大雑把な日常

日常のあれこれ。

カナダ側からですいません

2011-08-15 | 日記

赤毛のアンを読み進めて参りますと

最後は戦争の話になっちゃいます。

第1巻はご存じ

アニメになった

抱腹絶倒エピソードの数々が入っていますが、

そのほかの巻にもそれぞれの魅力があり、

わたしは

アンが校長先生になり下宿生活をしたときのことを書いた

「アンの幸福」という日本題の巻が好きです。

ちなみにイギリス版原題であるAnne of Windy Willows「柳風荘のアン」というタイトルが洒落てて、良い。

まさにこのおうちが素敵なの。

それはそうとて、

赤毛のアンには当時のひとの日常生活が描かれていて

実に興味深い。とは、前にも書きました。

主婦は午前中にパン種を用意する(涼しいうちに主食の用意)

新しい服がほしいときは型紙で仕入れる

そろそろ肉が食べたいもしくは来客ってなると

老いた鶏の命が危ない。など。

それで最後の巻である「アンの娘リラ」では

ふつうに生活していた人々がどのように第一次世界大戦に巻き込まれていったか

その様子がリアルに描かれています。

 血気盛んな若者

国のためと言いながら自分の子を出兵させることへ複雑な心境の親たち

戦争へ行かない者たちへの白い目

残される少女や老人たち。

当時は電話もめずらしく情報がないなか

新聞を必死に読み

噂やデマに翻弄されるひとびと。

最初は楽天的に勝利しすぐに終わるだろうと思われていたのに

戦争は長々と続き、多くの犠牲者を出して

第一次世界大戦が終わってこの物語は終わります。

助かったものも心身ともに大きな傷を残して戦争が終わった。

というような終わりですが、

このあとほどなくして第二次も始まることを読んでいる側は知っており

なんとも虚しい気持ちになります。

カナダの歴史については深く知りませんし、第一、国が違うじゃないか

とも思いますが、

著者の繊細な描写により

日々の生活の中で家族を想うひとびとに国境はないということ

戦争がどれだけ悲惨であるか

ということはまざまざと分かります。

勝利した国の話でこんだけ悲惨だから

もちろん敗戦国にしたら、もっと…

と思うわけです。

この本、アンの末娘リラの視点で物語が書かれており

それがどうも…と思う人もいるかと思うんですが、

リラだからこそ、より客観的に描かれている。と私は妄想します。

これがアンだったら、もっと過酷で苦渋に満ちた話になっていたはず。

大事な息子たちが出兵していく。いや、きつい。泣くわ。読んでて、泣いちゃうわ。おいおいと。

じゃあどうしたらいいの。

という問いに関して、まったく答えは分かりませんが、

とりあえず、

知って、言うこと

この意見を誰かに、いや次の世代に、バトンタッチ!

ってことくらいやってみようかな。と思う終戦記念日。

あとお盆。

仏壇にお祈りして、花火をしました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする