レイバーネットHPからの転載です。
●根津公子の都教委傍聴記(2017年1月26日)
パブリックコメントでしか発言できない教職員
公開議題は、「学校職員の定数に関する条例の一部を改正する条例の立案以来について」の議案と、2つの報告「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子に対する意見等について」「来年度教育庁所管事業予算・職員定数等について」)。非公開議案が教員の懲戒処分等2件。報告について紹介します。
「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子に対する意見等について」
2004年度からの都特別支援教育推進計画(第一期)が終わり、来年度から向こう10年間の第二期に向けての計画案が出され(11月)、それに対するパブリックコメント公募(12月)の結果が報告された。その結果に入る前に、「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子」について簡単に紹介すると――。
第一期の<主な成果>は ○知的障害特別支援学校の企業就労率の上昇 35.2%(H19) → 46.4%(H27) ○知的障害特別支援学校の普通教室数の増加 736教室(H16) → 1,239教室(H28) ○スクールバスの平均乗車時間の短縮 72分(H16) → 60分(H28)
第二期は、「障害者権利条約の批准と関連する国内法の整備や、インクルーシブ教育システムに関する国の動向、障害者差別解消法の施行など、障害者を取り巻く環境は大きく変化。また、主権者教育の推進等の新たな課題への適切な対応が求められるほか、オリンピック・パ ラリンピックの開催、『2020年に向けた実行プラン(仮称)」の策定』」という状況変化に対応した特別支援教育を推進すると謳う。そして、「知的障害のある児童・生徒を中心に、今後も在籍者数の増加が見込まれる。」と言い、発達障害の児童・生徒への特別支援、副籍制度による交流(「障害のある子供たちと障害のない子供たちの相互理解や、思いやりの気持ちを育て、将来の共生社会を実現するための取組」)や「視覚・聴覚障害特別支援学校における進学指導の充実」などの「キャリア教育の充実」、そのための「専門性の高い教員の確保・育成」等を挙げる。
インクルーシブ教育、共生社会と言いながら、どの子も一緒に育つという発想が都教委には(文科省も)まったくない。報告者は、「副籍制度による交流をする際に、偏見を取り除くよう指導が必要となる」と平然と言った。なぜ、偏見が温存されてきたのかについて、全く疑問を持たないといった様子だ。
障がい者に対する差別・偏見を解消するためには、障がいを持った子どもも地域でともに遊び、ともに学ぶこと、同じ学校で遊び学ぶことが大事なのではないか。長い間一緒にいれば、思いやりの気持ちは育つはずなのに、学校(=生活空間)を分けられていては、その心の育つ環境が奪われる。相模原事件の背景に、障がい者を隔離してきたこの社会が関係することを、都教委は考えようとしないのだ。そうした指摘がされてきたにも関わらず。それは、差別解消を本気で考えてはいないということだ。文科省や都教委が学校を分けるのは、その方が安上がりだからか。
さて、寄せられた意見は303件。内訳は、児童・生徒が1件、特別支援学校の児童・生徒の保護者が38件、小学生・中学生の保護者が19件、高校生の保護者が6件、そして何と、学校関係者が158件。「学校関係者が158件」について、「現場の声を吸い上げるのができていないということ。都教委は日頃から現場の声を聞く努力をしてほしい」(山口委員)と発言があった。それは正しい指摘であるが、現場の声を吸い上げなくなった原因が何にあるのかを問題にしてほしかった。
2006年に都教委が「職員会議での採決禁止」を出して以来、東京の公立学校では教職員が議論を重ね、総意としての意見・要求を校長が都教委に持っていくという、それ以前は普通に行われていたことが全く行われなくなったのだ。また、都教委の考えに反対する意見を言えば、業績評価に影響するかもしれない。そうしたことから、現場の教職員はパブリックコメントとして意見を寄せるしかなかったのだろう。教育委員にそこを考えてもらえたら、都教委の学校支配の酷さが垣間見えたのではないかと思った。
意見の幾つかを紹介したい。
①多様性を尊重する態度の育成や障害のある子供たちとの交流及び共同学習を重視するのであれば、障害のある子供とない子供の学ぶ場を分けずに共に学べる環境整備を行うべきである。(小学生又は中学生の保護者)
②基本理念の「活躍できる」「貢献できる」という言葉の裏には、「役に立たない」人間はだめだという考え方があるのではないか。一人一人の発達を保障する障害児教育を進めることこそ、基本理念として位置付けられるべきである。(学校関係者)
③通常の学級において一つの普通教室を間仕切りして使用している教室、特別教室等から転用した普通教室の解消については、確実かつ早急に実行してもらいたい。(学校関係者)
④病院内に設置されている分教室の中には小・中学部しかないところもある。この場合、高校生は病院内訪問教育を利用することとなるが、単位が足りない。高等部も設置してほしい。(高校生)
⑤外部専門家の導入で教員が削減されたが、重い障害のある子供たちを1人の担任で見られるわけがない。外部専門家より、毎日子供に接してくれる教員の加配をお願いしたい。(特別支援学校の児童・生徒の保護者)
「来年度教育庁所管事業予算・職員定数等について」
事業予算(1191億2400万円)のうち「新規事業」の一例と予算額を紹介する。
「基礎・基本の定着と学ぶ意欲の向上」では、「学力に課題がある小中学校における児童・生徒の学力向上のために、新たに25人の教員を加配し、学校の学力向上への取り組みを支援」「高校生に向け、都独自の給付型奨学金の創設」等、9つの事業に46億900万円を計上。「理数教育の推進」では、「理数イノベーション校等の指定校以外の理数への興味・関心を持つ都立高校生に対して、大学等の研究施設で高度な研究活動を行う理数研究ラボを実施し、探求する力や学びに向かう力を高める」等5つの事業に3億2000万円、「『使える英語』を習得させる実践的教育の推進」では、「小学校3,4年生を対象として、オリンピック・パラリンピックに向けた国際理解教育の推進、日本・東京の文化等の理解の促進を図るとともに、英語で発信できる力の育成を図る都独自の英語教材『Welcome to Tokyo(Beginner)』を作成」等4つの事業で32億8400万円を計上ほか。
「学校運営力の向上」では、「教育の質の向上を実現するために、多様な人材を活用して学校組織運営や学校と地域の連携・協働を推進するとともに、学校運営の中心的な役割を担う副校長を支援する学校マネジメント強化モデル事業を実施」に75億1600万円を計上。また、「小中学校の耐震化、トイレ改修(洋式化等)及びマンホールトイレ等災害用トイレの整備を実施する区市町村を支援」に402億4000万円を計上とのことであった。
例えば、最初に挙げた「教員の加配」では、学校はその「成果」が求められる。となれば、子どもたちは頑張りを求められ、追い詰められるのではないかと懸念する。また、副校長のなり手がいないという切迫した問題がモデル事業で解決に向かうとは思われない。
●根津公子の都教委傍聴記(2017年1月26日)
パブリックコメントでしか発言できない教職員
公開議題は、「学校職員の定数に関する条例の一部を改正する条例の立案以来について」の議案と、2つの報告「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子に対する意見等について」「来年度教育庁所管事業予算・職員定数等について」)。非公開議案が教員の懲戒処分等2件。報告について紹介します。
「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子に対する意見等について」
2004年度からの都特別支援教育推進計画(第一期)が終わり、来年度から向こう10年間の第二期に向けての計画案が出され(11月)、それに対するパブリックコメント公募(12月)の結果が報告された。その結果に入る前に、「東京都特別支援教育推進計画(第二期)・第一次実施計画(案)の骨子」について簡単に紹介すると――。
第一期の<主な成果>は ○知的障害特別支援学校の企業就労率の上昇 35.2%(H19) → 46.4%(H27) ○知的障害特別支援学校の普通教室数の増加 736教室(H16) → 1,239教室(H28) ○スクールバスの平均乗車時間の短縮 72分(H16) → 60分(H28)
第二期は、「障害者権利条約の批准と関連する国内法の整備や、インクルーシブ教育システムに関する国の動向、障害者差別解消法の施行など、障害者を取り巻く環境は大きく変化。また、主権者教育の推進等の新たな課題への適切な対応が求められるほか、オリンピック・パ ラリンピックの開催、『2020年に向けた実行プラン(仮称)」の策定』」という状況変化に対応した特別支援教育を推進すると謳う。そして、「知的障害のある児童・生徒を中心に、今後も在籍者数の増加が見込まれる。」と言い、発達障害の児童・生徒への特別支援、副籍制度による交流(「障害のある子供たちと障害のない子供たちの相互理解や、思いやりの気持ちを育て、将来の共生社会を実現するための取組」)や「視覚・聴覚障害特別支援学校における進学指導の充実」などの「キャリア教育の充実」、そのための「専門性の高い教員の確保・育成」等を挙げる。
インクルーシブ教育、共生社会と言いながら、どの子も一緒に育つという発想が都教委には(文科省も)まったくない。報告者は、「副籍制度による交流をする際に、偏見を取り除くよう指導が必要となる」と平然と言った。なぜ、偏見が温存されてきたのかについて、全く疑問を持たないといった様子だ。
障がい者に対する差別・偏見を解消するためには、障がいを持った子どもも地域でともに遊び、ともに学ぶこと、同じ学校で遊び学ぶことが大事なのではないか。長い間一緒にいれば、思いやりの気持ちは育つはずなのに、学校(=生活空間)を分けられていては、その心の育つ環境が奪われる。相模原事件の背景に、障がい者を隔離してきたこの社会が関係することを、都教委は考えようとしないのだ。そうした指摘がされてきたにも関わらず。それは、差別解消を本気で考えてはいないということだ。文科省や都教委が学校を分けるのは、その方が安上がりだからか。
さて、寄せられた意見は303件。内訳は、児童・生徒が1件、特別支援学校の児童・生徒の保護者が38件、小学生・中学生の保護者が19件、高校生の保護者が6件、そして何と、学校関係者が158件。「学校関係者が158件」について、「現場の声を吸い上げるのができていないということ。都教委は日頃から現場の声を聞く努力をしてほしい」(山口委員)と発言があった。それは正しい指摘であるが、現場の声を吸い上げなくなった原因が何にあるのかを問題にしてほしかった。
2006年に都教委が「職員会議での採決禁止」を出して以来、東京の公立学校では教職員が議論を重ね、総意としての意見・要求を校長が都教委に持っていくという、それ以前は普通に行われていたことが全く行われなくなったのだ。また、都教委の考えに反対する意見を言えば、業績評価に影響するかもしれない。そうしたことから、現場の教職員はパブリックコメントとして意見を寄せるしかなかったのだろう。教育委員にそこを考えてもらえたら、都教委の学校支配の酷さが垣間見えたのではないかと思った。
意見の幾つかを紹介したい。
①多様性を尊重する態度の育成や障害のある子供たちとの交流及び共同学習を重視するのであれば、障害のある子供とない子供の学ぶ場を分けずに共に学べる環境整備を行うべきである。(小学生又は中学生の保護者)
②基本理念の「活躍できる」「貢献できる」という言葉の裏には、「役に立たない」人間はだめだという考え方があるのではないか。一人一人の発達を保障する障害児教育を進めることこそ、基本理念として位置付けられるべきである。(学校関係者)
③通常の学級において一つの普通教室を間仕切りして使用している教室、特別教室等から転用した普通教室の解消については、確実かつ早急に実行してもらいたい。(学校関係者)
④病院内に設置されている分教室の中には小・中学部しかないところもある。この場合、高校生は病院内訪問教育を利用することとなるが、単位が足りない。高等部も設置してほしい。(高校生)
⑤外部専門家の導入で教員が削減されたが、重い障害のある子供たちを1人の担任で見られるわけがない。外部専門家より、毎日子供に接してくれる教員の加配をお願いしたい。(特別支援学校の児童・生徒の保護者)
「来年度教育庁所管事業予算・職員定数等について」
事業予算(1191億2400万円)のうち「新規事業」の一例と予算額を紹介する。
「基礎・基本の定着と学ぶ意欲の向上」では、「学力に課題がある小中学校における児童・生徒の学力向上のために、新たに25人の教員を加配し、学校の学力向上への取り組みを支援」「高校生に向け、都独自の給付型奨学金の創設」等、9つの事業に46億900万円を計上。「理数教育の推進」では、「理数イノベーション校等の指定校以外の理数への興味・関心を持つ都立高校生に対して、大学等の研究施設で高度な研究活動を行う理数研究ラボを実施し、探求する力や学びに向かう力を高める」等5つの事業に3億2000万円、「『使える英語』を習得させる実践的教育の推進」では、「小学校3,4年生を対象として、オリンピック・パラリンピックに向けた国際理解教育の推進、日本・東京の文化等の理解の促進を図るとともに、英語で発信できる力の育成を図る都独自の英語教材『Welcome to Tokyo(Beginner)』を作成」等4つの事業で32億8400万円を計上ほか。
「学校運営力の向上」では、「教育の質の向上を実現するために、多様な人材を活用して学校組織運営や学校と地域の連携・協働を推進するとともに、学校運営の中心的な役割を担う副校長を支援する学校マネジメント強化モデル事業を実施」に75億1600万円を計上。また、「小中学校の耐震化、トイレ改修(洋式化等)及びマンホールトイレ等災害用トイレの整備を実施する区市町村を支援」に402億4000万円を計上とのことであった。
例えば、最初に挙げた「教員の加配」では、学校はその「成果」が求められる。となれば、子どもたちは頑張りを求められ、追い詰められるのではないかと懸念する。また、副校長のなり手がいないという切迫した問題がモデル事業で解決に向かうとは思われない。