覚があったから「指導」の趣旨はあくまで「お願い」であり、「職務命令ありき」「処分ありき」ではなく「粘り強い指導」を心がけていたのである。

 ところが、2008年に橋下知事が登場して以降、憲法・教育基本法に抵触している「君が代」起立条例、職員基本条例などを無理やり成立させ(言うまでもないが、条例は憲法・法律よりも下位法規である)、そのような条例<のみ>を法的根拠としておし進めている処分に道理であろうはずがない。

 

6.まとめ

 「日の丸・君が代」に関わる府教委の指導はこの時期の方があの時期よりもましだった、もしくはひどくなった――というようなものの言い方は、実は私や組合にとっては本意ではない。私たちは、そもそも、「日の丸・君が代」それ自体が憲法違反の存在であり、侵略と植民地支配の象徴であると考えている。だから、こんなものが学校行事の中で実施されること自体が思想・良心の自由の侵害であり、憲法違反である。起立を、斉唱を権力的に強制されていなかったらそれでいいのか――そんなはずはない。公的な空間にそれらが登場すること自体の問題性を私たちは問いたい。

 しかし、本意見書としては、あくまで、辻谷処分発令が、大阪の第2次世界大戦以後の一貫した教育の普遍的なあり方に根拠があるのではなく、ある一時期(2008年以降)の特定の首長と政治勢力によって引き起こされた政治的喧噪の産物である憲法違反の疑義を持つ条例のみを根拠としているものに過ぎない、という点を明らかにしてきた。

 その証拠に、第5節③で触れているように、2014年~15年になって、府・府教委は再び組合の交渉申し入れを無視できなくなってきている。それが理由のすべてとは断言できないにしても、背景に、府・府教委(および、同じ維新の会首長である橋下大阪市長のもとでの市・市教委)による交渉拒否が裁判所・労働委によってことごとく断罪されてきている事実があることは想像に難くない。このことからも、2008年以降の橋下・維新体制による「日の丸・君が代」交渉拒否や教育現場での「日の丸・君が代」強制の強化が、憲法や地方公務員法、労働組合法、教育基本法などに違反した異常な行政のありようであると主張する。

 したがって、府教委との交渉の窓口にあたり府教委の対応の変遷を如実に知っている者として、また、大阪の教育現場で長年生徒との卒業式を体験してきた者として、辻谷博子さんへの懲戒処分の不当性を訴え、その取り消しと賠償請求が実現されるよう求めたい。

 

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