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「君が代」不起立処分大阪府・市人事委員会不服申立ならびに裁判提訴当該15名によるブログです。

「君が代」調教NO!処分撤回高裁不当判決! 上告して闘いを継続!

2023-07-28 06:50:53 | 「君が代」裁判

不当判決! 上告して闘いを継続します

大阪高裁 控訴人 松田幹雄

判決はこちらからご覧ください。

https://drive.google.com/file/d/1f6yQXI3mJvSfDyRI2-Ddgn2EF0aRMtkN/view?usp=drivesdk

 

14:00の判決言い渡しの前に、裁判所一周デモを行い、関生支部武谷さん、西山さんをはじめ20数名の支援者の方に参加いただきました。

【デモコール】

*君が代を子供たちに押し付けるな           

*大阪高裁は 松田「君が代」処分を取り消せ    

*「君が代」強制は 子どもの権利条約違反だ    

*「君が代」処分は 国際人権自由権規約違反だ

 

私は、6月13日の口頭弁論意見陳述

https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2023/06/2023.6.13ikenchinjutsu.pdf

で、以下のように述べました。

「裁判官のみなさまには、私にとっての「君が代」起立・斉唱の意味、特に、子どもたちへの権利侵害に手を染めることはできないという私の不起立・不斉唱の理由について認定いただき、それが国際人権自由権規約第 18 条で保護される権利であるとの判決をぜひともお願いしたいと思います。それが、子どもの人権保障に直結するものであることを確信しています。」

しかし、高裁阪本判決は、私の不起立・不斉唱の理由について具体的に認定することなく、これまでの判決の枠組みを頑なに踏襲した不当判決でした。

 

14:00 裁判所別館84号法廷(定員36人?)は満席。しかし、阪本裁判長は、「本件控訴を棄却する」「訴訟費用は控訴人の負担とする」と主文だけを読み上げ、そそくさと姿を消しました。

判決文を受け取りに行くとたった10ページのもの。(添付)

15:00の報告集会まで、冠木事務所で弁護士さんとともに判決文について検討しました。

P5「第3 当裁判所の判断」には、「当裁判所も、控訴人の請求は理由がないと判断する。その理由は、次の2のとおり、当審における控訴人の補充主張に対する判断を加えるほかは、原判決『事実及び理由』欄の第3の1ないし11に記載の通りであるから、これを引用する」とありました。

原判決

https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2022/12/20221128chisaihanketsu.pdf

のP23~P43は、そのまま高裁での判決だとしたわけです。

高裁が加えたという「当審における控訴人の補充主張に対する判断」について、私たちが注目した点について以下紹介します。

まず、【高裁判決文P6~P7】

「イ また、控訴人は、控訴人の思想及び良心は、①「君が代」の起立斉唱をしないというものだけではなく、②教員が起立斉唱に関する職務命令に従うことを通じて、児童・生徒に対して君が代起立斉唱を強いる調教教育の一端を担うことを拒否するというもの、③人権侵害を受けている児童・生徒を教育者として放置することはできないというものであるから、本件各職務命令はこれらの思想及び良心の核心部分を直接的に制限するものであるなどと主張する。

しかしながら、公立学校における卒業式等の式典における国歌斉唱時の起立斉唱行為が、一般的、客観的に見て、これらの式典における慣例上の儀礼的な所作としての性質を有するものであり、かつ、そのような所作として外部からも認識されるものであり、このことは、教員だけではなく、式典に参加する生徒の立場に立っても同様に評価することができるから、上記の起立斉唱行為が生徒に対し特定の思想等を押し付ける調教教育と評価されるものでもない。」

 

この部分は、控訴理由書

https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2023/03/kousoriyusho20230310.pdf

P14~P27「第5 思想良心の自由の侵害」に対する判断です。控訴理由書のこの部分では、以下の論旨で「慣例上の儀礼的所作」論を批判しています。

 

2 原審の判断構造が誤っていること

(2)慣例上の儀礼的所作とすることについての誤り

ア 君が代起立斉唱が慣例上の儀礼的所作ではないこと

(ア)「君が代」について

(イ)君が代起立斉唱の意味合いについて

イ 本件職務命令によって原告が強制される行為が儀礼的所作ではないこと

3 控訴人の思想について事実認定の誤り

(1)   原審の認定

(2)控訴人の思想良心の内容

ア 本件職務命令の意味合い

イ 本件職務命令が「君が代」の起立斉唱をしないという控訴人の思想良心を侵害すること

ウ 教育長通知が教育の自由を害する調教教育であるから、本件職務命令が調教教育に加担したくないという控訴人の思想良心の自由を侵害すること

エ 本件職務命令によって人権の侵害を受けている児童生徒を教育者として放置することはできないという控訴人の思想良心の自由を侵害すること

(3)原審の事実認定の誤り

ア 原審による事実の看過

イ 本件職務命令が控訴人の思想良心に対する直接的な制約であること

ウ 本件職務命令による「君が代」起立斉唱が儀礼的所作ではないこと

高裁判決は、歴史的事実に基づいた控訴理由書の「慣例上の儀礼的所作」論批判に対して何ら反論することなく、「(教職員の)起立斉唱行為が、…慣例上の儀礼的な所作としての性質を有する」と繰り返すのみならず、「このことは、教員だけではなく、式典に参加する生徒の立場に立っても同様に評価することができる」ことを理由として、「調教教育と評価されるものでもない」としたのです。

教育という以上、「君が代」の歴史を情報として伝え、子どもたち一人ひとりが自分の考えを深めていくべきであるのに、必要な情報を遮断し、強制によって全員が起立斉唱する場面を演出して、その体験を通して、天皇を象徴とする国を崇高なものと感じさせようとするやり方を「調教教育」と指摘しているのに、「起立斉唱は慣例上の儀礼的所作だからそれを生徒に求めたからといって調教教育だとは言えない」というのです。これまで、「慣例上の儀礼的所作」は、教職員への職務命令に関係して価値中立的行為だと主張するために用いられてきていて、児童・生徒の起立・斉唱の説明に用いられたことはなかったのではないかと思います。「私の起立・斉唱が、児童・生徒に対する調教教育の一端を担うこと」という主張に反論するために、これまでの主張を踏み越えたものと考えられます。「儀礼的所作」だから、児童・生徒に何も説明せず起立・斉唱を求めていいといえるのか、教育のあり方に関わる問題が判決に書かれたわけで、今後の重要な論点になっていくのではないかと思います。

 

次に【高裁判決文P8~P9】

「(3) 本件各職務命令が控訴人に国際法上認められた諸権利を侵害するものであることについて(争点6関係)

控訴人は、自由権規約委員会の第7回総括所見を引用して、自由権規約18条違反を主張する。

自由権規約18条1項は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を規定するところ、同項に定めるこれらの自由の性質に照らし、これに対する制約の有無についても、直接的な制約か、間接的な制約かという制約の態様に即して判断し、間接的な制約となる面がある場合に、その許容性を、本件各職務命令の目的及び内容並びに制約の態様等を総合的に衡量して、その制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点から判断するのが相当である。このような観点から検討すると、本件各職務命令が思想、良心及び宗教の自由を侵害するものとは言えないから、自由権規約18条に違反するものでないことは、先に補正して引用した原判決「事実及び理由」欄の第3の7(1)イで説示した通りである。控訴人が引用する自由権規約委員会の総括所見によっても、この結論は左右されない。」

※原判決「事実及び理由」欄の第3の7(1)イ

https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2022/12/20221128chisaihanketsu.pdf

原判決P38

「7(1)イ 自由権規約18条について

前記3の説示によると、本件職務命令は、思想、良心の自由及び宗教の自由を侵害するとは言えないから、同条に違反するということはできない。」

この部分は、控訴理由書

https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2023/03/kousoriyusho20230310.pdf

P31、P32~40に対する判断です。

3 本件各職務命令が控訴人に国際人権規約2条、18条、19条により認めら

れる諸権利を侵害するものであること

(2)本件における自由権規約違反

イ 自由権規約18条違反

3 本件各職務命令が控訴人に国際人権規約2条、18条、19条により認めら

れる諸権利を侵害するものであること

(3)自由権規約委員会による勧告

 

なお、2023年6月11日付で提出した寺中誠意見書

https://democracyforteachers.files.wordpress.com/2023/06/ikensho_teranaka.pdf

のP5~P6には以下のような記載があります。

「直接的に内心の自由の表明を強制することはもちろん規約 18 条 2 項で禁止されているが、状況や間接的な事情によって内心の自由の表明を余儀なくされた場合、規約 18 条 3項の制約原理に照らして、その表明行為に対する処分の正当性、必要性を判断することになる。法定主義を満たしていない時点で、すでに表明行為への処分は国際的基準の上では正当性を失っているが、さらにその表明行為が公共の安全や公の秩序を必要以上に害することを説明できない以上、表明行為への処分はまったく正当化できない。」

2022年11月3日自由権規約委員会の第7回総括所見公表後の初の判決が、この勧告の意味・意義を全く理解しない者であったことは、今後のカウンター報告にいかしていかなければと思います。

論理は弁護士さんとの相談になりますが、上告してさらに闘いを継続したいと思っています。引き続きご支援をお願いします。

 

 

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