日本が民主主義の国である以上、問われるのは私たち市民の責任だ。そう、民主主義は手間がかかるものなのだ。私たち市民が手を抜けば絶大な権力を持った政治家たちはいつ刃物を振り回すかわからない。それに歯止めをかけるのが憲法であるわけだが、どんなにいい道具も使わなければ意味がない。おおいに憲法を使おう!
毎日新聞より
http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20131211ddm041010049000c.html
特定秘密保護法に言いたい:「待ち」ではなく積極関与を−−ドキュメンタリー映画監督・想田和弘さん
◇想田和弘さん(43)
民主主義は国民一人一人に権力があるが、選挙で選んだ政権に間接的に預けることで機能する。預けた権力は絶大で刃物を持たせるのと同じだ。
自民党は昨年、人権の制約や言論の自由の制限を盛り込んだ憲法改正草案を発表したが、社会はさほど驚くこともなく、衆院選、参院選で大勝させた。参院選では有権者の半数近くが棄権して政権を育てた。
選挙で秘密保護法制定を公約に掲げなかったが、自民党は国民から無言の承認を得たとみた。今の事態は私たちが招いたことを忘れてはならない。
反対する人たちもマスコミも危機感が乏しく、出足が遅かった。野球で言えば、九回裏に10点差を付けられていることに気づいて慌てた。一方、自民党は試合前から態勢を整えていた。
秘密保護法は「知る権利」や表現の自由を奪い、憲法21条に反していると私は思っている。今や民主主義は首の皮一枚という状態だが、幸運なことにまだ日本国憲法は残っている。
選挙だけが民主主義の参加の機会ではない。憲法12条は自由や権利を保持するために国民に「不断の努力」を求めている。違憲訴訟を起こすことも、デモに行くことも、秘密保護法の下にできる「政令」のパブリックコメント(意見募集)でもの申すこともできる。
民主主義の主人公である国民はヒーローを待っていてはだめだ。一人一人が街に落ちているゴミを拾ううちに、拾う人がいっぱいになれば街はきれいになる。【聞き手・青島顕】=随時掲載