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MCHhandbook International Synposium

2006-12-02 23:50:56 | 国際保健

MCHhandbook International Synposium
  22~25,Nov,2006@VietNam(ベンチェ省)
「母子健康手帳 第5回国際シンポジウム」

きっかけは、板東先生との出会い。
以前お会いしお話を聞いたときから、絶対この国際シンポジウムに行きたいと思っていた。こんなイチ学生に、快く許可してくださり、勉強と経験の場を提供してくださり、ほんとーーーに、感謝!!!!

母子健康手帳は日本では50年以上も前から実施されている、母子保健政策。
うちらも馴染み深いよね?当たり前に存在していたようなもの。
今、それをアジアに広める動きがある。
10年ほど前からインドネシアで始めた、中村安秀先生。
8年ほど前からベトナムで始めた、板東あけみ先生。
この2人のmovementが、現地の人の自主的なpowerを相まって、どんどん広がっていっていることが、よーく分かった。
出席者は180人、各地域の保健局の役人、大学の教授、JICAの職員、海外青年協力隊の人、学生はたったの5人!(でもどんなpositionの人も、対等に参加させていただけた。非常に馴染みやすい雰囲気であった。)
国は、ベトナム、日本、インドネシア、フィリピン、タイ、カンボジア、ラオス、バングラディッシュ、アフガニスタン。
前回の開催は、タイ(2年前)、次回(2年後)はなんとJAPAN!!(楽しみ~^^)

母子保健手帳のadvantageは、
◎Medical recordが一冊にまとまっている。
→今まではバラバラのカード。予防接種も妊娠の経過も産後も、情報がまとまっていて分かりやすい。
◎eduationのツールになる。
→単に記録のためのものではなく、妊娠中にこんな症状が出たら病院にきて下さいとか、何週目の子供はこれくらいの発育、とか、取ったらいい栄養とか、そうゆう情報が載ってて、health educationが出来る。

Vietnamでは、ベンチェ省が非常にsuccessfulだったため、ベトナム全土に広めよう、としているところ。
このベンチェ省の特筆すべきgood pointは、
◎CBR(Community Based Rehabilitaion)とうまく連動しているところ
すなわち、途上国では未だケアされていない障害を持った子供たちを、母子健康手帳を用いて定期検診やら予防接種やらで、「早期発見」「早期介入」が出来る!!と言うこと。
村の診療所にはリハビリの部屋が一緒に設けられていた。
先進的!!

3日間のスケジュールは、
・Country Report
→各国のMCHH(Maternal and Child Health Handbook)の状況報告
 アフガニスタン、カンボジアは今から!タイ・インドネシア国全土に普及。

・Group dissucation(How to expand, How to sustain, How to evaluate)
→私はevaluationのグループでした。何を目指すべき目標にし、何のindicatorでevaluateするか。非常に勉強になる討論だった。
特に感動したのは、JICA職員の日本人女性3人。
他の海外の大学教授とか役人さんとか、意見が偏ったり、討論がずれてくると、そのたびに、この3人が的確なコメント・鋭い質問をバリバリの英語で言ってて、正直こんなに海外の人と対等に(それ以上に)渡り歩く日本人を見たのは初めてだった。
各論の討議になっていっても、「全体のsummerizeをし、今の話し合いがそのどこに位置するのかを言う」、「使われる言葉の定義を確認し、コンセンサスを取る」、「Overall Gaolを見失っていないか」etcetc。
これが、討論能力!会議能力かー!!って感じ。
projectはどんなevaluationをしたくてやるのかが非常に大事で、planning→managing→supervising/monitoring→そしてevaluation!!「この一連の流れを意識する」ということを勉強できて、非常によいグループ討論だった。

・Field tour
→村の診療所を見学に行ったら、なんと予防接種の日だった!!
 とてもsystematicにスムーズに実施されており、集まっている人達は和やかなムードであった。お父さんが来ている家族も多く、びっくり。意識の高さを感じた。
B肝、DPT、ポリオの予防接種を見せてもらった◎

内容は密度が濃く、国際保健の現場!!を垣間見れた。
来ている方がVIPが多く、こんなイチ学生なのに、質のいい宿とご飯を提供していただけた。(ベトナムに1週間にて、体を壊さなかった。)

そしてそして、
シンポジウムの前後含め、1週間のベトナム旅行で、感じたこと。
途上国は、energyがある!!
とにかく、「人間くさい」し、「生きる」ことが良い意味で生々しく、現実味がある。(ある意味、東京の方が人の生きるリアリティーが感じられない。うまく言葉に出来ないけれど…)
「生活をよくしたい!!」というspiritが強い。
日本人はあまりに今贅沢に生きていて、平和ぼけしているんだろうけど、町中の女の子もお金を稼ぐために必死に日本語を勉強していたり、役人の人達のやる気も非常に高い!
戦争の爪痕。
ベトナム戦争で北(ホーチミン)が勝ったため、戦時に南にいた人は職場で重役になれないとか。賄賂が横行。そんな風に民族を対立させたのは、誰のせい。
戦争のむなしさ。
「クチ」っていう戦時のトンネルのあるところに行ったけど、おぞましくて、すごい疲れた。あんなものに頭を使って、trap作って、そのenergyとか知恵とかがpositiveな別なものに使われていたら、人間はどれだけ戦争を回避できたのか。
「すごいでしょ!!」「うちらはアメリカに負けなかった唯一の国!」と観光客に自慢するのも、わかる。けど、「うんうんすごいトンネルね!」「戦車に乗ってピース」「トンネルから出てくる兵士を演じてワーイワーイ!」していた欧米人の旅行客達には、ひどくショックを受けたし、唖然とした。日本人の若者だって、そんな風な人はいっぱいいるのかも。トンネルは通ったけど、もう二度とやだし、銃を体験で撃てるところがあるけど、見るのも嫌で、撃たなかった。一緒に行ったツトムは撃ってたけど、衝撃で体が後ろにどんっと動く感じ、撃ったときに、銃弾の入れ物(下に落ちるやつ)が弾けてあたりに散る感じ、見ただけで、もうやだー!!!って思った。食わず嫌いなのは分かってるけど、簡単に人を殺せるものを、握る経験なんて、しなくていいのなら絶対にしたくないと思った。

以上、長くなりました!
報告書を作成中。出来たらHPにアップします。
(お、そうそうHPをリニューアル中です。乞うご期待。)


最後の最後に。
今回もすんなりと理解を示してくれ、ベトナムに行かせてくれた親に感謝。
今後の自分に繋げます!!
またとない機会を提供して下さった、板東先生に感謝。
出会った沢山の友達、スタッフの方々、お話を聞かせてくれた人生の先輩の方々に、感謝!
飛行機取ってくれたツトムもさんきゅ~◎


ミニ講演会@つくば

2006-12-02 22:45:57 | 国際保健

Major Public Health Problems in India
  -Maralia, J.E., TB-
  by Dr.Rupahi Baruah MD
(筑波大に研究でいらした先生、元WHO officerだそう。)
11月16日17:00~19:00@大学の講義室

疫学の教授が、ときたまこうゆうミニ講演会を放課後に開いてらしているんだけど、いつも部活と重なるが、偶然今回は参加可能!でした。
学生は10人程度、看護の学生が6,7人と多かった。

簡単にメモを取ったことをまとめると、
◇Maralia
・South East Asiaのマラリアは、71%→India、8%→スリランカ。
・Prevalence(有病率)とIncidence(罹患率)
 Prevalenceが8~10%→これはアフリカに比べても、非常に高いそう。
・70、80年代はマラリア制圧に好成績、しかし、ある一時期より状況は悪化、現在は患者が増えている。→この背景とは?
(この質問当てられたんだけど、分からなかった~。薬剤耐性の出現と応えたら、それはもっと時間がかかって出現するそう。)
 →背景
 *70,80年代は、DDTをばら撒いていた。それが禁止されてから、増えた。
 *Asiaは元々三日熱マラリアが多かったのに、今は熱帯熱マラリアの%が上昇中。
 よって、重症度も↑。
・Maralia ControlにGISsystemの有用性。
・DDTは使用禁止の年月が結構経ったので、DDT耐性は消え、今再び、使用効果があるようになってきた。→南アフリカとか、famersをしっかりcontrolできるという条件の上で再使用を試みる国も。

◇J.E(日本脳炎)
・J.Eはvaccine preventable!患者数はAIDS/マラリアに比べたら非常に少ない。だからと言って、J.Eのvaccineを作ることはexpensiveか
 →これが、国際保健の醍醐味!って感じの、先生からの質問だった。
先生の答え
 *J.Eの致死率は非常に高い。健康な子供がいきなり発症し、死ぬ。これはその村に与えるimpactが大きいもの。AIDSは一生付き合う病気だし、vaccineがない。ならば、村に与えるgood effect(私たちの村では子供があまり死ななくなった!っていうのが、村の人たちの誇りになる。自分たちで自分たちのhealth statusが向上していると感じられる!!)の大きい、J.E vaccineの開発にお金を割いてもいいのでは?!
 これはあくまでも、先生の考え。でも非常に、勉強になった。
 
よく、医薬品アクセスと製薬会社の利益・イニシアチブの話は聞くけど、これと似たようなものかな、と。儲かる、需要の大きい薬を作りたい製薬会社と、その薬が高価でアクセスできない途上国の人、その薬が病気がレアであればあるほど作られなくなっていく。でもその薬にアクセスできることの「村でのgood effect」なんて、考えてみたこともなかった。でも儲からないと会社は製薬開発のイニシアチブが得られない…。
難しい!!

時間がなくなり、飛ばし気味だったけど、結核。
◇TB
・producive age(15~54)が罹りやすい。
・HIV+の60%→TBに罹患。HIV-だと、たったの10%。
・poorな人ほど、罹患しやすい。(太った人はなりにくい。)

以上!
特に、J.Eの話は面白かった。
国際保健・協力を行っていく上での、考えるべきeffect(効果)を、よく考えたいな、と思った。


wAdsTsukuba

2006-12-02 22:10:13 | 参加したイベント

11月中の数少ない(T-T)活動を、遅ればせながら、報告します。

World AIDS Day =12/01!!

wAdsとは、ワールドエイズデーシリーズ2006(World AIDS Day Series 2006)という、若者による若者のためのHIV/AIDS予防啓発キャンペーンのことで、
つくばの国際系の学生にも医学系の学生にもwAdsに関わっている学生がいて、是非つくばでもActionを起こそうということになり、11月10日勉強会が開かれました。
内容は、
・ミニクイズ(ブレインストーミング)
・ケニアのダンさんのお話
・根本さんのお話(カイの物語、国連特別AIDS学会の話、日本のこれからetc)
→根本さんは筑波大のOB!国連の会議にユースとして出席しちゃったり(世界でたったの6人)、日本におけるHIV/AIDSのユース活動の第1人者。スゴイひとだった。
・WS(自分がもし感染したら、どうするか?!)

勉強になったこと
◇カイの物語→
AIDSと貧困の根底にあるもの、ジェンダー、スティグマ(烙印を押す。)
◇根本さんのお話より→
伝わるメッセージは、人によって違う。
 経験、知識、環境…、様々な因子により、受け取られ方が変わる。
 「発信」するには「受信」側一人一人が違う人間であることを忘れない。
国際社会でのユースの発言権の高まり。
 今回の成果は、documentに「コンドーム」と「ユースに特化した医療サービス」という、文言が入ったこと。多分コレはすごいこと。
 documentを作るとき、それがpassされることが国際社会に与えるimpactは大きく(まぁ文書によって法的拘束力は変わるし、批准とかしない国もあるし、決めたことを遵守するかどうかはまた別問題とは言え、)、ユースの意見が(少なからず)反映されるなんてすごいな、と思った。例えば、careとsupportとsurviceという言葉の違いによって、強制力とか、実施義務とか変わってくる、ていう話。(模擬国連を思い出して、懐かしくなった。笑)
・WS(自分が感染したら、どうするか?)→
 泣く、引きこもる、親に言う、彼氏・彼女に言う、職場にはいえるか…?!等々、意見は出たけど、私が感じたのは、「感染後の生活が想像できない」と言うこと。=知識のなさ? ありえない話ではないのに、「自分には関係なさそう」という感じがしちゃう。ってか、それは若者、みんな?どれくらいの人が、考えているんだろう?今回はいいきっかけになった。やっぱり抵抗感とか、不安とか感じちゃうし、自分の中に潜むAIDSに対する偏見が顔を覗かせた気がした。

最後に、根本さんがこうゆう活動にはまった理由としておっしゃっていたこと。
それは、研究をしていて、0か1かで、表せないものがあると、感じたから。
HIV/AIDS患者で、supportを受けて、前向きに生きられるようになった女性のある言葉、「お化粧ができるようになったの!
これをどうやって0-1で評価するのか。表せないものがある。
研究の限界は、こうゆう心のrealityなのかもしれないと思った。


勇気が湧く言葉。

2006-12-02 21:09:44 | WORDS

できないのではなく、やってない
そう考えれば、勇気が湧いてくる

10年後のことを想い描いて、今を頑張る。


ベトナムでお会いした、60歳を越えた、日本人の小児科医の先生。
高齢でも、こんな風に、夢に向かって輝いている方が、おっしゃっていた言葉。
Keep in mindしておきたい、宝物のような、お言葉!!!