6月は一ヶ月、血液内科で実習していました。
毎日終わる時間も10時、11時。学ぶことの多い、4週間でした。
先生たちは本当に真面目で、製薬会社からの接待も一度も受けることもなく、学生への指導は熱意があって、夜遅くまで英語の文献を読んでいたり、一緒に顕微鏡をのぞいて教えてくれたり。エレベーターも使わず、4階から10階にいつも駆け上がっていくのには、内心まいってたけど。笑
患者さんも、教科書でみたことある!ていう、難病、難しい病気の方々ばかりで。
5年生存率、50%以下、なんていう方ばかりで。
白血球が2週間以上、ゼロのままの人。(それでも、生きられるということ。)
血小板が1000で緊急入院になった人。(皮下の出血斑がハンパなかった。)
ヘモグロビンが4.0の超!貧血の人。(眼の結膜、相当白かった。)
正常値がどんな意味があって異常値になっているか。
ひたすら考えさせられた毎日でした。
患者さんは言うことは、ひとつひとつ身にしみた。
「孫の世話を誰がするのか、心配」というおばあちゃん。
「自分は31歳で、まだ死ねない」といった、若い人。
「(骨髄移植のため)仕事を妹に休んでもらって、申し訳ない。あいつの仕事も生活もめちゃめちゃにして…。でも、俺が逆の立場だったら、喜んでそうするだろうからね。」と語った、移植を待つ人。
骨髄移植するには、白血球の遺伝子型、HLA(6つの座、より成る。)というものを調べます。
拒絶反応、GVHDを起こさないために、HLAがマッチしているドナーをさがさなきゃいけない。
兄弟なら、1/4の確率。
兄弟がいなかったり、あわなければ、骨髄バンクのドナーのなかから、臍帯血のバンクから、探すことになります。
HLAはひとりひとり違うんだけど、よくある型、というものもあって、とある男の人のHLAは、日本人に一番多い型らしく、骨髄バンクの中の人とも、6座一致(フルマッチ)が何百人かいました。
(一致した人の中から、移植に同意してくれる人の人数は、もちろん減りますが。)
その人は、妹さんから、もらいました。
もうひとり、かなり状態の危ない人がいました。
彼女は不運にも非常に珍しい遺伝子のタイプで、HLAが兄弟とも一致せず、2人いる娘とも一致せず、臍帯血バンクも、骨髄バンクも、6座一致(フルマッチ)ゼロ、5座一致・4座一致もほぼ数人しかいなく、その人が了承してくれるかという問題・かつ絶対GVHDを起こす・かつ、全身状態の悪化。
…泣く泣く、緩和ケアに移行しました。(本人には、とても言えませんでした。)
その人の様子は、1ヶ月、受け持ち患者ではなかったけど、ずっと見ていたので、本当に切なかった。どんどん悪化していくのが、見て取れていました。
私の、お母さんと変わらない年。私の年と変わらない、娘さんたち。
担当の先生も、落ち込んでいるように、見えました。
運、不運、って選べないって、当たり前だけど、すっごい痛感しました。
どうして彼女のHLAに一致する人が、全然、いないの??って。
こんなに病気が治る、長生きの時代、最先端の医療のあふれた、日本。
だとしても、限界ってあちこちにあるなー、って思いました。
それが、つらかったなぁ。
自分がいつまでも元気な保障もないわけで、自分がいつ白血病になるともわからないわけで。
その選べないものが、運命なんだろうなーって。おもいました。
同じ白血病で、同じような抗がん剤治療をして、同じような全身状態の人がいても、
「ご飯食べたくなくて…」と、あまり元気のない、若者もいれば、
「つらいけど、大丈夫です。私はここまで生かしてもらえたことに感謝してますから」といつも笑顔ではきはき答えるおばさんがいました。
この、気持ちの持ちようというか、前向きさは、どこから来ているんだろう。
もちろん、その人の、生来の性格、キャラクターがあるのかもしれないけれど。
私もいつ病気になるともわからない。
けど、どんな状況でも、落ち込むことがあっても、自分の運・不運をのろったとしても、最後には、笑顔で前向きに不運にも立ち向かえる人間になりたいなと思う。
そして、その運・不運で乗り越えられない壁のある、限界のある医療という現場で、燃え尽きずに、笑
お医者さんとして頑張りたいなと、ますます思った、一ヶ月になりました。